| 映像の快楽 |
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| 心の底に響いたり,迫ったりする映像を媒介に 思考してみるコーナーです。 |
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| 『仁=強者の自己抑制』 -茨城県土浦市の家族内殺人- −写真は毎日新聞より− |
| 2004/12/11 上の写真は,茨城県土浦市で04年11月24日,長男である飯島勝容疑者(28)が家屋内で父親K美さん(57)と母親S子さん(54)と姉のI津Y江さん(結婚していて別姓,数日前から長男を連れて里帰りしていたという,31)を殺害した家の玄関である。同じ11月24日の未明,同じ茨城県の水戸市で19歳の少年が両親を鉄アレイで殺害するという事件もあったが,この事件もよく似た構造である。 それぞれの加害者は人殺しの罪で裁かれ,厳罰にすべきなのはもちろんだが,とりあえず自首し,自白していることによって,責任を負っているわけであり,また強烈な自傷性もあるわけだから,この場合は加害者糾弾よりも事情と動機の究明に集中することにする。 写真には何人かの捜査員の姿が見えるが,団体としての家族の「箱」としては,立派な家である。こういう「立派な」家族におけるこういう事件は,文字通り,団体主義的な家族尊重論の八木秀次さんや自民党の一部政治家の理論の致命的な欠陥を証明しているのだが,あのバカヤロウの八木秀次さんが反省したという噂は聞いていない。 八木さんは日本国憲法に「家族共同体を保護・尊重する規定」がないことを問題にして,で,「わが国と同じ第二次世界大戦の敗戦国,ドイツ,イタリア両国の憲法」がそれぞれ,「婚姻および家族は国家秩序の特別の保護を受ける」(ドイツ連邦共和国基本法第六条第一項),「共和国は,経済的措置およびその他の方法により,家庭の形式およびその任務の遂行を,多数家庭に特別な考慮を払いつつ,助ける」イタリア共和国憲法第三十一条前段)と規定していることを称揚していた。 これは団体としての家族の優遇を語っているだけであって,「諸個人が全身体的に濃密に同居する場」である家族の関係の本質が「尊重」されているわけではない。 同じようなことは八木さんの大嫌いなはずの北朝鮮の憲法の第78条にも書かれている。「第78条 結婚及び家庭は,国家の保護を受ける。国家は,社会の基層生活単位である家庭を強固にすることに深い配慮を払う。」ご存じのように,北朝鮮では朝鮮労働党の身内でない人たちは地上の地獄に生きている。団体としての家族の尊重を憲法で謳ったところで,家族を構成する人達がそれぞれ幸福になり,互いに平和共存するとは全く限らないのである。 家族は単に団体性,家族成員を収める「箱」として存在しているのではない。諸個人が全身体的に濃密に同居する場としての関係性,その家族成員の互いの「劇」として存在しているのである。団体としての家族尊重を唱えても,家族内の関係性の問題を解決するのに何の役にも立たないのである。 何の反動だろうか?。子供の問題行動について,一方では八木秀次さんのように団体としての家族尊重の衰弱に帰着させる議論が産経新聞,「正論」などで展開され,他方ではプライバシー保護の衝動なのだろうか,家族内の関係をほとんど無視して,消費社会や高度情報化社会や学校の歪みや,または単純に個人の心の闇に帰着させる議論が朝日新聞などで展開されている。なぜか家族内における養育を含めた親子,きょうだいなどの関係が軽視されているのである。 人間の人格の重大な部分,あるいは中心は家族内における養育によって醸成されることは明白なことではないのか?。諸個人が全身体的に濃密に同居する場としての家族内の関係性を抜きにして,人間の把握ができるのか?。そこで成員同士が交わし合う言葉や行為やパフォーマンスを見ずに,どうして人間が,そして,その問題行動が把握できるのか?。 家族内の実存的関係を見よ。と言えば,町沢静夫さんのようにか?という疑問もあろう。町沢静夫さんはこの事件について次のように指摘しているそうである。 「引きこもりの子供がいる家庭に一様に見られる特徴は母親の過保護と父親の無関心。多くの例では子供は家の中に安住し,一生引きこもってしまう。今回の事件では,父親が厳格だったことが大きなポイントです.社会から逃げるために家に閉じこもっている子供にとって,厳しいだけの父親は最後の逃げ場をなくしてしまう。″父親を消さねば,自分が殺される″そんな妄想を抱くようになったのだと推察されます。」 これはまんざら外れてもいないが,的中してもいない。家族内の関係に注目はしているが,実存的にではなく,類型的に注目しているだけなのである。こういう意見はどうしても事件に安易にけりをつけようとしている印象を否みがたい。これでは,この家族内で展開されていた「劇」が見えて来ないのである。むろん,この事件の「劇」の「脚本」を外からいじることは困難である。しかし,まず「劇」を見なければならず,見えなければ,その「脚本」を探査しようとしなければならない。「母親の過保護と父親の無関心」などという類型では,たぶんカウンセリングもできはしない。問題はどのような場面における,どのような過保護,どのような場面における,どのような無関心であったかにある。まずその家族内の「劇」の声を聞こうとしないで,類型で処理しようとするカウンセラーが成功する確率は非常に低いはずである。 類型に当てはめたり,処方箋を出したりする前に,充分にその家族内の関係の「劇」を,こう言ってよければ「鑑賞」しなければならないのである。もしかすると町沢さんのような類型的な家族関係論が表に出過ぎていて,そのせいで,子供の問題行動についてまず家族内の関係を見るべしという議論がすたっている側面もあるのかも知れない(笑)。 しかし,子供の事件(今回の容疑者は子供のようなものである)における家族内の関係の「劇」をしっかりと「鑑賞」する作業が続けられるならば,必ずや,「親業」の参考になるはずなのである。 この事件の殺人現場は次のようなものであった。 飯島勝容疑者は11月25日午前,両親と姉を殺した後,自分で110番通報をし,土浦署員が駆け付けると,母親は廊下で,姉は8畳間で,父親は玄関で,それぞれ遺体となっており,凶器とみられる血の付いた文化包丁と,金づちも屋内で見つかった。で,自宅の庭にいた勝容疑者が「3人とも自分がやった」と認めたため,殺人の疑いで緊急逮捕したのである。家の中には,Y江さんの長男(11か月)もいたが無事だったという。勝容疑者は「幼いので,まだ自分を殺すことができないと思った」と言っているそうだ。 勝容疑者は「24日正午ごろに母親を包丁で,30分後には姉を包丁と金づちで殺した。午後5時半ごろには,仕事から帰宅した父親を金づちで殴って殺害した」と供述している。姉の遺体は金づちと包丁による損傷が最も激しく,父親も金づちで何度も殴打され,脳の内部組織まで飛び散っていたそうだ。母親については腹を包丁で刺されただけで「本当は母は殺したくなかった」と供述しているという。父親,次いで姉に対する殺意が強かったようである。 勝容疑者は犯行後,返り血を浴びた顔と手を洗い,服を着替えた。ずっと家の中で「どうしようか」と考えていたが,25日朝に,「どうせばれてしまう」と通報したのだという。殺害行為に責任を負うという観念が強くあったわけではなさそうだ。 また殺人へのプロセスは次のようなものであった。 姉のY江さんは週末によく実家を訪れ,勝容疑者の将来について口論になることが多かったそうだ。Y江さんは勝容疑者のことが気になって心配もし,説教することによって矯正しようとしていたのであろう。Y江さんの02年の結婚式にも勝容疑者は出席せず,「なぜいないのか」と列席者の間でうわさになったそうであり,勝容疑者のひきこもりはこの家族の「懸案」となっていたはずである。Y江さんは自分流に「懸案」を解決しようとしたのである。だが,単なる叱責は重大な問題行動を制止し,転換させる方法としては無効である。もし身体的に強者と弱者の関係にあれば,とりあえずは問題行動を制止できようが,すでに大人になった体力のある勝容疑者に対しては無効であっただろう。 今回,11月24日の午前中,勝容疑者は姉のY江さんと自宅台所で口論となり,Y江さんの顔や頭を2,3回殴った。Y江さんが激しく叱責すれば,今や弱者ではない勝容疑者は問題行動を守ろうとして暴行することは予想可能である。で,暴行した。そこで,ケガをしたY江さんが「病院へ行く」と言い出した。勝容疑者は「このままでは姉への暴行で逮捕されてしまう。刑務所に行かなくてはならないので殺すしかないと思った」「日ごろ口うるさい父の思うつぼになると思い,姉を殺した」と供述している。殺せばもちろん刑務所に行かなくてはならないわけだから,矛盾しているが,とりあえず姉と父を殺して物にし,その心と身体の運動を奪えば,その攻撃がなくなり,引き籠もり状態という「鎖国」は守れるわけである。 ここは突発的な印象である。しかし,3人の殺害に使われたとみられる金づち2本と包丁3本が発見されたが,金づち2本と包丁1本は,サビや摩耗がないなど以前から使われていた形跡がなく,勝容疑者は金づちなどを「事件の数日前に購入した」とも供述している。また父親殺害後,父親が講師を務める予定だった尺八教室に「今日は父は行けない」と電話もしている。計画性はあったように思われる。 では,家族内における関係の「劇」の「配役」と「脚本」はどうか? まず勝容疑者は,近所の人によると,地元の私立高を卒業後,コンピューター関係の専門学校に進学したが,4か月で退学し,ガードマンや宅配などのアルバイトも長続きせず,約8年間,家に引きこもった状態だったという。最近,高級国産車を買ってもらったが,外出は夜間ばかりだったという。地元記者によると,「本も読まず,パソコンもなく,音楽も聞かない。無気力な生活を送って」いたそうである。勝容疑者に対する周囲の印象は「無口でまじめ」というものであり,高校時代の元担任は「名前を聞いても顔がぱっとは浮かばなかった。自己主張が少ない性格で,問題のある生徒ではなかったのに」と言っているそうである。 また父親は市立博物館副館長でいわば地元のエリート(祖父は土浦市長だったそうだ)であったが,ある同僚によると「まじめで面倒見のいい人だった」そうであり,部下の1人は「とても明るく,しっかりした方だった。家族のトラブルなど聞いたこともなかった」と言っているそうである。家族内の「懸案」は完全に隠されていたのである。 また少しずれた報告もある。ある市役所関係者によると,父親は「がっしりした体型で,声も大きく,リーダータイブ。意見をはっきりいうし,その分,部下からは厳しい上司と見られることもあった」という。また独学で尺八の師範にまでなった努力家で,定年後は尺八の普及に取り組みたいと周囲に語っていたという。 近所の人の話では父子,きょうだい,母子の関係は次のようであった。 「二人きょうだいで,姉は短大に入学しましたが,途中から法政大学に編入するという頑張り屋さんで,両親をとても喜ばせましたね」,「一方の勝君は父親の″強く逞しく″という教育方針にはついていけなかった。小中と剣道教室に通わされていたが,試合がふがいないと,父親から″なんだあのザマは″と叱りつけられていましたよ。勝君はよく庭先で竹刀を振っていましたが,練習熱心というより何か取り憑かれたようで尋常ならざる雰囲気でした。いつか家の人を殴ったりしなければいいなあ,と心配していました」,「勝容疑者が小学校高学年の頃には,父親から″せっかん〃を受けていた。お酒が好きで,とくに飲んだ夜は手が出たそうで,その原因は宿題を忘れたとか,帰宅時間を守らなかったとか。躾にはとても厳しい方でした」。 どうやら父親は,勝容疑者に対して,剣道を,彼の諸能力の帰趨を見定めるためのスポーツの一つの機会として提供したのではなくて,勝つこと,強者となることだけを目的として強制したようである。つまり剣道は勝容疑者の人生のためのもの,その諸能力強化の一機会の提供ではなく,剣道に関する父親自身の弱者性の補償のためか,父親自身の強者性の代行満足のためのものかになってしまっていたのである。 父親は勝容疑者に人生の道具を与えようとしたのではない。もしそうなら,父親は勝容疑者に成功失敗を繰り返しながら,自己ベストに到達する技術合理主義的な指導をしたであろうし,あるいは敗北勝利を通した順位制における位置にいかに処世するかという総合的な「戦意」の指導もしたであろう。だが,父親は,強くあれ,優勝せよ,ダメなら俺の分身ではないというように勝容疑者を扱ったのである。父親は,自身の心の底にある弱者性を補償しようとしたか,父親自身の実現できなかった強者性を代行させようとしただけなのである。たぶん父親は,心の底で自分がそれなりに強いが,圧倒的に強くはないことに劣等感を感じていた。勝容疑者にその劣等感の補償を求めたのであり,また圧倒的な強さを代行してくれることを望んだのである。 親が子供を自分の欲望の対象物とすることはよくあることである。だが,一般には親は子供に自分の欲望を託しながら,他方,子供には子供の人生があると思うものである。おそらくこの父親は後者の情動を持たなかったのである。 で,勝容疑者は父親の欲望するほどの強者にはなれなかった。では,父親は,自分の欲望を実現してくれなかった勝容疑者に怒り,また自分の欲望の実現に役に立たない存在として勝容疑者を見捨てることになる。勝容疑者は父親の欲望の対象物となり,その対象物であろうとして失敗し,自分の人生を失った。 また「せっかん」でも,父親が子供に対して,「この規範は絶対である,絶対にこの規範に服従せよ」という意志を明示するというよりも,自分が強者であることをだらしなく確認するために殴っている気配がある。世に酒を飲んで,ちょっといい気になり,子供の弱者性を規範の名でもてあそんで楽しむ親はいないわけではない。規範に服従せよという意志の明示のためだけなら殴る必要はめったにない。元来,親は強者で,子供が弱者であるという位置関係は児童期(小学校時代)までは揺るぎのないものだからである。親が,規範に服従せよという意志を明示すれば,たいていは子供は服従する。その時期にむやみに殴るのは,たぶん強者の自己抑制のモラルがなく,だらしなく強者であることを楽しみ,弱者をいたぶることによって,自分の劣等感を解消しようとしているのである。そしてその結果また,人間というものは殴って服従させるものだという感覚だけが児童に伝達されてしまうのである。 また捜査関係者によると,勝容疑者は,父のK美さんについて「頑固者で子供のころから厳しくしつけられていて,反撃できなかった」「家庭内では厳しい父親にいつも怯えていて,お風呂や食事も父親のいない間に済ませていた」などと供述しているそうである。 勝容疑者にしてみれば,自分は剣道の順位制を勝ち上がれない弱者だ,かつ父親に勝てない絶望的な弱者だと思うようになった。父親という強者の欲望の対象物にしようとする暴虐に対抗できない無力感の中に浸ることになった。勝容疑者は剣道から領域をずらせば父親に勝てるかも知れないとは思えなかった。勝容疑者はたぶんずいぶん素直な気質の子供だったのだ。「本も読まず,パソコンもなく,音楽も聞かない」という無趣味な引き籠もりは剣道という領域に固着しているとしか思えない。彼は自分の人生を白紙の中で回復しようとしていた。しかし,あまりの白紙のためにそこに絵図が書けなかった。 8年間引きこもり生活を続けていた勝容疑者は,父親に,常日頃から「仕事を見つけろ,働け」と言われ続け,「2,3年前から父が早く死んでほしいと思うようになった」と供述している。ここ数年は家庭内で顔を合わせるのを避け,食事や風呂も父がいない時に済ませるようになったという。また彼と同じ年の男性と結婚している姉には,ことあるごとに「あなたもしっかりしなさい」「母さんに迷惑をかけるな」などと言われ続け,度々口論になっていたという。父や姉との仲裁役だった母親には「殺意はなかった」と供述しているそうだ。 さて,これは何か?。勝容疑者にとって,これは剣道の強者であれという命令,自分の人生を失った命令の蒸し返しではないのか?。剣道の強者であれという命令が,就職せよという形になり,母親へ配慮せよという形になっただけではないのか?。 また勝容疑者は「2,3年前から家族が自分に殺意を持っていると思った。いつか殺される。その前に殺そうと思った」「父や姉に生活空間を奪われ自分の居場所がなく,死刑になっても父を殺すしかないと思った」などと供述しているという。取り調べには素直に応じているが,反省している様子はないという。 剣道に関する父親自身の弱者性の補償のためか,父親自身の強者性の代行満足のためか,父親の欲望の対象物にされそうになり,しかも適切な対象物になれなかった,かわいそうな勝容疑者。では,決してまた新たな欲望の対象物とするのではなく,勝容疑者の人生のスケッチや再建の機会を与えるべきであったとは言えないか?。たとえ勝容疑者が逃げ隠れしていたからだとはいえ,父親は8年間も彼の引き籠もり状態を許容している。それは父親が,息子をその人生の主体ではなく,単なる自分の欲望の対象物とみなしていたせいではなかったのか?。捜査関係者によると,勝容疑者の引き籠もりや対母親暴力について「父親は隠すことに必死で,医療機関や行政サイドに相談などしていた形跡は一切ない」という。父親にとって重大なのは勝容疑者の人生ではなく,父親自身の欲望であり,世間体であったということではないのか?。それほど厳しい父親がなぜ勝容疑者を家の外に放逐しなかったのか?。 誓って断言するが,もし私の息子がこういう引き籠もりになったら必ず家の外に放逐しようとしたであろう。たとえ殺されても。ええ若いもんが,家の中の部屋にじっと籠もっている人生など人生とは言えない,生きているとは言えないからだ。 母親は何をしていたか?。勝容疑者は「父親にしかられた時のはけ口として,小学校時代から母親に慢性的に暴力を振るっていた」と語り,「おれは引きこもりだ」と話しているという。威張るな,バカタレ(笑)。母親は勝容疑者の高校時代,「もうすぐ勝が帰ってくる。1人にしておけない」と言って立ち話を切り上げることがあり,数年前には澄子さんがはだしで家から出て塀の外に隠れている場面も目撃されていた。また父親の元同僚は母親のS子さんのことを「静かで控えめな人」と言っているそうだ。 勝容疑者は引き籠もりの始まった20歳の頃,たぶん父親自身の弱者性の補償と父親自身の強者性の代行満足の対象になることを放棄しようとした。にもかかわらずなお,形を変えて欲望の対象物にさせられそうになる。絶え間なく,他者の欲望の対象物でしかない弱者性を確認させられる。では勝容疑者自身が,自身の弱者性を補償しなければならず,自身が強者であることを確認しなければならない。かくて家族内の弱者であり,かつ自分を分身だと思って受容してくれる,静かで控えめな母親を殴るのである。 どうすればこの家族の「劇」は平穏に終わらせられたのか?。確実な処方箋などあるはずもないが,いずれにせよ「父母に孝に」だけの教育勅語や団体としての家族尊重は無効であろうし,消費社会や高度情報化社会や学校の歪みや単純な個人の心の闇に帰着させるのも無効であろう。ただ仁=強者の自己抑制がカギになるだろうということだけは言えそうである。 (つづく) |
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