ミポリンの日本滞在記 (その3)
◆ミポリンの日記 ミポリンこと金美穂さんの日記(ベイエリアの仲間にあてたメール)のつづきです。 日本に来て,まず東京,狭山に行ったミポリンが関西にやってきます。 岸本姉の家を拠点に,ここでも精力的に活動。まずは,大阪の人権博物館,そして太鼓フェスティバルの様子をつたえてくれます。 |
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◆大阪 ●人権博物館 その後,大阪に行って,岸本さんの宅にお世話になって,1週間の間,部落解放運動に携わって,日本社会での人権運動が大阪で展開されているのと初めて出会いました。 まず、大阪には大阪人権博物館、というのがあって,部落解放運動の成果で立った めちゃ感動的なところでした。 何が? というと、まず,大阪には被差別部落,朝鮮部落,そして沖縄部落が密集しており、この博物館はこれに加えてアイヌ民族から見た日本,水俣や四日市から見た日本の社会,身体障害者から見た日本の社会,などの展示が一緒に(そう、いっしょに!)ありました。 ここで、日本の人権宣言といわれる"水平社宣言、"その運動,そして今日の部落解放運動に至るまでの歴史もちょびっと学ぶことができました。水平社宣言は"人の世に熱あれ、人間に光あれ"で終わります。希望を託している締めくくりです。 人権を考えると、侵害を思いますが、その反面人間の強い生命をも思い起こさせます。日本で人権人権と言いながら"日本の"人権宣言とまでいわれるものを知らなかった私は何なんでしょう。という反省と同時に私の陽当たりもだいぶよくなった気がします。 ●太鼓フェスティバル そして,夏の太鼓フェスティバルを見たのですが,被差別部落の子どもたちの太鼓,あの小さな体のどこからあんなパワーが出てくるのか不思議なぐらい、圧倒されました。 で,そのとき教えられたのですが,和太鼓というものは,牛の皮を使います。皮革産業は,日本では代々「エタ身分」とされた人々が担っていました。(今でも太鼓は被差別部落でつくられている。)くさい,汚い,などといったレッテルが根底にあると思います。 で,和太鼓をたたく人は,国宝にまでなっていますが,では,その楽器を作るものと言えば,今日まで大変な差別を受け続けているのです。そして,太鼓を作るものでそれをたたけるものがいなかったのです。 サン・フランシスコでは太鼓道場とか結構活躍しており,太鼓を作る人,そして太鼓が生まれた所について考えるチャンスはいくらでもあったろうに,今まで思いもつかなかったと思うと,自分自分をでビンタしたくなる。 ●エイサー エイサーも,はじめて見ました。いろんな世代の人たちが,一緒に踊って終いには観客の人たちも立ち上がって引き込まれるように優雅にゆれていました。エイサーは,かっこいい! 今でも目を閉じたらエイサーが鮮やかに蘇るぐらい,私はエイサーにほれ込んでしまった。かっこいい兄ちゃんがそばでたたいていたのとは無関係でっせ! 沖縄から大阪に来た沖縄部落の住民は,エイサーを続けて来ました。そして,がんばって築いた沖縄コミュニティでエイサーをつづけ,三線など自ら演奏していました。 それを見た被差別部落の人々は感銘を受けて,「自分の子供らも自分が作る楽器をたたけるように」と,文字さえ奪われた大人たちが集まって,太鼓の入手に成功したのです。そして,和太鼓を自らたたく部落の民が,太鼓の発祥地で,初めて1970年代に誕生したそうです。 それを考えると,今まで聞いてきたこの音色もまた違って新鮮に聞こえます。心の耳奥まで振動の余韻が力となって残ります。 |
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