2003/3/3
 『飯島愛の体験的性愛論(3)』
     -本番疑惑と汝ウソをつくなかれ?-
                   
         文責 滝丸 一兵

(つづき)
 今,鹿砦社という出版社が,飯島愛さんおよびその所属事務所渡辺プロダクションともめているらしい。もめごとのきっかけは,鹿砦社が「よみがえる飯島愛 美乳ナース暴淫棒食」および「よみがえる飯島愛 激射の女神」という2つの写真集+DVDを「懐かしのお宝映像」(笑)として10年ぶりに復刻し,発売したことである。定価は3800円である(笑)。
 これに対して,飯島愛さんおよびその所属事務所渡辺プロダクションが鹿砦社の取次会社に,販売差し止めを要求し,受諾されない場合は法的措置を取ると言ったそうである。しかし,鹿砦社のほうは以前に発売していたAV会社から販売権を買い取ってあるそうで,そうなると,この発売自体は合法的であるということになる。後は,飯島愛さんの対する支払いの契約が,以前,一括のギャラ支払い契約であったのか,それとも販売数に応じた印税支払いの契約であったかが問題になるだけである。
 これはたぶんそういう決着になる。だが,もめごとの焦点はそういうところにはないようだ。飯島さんは「プラトニック・セックス」の中で「実はビデオの中で,私はセックス(本番)をしていない。いわゆる擬似って奴。」と書いているが,鹿砦社はそれをウソだと主張しているのである。「サイバッチ」というメールマガジンの表現によれば「しっかりとマンコの中にチンコが入っている映像を、鹿砦社が入手。飯島愛が大ウソ吐きで淫売だったことを暴き立てました」ということになるらしい。また鹿砦社の松岡利康さんは「ゴーストライター疑惑、本番疑惑をはじめとする『飯島愛問題』について、最後的決着をつけるべく邁進する決意である」と述べている。
 私は,この飯島さんの敵たちの批判の根拠に疑問を感じてしまう。
 まずゴーストライター疑惑については,いわゆるタレント本,タレントの自伝の類には付き物の話である。疑惑でも何でもありはしない。あるライターが,あるタレントからその人生のさまざまな事実や思いを聞き取り,それを踏まえてそのライターの才覚で書き,それを最終的にタレントが納得して自分の著作として出版したのなら,それは実質的にはライターのそのタレントについての伝記であるが,形式的にはそのタレントの自伝である。別に,それでいいような気がする。
 あるタレントが本を書くという話を聞いて,レポーターがそのタレントにインタビューして,「どんな内容なんですか?」と聞いたら,そのタレントが「どんな内容になるか,私も今から楽しみなんです」と答えたという笑い話があるが,まあその程度の話である。たとえば歴史の学術書でも,歴史の事実のネタは資料や他人の本などから読み取ったものであり,歴史観だってすべてが自分で作ったものとは言い切れない。結局,本人の名前で出版するから,実質と形式が分離していないだけである。自発的な契約によってゴーストライターが代作したのなら,その人に何らかの代金を払っていればそれでOKである。ゴーストライターが存在したことを証明しても,果たしてそれがスキャンダルかどうか?。アメリカのブッシュ大統領の「悪の枢軸」演説にも代作者は存在したようだし,小泉首相の施政演説だって内閣官房の誰かが書いているに決まっているのである。代作絶対反対などということが価値になるとは思えない。
 また,本番疑惑,飯島さんがAVの中で本番をしていなかったというウソについてはどうか?。飯島さんがマンコに前貼りなるものをして,そこに男優の半立ちのチンコがこすりつけられていたとしても,あるいは飯島さんの濡れたマンコに男優の立派に勃起したチンコが挿入されていたとしても,別に大差はないであろう。私は残念ながら上の2つのビデオを見たことはないが,やしきたかじんさんは飯島さんの流出裏ビデオを見て「あれはやっとる」と言っていた。ならば「やっとる」のであろう(笑)。
 で,飯島さんはウソをついたことになる。そこで,アングラ(失礼(笑))の出版社である鹿砦社やアングラのメールマガジンであるサイバッチは,ウソつきは泥棒の始まりとばかり,ウソつき批判の大合唱をする。何だか変である。
 有名な伝説だが,アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンが正直者だったという伝説がある。ジョージ・ワシントンは,新しく買ってもらった斧の切れ味を試したくて、父親の大切にしていた桜の木をつい切ってしまった。『きっとこのことをお父さんが知ったら、ものすごく怒られるに違いない。』と思ったが,しかし考えた末に、素直に父親にこのことを白状して謝った。すると父親は怒るどころか逆に素直に謝ったジョージ・ワシントンをほめてくれたそうだ。
 この伝説はどんなウソでも,ウソは100%悪であり,TPOを超えて,ウソをつかないこと,正直が普遍的な価値であることを示しているのだろうか?。そうではあるまい。
 ジョージ・ワシントンは父親の大切にしている桜の木への配慮を忘れ(信義誠実違反),しかも,父親の所有物である桜の木を器物損壊した(他者危害)。彼は桜の木の枝を切ってしまった後,信義誠実違反と他者危害を深く反省した。彼は不法や犯罪に該当する行為をし,それを反省し,父親に懲罰を受ける覚悟をして,告白(自首)し真摯に謝罪した。深刻な反省や懲罰を受ける覚悟や真摯な謝罪は,その不法や犯罪を繰り返さないという意志を担保する。父親は枝を1,2本切られた桜の木の完全な原状回復を断念して,ジョージ・ワシントンの再犯しないという意志を受容したのである。
 だが,もし父親が日常,逆上しやすく,自白したら,激しく殴打され半殺しにされる予感がしたら,ジョージ・ワシントンはどうしただろうか?。そういう場合は,彼は自分の身を守るためにウソをつくほうが正しいのである。桜の木の枝を切ったぐらいで重傷を負ったり,殺されたりする制度や慣行が存在したら,これはウソをついてでも懲罰から逃げるほうが正しい。
 ウソをついてはいけないという徳目は普遍的に正しいものではなく,時と場合によりけりなのである。
 この場合,飯島さんがAV出演でした行為は自分のマンコに男優の勃起したチンコを挿入させたということであり,これ自体は単なる性交であり,何の不法でも犯罪でもない。「二度と過ちは繰り返しませんから」と宣言すべき不法や犯罪ではないのである。今後,挿入したかったらすればいいし,したくなかったらしなければいい。飯島さんは,男優のナマチンコに対するフェラチオはしたと書いているので,五十歩百歩であり,チンコをマンコに挿入していようが,いまいが,別に大差はない。何が本番疑惑だ,笑わせてはいけない。
 よく勘違いした道徳教育,宗教教育の徳目に,時と場合を超えて,いついかなる時にも「ウソをつかない」というのがあるが,「ウソも方便」のほうが適切なのである。ウソは時についてもよいものなのである。
 大切なのは,信義誠実の原則を守り,他者危害(の禁止)の原則に従うことである。不法や犯罪をしないことが重要なのであって,ウソをつく,つかないのいずれが正しいかは時と場合によりけりである。
 ジョージ・ワシントンの正直な自白は,信義誠実の原則を守り,他者危害(の禁止)の原則に従う宣言であるが故に正しい。もし彼が,僕は桜の木の枝を切りました,これからも桜の木の枝を切り続けますと宣言したのなら,彼はウソをついてはいないが,今後も不法と犯罪を繰り返すと宣言しているのだから,厳罰にしなければならない。ウソをついていないから素晴らしいということになるわけがない。
 中国の朝鮮族の誰かが脱北した朝鮮人を匿っているとする。そこへ中国の公安の警察官が捜しに来る。そんな奴いませんよとウソをつくのが正しい。ああ,いますよ,そこですと言って逮捕させるのは,ウソはついていないが間違っている。当たり前の話ではないか。北朝鮮では金正日を拒絶したり,無視したり,金正日に抗議したり,不平を言ったりすることがいきなり収容所,処刑ということになる。そういう理不尽な社会では,支配者およびその従臣たちにウソはいくらついてもよいのである。そこでは正直はかえって自分と身内を害する。
 逆に,病院での医療ミス隠し,原子力発電所の事故隠しなどでは,ミスや事故は重大な他者危害につながる。ミスや事故が発覚した時の当事者の様子を見ていると,最初はミスや事故そのものを隠そうとし,次に少な目にミスや事故を公開し,次第に多くのミスや事故が公開される。これはミスや事故における当事者の基本的な傾向であると言わざるを得ない。だが,こういう重大な他者危害につながるミスや事故は,それこそジョージ・ワシントンの桜の木の枝切り事件のように,最初から洗いざらい告白して,それをいかに防止するかという意志を担保するほうがよいのである。
 事業や仕事においてあまりに多くの,あるいは重大なミスや事故があるということは,その当事者に適性がないということになり,当事者は仕事や事業を失うかも知れない。これは大変なことである。当然,自己防衛のためになるべくミスや事故を少な目に,軽めに言おうとする。ウソをつこうとするのである。報道するマスメディアもその大変さを理解しなければならない。批判,侮蔑,罵倒に精を出すのではなく,いかにして予防するかを研究することに焦点を当てるべきであろう。結局は,こういう他者危害や信義誠実違反については,ウソをつかず,洗いざらいぶちまける正直さが潔いし,またそれが予防策を創造することにもつながるのである。
 しかし,AVの中で勃起したチンコをマンコに挿入したのであろうが,あるいは半立ちチンコを前貼りの布にこすりつけたのであろうが,そんなことはどっちでもよいのである。
 それにしても,飯島さんはAV出演時に性器結合はしなかったとウソをついたのはなぜだろうか?。
 大体,日本のAVは,公然わいせつ物陳列規定によってモザイクその他で性器結合部分を隠す。いわば日本はポルノの発展途上国であり,それが飯島さんのウソを可能にしたわけで,日本のポルノの後進性の証明にすぎないのである。飯島さんが性器結合はしていないとウソをつこうがつくまいが,性器結合部分はモザイクがかかって見えない。どうせ発売した2つのAVにもモザイクはかかっているであろう。鹿砦社は日本の公然わいせつ物陳列規定の後進性とこそ闘争すべきではなかろうか。
 性器結合の映像など,場所,相手の自発性,人格成熟度としての年令にきちんと条件を付ければ,禁止するいわれがないものである。それをそのままにして,飯島さんが本番をしていないと言うのはウソつきだと騒ぐ。つまり表現の自由が死ぬほど好きだから,発売するというわけではないのである。この鹿砦社という出版社の思想は焦点がずれている。この出版社,『鬼畜米英 がんばれサダム・フセイン ふざけんなアメリカ!!』(木村三浩=編)という本を出しているらしい。その紹介文には「アメリカはじめ帝国主義列強によるイラク攻撃が秒読みとなる中、緊急出版!!西部邁、前田日明、野坂昭如、ジリノフスキーなど、内外の論客による超過激反米論!!」とある。
 イラクで飯島愛写真集が出せるのか,アホ。アメリカには人工中絶反対を唱え,人工中絶する医師を殺害して回る狂ったキリスト教原理主義者も相当いるが,表現の自由のために命を賭ける人もおおぜいいる。お前らの思想は何なんだ?。でたらめじゃないか!。
 飯島さんはAV出演の出演料で始めに1000万円貰ったと言っている。これが何本分の出演料なのかわからないが,模擬ではなく,本番で性交して,これを貰ったとすると,これは売春の定義に近いものになる。飯島さんは,中年オヤジと売春したことも告白しているが,それには証拠がない。だが,AVは映像という証拠が残っている。もし本番をしていれば,たぶんもう時効であろうが,対価のある性交として売春防止法の定義にはまってしまうのである。それを回避しようとしてウソをついたのかも知れないのである。
 鹿砦社は「よみがえる飯島愛 美乳ナース暴淫棒食」および「よみがえる飯島愛 激射の女神」の2つを売って,金儲けしようとしている。本番疑惑とか言って騒いだほうが,売れやすいのかも知れないが,自分の商業の貴重な商品を提供した飯島さんに対して,ウソつき呼ばわりは片腹痛いのである。
 それにしても,どうも飯島さんがウソをつく理由がわからない。
 飯島さんは中2の頃から高1まで家出しては連れ戻されるという生活を送っていたらしい。で,家出した始め,工藤孝則くんという彼氏がいたそうであるが,父親に殴打されてケガをしているのを彼氏の親に同情されて彼氏の家に泊めて貰っていた。また,後には彼氏が家を出て働くと言ったので,父親が借りてくれたアパートに住んでいた。しかし,孝則くんが働きもしないで飯島さんとオ○コばかりしているので,怒った父親がアパートを解約してしまい,孝則くんも父親を殴って捕まってしまう。そこから彼氏と住居を失った飯島さんの放浪が始まる。
 彼氏の友達に泊めて貰って強姦されそうになり,かろうじて未遂で終わらせる。で,その後,ふっきれたのか,泊めて貰ってはその泊めて貰った男にやらせることになる。「泊めてくれるのならしようがない。そんな感じ。」ということになる。いわば宿泊を対価とする売春である。
 それから水商売に入り,そこそこ稼ぎ,その稼ぎで町を遊び回り,「無意識のうちにいい男には流し目を使い捕獲作業。いい女にはガンを飛ばし威嚇作業。」というような具合である。やがて信一くんという彼氏に出会う。ところが,彼は実はホモ売春をしており,その苦痛に泣く。で,飯島さんは代わりに稼いで貢ごうとし,「中年オヤジ」と次々と「援助交際」して大金を手に入れる。そこにも苦痛だけがあったのではなく,ぽーんと300万円くれたパパは「今まで私が知らなかった大人の男というものを感じさせた。私の身体は何度でもイった。」とか書いている(笑)。相当な大金を対価とする売春である。で,乳房を整形手術して,AV出演に至るのである。
 よくまあ事件に遭遇しなかったものだなあと思うような,危険極まりない,自傷の可能性を大きく孕んだ生活である。飯島さんはマンションの高い階から飛び降り自殺をする誘惑に駆られたことも報告している。
 こういう生活で,AVの中で本番をしたかどうかなどということがそれほど重要とは思えない。性交はAVの中ならまだしも演技だが,売春までしていると告白しながら,AVの中では本番をしなかったとウソをつくのが何のこだわりなのか,さっぱりわからないのである。
 まあわからなくてもいいのであろう。飯島さんのウソは,私はアナルは嫌いなのと言って,実はアナルセックスが大好きだったという類のウソである。どっちでもいいのである。
 飯島さんは,底無しの自傷と不幸の沼に沈む危険に曝されながら,強烈な自我と才覚と幸運によって生き残り,出世した。これは祝福するしかないのである。
 ところが「サイバッチ」というメールマガジンは飯島愛さんを「大ウソ吐きで淫売だ」と言う。ウソについては上に述べたとおりである。では「淫売」というのは何だろうか?。こういう表現には率直に言って吐き気がする。
 「サイバッチ」は自分たちがスケベであることを広言する。ではそのスケベを満たしてくれる風俗嬢,ソープ嬢,娼婦,AVタレント,ポルノ俳優は神様仏様の類ではないのか?。ところが,彼女らを「淫売だ」と罵る。それは間違っている。
 もちろん,飯島さんも「中年オヤジ」と売春性交をしながら「このクソッオヤジ,てめえの変態行為を会社中にばらしてやる」「おまえみたいな奴は社会から抹殺されたほうがいいんだよ,消えちまえ」「親戚,身内一同におまえのスケベな本性をチクッてやる」「お前の娘にも,私にしたことと同じような惨めな思いをさせてやる」とか思っていたらしいから,似たようなものであるとも言える。これは大金を対価に好きでもない男に,自分の身体の奧を貸し,身体接触,性器結合のサービスを売ることが飯島さんにとって苦痛だったということを示し,その苦痛を緩和しようとする表現なのである。「オヤジたちと寝た後は,屈辱からくる復讐心で一杯だった」と言う。それほど嫌なら止めたらどうだということだが,大金が欲しいから止められない。では,売春も商業,対価をもらっている以上,信義誠実の商道徳を守るべきなのである。誠心誠意サービスすべきなのである。売春生活者がこんなことを思ってはいけない。いや思ってもいいが,態度に出してはいけない。商道徳の破損である。おそらくこれは援助交際する少女たちに共通の問題であろうが,性器結合サービスを売るんだったら誠心誠意売れということだ。
 飯島さんは快楽もあったように書いているから,おそらく,少しウソが混ざっているのだろう。誠心誠意のサービスで売春したなどと書くのは売春の全面肯定になるので書けないのであろう。で,「淫売だ」と罵られても仕方がないような部分が生じるのである。自ら大金を対価に性交サービスを売る,ならばまじめに真剣に仕事をしなければいけない。まじめに真剣に仕事をしていない娼婦こそ,「淫売だ」と罵られなければならないのである。
 だが,誠心誠意サービスする娼婦,鑑賞者の性欲を刺激する演技にうちこむポルノ女優などを「淫売だ」と言うのは間違っている。それを楽しみ,喜ぶ男が,彼女らを淫売呼ばわりすることは許されない。それは高くても安くても,美味しい寿司を食った客が,金を払った後,寿司屋のおやじや店員に対して守銭奴,ゼニゲバ,強欲と批判するようなものである。
 鹿砦社やサイバッチが飯島さんを批判してよいのは,原理的には商道徳の信義誠実の観点からだけである。彼女が,売春に際して客に対する憎悪が心の中に充満していたとしても,誠心誠意のサービスをしたのなら,批判されるべきではない。彼女が,AVの演技において,性交を公開するなんて嫌だなと思っていても,積極的にチンコを欲しがる迫真の名演技をしたのなら,批判されるべきではない。本番をしていないとウソをつくことが何の罪だろうか?。彼女が本番をしていたのなら,それこそ性交演技にリアリティが生じるはずで,かえって誉めるべきなのである。擬似疑惑ならともかく,何で本番疑惑なのだ?。AV女優が本番,擬似でないまじめな真剣な性交をするのは称賛されるべきことであり,何ら批判されるべきことではない。
 わかったか,鹿砦社とサイバッチ(笑)。下半身の世界における表現の自由とはそういうものなのである。

(つづく)



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