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| 急戦古典文学史 | |
| -古チン文学史マン唱用(笑)- |
| 4/8 その4・奇跡の八代集一覧&和歌史における「夢」 文責 仏龍七 |
| 今回は八代集である。八代集は平安前期から鎌倉初期までに撰進された八つの勅撰和歌集で、すなわち古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集・後拾遺和歌集・金葉和歌集・詞花和歌集・千載和歌集・新古今和歌集の八集のことである。 @古今和歌集 醍醐天皇の勅撰で,撰者は,紀友則(きのとものり)・紀貫之(きのつらゆき)・凡河内躬恒(おほしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)の4人(この4人は覚える。「(ラーメン屋,)ただで3つね!友でも辛い」ぐらいか)。最初の勅撰和歌集で,部類や構成を確立した。 「古今」の,「古」とは「万葉集に入らぬ古き歌」、「今」とは「自らの」,つまり選者たちを中心にした当代の歌のことで,その間に六歌仙の時代が入るのである。六歌仙の6人も覚える。在原業平(ありわらのなりひら)・僧正遍昭(そうじょうへんじょう)・喜撰法師(きせんほうし)・大友黒主(おおとものくろぬし)・文屋康秀(ふんやのやすひで)・小野小町(おののこまち)の6人である。「喜ぶ小町,黒文在遍(くろふみあらへん)」ぐらいの語呂合わせか。下ネタで行くと,「大きくて喜ぶ小町あらあらフンフンへんよへん」(笑)ぐらいだろうか。 A後撰和歌集 村上天皇の勅宣で,撰者は「梨壺の五人」(梨壺の和歌所で撰集した)と呼ばれる大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・源順(みなもとのしたごう)・清原元輔(きよはらもとすけ)・紀時文(きのときふみ)・坂上望城(さかのうえのもちき)の五人。六歌仙ほどではないが,時に入試に出ることがある。「大源坂の清き梨壺」とでも覚えるか。「後撰和歌集」という名は、文字通り古今和歌集の「後」に「撰」ばれた和歌集を意味する。撰者たちは黒子に徹し、自らの歌は一首として採用していない。偉い人たちなのである。 B拾遺和歌集 花山院の勅宣で,撰者は不明である。一応花山院親撰とされている。この和歌集までを「三代集」とすることがある。「拾遺和歌集」という名は、古今・後撰両和歌集に遺漏した歌を拾うという意味である。 C後拾遺和歌集 白河天皇の勅宣で,撰者は藤原通俊である。 『後拾遺』の名は、拾遺の後に編纂したという意味である。古今集・後撰集に載った歌人は除外し、後撰の選者たち(梨壺の五人)から、同時代の歌人までの作を集めている。 D金葉和歌集 白河院の勅宣で,撰者は源俊頼(歌論「俊頼髄脳」がある。これはセットで覚える)。 「金葉」という名は、「最もすぐれた言の葉」を意味するが,これは、古今からの連続性を前提とした従来の勅撰集の命名法とは、全く異なるものである。その命名法からして、金葉集は前代の勅撰集に対して異議を申し立てている。 E詞花和歌集 崇徳院の勅宣で,撰者は藤原顕輔。 『詞花』の名義は「金葉」と同じく,「最もすぐれた言の葉」ぐらいの意味である。 F千載和歌集 後白河院の勅宣で,撰者は藤原俊成である(覚える)。 『千載』は千年と同義である。撰者俊成は、後拾遺,金葉,詞花の三勅撰集に対して「ざれ歌様」と批判し,三十一文字という和歌の「詞」の限界の中に、物語や抒情を盛り込む「幽玄体」を主張した。 G新古今和歌集 後鳥羽院の勅宣で,撰者は藤原定家・藤原家隆(この2人ぐらいは覚える)など。 新古今集は、その名の通り、古今集の言語空間を基盤として引き継ぎつつ、その上に新たな言語空間を確立することを目指した歌集である。自身歌人である後鳥羽院という大きな存在があり、院の主導した歌壇に天才藤原定家がいたからこその試みであった。 で,マン唱に行きたいのだが,これではあまりにおもしろく無さ過ぎる。そこで,「夢」の扱いをめぐって万葉集と古今集と新古今集の比較を少々やってみたい。 まず万葉集から大伴家持の「夢」の扱い。 1《夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば 2《夕さらば屋戸開け設(ま)けて我待たむ夢に相見に来むと云ふ人を 3《夢にだに見えばこそあれかくばかり見えずしあるは恋ひて死ねとか 4《ぬばたまの夢にはもとな相見れどただにあらねば恋ひやまずけり 1夢には現実の肉体がない。現実の肉体の方がいい。2夢に現れるという。では夢を現実のように扱いたい。3夢でさえ断絶している。現実はもっと断絶することになる。4夢の中ではむやみに性交している。が,現実ではないので性交衝動は消えない。などと言っている。つまり,万葉の大伴家持にとっては,想像世界は現実世界に従属するものである。想像世界が現実世界から独立していないのである。 では,古今集の小野小町の「夢」の扱い。 1《思ひつつ寝ればや人の見えつらん夢と知りせば覚めざらましを 2《うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみ初めてき 3《現にはさもこそあらめ夢にさへ人目を守ると見るが侘びしさ 4《夢路には足も休めず通へども現に一目見しごとはあらず 1,2夢の逢瀬はそれ自体大切なものだ。現実がどうであれ。3現実では仕方がない。だが,夢の中でさえ人目を気にするのか。最後の一つ,4だけが,現実世界の優越を語っているが,前の3つは想像世界の優越とまでは言わなくても,独立を語っている。つまり古今集では,想像世界が独立し始めているのである。 さらに,新古今集の和泉式部の「夢」の扱い。 1《枕だにしらねばいはじみしまゝに君かたるなよ春の夜の夢 「やよひのころ、よもすがら物語してかへり侍りける人のけさはいとど物おもはしきよし申しつかはしたりけるに」 2《けさはしも嘆きもすらんいたづらに春のよ一夜夢をだにみで 「男のはじめて人のもとにつかはしけるに代りてよめる」 3《おぼめくなたれともなくてよひよひに夢に見えけんわれぞその人 「つゆばかりあひ見そめたる男のもとにつかはしける」 4《白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへばひさしかりけり 1の「春の夜の夢」はこれはもう「枕」「君」から完全に性交のエクスタシーのことである。枕だって知らない,壁に手を当てたり,格子につかまったり,柱で逆立ちしたりその他いろんな所で「君」と七転八倒,千変万化のセックスをしたのであろう。そして,その私のテクニシャン,好色ぶりを人に言うなと言っているのである。つまり,いまや夢は想像世界で独立し発展した完全な比喩と化しているのである。2も同じである。「春のよ一夜夢をだにみで」の夢も性交の夢見心地である。こんないい女を側において,物語,つまりおしゃべりだけして帰るって何なのよと怒っているのである。少しはおしゃぶりやら,こすりっこなどしたらどうなのよと不平を言っているのである。3は他人の夢をほとんど操作している。お前の夢の中にお前の恋しい男がいるだろ,それが俺なんだよおと言っている。図々しい話であるが,この場合も夢は大きな虚構性を帯びている。4も夢は瞬間的なものの比喩の一つであり,想像世界ではばたいているのである。「白露」も「夢」も「この世」も「まぼろし」もみんな一時的で,はかないものとされているが,あんたの帰り方の素早さに比べれば,長いくらいのもんだわと言っているわけだ。つまり新古今集では,想像世界は現実世界から完璧に独立し,ことばは比喩としていわば多彩な変化を遂げ,現実世界を圧倒し始めているのである。 万葉から古今,新古今への和歌の展開は,このように,まず現実世界に従属していた想像世界が,次第にそこから分離し,独自の表現世界へと発展していった歴史なのである。それにしても,和泉式部は歌の天才である。特に4の歌なんか今時読む人がいれば,私などしびれて人前でチンコ立ててしまいそうである(もう立たないくせになんて誹謗中傷をしないようにね,数学のN君(笑))。 さて,入試文学史問題で出るのは,八代集の一覧と時代順である。古今和歌集→後撰和歌集→拾遺和歌集→後拾遺和歌集→金葉和歌集→詞花和歌集→千載和歌集→新古今和歌集の順に覚える。で,古今,ご,し,ごし,きん,し,せん,新古今とつなぐと何の面白みもない。そこで勅撰ではないが,前に万葉集を入れる。 (万葉集)→古今和歌集→後撰和歌集→拾遺和歌集→後拾遺和歌集→金葉和歌集→詞花和歌集→千載和歌集→新古今和歌集 で,下線部をつないで,少々なまる。マンコごしごし禁止せんぞチンコキーンということになる。 ではマン唱(笑)のため繰り返します。 マンコごしごし禁止せんぞチンコキーン。 この語呂合わせは,各方面から高い評価を受けている(笑)奇跡の語呂合わせである(笑)。特に日本史のN先生,F先生からは天才の称号をいただいているのである(笑)。心して味わって欲しい(笑)。 |
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