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世相心理事例集2002/3/24
小林よしのり『戦争論』8
-対米戦争惨敗への怨みと復讐感情の起原-
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| 小林よしのりの「戦争論」の続き。 小林よしのりは,自由,民主主義,人権,平等などの概念を,ほとんど何の例証も,何の説明もなく,非常に唐突に否定している。そして,小林は「はっきり言っておくが,わしの立場は…日本を日本の国柄のままに守る!。これしかない」と言う。とすると,この「国柄」には,自由,民主主義,人権,平等などの概念が含まれる余地がないということである。自由,民主主義,人権,平等などの概念を全く含まない国家とはいかなる国家であるのか?。 小林の目的とする日本国家像は,政治家の靖国神社参拝推奨,自身の伊勢神宮参拝旅行,大東亜戦争の全肯定などで示されるように,大日本帝国憲法の国体護持であろう。小林は漫画家であり,また大衆煽動の勘のようなものを持っているから,固い国家神道復活論は書かないが,その「新ゴーマニズム宣言」の目的は明白に大日本帝国憲法の復活であると思う。小林は,固い国家神道復活論などを書いても,ほとんど読まれないことがわかっている。そこで,まずそれが受容される庶民感情を醸成しようとして,とりあえず大東亜戦争で日本を惨敗させたアメリカに対する敵愾心と,へこんだ日本人の民族的自我肥大の解放を煽ろうとしているのである。 ずっと展開してきたことだが,ここで小林の煽動を概括してみよう。今や小林の誤りを最終的に整理して「けり」を付けるべき時が来ているとも言える。 小林によれば,アメリカ国家,アメリカ人は傲慢で,残酷で,無慈悲で,暴力的だ。アメリカ・インディアン殺戮,黒人奴隷の輸入,日本への無差別絨毯爆撃と原爆投下,イスラエル支援によるパレスチナ人虐殺,サウジアラビア駐留によるイスラムの女性文化蹂躙,銃乱射事件や警察官による黒人差別事件などなど。 まずアメリカ・インディアン,日本については共に,土地と統治権の分捕り合い,あるいは分捕ろうとする者と妨害しようとする者の戦いであり,そのために殺し合い,壊し合い,いずれもアメリカが勝ったのである。日本に関しては,アメリカにはさらに全体主義の打倒,とりあえず中国における民族独立の支援という正義の戦争目的が加算されるが,小林よしのりの強弁にも関わらず,日本には残念ながら,現人神全体主義の否定,アジア諸民族の解放という正義の戦争目的は加算されない。小林には戦争目的の不正義度は日本のほうが大きいことが理解できない。 また,本来,殺し合い,壊し合いである戦争には必ず戦争犯罪が伴う。戦争犯罪のない全面的に人道的な戦争などというものはない。アメリカ・インディアンも日本人も人道的な戦争を目指してはいなかったし,戦争犯罪をした。日本は人道的な戦争を守ったのに,アメリカは戦争犯罪をしたというのは現実に反する。むろん日本だけが戦争犯罪をしたように言われるのは不当であり,相手が忘れず,しつこく批判するのなら,アメリカや中国の戦争犯罪も明瞭に指摘すべきだが,しかし,日本人は人道的な戦争しかしなかったというのはたわごとである。小林には,戦争犯罪の遍在,すべての国家,民族が戦争犯罪を犯していることが理解できない。 アメリカに銃乱射事件や警察官による黒人差別事件が発生することがある。だが,それで小林のように,アメリカを暴力と人種差別の国などと呼ぶのは間違っている。それは,日本を援助交際事件やら酒鬼薔薇聖斗事件やらで,売春と殺人の国と呼ぶのと同じく,間違っているのである。小林は,少数,部分的な現象を,その数や割合を調べもせず,多数,全体的な現象として扱うセンセーショナリズムの反体制社会学者(宮台真司や上野千鶴子)と同じ部分全体化思考に陥っているのである。 アメリカは黒人やアメリカ・インディアンなどへの人種差別を緩和するアファーマティブ・アクションなどの試行錯誤を繰り返し,建て前だけだった黒人の投票権をすでに現実化している。銃所持の抑制を試みている人も少なくない。全体を論じるのなら,アメリカ国家の暴力事件や人種差別事件への政治的その他の指導者の政策や談話,あるいは国家の法制などを問題にすべきである。社会現象に対する,指導者の思想と行動の無視は自ずから,行為主体や社会現象への勝手な自己流解釈をもたらす。アメリカの指導者の国家管理,社会運営の方法は現在どのようなものか,アメリカにおける現在多数の現象は何かなどを見極めるべきである。 たとえば同時多発テロの後,あるシーク教徒のインド人がアラブ人と間違えられて殺害される事件があった。これはある愚劣なアメリカ人の愚行であるにすぎないのに,小林的反米主義者は,まるでアメリカが全アラブ人の敵視政策を取り始めたかのように言う。他にも類似の傷害事件がいくつもあったようだが,アメリカ政府高官たちは,大多数のイスラム教徒,アラブ人は味方だと演説し,そのための儀式も行っている。アメリカ国家がアラブ人への殺傷を推奨しているのではない。これも部分全体化思考が災いしているのである。小林の漫画を読んでいると,人種差別に反対し,暴力事件を減らそうとするアメリカ人は誰もいないような気がしてくる。アメリカ人はあらゆる具体性を失って一つの抽象のようになってしまうのである。民族主義的に発狂した奴が一人いたら,全員がそうだということになるわけがない。この集団の全一的抽象化は,女性集団の全一的優越を唱える俗流フェミニズムにもあり,典型的な全体主義的デマゴーグの手法である。 また,サウジアラビアにおいて,アメリカ軍が女性についてのイスラム文化を蹂躙しているという話など全くでたらめであることがつい先日明らかになった。駐留アメリカ軍の女性兵士は外出時,ブルカのようなものを被り,必ず男性を同伴し,イスラム女性文化にきちんと配慮していたのである。大体,インド洋に派遣されている各空母の中にイスラム教徒の乗組員のための礼拝所まで設置しているアメリカがそう無茶苦茶な宗教的慣行の無視をするはずもないのである。また,イスラエルについても,アメリカがイスラエルの援助金を2億j減らすぞと脅したら,シャロン首相は少し言うことを聞いたようである。アメリカが本気になって脅さないと言うことを聞かず,挑発と占領と占領地への入植を続けたのはシャロン首相であって,アメリカの責任は間接的なものである。小林は,この二つをビンラディンの同時多発テロの理由としていたが,一つはビンラディンのほうの宗教的傲慢,もう一つは筋違いということになる。しかも,ビンラディンの言葉を読めば,あの同時多発テロは,理由無き通り魔無差別殺人という犯罪だということになる。 小林は,あのテロを見て,「その手があったかー」と感動したそうだ。 小林は,その感動を次のように説明している。「『戦争論』を描く中で,日本にアメリカが行ったことを知れば知るほど,わしは50年や100年で,この怨みは,絶対忘れてはいけない,このくやしさを失ったらもう,日本がアメリカに勝つ未来はない,と思うようになってきた。アメリカはいっぺん他国から本土を空爆されるべきであると思うようになってきた。何かうまい手はないもんかな,と思っていた時に,民間人を犠牲にするあの作戦を見たのである。」 国家間,民族間の戦争の歴史へのアプローチとして,小林よしのりのパターンは妥当なのか?たとえ話をしてみよう。 おじいちゃんの世代に,日本家とアメリカ家で土地と統治権をめぐる紛争があり,ケンカになり,日本家のおじいちゃんが最初,殴り倒したが,やがて形勢逆転し,日本家のおじいちゃんがしつこいので,アメリカ家のおじいちゃんがゴルフクラブを持ち出して殴り,日本家のおじいちゃんが惨敗して半身不随になった。不幸なできごとではある。 しかも,2つの家のケンカは,最初に殴った日本家のおじいちゃんのほうが悪いということになり,半身不随になったのに一方的に謝罪させられた。おまけに日本家は今後,いっさい腕力や武器の保持,使用はしないという約束までさせられた。そして,歴史は逆戻しできない,済んだことは仕方がない,水に流して忘れよう,とにかく今後はアメリカ家と平和共存して行こうというのが,日本家で多数派になり,アメリカ家のおじいちゃんは少し反省して,時々,日本家のおじいちゃんの世話をしていた。そのうち,おじいちゃんは二人とも死んでしまった。 だが,その歴史を子の世代のよしのりちゃんが学び,感情移入して,アメリカ家は傲慢で残酷だ,この怨み,晴らさないでおくものかと襲撃のチャンスを狙っていた。たまたまアメリカ家に強盗が入り,そこの子の世代が何人か死んだので,よしのりちゃんはやったーと叫んでしまったというような話である。よしのりちゃんの立場は,怨みは忘れない,チャンスがあれば襲撃するし,アメリカ家で強盗殺人が行われれば喜ぶという立場である。しかも,よしのりちゃんは他の家族,親戚に対して,この怨み,忘れたら日本家の者ではない,日本家のDNAを持っていないのだと喚く。全くはた迷惑な野郎ではないか?。好きこのんで,殺し合い,壊し合いの始まりである襲撃をまたやろうと呼びかける。アメリカ家で強盗殺人が行われると快哉を叫ぶ。とうていまともな野郎とは思われない。 歴史を学ぶとは,そこからその戦闘状況,その勝敗だけを学び,くそっ惨敗させやがって,その子孫に襲撃してやるぞという結論を得るものなのか?次回に紹介する小林の理論的参謀の一人,長谷川三千子さんは「理性の復権」を呼びかける。で,小林のこの態度に理性のかけらでもあるのか?。 たとえ話を続けよう。日本家のみなさんは戦火の荒廃から立ち上がり,一時はアメリカ家を抜くかと思われるほど,家産を復興させた。腕力や武器の保持は家のみんなが支持するようになり,今,問題はその使用ということになっている。また,戦後,日本家は,一方的に謝罪させられ,腕力や武器の保持と使用を禁止されて自己主張しない家になってしまっていた。その結果,家の利益を守るという観点が衰弱している。 国権の不完全,国益の軽視。原因を作ったのはアメリカであるが,で,アメリカへの怨みを述べ,責任を転嫁し,あまつさえ襲撃のチャンスを狙い,アメリカへの強盗殺人を待ち望めばよいのか?。日本人は,自ら国権の完備を目指し,国益をきちんと重視することを目指せばいいのではないのか?。 いや国権,国益だけの話ではない。今,我々個人は身内の諸個人とともに,何に充足し,何に充足していないのか,何を求め,何を求めていないのか?。歴史は現在に集約されるために存在している。ぶっちゃけた話,我々個人は,暮らしやすさ,仕事や趣味や性愛やなどでの価値充足の自由さを求め,その環境としての社会の安全さと円滑さを求めている。タイムマシンに乗って,歴史の中に入り,しかも,その主体を個人ではなく,全一的に抽象化された日本人にし,その惨敗と屈辱に感情移入し,怨みを晴らし復讐を遂げたいと思うゾンビになぜならねばならないのか?。対米戦争惨敗への怨みと復讐感情に無我夢中になる神経難病の治癒法はないものだろうか?。私は殺人犯への報復は行動的にはともかく原理的には認めるが,お互い様の忘却,連座制になってしまう戦争をめぐる復讐は原理的にも行動的にも認めない。 先日の「新しい歴史教科書をつくる会」の「戦争論2」をめぐるシンポジウムで,小林は,つくる会との訣別を決意したそうである。対米戦争惨敗への怨みと復讐感情に無我夢中になり,アメリカへの通り魔無差別殺人に快哉を叫ぶ小林が,少しでも孤立していくのは,日本人にとって慶賀なことであろう。 一体,戦争やケンカについて,惨敗への怨みや復讐感情というのは動物的にどれほどの根拠を持つものなのだろうか?。 動物行動学者コンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」によれば,オオカミ同士は牙のかみ合いや押し合いで闘争しても,敗北した一方が,噛み切られると危ない首すじを,噛みやすい位置に差し出すと,勝利した方はどうしても殺すことができないそうである。そのように降伏した後,勝利したオオカミが片足上げて縄張り確認の尿マーキングをしているうちに,敗北したオオカミはそっと逃げ出すのだそうである。オオカミ同士には負けた方が首すじを差し出す,そうすると勝った方が許すという生得的な和睦機構があるわけだ。これにローレンツは「歴史的な説明」を与える。コクマルガラスなどにも似たような抑制の機構があるらしいが,要するにあまりにも危険な武器を身に付けた動物はもしこういう抑制がないとすると,次々と同種の仲間を殺すことになり,絶滅してしまうからなのである。 太平洋戦争の日米もこれに似ている。惨敗した日本は無条件降伏し,アメリカなどがこれを受容し,和睦した。それによって,それ以上のヒトと諸手段の損傷を避けることになったのである。ヒトの場合にも,戦争して,負けた方が降伏すると,勝った方が許すという和睦機構が働く場合もないわけではないのだ。その和睦機構の働きによって,日本は無条件降伏してそれ以上原爆を落とされることもなく,和睦できたのである。人間もオオカミのように和睦し得る可能性を持っている。 だが,人間は,99%働く生得の和睦機構を持つオオカミと違って,自己および身内の保存本能が壊れることもある。時に,負けて降伏するのは,屈辱だ,卑怯だと喚いたり,負ける前にこてこてに大破壊,大殺戮された怨みを忘れてなるものか,復讐するぞと叫ぶ小林よしのりやアルカイーダみたいのが現れる。こういう奴らは,逆に,相手が負けて降伏したら,死ぬまで戦わない情けない奴,臆病者だとか思い,殲滅戦争をするかも知れない。また,自分たちもまた程度の差はあれ,破壊,殺戮したことを忘れて,一方的に怨み,復讐感情を燃やすかも知れない。降伏などするものか,特攻だ,玉砕だ,全滅するまで徹底抗戦するぞと叫び,進んで壊れた保存本能を見せびらかすかも知れない。 つまり,小林やらアルカイーダは,相手が降伏したら受容し,その後寛容に統治するという和睦機構をぐちゃぐちゃにする奴らなのである。こういう往生際の悪い,しかも,ストーカー的な戦争感覚の持ち主たちには,オオカミ的な,保存本能にもとづく合理性がない。 小林は全滅覚悟で徹底抗戦するのが,後の日本人のプライドを守るなどと言う。どうして始めから生き残れる日本人がいると仮定できる?。和睦する気がないのなら全滅させてやると相手が思わないという保証がどこにある?。そういう危険を冒すのは,たぶん自己保存本能が壊れているからである。すでに惨敗局面に入った以上,オオカミの生得的な和睦機構を仮想して,無条件降伏して首すじを差し出すのが正しい。屈辱も卑怯もない。生き残っていた日本人を保存したのが正解なのである。 ローレンツによれば,ハトや多くの草食動物には逆にこういう生得的な和睦機構がないという。ハトはカラスのような鋭利なくちばしを持たず,また,逃げる能力に富んでいる。少しぐらいの攻撃ならたいした傷を受けないし,また,負けた方は逃げればけりが付くからである。ところが檻の中のような狭い場所で,負けた方が逃げられない場合は悲惨なことになるそうだ。勝ったハトは無我夢中になって負けた方を攻撃し,羽を全部むしり,皮を全部剥ぎ,血だらけにし,それでも収まらずにつつきまくる。攻撃に疲れて時に眠り,目を開けたらまたつつきまくるそうだ。残酷なリンチのように,人間が見てそこまでやるかとうんざりするほど,攻撃し続けるそうである。勝敗が決したら,オオカミや多くの肉食動物は殺戮を避けるが,ハトや多くの草食動物は殺戮を楽しむように見える。 オオカミの「騎士道」とハトの残虐。戦争は戦争で,和睦すればそれっきりという精神こそ,気高い「騎士道」なのである。自分らも戦争犯罪をしまくりながら,いつまででも一方的に日本の戦争犯罪を告発して,日本を操作しようとする中華人民共和国も,ハトに似た残虐な心理的ストーカーであり,残念なことに,小林もアメリカに対して同じ手法で挑んでいるのである。 勝敗の決した過去の戦争への怨みや復讐感情などを口にする小林は,中華人民共和国と同じハトである。弱いから残酷につつきまくる奴,弱いくせにうっとうしくつつきまくる奴なのである。 アメリカ国家,アメリカ人は傲慢で,残酷で,無慈悲で,暴力的だって?。アメリカは首すじを差し出した日本に対して,憲法第九条という尿マーキングの臭いは残したが,後は食料援助をしただけである。象徴天皇制にせよ,国民主権にせよ,人権にせよ,自由,平等にせよ,日本人には暮らしやすい国家管理,社会運営のレールを敷いて去って行っただけなのである。アメリカの指導者の中には有色人種差別主義者もいたであろう,人体実験主義者もいたであろう,アメリカ兵の中には人間狩りが好きな射撃手もいたであろう,強姦魔もいたであろう。しかし,そういう他集団の奴隷化,物体化がアメリカの指導者の基本的顕教というわけではなかった。そういう思想や行為を庇い,見て見ぬふりをすることはあっても,それらが善であり,よいことであるなどと公然とアメリカが言うことはなかったはずである。顕教では,そういう思想や行為への日本政府や地方自治体の抗議には一応謝罪が答であったのである。 以上,小林よしのりの問題提起と関わりが深そうな部分にアンダーラインを引いてみたが,いかがなものであろうか? (つづく) |
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