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アッバース朝の狩猟事情 |

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(ジャウファルは)「……言葉を代えて申しあげまするが、王者や王子たちが最高の誇りとなすものは狩猟であり、技を競い、戦機をつかむことでございます……」と諌めました……教主(ここではハールーン・アッラシード)は、「なんとよいことを言ってくれたものよ。これジャウファル、即刻、狩に同行いたせ」と命じました。そこで金曜日の礼拝をすますと、ふたりは会衆モスクから出て、雌ラバに乗り、そのまま狩猟へと向かいました。(東洋文庫版アラビアンナイト「バグダードの漁師ハリーファの物語」(第十六巻) |
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アラビアンナイトには、狩猟を楽しむ場面がよく出てきます。アッバース朝時代、狩猟は上流階級にとってなくてはならぬ楽しみでした。それと同時に、軍隊にとっての訓練の場ともなりました。弓矢、馬術、剣や矛のわざを磨くことができたからです。狩猟についての書物も著され、当時の動物についての貴重な資料となっています。アッバース朝のカリフには、狩猟を愛した人が多かったようです。ペルシア文化からの影響が大きかったことも、狩猟が流行した原因の一つだったとされています。 |

| タカ狩りは現代のアラブ世界(特にサウジアラビアや湾岸地方)でも行われています。最近、カタールに出張した知人の話では、革の帽子(目隠し用)をかぶったハヤブサが、飛行機のエコノミークラスに行儀よく乗っていたそうです。タカを使った狩には古い歴史があり、古代のメソポタミアやエジプトでもさかんに行われていました。この狩はアッバース朝時代にも非常な人気があり、オオタカ、ハヤブサ、セイカーハヤブサ、ワシなどが使われていました。中でもオオタカがもっとも優れているとされ、ギリシア、トゥルキスタン、ペルシア、インドなどから輸入されていたようです。 鳥を捕まえるためには、網を使った猟も行われました。ジャーヒズの「動物の書」が書かれた一写本には、網の中にフクロウのおとり模型をしかけて鳥をとっている場面が描かれています。フクロウなどの夜行性の鳥は昼はじっとしているため、他の鳥に攻撃されることがあります。日本ではこれを「ズクいじめ」と呼んでいます。フクロウのおとりを使って鳥を捕まえる猟法は、このような鳥の習性を利用したものかも知れません。網を使った猟では、鳥モチも使われました。 庶民の場合は、獲物をしとめて毛皮や肉を売るだけでなく、耕地を荒らしたり生命をおびやかす獣(ウサギ、ネズミ、キツネ、ジャッカル、イノシシ、イタチ、ハリネズミ、トビネズミ、ハイエナ、イナゴ、ヘビなど)と戦う必要もありました。第一次大戦後にイギリスは、オスマン帝国の旧領からイラクという国を作り、委任統治という形で支配しました。当時の一軍人は「イラクでの楽しい思い出は野生のイノシシ狩りだ」と回想しています。アッバース朝時代にも、イノシシ狩りは人気がありましたが、ハールーン・アッラシードの息子の一人は、この狩によって落命しています。 狩でしとめた獲物は食卓にのぼりました。ガゼル、シカ、ウシなどの肉に人気があったようです。「千一夜」ではガゼルは美人の形容として使われていますが、この動物は目にも舌にも心地よかったということでしょう。狩猟肉に関しては、クシュタービーヤというシカ肉の料理が美味であるという記録が残っています。ペルシア語でグーシュトは肉、アーブは水ですから、この料理はシカなべもしくはシチューのようなものだったと思われます。利用されたのは肉だけではなく、角や革も大切な資源でした。ライオンの皮で楽器の弦を作ったという記録もあります。 アラビア半島一帯は、アラビアオリックスの生息地です。一角獣のモデルになったのではないかとされる、長い角を持つ動物です。ベドウィンにとってオリックスは重要な食物源でした。一頭をしとめれば家族が一ヶ月食べていけたからです。しかし西洋の火器が入ってくると生活のための狩猟は娯楽のためのものとなり、やがて石油で財をなした人々がウマを車に乗り換えてオリックス狩りに興じるようになりました。こうして1970年代の初頭、野生のアラビアオリックスは絶滅します。現在では動物園で飼われていた個体群を交配し、野生に帰せる程度にまで回復しました。オマーンでは国をあげてアラビアオリックスの保護にのりだし、密猟を厳しく取り締まっています。 |