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いっぱいになりましたので日記よりWの頁をを新設しました。
日記よりWへ
06.4.6ー
洗濯を済ませコープに行くと何時もあまり居ないのに驚くほど沢山人が来ていた。
朝なので品数もあった。感じの良い熟年の夫婦の奥さんが料理が出来なくなっているのか
主人が刺身を籠に入れていた。最近は毎週出されているようで、レジで金曜から月曜まで
の間、安く買えるクーポン券を貰った。お米も五キロ入りはオアシスより安いし、食べ比べ
ても同じようなものだし、それに若いときほど価格にがつがつしなくなっているし三日に一
度ほどしか行けなくなっているから大体、中央に用事のない日はコープに行くようになると
想う。小山も私も肉類はあまり食べなくなり料理もあまり出来なくなったので二日目は干し
魚の焼いたのに野菜の煮たもの、三日目はハムなど冷蔵庫の残飯整理で済ませている。
そんなわけで三日分、買うため何時も手押し車を引いて行っている。
宏は仕事が忙しいのか朝は事務所にいったが、小山は家を出るのは三時頃で夕方、フェ
リー乗り場で宏とおちあい、船で鹿児島へ行くことになっている。
それで保険証を持っていったらと言うと、そんなものは要らないと言ったが、中国に行って
の帰り、空港で熱と咳が出、サーズかも知れず診てくれと騒いだことを言うと鞄に入れた。
暖かくなったせいか、もとに戻ったように元気になっている。しかし狭心症の薬は余分に、
入れていた。
孝からサマータイムになったのでテレビ電話の時間を早くすると言うことと、学会に出るの
で次回はお休みというメールが来ていた。
それには祐衣ちゃんと二人の写真が貼付されていた。裕美子さんが撮ったのかも知れな
いが彼女の写真はなかったので、この前のテレビ電話のときもそうだったし、このところ会
っていない気がし、気になった。両側に背の高い樹木の茂った路を祐衣ちゃんが二輪車を
漕いでいるのを後ろから撮った写真が良かった。
夜は独り分だけれど豚ミンチと葱とショウガでミンチボールをした。買い物をした日ぐらい
はお肉を食べることにしているので。そんなわけで夕食は9時になった。
4月4日
銀行に用時があって先に銀行に行き、そのあと薬局にバック、小山の薬を貰い、ジョイフ
ルに寄った。一週間ほど前、828円で買ったステンレスのシャンプ立てが一つでは足りず
買いに寄ったのだが980円になっていた。それで買う者が多いと、すぐ上げられる感じが
した。
そのあとサビエに寄った。
この前もらった紙の「ポイントの有効期限」に付いて書かれたなかに、「積み立て期間」と
言うのがあり、その期間が積立預金のように据え置かれるのかハッキリ分からず、精算
機にカードを入れてみた。
画面に色々出てきたが初めてなのでよく分からず見てもらった。
それで積み立てと言う言葉に別に深い意味がなく、貯まったしりから、お買い物券に引換
えられることが分かった。
昨年の十二月に買った分は今年中に引き出さねば失効することも分かり、又、無効にな
ってはと出せる分を券に替え、この前の千五百円の分のお買い物券も貰った。
その際、「ここに名前をを書いてくださいと言われ署名したが、昔なら一応、読んでから書
くが、銀行でもそうだったが、言われたところへ名前を書くのが精いっぱいになっているの
に驚いた。そのあと
買い物に廻っていると、お兄ちゃんが食パンが少なくなり運んできたが、菓子パンの方に
崩れたので「直してといて」とソバのおばさんに言った。それから「五時までしたら。付けと
くから」と言ったので、その売り場のチーフだと想うが優しいお兄ちゃんだと想った。
(時間によってお客の入りが違うので最近はパートも時間制になっている)
そんなことがあり、その日は安いのも大分あったので、安くしないと客は来ないし、それに
は雇用についても細かくしなければならないし、店長も大変だと想ったのでポイントの恨み
も少しは薄らいだ。
四月三日
テレビ電話の日だった。向こうの映像は見えたが、こちらのは見えないとメッセージが。
しかし、この映像の見せあいの日は肝心の映像より電話で話が出来る方が楽しく、孝
の電話は、「こちらは言うことのない気候になった」と開口一番気候のことで、それなら
未だ暖房を離せないこちらより良いのではと思った。(ヤフーメッセンジャーは遠いのか
ボイスの釦を押しても届かないので孝から電話が掛かる)
それから「can I help you」と祐衣ちゃんが言えるようになったと言った。
向こうでの祐衣ちゃんのfirst wordだ。
「どうしたの?」とか「何か私に出来れば」とか「一緒に遊ばない」とか色々な意味をこ
め皆、寄ってきてくれたのだ。それで、その言葉を覚えてしまったのだ。
アメリカで良かったと思った。
孝の仕事のことを聞くと其れは自信があるらしく英語は未だだが仕事の方は安心して
くれたらと言った。
宏が引っ越す家に衣類を半分ほど持っていったことを言うと「良いことだ」と言った。
コンテナは出したり拭いたり私がしたのだが。
それで小山に変わると祐衣ちゃんが取った。
「ゆいちゃあん」と一オクターブ高い猫撫で声で小山が話し掛けた。
口の上手い小山の言葉に祐衣ちゃんの映像の表情が変わった。それからキャンナイ
ヘルプユウが言えると言っているらしく、分からないと言う小山の声が聞こえた。
電話を切ってから「そのうち何でも言えるようになるさ」と祐衣ちゃんが言ったと小山が
話した。
キャンナイヘルプユウと言えば思い出すが孝の結婚式にイタリアに行ったときだった。
ベネチアで夕食を食べに出、一時間ほど夜路を彷徨い隣の町ではと思われる広場に
出てしまい、真っ黒な広い広場を三人だけで歩いているとき、誰も居ないと思っていた
ら後ろから外人の女の人が息急ききって追ってきて、いきなり「ワタシハアナタヲオタス
ケスルコトガデキルデショウカ」と言った。
日本なら、そんなとき「どこ行かれるので?」と聞くところだが向こうでは、「can
I help
you」と言うのだろうと、その際、想った。
宏はそのとき親切な人だと言ったが私は正式に日本語を習っている人で使ってみたか
ったのではと想った。しかし今考えると宏の方が当たっていたような気がする。
おとなしそうな人なのでフランス人ではと私はそのとき想ったがアメリカ人だったのかも
しれない。
それからfirst wordで孝の「パンおくれ」のfirst wordを思い出した。
単語ではなく文の..それで祐衣ちゃんも文なので遺伝なのかも知れないと想った。
その後、ポイントのことで早く片付けてしまおうと、言われていた本部のTEL番に電話
する。2940点のポイントが780点になっていたことから話すと支店名を聞かれ「新し
くできたところでして.. 問い合わせて返答します」と電話番号を聞かれ待つ。
若い感じの良い男の人で事実か確認されるだけで、うまく行くかも知れないと思った。
二三十分経って、あまり長いので掛けようと想っているとベルが鳴った。
女の人に変わっていて、こちらが「通知されなかった」と言っても「向こうの店は店内に
貼紙をしたと言っている。五百円未満は皆、切り捨てて貰っているので一人だけ特別に
出来ない」と突っ張られ、金額も少ないことだし時間もとるので黙った。
それらのことで遅くなったが昼過ぎコープに行った。欲しいと思うものは「クーポン割引
商品」と札が下がっていてクーポン券のない者は3割ほど高い定価になる。
それで、その差額の少ない一匹105円の開き鰺を3匹入れ(券があれば88円)、牛乳
と食パンとお菓子と野菜など少しだけ買い、帰ろうと思った。
しかし良くみるとクーポンの利用期間が24日からになっている。前に来たのは22日で
その日なら券が貰えるはづで、「22日に来たのですが」と言うと、「なくともよいですよ」
と言われた。其れで又、買い直した。
その前に他の若い奥さんも「券を忘れてきましたので」と二人程、言い、始めから持って
いない感じなのにレジの人は黙って券の価格で打たれた。それが感じが良かったので
おかずはコープで買おうと想った。
そのあと検索でオアシスを調べた。「」オアシスは日本に沢山あるのか出なかったので
阪急オアシスで検索した。するとポイントの失効期限と言うのがあった。
其れを開けると、規約が変更になった日付は書かれていなかったが、店舗の機械で失
効期限が出ると、その画面が写真で入れられていた。それで、変更は日生支店でなく
阪急オアシスがされていたことが分かった。
しかし、変更の通知を浸透されていなかった、その実行に対する責任は日生支店にあ
ると想うのだが。
そんなわけで金額のことではなく向こうがが勝ったと思っていることがしゃくに障るが、
それが、その店の方針なのだから、当分は嫌な気持ちが続くが仕方がないと想った。
二十七日
洗濯を干すと十時近くなっていたので慌てて二階に上がりパソコンのトップページを出し
「映像を送りますがよろしいでしょうか」と孝にメッセージを入れた。
しかし十分待っても応答が無かったので、メールしていると、孝の映像がちらちらした。
それでメールを消しトップページに戻り、り映像を出した。
「向こうの映像に祐衣ちゃんと孝の顔が出た」と小山が言った。
こちらのも見えたらしく二人とも出た出たと言っている貌だ。
私は下の表の枡に「見えました」と、打ち、送信釦を押した。
向こうからも同じようなメッセージが来た。
パソコンにかぶりついているのか祐衣ちゃんの顔が画面一っぱいになり、こちらを見てい
る。汚い爺さんと婆さんの顔でも懐かしいのか離れない。
パソコンのソバの子機が鳴った。
「た、か、し」と孝の声で、お風呂に入っていて遅くなったらしい。向こうは未だ寒いのか、
「そちらは暖かくなりましたか」と言った。
レキシントンは北緯38度、日本で仙台の緯度になる。食器を洗っているのか遠くに裕美
子さんの後ろ姿が見えていたが、その隣に受話器を耳に当てている孝が見えた。
あんなところから掛けていたのだ。
耳が遠くなっているので受話器を耳に押し当てているせいか孝の声は直ぐ近くで聞こえ
るが遠いアメリカからなのだ。
向こうの家は部屋が広いため私の目には遠景で、どちらも白い服だったせいもあるが、
男女の区別もつかず、受話器で孝と分かったが二人とも只の人が立っているようにしか
見えない。
裕美子さんの仕事のことを聞くが手続きが暇入っているらしい。
孝の英語は帰宅してから勉強しているらしく、最初よりは良くなっているとか。祐衣ちゃん
は英語が喋れるのかと聞くと全然言えないらしい。保育園では一番年上だが未だ、もの
が言えないのだ。
四月から宏がマンションに移ることを言うと「寂しくなるなあ」と言った。
後ろに小山が待っていたので受話器を渡した。
二十五日
疲れたので一眠りしようとベットに上がって色々考えていると、宏に子供が産まれないか
も知れないことに気付いた。祖先の土地は分散を防ぐため長男に引き渡すのは自然だ
が宏が死んだら引き継ぐものがない。
小山は一日、心電器を付けて診る検査をすることになっていて、毎日顔を観ているのだ
が形がおかしいときがある。
昨夜、「爺さんの身体がよくないのを知っている?」と階段を上っていく宏に声を掛けた
とき、「知ってる。仕事で行くのだ」と言った。祖先の残したものを引き継ぐことなので、
命懸けて小山が果たそうとしていると宏は想っているのだ。
それで私は小山の部屋の襖を開け、「宏は子供が産まれないかも知れないから(小山は
生まれないと思っている)、あんたの祖先の土地はどうなるか分からないわねえ」と言っ
てやった。
するとギクッとしたらしいが、「あんな土地は知れている」と負け惜しみを言った。
実際、その土地は固定資産税も年1万円ほど払っているだけで時価は安いが祖先の残
したもだ。
小山は宏が言うような殊勝な者ではなく、同窓会の方がメインなのだ。
二十三日
久し振りに鰈を煮付けにしたが少しも煮くずれず格好良く出来た。それで又、宏のことを
思い、二人で食べるのは勿体ない気がした。
夜の十二時、「今から一時間後に帰る」と宏から電話が掛かってきた。この間、遅くなる
からではなく帰る時間が分からないのが嫌なのだと言ったことを覚えていてくれたのだと
「分かった」と気前よく返事をしたが、はなから一時とは泣きたくなった。
二十四日
小山に鹿児島から同窓会の通知が来ていた。脳梗塞で妹も入院している。
そんなことは行かなくともできるのに土地を貸していることで印鑑を貰っておきたいとこ
ろもあるともいう。公民館こ飾ってある50号の画も取り替えたいので新しいのを持ってい
きたいともいう。
心臓が良くないので止めておく方がよいのではと言っていたが宏を使うことを思いついた
らしく、今朝、日曜と言うこともあって降りてくるのを待っていた。
それから「詰まらない土地なのだがお前に見せておきたいと思うて」と上手いこと話す声
が聞こえて来た。
宏も、「今頃は年度替わりのため裁判所が休みで、時間が空いているときで」と、何時も
夜は遅いのに小山の部屋に入って長いこと話している。時価は安いが記載が2ページに
わたる土地が自分に引き継がれる話と言うこともあるのかも知れないが。
こちらは5分も掛からないファックスの仕方を聞くのも遠慮しているのに。
三月二十二日
朝、顔を洗っているところへ行って「今日は何時に帰ってくるの?」と聞くと「遅くなる」と
十二時半になるらしい。「別に食べものは用意しなくてもよいけれど」と昨夜より言葉が
増しになっている。「食べ物はあるけれど」と言うと「遅くなるのは嫌なのやろ」と言う。
「帰る時間が分からないのが嫌なのよ」とこちらも柔らかくなっている。
今までは話し掛けると見ている新聞を声を出して読んだりしていたが、向こうもストレス
解消になるのか此の頃は良く話すようになっていた。そんなこともあり和解したと思って
いた。
洗濯をして十二時頃コープに行ったが肝心のおかずに良いのが無いのにポイント五倍
dayで沢山、人が入っていた。
今日は宏が食べるかも知れないと豚ミンチが色が良かったので、それを籠に入れ、鰈
冷凍だが大きいの三つパックに入ったのががあったので煮付けにしてみようと入れ、
其のほかに鰆のみそ漬けと薄揚げや白菜など、しこたま買って帰った。
しかし、歳のせいか其のときは元気だったが三時前から雨が降り夕方から病気になる
のではと思うほど身体が怠くなる。
夜、その日はマーボー豆腐をしたのでシャワーを浴びる前に食べるかと聞くと、「うん」
と生返事をした。それで温めておき、「食べる?」と言うと、「外で食べて来ると言ったや
ろ」と中に入ってきもせず言うので又、腹が立った。
雌猫が子供を産んだが其の子猫をどうしたのか記憶がないが皆、居なくなった。しかし
外で鼠を捕ってくると半年も経っているのに子猫たちにに食べさせようと「ニャオーニャ
オー」と大声で呼んだ。そして鼠を捕るたびに、その猫は居もしない子猫を呼んだ。
母を引き取ったとき上の弟が嫁が出ていったと言って母親を呼びに来た。
後日、嫁は帰ってきたが、そのとき母親は、その方が楽だと昼間は寝ていたのに、いそ
いそとして弟に従いていった。また息子の世話が出来ると思ったのだ。
母親と言うものはそう言うものなのだ。子供に食べさせたいと思う..
それを折角造ったものを食べないと、その思いを取り上げられたのでは頭もおかしくな
る。そして誰でも持っていっておくれと思う。
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三月十九日
日曜なのでまだ寝ていると想ったが駐車場に車がなかったので、そんなに忙しいのかと
想った。帰ってきたとき暖かいようにと、部屋や浴室を暖めているが、一時前になっても
帰ってこない。それで、運転中に掛けてもと我慢していたが携帯に電話した。
いつものことで切れたが、「電話をくれたのか」と直ぐに掛かって来た。静かなので未だ
事務所かと思ったが、どこにいるのか聞くと、ホテルで旅行に行っているという。
「それならそうと言ってくれれば。ずっと部屋も風呂場もあたためているのに。其れで、
いつ帰るの?」と、声が高くある。
「火曜日に帰る」
「火曜日の何時?」
「12時までに帰る」
相手は受話器を離さないが「掛けていても仕方が無いから切るけど」としぶしぶ切る。
それで血が頭に上ってしまって眠り薬を飲んだが三時まで眠れずパンと牛乳で血液を胃
の方に下げ、眠り薬を再度飲んで三十分ほどしてやっと眠れる。そんなわけで
三月二十一日
体調が悪く、子供に殺されるようで、頭がおかしくなる。
彼岸だというのに寒く其れでも宏も帰ってくるのだしとお風呂を湧かすと少し元気になる。
十二時少し前、「あしたから暖房も食事もしておかなくてもよいからなあ」と玄関の戸を開
けるなりで宏が帰ってくる。
「何を腹を立てているのよ」と言うが、あれから向こうも腹を立てていたのだ。
三月十七日
今日は快晴という予報だったのが朝から気温が上がらず気分が悪く、左の背中全体が板の
ように突っ張って一眠りするが良くならない。小山に「背中が半身不随になってしまった」とい
っても、俺には関わりにないことでと知らぬ顔をしている。
救急車に電話するときも自分でし、身体を動かしてはいけなくとも自分で入院の用意を整え
るのだろうか? 誰も頼れず寒気がするが兎も角、胸を温めないととお風呂を沸かし入る。
それで少しは収まったが、宏が十二時三十分を越えても帰ってこないので気分が又堪えら
れないほど悪くなる。
三月十八日
朝、旅行に行くかも知れないと言って居た宏が、「忙しいので家に帰る」と夕方、掛けてくる。
夜、帰ってきた宏に、甥の交通事故の裁判のことで聞くと、「情緒不安定」と言う病名で仕事
に行けない状態なのだが、其れと交通事故との関連性が取れないので難しい」と言う。
それで「人をはねておいて」と言うと、二百万円で示談の話も出たときがあるとか。そのとき
甥が少ないと応じなかったらしく、保険会社は、それも治療費に要ったと言う。
私が其れで何か言うと最前線で頑張っている者を何もしない者が横から非難するのはと言
う。そんなことで大分、話したので寝るのは二時頃になった。
しかし、因果関係が無いと相手は主張するらしいが、はねられて治療費だけでは堪まらない
し、どうなるのだろう。
三月十五日
今日は15日でオアシスが5ポイントデイのチラシを出していたのでコープはガラガラか
と想うと、いつもより沢山人が入っていた。コープも水曜で5ポイントの日だったのだ。
それに色々、奉仕をしていたので五キロ入りのお米も買ったら100ポイント付いた。
幾種類かのものが安く買える券も貰った。そんなわけで今日はコープへ来て良かった
と思った。
それで疲れたので夕方一眠りしたら寝過ぎて、(七時を廻っていた)ご飯が炊けず、今
日買ったインスタントのご飯一パックをレンジでチンし、焼きそばをした。
夕食の後、小山が自分が耳が遠いので、破鐘のような大きな声で電話を掛けているの
がリビングから聞こえた。東京の弟にしたらしく、後で訊くと、れい子さん(小山の妹、弟
さんにとっては姉)を見舞いに鹿児島まで行った報告で、脳梗塞で脳の血管に五箇所
ほど細くなっているところが見付かり、その一箇所か二箇所に鉄を填められ、それで頭
もしっかりし言葉も上手く喋れるようになったと言うことだった。前にも聞いたが、姉さん
は子供がなかったので主人の一番下の弟さんを養子にされていたが、その養子の息子
さんの世話で、その病院に入れたらしく、良い話だった。私の弟も、この間、肺癌の手術
をし妹や弟と電話を掛けあったが、同じようなことを小山も。それにしても、小山もそうだ
ったが、多分その手術は、カテーテルで出来たのではと想うが、そのような根本からの
治療をして貰えて幸運たったと思った。しかし手の方は未だ良くならずリハビリをされて
いるとか。小山の入院の精算書で最初の頃に比べカテーテルの価格が随分と安く(四
分の一)なっていたことから考えると、高齢者の病気も医療の進歩に貢献しているのか
も知れないとふと。小山はテレビカメラのことを写真の見せあいをしていると弟に話して
いたが通じたかどうか?
三月十三日
今日はテレビ電話の日でメッセージを入れデスクトップに映像を出していると「見えた」
と大きな太い文字が出て孝の映像も出てきた。
髪でもといてきたのか今日は若々しい顔をしている。
パソコンのソバの子機のベルが鳴ったので受話器を取ったが耳が悪くなったのか声が
聞き取りにくい。「祐衣ちゃんが話したがっている」と言ったのか、出てきたが祐衣ちゃ
んの声も聞こえない。それで「聞こえない、聞こえない」と言うと「パパさんに変わって」
と孝が云ったので、後ろに立っていた小山に受話器を渡した。
小山が少し話し、私に返した。「裕美子さんのほうは?」とだけ訊いた。
「返答を待っている」と孝が言った。祐衣ちゃんの送り迎えの時間のことなどがあり、そ
のためかも知れない。
祐衣ちゃんが三輪車を乗り回している姿が出た。
孝はカメラを回して向こうの日常を見せてくれるが、私は後ろが壁の狭い部屋で、回し
ても仕方なく、何時も同じパットしない爺さんと私の顔しか見せられない。春になり薄着
をするようになれば、良い格好でもして見せられるのだが。
それにしても宅急便が来ても聞こえない小山が今日の電話を聞き取れたのは不思議
だ。其れを言うと、「精神を集中すれば聞こえる」と言ったが、私の場合、今日は聞こう
と思えば想うほど緊張して聞こえなかった。
終わって「何を言っていた?」と訊くと、「祐衣ちゃんは保育園で一週間ほど泣いてばか
りいたらしい」と言った。それで自転車を買わされたのでは。
とあれ今日の顔の見せあいは一応、成功だった。
それにしても、孝はどんどん色んなものを揃えていっているのに、宏はマンションを借り
たものの家賃を払っているだけで、エアコンも買っていない。
そのあと、ぎりぎりまで放ってきた町、県民税の申告のことについて役場に電話した。
国保のものは皆、提出しなければならないらしい。それで小山の年金収入や介護保険
の金額を書き初め計算すると、改正で出来ないと言われていた宏の扶養控除が小山
も、かつかつで取れるのではと言う気がし又、電話した。それで「後からでも申請できる
から、その分は後からされたら」と親切に言って下さった。
そんなわけで書き上げ投函に行くが、五時の便があり、それに間に合う。
夜、帰ってきた宏にそのことを言うと、税理士の人に任せてあると煩そうに言った。
それでも一万円ほどの差で、なれたのだからと云うと「専門家にやでえ」と又、言った。
それで小山の年金の金額や差し引かれた介護保険料の額を税理士は知っているのだ
ろうかと想ったが黙っていた。
帰る時刻も掛けてこないので、いつ帰るか判らず、帰ってきてはと、こちらは風呂にも
入れず、後片づけをして、お風呂にはいると二時三十分を廻っていた。
零下の寒の戻りのような日で迷ったが湧かさなければシャワーをするので湧かしたが
誰でも持っていってくれたらと毎度のことだが想った。
牛肉が残っていたので足りない分をウインナーを入れハヤシライスをしたが、おいしく
もないのに太ってきている身でお代わりをした。
そんなわけで宏はいつの間にかご飯も家で食べるようになっている。
三月十一日
オアシスに買い物に行き受け取ったレシートを見ると前回ポイントの表示が785点と少
なくなっている。確か前には3000円近く記されていたはずなので驚き、サービスカウン
ターに問い合わせに行った。そこで「滅多に来られないから権利がなくなったのでは」と
言われ「少なくとも一ヶ月に二回くらいは来ています」といった。
二年以上買わなければ無効になることは知っていた。其れが買っていても二年経ったも
のから無効になるように変わったと言われ、そのことについてプリントしたものを貰った。
それで、そのようなことは報せられな かったと言うと前のレシートは無いかと言われた。
「持っていません」というと電話で問い合わせ、1940円付いていたと言われ、
「今度変わったので、前に買った分が二月の末でで無効になったのでは」と、「今回は千
五百円は商品券で二十一日以降に渡しますが」と言われ、先ほどの紙に書かれたた。
そのときは、それで納得したが帰ってから貰った紙を見ると、おかしい。
コラブ・f会員の皆様へお知らせ、と初めにあり、「クラブf新制度の変更ポイント」と言う
見出し出しで、とくとくポイントと対象商品を買うと表示のポイントがプラスされることや、
一ヶ月に三万円以上買ったものには二百円の切符一枚、五万円以上買ったものには二
枚支給と順に記された下に
「ポイントの有効期限」について書かれ、今回から変わると記されているが、今回がいつ
からなのか年月日が記されていず、その「お知らせ」の発行日も発行者の店長の名前も
ない。
それで孝のマンシやョンの管理組合の三百六十グラムの報告書を思い出し、前に住ん
でいた分譲住宅の二三枚だけの報告書や、管理を思い出した。
金額の多少に関わらず一日百万円の売り上げがあるというので、お金持ちだと想ってい
たが、千円買って五点しか付かないのを貯めたポイントを..
細かいのは私だけかと思っていたが、お金持ちも細かいのだなあと思った。信用問題に
関わるのではとも想った。機械がするのだと信用していたが、これからは前のレシートは
残して置かねばとも.. 六十万円買わねば三千円貯まらないのに。
オアシスは行く日は少ないが行くと沢山買っていたのに、なるべく近くの店で買うように
しようとも想った。
そんなことがあり「この紙、書き方がおかしくない?」と夜、帰った宏に見せた。やはり、お
かしいといった。「小額のことだけど」と言うと「ポイントは今、皆が関心を持っている。阪
急の本部に問いあわせてみたら」と言った。買った金額の0.5パーセントしか付かない
と言うと、「小売りは利益が少ないから」と言った。売り上げから経費を引くと二三パーセ
ントしかないらしい。百万円売って二三万円しかないのだ。それなら何もしない方がよい
のではと想った。それで二階を貸し店にされている理由が判った。
他のものを捜していると引き出しから前のレシートが三枚ほど出てきた。
三月五日
パソコンを打っていると宏から電話が掛かり、テストのファックスを送るからと言うので
子器を切り下に降りると紙が独りで、とっとっと出ていた。
(これで向こうから来るのは成功と思ったが次回、受話器を下で取ったったときは「印
刷してください」と言ったので釦を押し、そのせいか紙が出てこなかった)
コープの帰り脳梗塞の後遺症の人が歩いているのに出会う。ロボットのような歩き方
で「青空文庫」の検索で読んだ斎藤茂吉の「巡礼」を思い出し、その巡礼は奥深い山
の中を歩いていたが、町中を歩くその人も巡礼のように見えた。
風は冷たかったが空は雲一つ無く、春になるのも、もう少しと言う気がした。
二月六日
今日は映像の見せあいの日だったが孝は出てこなかった。其れでメールを入れると、
暫くして電話が鳴った。
この前もだったが又、忘れていたというので「今からする?」と聞くと「奥さんのパソコ
ンに入れてあるので、それで電話した」と言う。訊くと、祐衣ちゃんは先週から保育所
に行っているらしいが、奥さんの勤務は未だという。
自分も忙しくなってきたと言い、こちらはどうかと聞くので、「私は季節の変わり目で、
体調があまり良くないけれど他の者は元気」と答えると「寒くないか」と訊いたので「家
の中は寒いが外は」というと「こちらは寒い」といった。初めて寒いと言った。
今まで緊張していたのでそれどころでなかったのだろう。あちらは、まだまだ春が来な
いのだ、北海道のように。
「何かあったなあ」と私がメールしたことだが言うので「原稿料を送ってきた」と言うと、
「郵送料などに使っておいて」といった。
1万2千円だが「帰るまで保管しておく」と言う。私のホームページも見るひまがないら
しい。祐衣ちゃんに出るかと言っているようだったが出てこなかった。
孝は大分、電話していたが裕美子さんも大変なのではと思った。研究したいのは裕美
子さんの方なのに。祐衣ちゃんだけは家にお母さんが居るので出てこなかったが雰囲
気で心身共に元気な感じだった。
寒さだけでも無ければよいのに。それでも話が出来て良かった。こうやって追い追いに
出来ていくと最後に孝は云ったが、祐衣ちゃんのこともうまく行ったのだし...
午後、コープに行き大室さんへの返事と出版社への原稿料のハガキになった領収書を
投函する。
三月三日
大京(孝のマンションの管理会社)から分厚い「総会のお知らせ」の封書があり、計ると
360グラムあった。50円切手を貼った委任状の葉書が同封されていたので一応、孝
にメールするが放っておけばよいと言うた。それで向こうは留学しているのは知ってい
るはずだし、読みもしないで委任も出来ないし、そのまゝにした。
其れにしてのも、それだけの報告だとか計画だとかがあるのに驚いた。
前にいた分譲住宅では兵庫県の住宅供給公社が管理していたが、年一回、二三枚の
報告があっただけだし、戸建ての今も、建物の構造部分がどうなっているのか考えたこ
ともなかったので。
それから東京の出版社から雑誌の原稿料が現金書留できたので、それもメールで報
た。と言うわけで〒中継書も繁盛している。
三月四日
Googleで「外山」と姓だけで検索すると530.000件中10番目に外山法律事務所が
載っていたので驚いた。しかし私、「外山きよ子」の方は検索からホームページを出せ
る項目は今週に入ってから出てこなくなった。それで飛行機から墜落したような気が
した。(このことについては最近、グーグルが出してくれている)
歯間歯ブラシで擦りすぎたせいか歯が痛み消炎剤を飲み、頬に膏薬を張る。(コレは
矢張り原因が原因で、予想通り虫歯でなかったらしく、四五日で殆ど痛まなくなった)
宏は忙しく土日も仕事で、マンションにも四月にならないと変われないと云う。
気にしていた自動車税事務所から還付金を振り込んだという通知が来たので孝にメ
ールを入れた。
夜、帰ってきた宏に53万件中一〇番目に載っていた話をし、「高かったけれど(内容は
こちらで書いたがホームページはプロに「頼んだので五〇万円掛かったと言っていた)、
それだけのことはあったねえ」と言うと、「ホームページを見たと云ってこられた依頼者も
あり、東京からもと来られた」と宏が言った。
二月二八日
銀行へ行く用事があり中央まで出掛ける。途中、一つおいて隣に居られ美山台に移られ
た田中さんとパッタリ会い「おうちの前を通ったとき荷物が来ていたのを見たのですが、
お嫁さんでも来られたのですか」と聞かれ、次男がアメリカに行くので荷物を預けにきた
ことをいう。それで「上の人は結婚されたのですか」と言われ「家を出るのでは借りるの
は借りたのですが未だ移れないで」と言う。
銀行では支払い用紙や入金用紙など、どれを取り、どこに何を書くのか分からなくなって
いる人が多く、係りの人が居て教えてもらえるのだが私も、その組に入っていて、
「ここに住所を書いて」「ここに名前を書いて」と一つ一つ言われながら書いた。
しかし、この頃は殆どのことがカードでするようになったせいもあるのかも知れない。
しかし銀行で為替を受け持たされたとき「前からしていたのでは」と言われた者が、この
次には独りでやれるように覚えようと思った。
それからサビエに寄ったが、そこで又、谷口さんと会った。頭がぼやけているためか目が
悪いせいなのか、前に居る谷口さんの顔がチカチカ揺らいで見える。
こんなときは買い物を早く切り上げて帰らなければと想いつつ話をした。
「この間の会合で主人がお酒を飲んでおられたので電話しようと想ったのですが」と言わ
れ、「少し飲んでも出るたちで」と言ったが、顔に出るほど飲んでと思った。
「心臓にはよくないのでしょう?」と又言われ、「お酒のみの先生で「ちょっとくらいはと言
われますので」と言ったが、向こうもC型肝炎なのに飲むので困っていられるらしい。繊維
になっているところもあるらしい。
それから小山が自分よりもずっと上手い」と私のことを言ったらしく、「又、画を見て貰いた
いので寄せて貰う」と言われ、「暖かくなればお握りでも作って遊びにいきませんか」と誘
われた。身体が弱いので遠くには行けないが、こうしてバッタリ会って話が出きる人があ
るのは、この歳になれば、とても嬉しく、その日が楽しい一日になる。
二月二十七日
今日は顔の見せあいの日で小山も私も十時にパソコンの前にいたが孝の映像は出てこなか
った。こちらは朝でも向こうでは夜の九時なので「祐衣ちゃんが眠ってしまったのかも知れな
い」と小山も十時半の予約があり歯医者に出掛けていった。
それで私も、「テレビ電話に出ましたが、外山様はオフラインのようですとメッセージが出ま
したので切りました」とメールして立った。
夜遅くなって、それを見たのか「ごめんなささい。今日はムービングセールという個人売買で
購入したテレビやベットを搬入しドタバタして忘れていました」と孝からメールが入っていた。
テレビやべっトは未だだったのだ。
二三年の滞在だから古いのを調達したのだろうか? アメリカと言う処はそう言うところなの
かも知れない。帰るときには、みな売っていくような。
それにしても、二人とも宏と対照的に、することがテキパキ早いのに驚いた。
この頃は二三日経つと、すっかり忘れてしまうようになり、なるべく、日記はその日に付け、
あとから推敲するようにしているが、結構、一日は何も無いようで、在る。
二月二六日
ZAQのパソコン教室でデシカメの講習をしていたが電車での行き方が載ってなくて検索
で、所在地の名前の次に地図と打ったが阪急電車の駅が出ず、日曜で宏に聞いた。
「ママさんのはやり方が間違っている」と地図の検索の仕方を教えてくれた。
先ず最初に「地図」と入力するらしい。それから兵庫県を選択、縮図の処を駅が見える
ところまで加減すると良いと「こんなことも知らないのか」と。
そう言えば縮図までは兎も角、前にしたことがあるような気が。
それから「その申し込みをしたいのでファックスの仕方を教えて欲しい」というと教えてく
れたが、パンフレットを見ながら「コレは中級クラスではないか」と言ったので、今回は断
念することにした。しかし今日は地図の出し方を覚えた。
夜、帰ってきた宏に「翻訳出版記念会に行ってどうだった?」と聞く。
詩人の谷川俊太郎の詩を翻訳した中国の人が書いた文を甥の奥さんが日本語に翻訳、
出版されたため、谷川俊太郎も来ていたという。
女子府大の教授も居られ「先ず日本人と結婚して生活の保障を得なければと言っている」
い、今は少子化で受験生の数が少ないため外国から留学生を募集しているらしく、路を
歩けば10人に一人は中国人だとか、場所にも寄るが、留学生も昔ほど珍しくないらしく、
宏が言った。
それで日本もアメリカ並みになってきたのだと想い、賃金の少ないところの者が多いとこ
ろへ流れ世界が一つになっていくような気がした。
2月25日
脳梗塞の危惧の他に胃も悪く「あちこち悪いけれど行けばずっと行かなければならなくな
るし」と小山と病院の話をする。
「今度の新しい先生は初め何もかも話せそうで、あちこち悪いところを全部直して貰おう
と思ったけれど、思うことは皆一緒らしく,一人一人が長く話すので、自分の番になると
予約時間より二時間遅くなっていて、血液検査の結果を見ながら先に、「どうもありませ
ん」と言われたので、あとの人のことも考え何も言わなかったけれど、結局、二時間待っ
て三分診療だった」と言うと、
「俺もそうだ。向こうがどうも無いという返事を要求しているような気がして。医者というも
のは皆そう言う者だ」と小山も言った。
「前に目の薬を貰うとき、学生のような先生が、「どうでもありませんねえ」と一人一人言
って薬を貰うカルテを渡していたので、どもなければ来ないし、「横這いです」と言ったら
顔を見られた」と私も医者の悪口を言った。
それでも顔(健康状態)は見ているのかも知れないけれど。言う人も一人五分、長くても
一〇分以内とかで鐘でもなるようにしたら、纏めて言えば言えるものをと何時も想うのだ
が。
夜、帰ってきた宏に、前にファックスして欲しいと渡したリソナの残高証明について聞くと
この間の小包に一緒に入れたという。それならそう言ってくれればよいのに。孝も何も言
ってくれなかった。それでそれなら500グラムを越え高くなったのかもと思う。
明日は翻訳記念パーテイに招待されていると言っていたが1週間に1回でも借りた家に
行くようにすればと云う。
それからエアコンは取り外しや取り付けが高いので、そんなに長く居ないのなら(2年の
契約)、そのことも考えてと淀橋カマラで孝に買って貰ったエアコンの領収書を見せる。
「こんなに安いのかあ」と驚いている。(高いのを3台買えば3台目を半額のすると言わ
れ迷っていたので)
2月24日
12時頃、洗濯を干していると電話で誰かと思ったら姪のひろ子ちゃんでビックリした。
昨日4時に郵便局に持っていった現銀書留がもう着いたのだ。
ひろ子ちゃんは昔の子供の頃とちっとも変わらず明るい声で嬉しそうにお祝いの礼を言
った。
それで「女の子はかわいいでしょう」と言うと「どちらに似ているか分かりません」と言っ
たので「どちらに似ても可愛い」と言い、「また写真を送って頂戴」と頼み、あまり話させ
てはと切った。それから「電話を掛けて来てくれるなんて偉い子やねえ」 「今時珍しい」
「今は子供が産まれることが何よりも目出度い」など小山と話しあった。
足の指の間隔がおかしくなって我慢が出来なくなり時々温めているが、手の方も箸を上
手く持てなくなっている。お茶碗を洗うときにも掌が斜めになる。しかし、どこの科へ行け
ばよいのか分からず暖かくなれば少しは増しになるのではと一日延ばしにしている。
病院は検診で引っかかり定期的に行っている。しかし、其れは全く症状がなく、症状のひ
どいのを直して欲しいのだが又、定期的に行くようになることをを考えると、しんどく放置
している。だが脳梗塞の前兆かもしれず、其れが心配で、字引のように使ってきた家庭
医学書や検索で調べた。
本の方に末梢神経異常というのがあり、小指に近い指がやられると記されていたので、
検索でも調べ、脳梗塞についても再度、検索で調べた。
その結果、そちらの方が近く脳梗塞の疑いは少し薄らぎ、今少し様子を見ることにする。
2月23日
孝の自動車税の還付について、銀行に行く前に事務所に問い合わせた方がと電話する。
アメリカに居ること、郵便が殆ど着かないこと、確かなので送り7千円掛かったことなど話
し、銀行に行こうと思っているのですがと言うと、銀行に振り込むには通帳が要るので、こ
ちらから振り込む方がと言われた。
其れで振り込んでいただく口座番号を書き向こうの云われた通りし通知書を送り返した。
それからひろ子ちゃんの出産祝いを祝い袋に入れ、4期の固定資産税振込票と、孝から
貰った書き損じの郵パックを2枚持って郵便局に行った。
郵パックは80円の手数料で葉書20枚と交換して貰った。
そのあとサビエと切れているものがあったのでジョイフルに寄り、バス停まで引き返すの
が面倒で手押し車を引いて帰った。それで今日は一日終わった。
夜、帰ってきた宏に、幼い子供の被害が多いので二人の園児を殺害した中国人に付いて
そのような場合、どのくらいの刑になるのか聞いた。「無期では。余程の情状があれば二
十年になるが」と言うことだった。
それから「お前はママに似て、するのに時間が掛かるねえ。ファックスの仕方も何時教え
てくれるか分からないし」と言うと「申し訳ないけれど順番があるので」と言った。
依頼者が一番大事なのは分かるが遊ぶ電話が掛かってくると其処へは行くし、コレでは
家賃だけ払って引っ越すのは暖かくなっても出来ないのではと言う気がした。少ししづつ
でも運んだらと言うのだけれど未だ一枚の服も持っていっていないのだから
二月二十日
孝とテレビ電話をする日で忘れないように昨夜から目覚ましを掛けて置いた。
こちらでは月曜日の朝の十時だが向こうでは日曜の夜の九時だ。(土曜は出勤故)
少し前に手ならしをし「映像を送ります」とメッセージを入れ、トップページに映像を出し
ていたが(先に出していくおくのは良くないのかも知れないが)、時間が来て「見えませ
せん」と返事があった。
向こうの映像も見えず「こちらも見えません」と入力し送信した。
しかし後ろに来ていた小山が「何だかチカチカしている」と言った。
間もなく一面ピンクの画面がフワフワと雲のように見えた。
「出た」と小山が言った。雲と見えたのは部家一っぱいの大きなピンクの応接セットで其
れを見せようとしたのだ。それから「見えたらしい。祐衣ちゃんと奥さんが笑ってる」と小
山が言った。孝が横向けに顔を差し込んだ。
だが、映像の下に不正侵入者があるので自動的にログインしますか?」と言うメッセー
ジが出て「OK」の枡が推薦された。それでログインの意味が分からず孝にメッセージ
を入れ聞いたが「分からない」と言う返事で、一か八か「OK」をクリックした。
すると孝らの映像が真っ黒になった。
それで仕方なく自分のも全て消し、一からやり直した。するとほどなく「爺さんも見えまし
た」と向こうからメッセージが入った。もう「いいやろ」と小山が言った。
それから「上に電話がありますか?」と言うメッセージが入り、答えると画面が両方とも
動かなくなった。孝が切ったらしく向こうの映像の下に終了時間が出た。
私も「画面が動かなくなったので切ります」とメッセージを入れた。私の終了時間がメッ
セージの下に出た。全部切ると、そばの電話の子機が鳴った。孝からだ。
それでメールしても返事が来ないのがあり、それらを聞いた。
昨夜、戸建ての家と思ったのもアパートらしく一戸に何軒も住んでいるとか。
しかし外人なので一部家は日本より大きいらしい。
郵便は殆ど着いていないらしくFedixは高いことは知っていたこと、宏に礼を言っておい
て欲しいこと、送って欲しいものはこちらで云うので、あのようなもの(Fedix)で頼むこと
は今後無いのではと言うこと、ファックスをして欲しいものもメールして欲しいものも、こ
ちらで言うので、後は、そちらの考えで適当に、殆ど放置してくれたらと、全て良く分か
り、一度に全部片付き、電話が一番のように今日は思えた。
昨夜メールしたことも多分メールでは返事がないだろうと聞いた。
それで場所は矢張り八〇キロ通勤にかかるところで、祐衣ちゃんは保育園に行くので
(幼稚園でなく)其処は六時まで預かって貰えるらしく迎えに行けること、セントラルヒー
ティングなので家の中は暖かいことなど。
話が何時までも止まないので「こんなに長く掛けていたら電話代が高くつくのでは」と言
うと、いくら何でもそんなに安くないが「二十円くらいや」と言った。
KDDIの振り込みの件についても詳しく分かった。
最後に祐衣ちゃんが出て「元気?」と聞くと「うん」と言った。「恥ずかしがっているので」
と孝が云い「皆さんに宜しく」と電話は切ったが、あとでてっぺんに雪を載せていた車が
買った車なのか聞くのをを忘れた。
然し今日は少しの間に全てのことが聞けた感じで電話を見直した。頭の中に溜まって
いたものが全部片付いた感じで。
朝、二階に上がると孝からメールが来ていた。それには
「郵便が届きました。ありがとうございました。Fedexがやはり一番確かだと思います。
sonetの件(リースの機械の返却)も助かりました。新しい住所に引越ししてからは、
いろいろなことが順調に運び出しております。来週は祐衣がためし保育に行き、3月よ
り本格的に保育所に行き始めます。嫁さんもこれで働き始められそうです。私のほう
の英語力はなかなか上達しませんが、なんとかなっております。」
と記され、向こうからは支払いが出来ないためKDDIからの請求書が来たら支払って
欲しいと書かれていた。
それから初めは気が付かなかったが何度目かに開けたとき下にグレイの線が見えた
ので、ずらすと新しい住居の屋根で、3階建ての綺麗なテラスハウスのような家が写っ
た側に祐衣ちゃんが座っている写真や、二〇糎ほどの雪を頭に載せた車が、その前の
空き地に写っている写真が出てきた。
新しく移った住居を撮し送ってくれた
午後、綺麗な絵はがきの葉書送ってもらった友達に返事を書いた。手紙の文の上手な
友人で、書き直そうと思ったが遅くなるのでそのまゝコープの行きしに、投函した。
その帰り、スピッチの綺麗な犬が他の人が連れている二匹の犬を見て、友達になりた
いのか、動かないので、飼い主が待っていた。
二月十五日
電話が鳴ったので受話器を取ると「ファックスが入っていますから電話を切ってください」
と言うメッセージが入った。それで受話器を切ると「紙を入れて録印してくださいと」出た。
しかし操作が分からないので放っていると二十回くらい繰り返し出て止まないので二階に
紙を取りに上がり無理に差し込んだ。
すると紙もたれの部品を取り付けていないため紙が斜めになり詰まってしまった。
「紙が詰まっているので取り除いて下さい」と言うメッセージが入った。
其れもしつこく止まなかったが番号を入れて下さいと言うメッセージに変わったので家の
TEL番を入れた。するとメッセージの字は残ったが電気は消えた。
それで宏の事務所に電話した。「セールスでは」と言い、「放って置いたら」と言ったので
帰ってから直して貰うことにした。
前に宏が「ファックスを使うなら電話の位置を変えなければ」と面倒そうな感じで、「そんな
ら使わない」と言った。しかし、こちらがしなければ良いと想っていたが向こうからも掛かっ
てくるのだ。とすればやはり操作を教えて貰わなければ...
壁掛けの礼を弟にした。そのとき二月に生まれると言っていた姪のことを思いだし、訊ね
ると日曜日に女の子が生まれたと言った。それから一肺の癌が胃の癌と良く似ているの
で調べて貰ったら胃から転移したものだとわかり一週間、抗癌剤を飲んだと自分の病気
のことを言った。体調が悪くないので薬は続けるらしい。暖かくなれば散歩したいというよ
うなことも言ったので少しは安心したが弟は大変なのだ。
このところ二階が暖かいので、目が疲れると下に降り家事をするが上の居ることが多い。
下の弟と妹に、女の子が産まれたことと弟のことは、兄弟なので一応、報せた。
夜、帰ってきた宏に、ファックスの紙が詰まったことを言うと、「疲れているのに」と、顔をし
かめた。しかし、リースの機械は送ってくれたらしく、「それならファックスの方は何時でも
良いわ」と言ったが、直してくれた。
宏がお風呂に入り、ビールを飲み、この頃は、おいしいのか私の作ったおかずを食べて
いるのだが、弟のことなど話し雑談した。アメリカへの封書は頼みもしない分厚い新聞を
入れたらしく七千円掛かったらしいが気にしていたことが二つ終わってホットした。
そんなわけで私がお風呂に入るのは二時になった。
二月十三日
朝、ガレージに車がなかったので「宏は何時頃出た?」と爺さんに聞くと「六時半頃」と
言った。本当に早く出なければならなかったのだ。
十時前、今日はテレビ電話をする日で、パソコンを開け待っていたが孝の映像は出て
こなかった。そのあと、お米が切れていたのでコープへ行った。
春が来たような快晴の空で気温も高く気持ちが良かった。
昼、爺さんと二人で昨夜、宏が食べたとろの残りを食べた。
それから、宏も忙しそうなので封筒の宛名でもこちらで書こうと「国際郵便の書き方」を
検索で調べ挑戦した。
そのとき最後に国名を書かねばならなかったがU.S.A で良いか分からず、地図でレ
スキントンを捜した。それで孝ら家族の居る位置五大湖の下(南)とハッキリ分かり爺さ
んにも見せてやった。
壁掛けは宏が玄関は私の画を掛けたいと云っていたので、リビングに持っていくと、小
山の姪がドイツに勤務しているとき送ってくれた金属の壁掛けの隣が合ったので、そこ
に掛けることにした。
京滋バイパスで車十二台が衝突し三人が死亡する玉突き事故があり、夜、宏にそのこ
とを話すと、「自分の帰る頃は大型トラック二十台に乗用車が一台で恐いから、あの車
(安い物だがベンツ)を買ったので、後続車との間隔は充分開けて走っている」と言っ
た。
二月十一日
土曜日で孝から返却を頼まれたリースの機械を捜して貰うため宏にテープを剥し箱を開け
て貰った。本体は三箱目くらいに見付かった。しかし、部品があちこち捜して貰ったが一つ
見付からず、遅くなったので明日、捜して貰うことにし昼前、出掛けていった。
それは色々コンピューターを触っている者でないと見つけだせない品物で、助かった
裕美子さんの封書も、「こちらで宛名を書いて送る」と言って事務所に持っていってくれた。
今日から暖かくなると言う天気予報だったが、何時もその日になると気温が低く、午後、昨
日の外出で疲れていたのか一眠りすると鱶ように眠ってしまった。
弟から送ってきた梟の壁掛けは、うちの家にはあわなかったが宏の今度はいるマンション
の玄関に合いそうで飾ってもらうことになって、それも良かった。
夜、宏が帰ってきてエアコンは買ったのか聞くと高いのが三つ目を半額にしてくれるので、
それにしようかと思っていると言った。
それから「マンションで三つ付けられるの?」「コードを引っ張ったらしまいや」「移転する時
外したり取り付けたりする費用が要るのに」と言い合いになった。
それで「ともかくヒーズが切れたとき、スイッチを上げる所に取り付けられる部屋が載って
いるので見てみたら」と言うと、「家に帰っても面白くないから帰らないのや」と言った。
それで毎日仕事で遅くなると想っていたが、それも駄弁もしているのではと想った。
二月十二日
朝、それでも孝の機械を見付けてくれたらしく、送ると言って持っていった。
このところ右足の四指がおかしく温めると直っていたのが、それも直らなくなりパソコンで
調べると副腎皮質を混ぜた注射を患部にすると直るようなことが書いてあった。
それで又、整形に行かねばならなくなるかも知れないとと想う。
もう少し暖かくなってから食べようと想っていた歳暮のお気に入りで送ってもらった冷凍室
のとろが少し黒ずんできたの、で今晩食べることにし上に入れて置いたが、未だこちこち
だったので夕食はあるもので済ませる
。しかしシャーベットのようになったところで切らねばならず大根をかつらはぎにして十二
時大分過ぎ帰ってきた宏に出す。
エアコンのことは聞かなかったがいよいよこちらの籍を抜くらしい。
それで「他で買ってしまっては何なので梟の壁掛けを持っていってくれる」と言うと「ママさ
んの画が欲しい」と言う。それから「明日は早いので」と二階に..
二月十日
朝、孝から国際電話で皆元気なのでと掛かってきた。ハッキリ覚えていないが1分が10
円とか安い金額で声も日本でのと変わらない大きさで良く聞こえた。
送って欲しいと言っていた機械の入っている箱が分からず聞くと、他のと一緒に最後に
入れたと言う。大きさを聞くと裕美子さんに聞いている声がして弁当箱ぐらいと答えてい
る裕美子さんの声が聞こえた。色は黒いもので、むき出しに入れているとか。
「傷んでいたら請求するようなことが書かれていたけれど」と言うと「そんなもの構わな
い」と少しくらいは来てもよいらしい。そんなことを大分、話した。
祐衣ちゃんも出てきて元気な声だけ聞いた。未だ裕美子さんも仕事には出ていないらし
く、祐衣ちゃんも家に居る様子。「メイドさんに来て貰うの?」と聞くと「そうゆうことにな
るやろ」と残っているのはそのことくらい。
出掛けようとすると阪急からの宅急便でフクロウの置物が弟の家から。
そんなことがあって11時少し廻って川西病院へ。
採血をして食堂で定食を食べたが今日のはカレーうどんとお握りで、カレーが悪く、お
いしくなかった。食堂から帰ると一人づつ丁寧に診られるのか私の先生の診察が2時
間送れているというお知らせが電子番でずっと流れていて、診察は3時を廻った。そん
なわけで私は後の人のことを考え結果と次回の予約日だけ聞いて何も言わなかった。
外に出ると快晴の青空だった。
回数券が4時までなので駅前でサット買い物をし(何時も期限内に使えず1枚損するの
で)、電車もバスも待たずに乗れたせいもあるが帰ってから洗濯をしたほど余力があっ
て不安だった今日の外出は成功した。
二月三日
検索で外山きよ子の詳細のところを開けると、掲示板の妹宛の返事に「短歌を読で戴いて
有難う」と書いたが載っていたので短歌も作らなければと友達に貰った歌集を再度、読ん
でみようと思っていた。
その友達からの歌集が郵便受けに入っていた。
彼女の歌は何度も読まなければ解らない歌が多く、それで一日過ごした。
感情を表に出さない人だが、今度のはそれが出ていてよかった。
愛子さまご誕生祝歌に入選された歌も載っていた。
二月 八日
当分は返信出来ないと書かれていた孝のメールが入っていた。
「当方はやっと住むところが決まり、車も手に入り、生活環境が急速に整ってきました。
今週は移転したばかりですので、まだ生活リズムをつくる段階ですが、緊急の呼び出し
もありませんし、当直もありませんので、きちっとした生活パターンを作れそうです」
と記され、新住所と電話番号、職場の電話番号が書かれ、
職場はI would like to talk Takashi.を繰り返せば通じるのではないでしょうか。
とあった。
それから源泉徴収票の徴収額をメールで教えて欲しいとあり確定申告はこちらですると..
そして、裕美子の郵便物を送って欲しい、と皇太子の真似をして奥さんの名前を呼び捨て
で書いていた。
しかし渡米の前、メイドさんに来て貰わねば幼稚園の送り迎えが出来ないと言っていたが
祐衣ちゃんはどうしているのだろうか何時も書いているのが一言も書かれていないので、
気になった。
二月一日
明日はお正月から二度目の外出日だ。外出と言っても一つ先の駅の川西病院まで行くだ
けだが、其れがこの歳になると上手く行けるか不安になる。
幸い宏が送ってくれることになったので助かったが、そのため久し振りに髪を切った。
夜、帰宅した宏に鰆を焼いたので聞くと「食べる」と言ったのでビールを出し少し話をした。
(食事はしてくるのかどうか知らないが帰ってくるとビールだけ飲むので)
私のホームページが「外山きよ子」検索で出るようになったことや、「お前も有名になった
のやねえ」と言いながら「外山法律事務所」も四〇くらい載っていたことを。
二月二日
肝臓や腎臓など病院で超音波で診てのらったが異常なかった。
帰り、山下の駅前でおかずを買い日生でシャンプが切れていたのでジョイフルに寄った。
それでバス停まで戻るのもしんどく、ゆっくりと歩いて帰ったが陽が照っていたのと歩いて
いるのとででトックリのセーターの首の周りが汗ばんで気持ちよかった。
家の前で隣の奥さんに会い、池に填って身体を打ったので埋めて貰ったと昨日のクレーン
の話を聞いた。
外は暖かかったが家の中は寒かった。
2階に上がりパソコンを開けるとと孝からのメールが入っていた。
それにはやっと引越し先が決まったこと、アメリカでは超低所得者で、信用のない身分の
ため、アパートの入居も難しく、3週間かけて交渉してきたところに入居を拒否され、別の
ところを探し、4日には今のところを出なければならないところを3日から入居できることに
なったこと、家を探すのも、その場所へ移動するのも、交渉するのも、必要書類をそろえる
のも大変なことが書かれていた。
自衛隊員の給料がアメリカ人より日本人の方がずっと高いと聞いていたし、祐衣ちゃんの
幼稚園の送り迎えにもメイドさんに来て貰うようなことを云っていたので、向こうでは裕福な
暮らしが出来ると思っていた。それで其れを読み驚いた。治安の良いところを選んだこと
もあるが、それなら物価も高いのかも知れないと気になった。
電話は又、付け直さねばならずメールも当分返信できないらしい。
それから新住居が記され、其処に送って欲しいと3通ほどの封書が列挙されていたが、
沢山来ているのに、どうして3通だけなのか解らず、忙しいので良い加減に書いたのでは
と云う気がした。
二十九日
孝からメールがないので何かあったのではと電話すると、少し掛けただけで「その番号は
取り扱っていません」とメッセージが入った。
電話を変えたせいか海外へは掛からないらしい。
夜、宏が一時になっても帰ってこないので携帯に掛けると、後から、今から出ると掛かって
きて、二時に帰ってきた。今日は日曜でも締め切りの仕事があって皆、事務所に出て今ま
で残ってしたらしい。
三十日
朝、孝のことが気になり短い文でも入れて欲しいとメールした。
それから十時のヤフーのメッセンジャーの映像(顔)の見せあいには出てくるかもと小山も
二階に上がりトップページに出てきた表に孝宛メッセージを入れ待っていた。
しかし「孝さんはオフラインしていますので次回にお伝えします」と出るだけで、この前一回
出てきた孝の映像が出てこない。
小山が隣にクレーン車が来ているので、子供のようにそれを見い行きたいらしく「もう、い
いやろ」と降りていった。
それでメッセンジャーを閉じ、メールのところを開けると、「皆元気ですが このところ忙しく、
メールする時間がありませんでした。祐衣ちゃんが眠ってしまったので今日はテレビ電話は
お休みにします」と孝の短いメールが入っていた。
立ち上がり窓を開けると、ゆっくりと土を入れたバケツのようなものが降りてきて下に運んで
いるのが見えた。クレーン車だ。雨が降っているのに一日中、クレーン車は動いていた。
それで人間が運んだ方が早いのではと思った。
「何でも祐衣ちゃんで決まるのだ。あまやかしすぎでは」と私は独りで呟きながら忙しいって
何が忙しいのだろうかと又、孝のことが心配になってきた。
一月二十三日
朝起きると庭が雪で真っ白になっていた。
十時の孝との影像の見せあいは最悪で向こうの影像も送られてこなかった。
ログインされているのでというメッセージが出ていたがログインと言う用語の意味が未だ
良く分からない。それで「メッセンジァー」を閉じ、後から大分経ってメールを開けると「繋
がらないので次回に」と言う孝からメールが入っていた。このことについては、「どうして」
と言う題でメールし「そう言うことも良くある」と言う返事が来た。
宏も含めてだが税金の申告書やら孝夫妻の封書が郵便受けに破れないよう出すのに
苦労するほど入っていた。
一月二七日
アクセスが入らなくなったので一日掛かってホームページのおかしいところを直し、何年
振りかでZAQに再度、会員登録をした。それで今日は十一入った。
一月二十八日(土)
アクセスは六つ入ったが、この頃、普通の人が見てくれているのではない気が。
日住から宏にで、リホームが出来たのかマンションの鍵を取りに来て欲しいという電話が
あり、帰ってから分かるようにメモし電気の紐にぶら下げたが、明日は日曜だし、エアコ
ンでも買いに行けるのではと事務所に電話する。
一月二〇日
朝、洗濯をし、小山の入院費の振り込み票が送られてきたので午後、銀行まで出掛けた。
帰りサビエに寄りコロッケを買った。
夜、帰ってきた宏にコロッケが好きなので聞くと食べるという。それでビールを出し、来月
から借りる家のことについて聞いた。暖房機など買い入れたいのだが、リフォームがまだ
出来上がっていないと言った。賃貸なので応接セットなど買わないらしい。
「そのほうが。家は変わると家具が合わなくなるから」と相槌を打ち、「早く帰って貰って、
ご飯も作ってもらわなければ」と言うと、「夜は事務所で食べるようになるやろ」と言う。
知らぬ間に洗濯しておいてくれる全自動の洗濯機を使うようになったせいかもしれないが
今の世代は違うからと最近、少しは分かるようになったので「何にしても早く一緒に住まな
ければ」と言った。
一月二十一日
孝が、来たら送ってと言っていたシティバンクの封書が来た。
それから源泉徴収票の支払金額や源泉徴収税額もメールで報せてと書かれていたので
メールで打ったが思ったより時間が掛かった。それで今年は、忙しいのも良いかも知れな
いが、孝の郵便中継所の仕事で終わりそうな予感がした。
一月二十二日
米国へ持っていけないのでと孝が呉れたファックスの付いた電話機を宏が、前のを外し、
同じ場所に据え付けてくれた。
日曜日なので朝風呂を湧かしていたが電話を据え付けた後、宏が入い、そのあと昼前、
私が入り、夕方、寒いので湯を増やし追い炊きして私が又、入り、続いて小山が入り、夜
の十二時過ぎ、宏が帰ってから又、湯を増し、宏が入り、そのあと熱い湯が勿体なく私が
入り湯を捨てた。と言うわけで、みなで今日は六回、使われた。
明石に居る頃、六百円だった灯油が千六百八十円と来るたびに上がっているが、ガスと
水は安いので、お風呂が一番得な気がする。
一月一五日
孝からメールで、報せていた郵便物の処理の仕方のほか、昨日から電話が使えるようにな
ったと電話番号と、インターネットにも繋がるようになったので久々にビデオ電話をしましょ
うと、その日時を報せてくる。
それから、皆、元気で、だんだん生活物品が揃ってきたので落ち着いてきたこと、日本に居
るときより働く時間が少ないので体には良い生活になりそうなことなど。
一月一六日
こちらは月曜の午前一〇時、向こうは日曜の午後九時に孝の家族とビデオ電話をするが、
向こうの映像は見えたが、こちらのが上がっていて操作にミスがあったのか失敗で、次回と
なる。
それから、どうしているのかと妹にメールするが返事が無く、あれだけ長く習いに行ってい
たのにパソコンを使わなくなったのではと思う。
それで夜、電話すると毎日は開けていないけれどと言う。何もないのだけれど、お正月な
ので電話くらいはとしたと言い、
寒いので一日延ばしにしている弟の新築祝いに、もう行ったのか、聞く。日を調節するため掛けたら、暖かくなってからになったので四月頃一緒に行こうという。それで、そのことはそれに決まる。
一月十二日
検査入院で宏が小山を病院まで連れて行った。
アクセスが無い日が多くなってきたのでホームページを止めようかと考えていたが今朝、
二つ入っていたので、面白く無くなったからではと「メールごっこ」を新設することにした。
それで、アクセスカウンターやトップページへのリンクなど、めったにしない操作なので、
手が忘れていて付けるのに暇入った。
一月十三日
朝、洟が出ていたが咳が酷くなり風邪薬を飲む。
昼、パソコンを開けると孝からメールが来ていて、ずらすと夕方なのかグレイの飛行機
の機体と空をバックに画面いっぱいの祐衣ちゃんの写真が飛び込んできた。
向こうで買ったのではと思われるアメリカ色の服が彼女を一層、可愛く見せていた。
次に林立した高層建築を背に雪の上に立っている重装備の家族の写真が良く、皆、旅
行でもしているように元気で楽しそうに見えた。
特に兔の帽子を被った祐衣ちゃんが。それに裕美子さんが綺麗いで..
午後六時頃、爺さんから、「明日退院するので荷物を宏に取りに来て欲しい」と電話が
あり宏の事務所に掛ける。五時以後は切っていると言っていたが同志社の人に取って
貰えホットする。爺さんの検査の結果は良かったらしい。
一月十四日
朝からお湯が出ない。雨が降っていて風が強く、そのせいではと外機を見に行くと、機
械の上から水が垂れ、その下の窓のようなところに入っている。
それで、雨が止めば直るかもと待ってみたが小降りになったが湯が出ない。
昼過ぎ宏が爺さんを連れて帰ってくる。
水道のことを言い見てくれないかというと、「お前の使い方が悪いからだ、一日中使って
いる、あんな使い方をすれば壊れるのは当たり前だ」と帰って早々、喚く。
それで「そんならガス会社に言うわ」と電話する。
女将さんのような人が出て、帳簿を繰って調べ、「二年しか経っていないので直ります。
つかええていて月曜の午後になりますが」と言われ、ホットする。
しかし夕方になり雨が上がっていたので、ひょっとしてと出してみると大分長い間、水が
出ていたが、温かくなってきた。それで小山にガス会社に掛けようかと問うと「来てから
言えばよい」と言ったので、見て貰って置いた方がと、掛けなかった。
一月九日
暮れから北海道に行っていた宏が2週間振りに帰ってきた。事務所に寄っていたのでと言
ったが、こんな日くらい早く帰ってくればよいのに12時過ぎていて身体に応えた。
それで「2月1日には引っ越すのやろ」と聞くと、「何も買っていないのに、2ヶ月くらいあと
や」と言う。お金は旅行に大分要ったはずだし、一つ一つ稼いで買っていくとすれば、越す
のは何時になるのやろか高い家賃を払っていくのにと思う。
思う。
一月一〇日
小山が入院前の検査に森ノ宮の病院まで予約が十二時なので独りで行った。家では何も
しないので、其れくらいは出来るのかも知れないが。
1月十一日
六ヶ月に一度の眼底出血の定期検診に川西病院まで、宏の車に乗せて貰った。
病院で、「パソコンを打つとき、左の目を瞑るため血液が行かないせいか左がよく見えず
悪くなっているような気がするのですが」というと「検査ではどうもなっていないが使わない
からでは。その程度の悪化で、それくらいは仕方が無いのでは」と、思っていたことが当っ
ていた。
帰り、山下の駅前でおかずを買ったが、日生に着くとバスが出たとこで、寒いところで二十
分も待たねばならず、久し振りに荷物は重たかったが、ゆっくりと歩いて帰った。
それで帰ってから鱶のように眠った。
五日
三日に顔の見せあいをしたウェブチャットカメラのチャットの仕方が判らず孝にメールし
ていた返事が来た。その返事に、声は届きましたかと書かれていたので、あのとき喋っ
ていたのだと思った。そう言えば口を動かしていたような気がする。アメリカからなので
どのくらいの大きさに聞こえているかと思い、とあった。
昨日は動いて気持ちが良かったので今年は「動き」の年にしようと思ったが、今日は体
調が悪く、矢張り動いた翌日は休んだ方がと、一日だけの目標だった。
どのようなものでもそんなもので二日に友達が「何でも良いように取らないと」と言う言
葉も、今年の生き方にしようと思ったが、何一つしない小山に腹が立ち其れも止めた。
七日
孝と裕美子さんに郵便が来たので、その取り扱いについてメールした。
(そのご郵便は毎日のように来るようになる)
八日
全自動の洗濯機が未だ上手くこなせない。セーターを手洗いし、脱水だけしようとする
が脱水できたかと思うとすすぎのランプが付き、水を出し、同じことを繰り返している。
蓋の裏に何か書かれていたので読むと、洗濯物が傾いたときは、其れを正すために、
すすぎの水が出ることがある、と記されていたが、何度も繰り返すので悪戦苦闘した。
薄ものも手洗いし、脱水だけしたが其れも同じで、それは軽いために洗濯機が揺れるの
で、「揺れるときも傾く」とあり、両手で揺れないように押さえた。
十二時過ぎパソコンを開けると孝から郵便の処理についてのメールが来ていた。
それには、その他に、一月五日にボストンからプロビデンスまで電車で一時間掛けて、
移動したこと。二月の初めまで、そこに滞在すること、来週から仕事がスタートすること
国が違うので口に馴染みにくい料理と、英語は専ら裕美子さんに頼っていることなどが
記されていた。
このところ昼間でも二度(摂氏)くらいにしかならない寒い日が続いていて、青空なのに
細かい雪が時々ぱらついていたが、そのあと明日の朝の牛乳とパンのためコープへ行
った。
四日
梅田で会うようにしますと書かれていた東郷さんの年賀の返事を、遠出する自信が無く、
一日延ばしにしていた。それを今朝書き、出しに行くついでにコープに寄った。
行く路、北風が強く手が凍るようで子供の頃を思い出した。
投函は昼のに間に合ったが、帰ると一時を廻っていたので昼は、歳暮に貰ったソーセージ
と煮染めのこんまきと、数の子と蒲鉾と白菜の漬けものと朝の雑煮の残りで済ませた。
午後からは風が止まったが小山が庭に出て、手製の格好悪いニガウリの蔓を這わせてい
た藤棚のようなものを壊すのかと思うと新しい木材を追加して余計格好悪くしていた。
しかし心臓の血管が風船も通らないように固くなっているのに暗くなるまで外に出ていた。
其れが、益々元気になっていくようで、疲れたので一眠りしようと思ったが、動いた方が良
い気がした。
そんなわけでコープで夜は其れで済まそうと白菜と揚げと干し魚を買ってきたが、大根と
人参と昆布巻きしか出来なかった煮染めの続きをすることにした。
それで高野豆腐とこんにゃくとごまめと牛蒡の煮染めをした。そんなわけで、やっと煮染
めを一通りした。
それから孝夫妻宛の年賀がドッと来た。
一日は何もないようで何かあり一日経つとすっかり忘れてしまう頭で一日経ってから何か
あったような気がし、やっと思い出し三日と四日を書いた。
一月一日
朝から雲一つない快晴の天気で今年は寝正月をしようと思っていた居たのが孝から貰った
全自動の洗濯機の仕方を手に覚え込ませるために洗濯をする。
それから大根と人参とこんにゃくの煮染めをする。それで寝正月が働き正月になる。
二日
昨日の働き過ぎが祟って朝から寒気がして風邪気味で風邪薬を飲み休む。
アメリカに着いたと孝のメールが入っていて「一眠りし夕食を食べたが祐衣ちゃんが朝食と
思っている。明日、そちらの11時にパソコンで顔の見せあいをしよう」と書かれていた。
パソコンを打っているとき電話が鳴り、暗くなっていたので階段を最後の処で一段跳ばし恐
かった。電話は同窓会の尼崎さんからで、同じクラスメイトの東郷さんの主人が亡くなられ
たことを知った。夕方頃、体調が戻り、夕食に少し残っていた牛肉でハヤシライスの素が残
っていたので作ったが思ったより上手くできた。
三日
午前十一時、孝と打ち合わせていたので二階に上がりパソコンで自分の映像を出し、待っ
ていると孝と祐衣ちゃんの映像が出た。孝は祐生いちゃんと喋っているのか幼児のような
顔付きになって髪の毛が薄くなっているのに若く見えた。
それから祐衣ちゃんの顔がわっと画面一杯に出て裕美子さんも後ろに写って皆、生き生き
として綺麗。うちのは小山が後ろに立っていたので大きく写っていたが、野暮ったい爺さん
で見られない。私は目より上だけで、その方が良いので、カメラもそのまゝにしていたのだ
が「頭しか写っていないからカメラを動かすように」と孝のメッセージが入った。
それで少し動かしたが歳の分かる弛んだ頬が出たので又、素に戻した。
暫くすると三人は寝られると思われる大きなベットに寝ころんでいる祐衣ちゃんと裕美子さ
んの遠景が写った。カメラを動かし孝がアメリカのホテルの中を見せてくれたのだが、ホテ
ルに付いてホットしている家族の感じが出ていて私と孝の技術の差を思い知らされた。
然し大晦日には弱られていた裕美子さんが元気になられていて良かったと思った。
十二月三十日
孝から電話で「昨日は奥さんの実家に泊まり今朝、家に帰った。四時頃そちらに行く」と
言ってきた。それが業者に頼んだ掃除に時間が掛かり、七時頃になると再度電話で、
それもこちらに泊まる」という。
「それなら歳暮に貰った牛肉があるので、すき焼きでもよかったら」と外食することにな
っていたのを取りやめ、家で食べることになる。
そんなわけですき焼きを炊いていると七痔過ぎ、レンタカーで、こちらにやってきた。
車は乗らないでいて使えなくなった友人があり、まだ新しい大きな車を売ったらしい。
小山がすき焼きは煮ながら食べるもので早いと行ったが作っておいて良かった。
何時も向こうは7時が食事なのだ。
「出来上がっているのだけれど、もう食べる?」と聞くと「うん」と孝が言った。
私と小山は昨日食べたばかりでウナギ丼にしたが冷めてはと孝が嫌がったがキッチン
に来て貰った。味付けが気になっていたが、みな平らげて最後は孝が焼きめしにして
いたので良かったと想った。
食後、小山が隣の裕美子さんにしきりに話し掛けていた。
初めは元気だった裕美子さんの顔が青くなったので「上で休まれたら」と言った。
孝が「リビングで休んだら」と言い、祐衣ちゃんの汚れたものを洗濯機に掛けに行った。
裕美子さんの元気が出たらと私が洋服ダンスの棚や引き出しをかき回し宏に貰った財
布を捜していると祐衣ちゃんが付いてきていて、しきりに「何を捜しているの」と聞いた。
宏には前に貰った好きなのがあり二つも要らず、使ってって貰えたらと持っていくと、箱
の蓋を開けるなり「やあXX」とブランドの名前を云われ、財布は一目で気に入られたよ
うだった。
それから裕美子さんと祐衣ちゃんは上に休みに行かれ、孝と10時頃まで話した。
それで昨夜は裕美子さんが家族の人と遅くまで話し疲れられたことも判った。
明日は何時に出るのと聞くと「八時には」と言い、「一旦、家に帰り、五時の飛行機に乗
る」と言った。一回乗り換えで一三時間は掛かるとか。五日間はホテル住まいでその後
一ヶ月は孝の勤務先の近くを借りれるらしい。
その間に、そこが環境が良いとかで病院より八〇キロ離れた街の家を捜すとか。
裕美子さんが勤務するのは、そこえ移ってからで、そこではメイドの人に来て貰い、祐
衣ちゃんの送り迎えをして貰うらしい。其れが向こうの生活とか。
余談になるが私はそれで、クラスメイトが「アメリカに行った一人息子が帰ってから開業
し、奥さんも医者のため、女中さんを三人来て貰っている」と言っていた話を思い出し、
それも向こうでメイドさんの来て貰い方を覚えたからではと思った。何しろ向こうで三人
の子供が産まれたというのだから。
十二月三十一日
孝はこちらですると言っていたが裕美子さんは疲れて居られるだろうしと、七時に起き
てレタスを洗ったりハムを切ったりコーヒーを湧かしたりパンを焼いたりした。
歳暮に貰った三個分くらいある大きなリンゴを孝が剥いた。みんな起きてきて食事をし
、飛行機に遅れてはと「もう出なければ」と私が言い、ばたばたと旅だった。
凄く疲れていたのでお湯を沸かし風呂に入ったが、それでも疲れがとれず、今日は一
日、何もせずに過ごした。
十二月二十七日
昨日孝が券を呉れたこともありサビエまで出掛けた。
途中、ジョイフルでフライパンとペーパータオルと祝い箸を買い、サビエで土付きの白ネギ
が四本二百円であったので籠の入れ、その他、二千円ほど買った。
福引きは二十人ほど二列に来た時から並んでいたが大方が二十円の商品券だった。
夜、孝から電話が掛かり、据え付けてくれたウェブチャットカメラのテストをした。
家に居る祐衣ちゃんと孝が構えないので写真より自然に映っていたが向こうには私のが
映っていず、一旦、電話を切り、二階に上がり再度、挑戦し、映った。
そんなわけで声の方は次回と言うことで今回のテストは一応成功した。
そのあと妹から上の弟のことで電話があり、出血は痔だったらしいが、肺の方が術後、転
移性の癌と判ったこと、お腹が張り食べる気がせず、体重も二キロ痩せ四十八キロになっ
たことなど知らせてくれた。
それで転移した癌を手術されたことが気になり孝に電話で聞いた。
「それは一概に言えず、医者が判断し決めることで、転移性のものかもしれないと言うこと
は初めから分かっていて、そのことも考え手術をしている。判定と言っても全て百パーセン
トのものではない。痩せたのは手術をしたからで、大きな病院だから任せていたら」
と孝が云ったので少しは安心したが、転移性と言うことは他にも転移しているかも知れず
楽観できないと思った。
十二月二十八日
五痔前、洗濯機を取り付けに来てくれた。
そのあと弟に電話をし昨日、孝から聞いたことを言ったが、向こうの先生からも同じような
説明を受けて居たのか、弟は「自分は気にしていない」と声も元気で落ち着いていた。
しかし「これだけ生きれば」と言うので「二月にひろ子ちゃんに子供が産まれたら、もっと生
きたくなる」と言った。
それから「歳を取れば長生きすると言うことが仕事だから、手術のように出来ないことは医
者にして貰っても、あとの動いて体力を付けるようなことは自分でしなければ」と、犬のこと
を聞くと、「今寒いので暖かくなれば散歩に連れて行こうと思っている」と言った。
十二月二十九日
家分かったが初めて全自動の洗濯機を使ったが矢張り四十分掛かった。
二回目、靴下を十枚ほど洗った。そのときは付いて見ていたが何度も濯いでいるので次は
スピード洗いに挑戦してみようと思う。靴下はゴムのところが二足ほど解れていた。
それだけで昼の食事のあと食器や鍋を洗うと疲れて眠ってしまった。
十二月二十四日
明日、孝の荷物が来るので何時頃になるのか電話で聞くと、先に奥さんの方の家に行くの
で十二時頃になるという。一人で来るのかと思っていたら皆で来るらしい。
今年の正月は誰も来ないので掃除もしていなかったが、そんなわけで慌てて家中、掃除機
を掛けた。
夕方コープに行くが南北の路は駅へ往く車が通るので殆ど雪は解けているが東西の路は
雪が凍っていて大きなスコップで削り取っている人に時々出会った。それに、ざくざくと歩く
度に音がした。
コープの少し先のポストに年賀を入れ、安く買える券があったので沢山買った。
白ネギは欲しかったが三本百円のときもあるのに二本三百円もしたので買わなかった。
安いのは中国製と思うが中国も必要だと思った。
十二月二十五日
十二時頃、孝から電話で今から家を出ると言う。
奥さんの実家に寄ってってくるので三時過ぎになるらしい。それから大分経って奥さんの家
から、向こうではベットが入らないのでこちらに持って来ると掛けてきた。
そして三時半頃、アート引越センターから三人と孝一家が来た。
向こうに居る間、部屋は家具ごと借りて貰えるという話だったが、それは食卓と飾り棚、応
接セットくらいで思っていたより荷物が多く時間が掛かった。
孝が本箱に使っていた水屋は、垂水のダイエーでダントツに良く見えたので買って贈った
のだがリビングに持ってくると見劣りし、慎ましやかな生活をしていたのだと思った。
頑丈さから言えば宏の買った本棚よりしっかり出来ているのだがデザインがださく、部屋の
感じが変わった。
「本はどこに置くのですか?」と段ボール箱を担いだアートの人が言った。
「下に」と私は言ったが孝が「二階に」と言った。
キッチンに居ると祐衣ちゃんが入ってきて「霧吹きは使わないの?」と聞いた。
近頃はお湯で拭いて綺麗になっているので「綺麗から」と答えたが、霧吹きのことや、この
家のことをを覚えていたのだ。祐衣ちゃんは霧吹きが面白いらしく家に来ると使ったが使
いたかったのかも知れない。
裕美子さんは疲れているのかリビングで座ったまま眠っていたし、孝は荷物の置き場を告
げるため階段を上ったり下りたりバタバタしていて家中が落ち着かなかった。
ベットのマットはキングサイズで、三人掛かって階段と玄関のしきりの上を通して運ばれて
いったが、階段の幅よりも広いものがくねくねとくねらされ龍が上っていくようで凄かった。
ベットの土台も分解され、気が付いたときは上に上げられていたが、ベット一式で六畳の
部屋は一杯になった。
それで若い人の身体が削られたような気がし、それに引き替え歳行った男の者が遊んで
楽しんでいる世の中が不思議な気がした。
精算するとき、ミシンと洗濯機の下取りが何れも五千円と言われたのには驚いた。
ミシンは家のすぐ前がごみ置き場で、粗大ゴミの日、捨てれば無料なのに小山が捨てると
いうと反対するので孝に損をさせた。其れも私が弟に買って貰ったミシンなのに。
そのあとパソコンで顔が写って話せる装置を孝が取り付けると言うので二階に上がった。
祐衣ちゃんもいっしょに上がってきたが、壁に貼られた検眼の表を見付け、コレは何かと
小山に聞いた。
小山は的を射ない答えをしていたが、「祐衣ちゃんはこの字が分かる?」と聞いたとき、
「こちらは分からないが」とカタカナの行を指し「こちらは分かる」とひらがなの行を指した。
実際、祐衣ちゃんは、そのあと「とやま」とひらがなで書けた。
夕食はサビエの中の店に食べに行った。
そして孝らが結婚記念日にいつも行く中華料店の支店へ入った。
そこで各自が好きなラーメンを取り、その他に春巻きと豚まんと餃子を二皿ずつとビール
一本で孝が払い、向こうに云われたのか「明日これを持って行けば三千円で一回の福引
きが二回出来る」と収書を呉れた。
食器もアメリカに送ったらしく、冷蔵庫も裕美子さんの実家に行ったとかで、朝食は寒いか
ら牛乳も腐らないだろうと家で食べるらしいが、料理は家ではしなくなるらしい。
仕事はパートの処のが残っているらしく、三十日にもう一度来ると言って帰った。
十二月二十一日
大雪が降る。四時頃コープに行くが歩く歩道は雪で真っ白で、ざくざく踏んでいく。
十二月二十二日
雪が凍り車は昨日よりも危険な感じ。洗濯も出来ず大方二階に居る。
夜帰った宏に聞くと大阪は積もっていないが、この近くになって急に道路の雪が凍ってい
てスピードを落として帰ってきたという。家の前に雪だるまを作っているところもあり、うち
も、屋根の雪なども落ち一杯で、庭に作れば十個くらい出来るだろうと思った。
十二月二十三日
十九日にパソコンで年賀を印刷してみようとと文書スタイルを設定、挑戦したが、字がじ
じんで汚いので感熱紙になっているのかと思っていた。
それに下に頁の数字が出、消し方も分からず一日延ばしにしていた。
それを今日、ワープロで打ち直し印刷した。しかし字が出ず、感熱紙と違うことが分かり
インクリボンを入れ印刷した。
文面は何時もお愛想に短歌を入れるので印刷するのは、その面だけだが、心境もあわ
せた現況報告のようなもので
ご ろごろと手押し車を曳きたれば犬の飛び出て冬空に吠える
杖つきし頃も昔となりたれば只ひたすらに寒さに耐える
強風の吹ききて吾子を持ち去りて穴の空きたる心地し目覚む
魂の遠くにありてなき吾子の抜け殻のみの帰り来し九年
振り向かず前見て身体気を付けて渡米の次男にくれぐれ告ぐる
神々よ守らせ給え遺伝子の研究に行く亜子の家族を
と言った下手なもの。
表はいつものことだが半分に切り、上に宛名を書き下に新年の挨拶などを書いた。
十二月十八日(日)
朝、歳暮がドッと来た。一つは弟からで電話をすると静子さんに変わった。
お礼を言うと、弟が下痢をし、出血があったので病院に行き大腸の検査をしたと言う。
二十七日に結果を聞きに行くことになっているとかで弟に変わって貰うと、今、掛かって
いる肺の方の病院では痔ではと言われたらしく「儂は何とも思っていなにが、こいつが
怖がっている」と相変わらず気持ちがしっかりしているので「大丈夫では」と言うが、ど
うも無ければ良いのにと想う。
今日は弟より静子さんとは長いこと話した。静子さんは寒いので懐炉を三つして二階に
居たと言っていたが、どこでも寒いのだ。
夜、小山の弟にもお礼の電話をすると、奥さんが出て八時なのに寝ていると言われた。
お酒を飲んで眠ってしまったらしく、男は仕事を取られると寂しいのかも知れない。
十二月十九日
パソコンで年賀を印刷しようと挑戦したが出来上がったのを見ると字がおかしい。
郵便局で「ワープロだと綺麗に書けるし、字と両方、使える」と云われ買ったが、良くみ
ると文を書く方が感熱紙になっている。それで又、今年はワープロで印刷することにし
たが感熱紙なら字は消えていく。ハッキリと感熱紙と言われれば犬の絵の入った方を
買ったのに騙された感じ。今日は気温が上がらず一日何も出来なかった。
十二月二十日
朝風呂に入り弟の新築祝いに行こうと電話するが留守で場所でも聞こうと妹に掛ける。
場所は千里中央を降りたところで二分と掛からないと言い、妹は明けけてから行くとい
う。ミュンヘンはどうだったか聞くと、四人で行ったらしいが、ガイドの人が居て、未
の土地なので古い自動車や豚や鶏がいっしょに走っていて面白かったという。
行けるうちにと弟も妹も旅行に行っているが、私は小山と行っても喧嘩ばかりで面白く
ないから行かなかったが、孝の奥さんの裕美子さんに方々、連れていってもらったので
私は充分だった。
夕方、弟に、「今日、行こうと思い昼過ぎ、電話したが掛からなかったので、明けてから
寄せて貰う」と云うと、十時から二時まではアスレチックに行っていると言った。
私も八ヶ月ほどリハビリに行っていたが、あれも止められないしと思う。
十二月十五日
十二月も半ばと言うのに何も出来ていない。一ずつでも片付けてと遅くなってしまったが
年賀を買いに中央まで出る。近くまで来て霰が降り急いで郵便局へ行く。
年賀葉書は絵の入ったのは良いのが売れ切れていて一つ「ワープロでは、綺麗に書け
手書きも書ける」と奨められ、其れを買った。
それから年末にアメリカに立つ孝への選別を振り込み、買い物にサビエに駆け込む。
入り口の前で下着や長靴下が売っていたので色々買い、川西まで出なければと思って
いたのが助かる。
そこで時間を喰い、サビエの中をぐるぐる回っているうちにしんどくなる。
十二月十六日
新しく来られた人で自治会に入らない人があり、ごみ捨て場の掃除当番が、その人を
跳び越え私の処へ来た。今朝、その当番の終わり、ゴミ入れの道具を返しに行くと、
班長さんが来られ、「入らなくてもゴミは捨てられるのだから掃除はして貰わなければ」
と言われた。、何とかかとか言って逃げたら「班長だから責任があるので」、隣へ回そう
と思っていた当番の札を持って、話しに行って下さったので偉い人だと思った。
昨日、中央まで出たのが祟ったのか朝から寒気がして一日何もしなかったら夕方収ま
ってきた。小山も風邪を引いたらしく鼻を垂らしていたので、外に出たがっていたが今日
はじっとしている方がというと、矢張り夕方、収まったらしい。
孝から選別を振り込んだメールの返事が来ていて「助かります」と間に合うらしく、その
他に「パパさんもママさんも水をしっかり飲むように」というのがあり、小山に言ったが、
薬のせいで飲みたいという欲望が起こらないのか食事の際しか飲まない。
しかし私は脳梗塞になるのが嫌なので勤めて飲むようにした。それでもクーラーのせ
いで指先が乾燥し割れて裂け痛んだ。
家の筋向かいの宅地のススキが背丈ほど延び刈って貰いたいと役場に二週間置きくら
いに電話していた。それで「二回、手紙を出したが返答がないので管理をしている清和
不動産に話す」と云われていた。
午後、その結果を聞くと「個人のものは個人の管理に任せると向こうが言うので」と打ち
きりの感じで、腹が立って云わないで置けばと思った。
その管理を個人がしていないから話しているのに。
こんなとき、どこがやってくれるのか? ここは日生が開発したらしいが、そのときの宅
地の売買に条件があったはずと夜、帰宅した宏に聞くと、「又、おかしいことをしている
のでは」と言い、相手もお金が要ることだし協定書でもあればともかくと言う。
其れで家を買ったとき貰った協定書を出して見た。
外壁の色だとか、高さなどに制限があり、小さな字でぎっしりと書かれ、その他は建築
協定に依るとあった。それで弁護士なら建築協定も調べなければならないし、宏の仕事
も時間を喰う仕事なのだ、遅くなるのは永遠に変わらないだろうと思った。
十二月九日
夜、帰ってきた宏は食後、新聞を読み、話し掛けると声を出して読んだ。
其れで前に家で食事をしていた頃も、そうだったことを思い出した。
お風呂を沸かすのも、長い間入っているので眠るのが遅くなり良くないし、宏も来週から
食べてくると言った。私も前のように働けなくなっていた。
そんなわけで、もう世話をしてやれないのだし宏は家を捜しているが、どこへでも行けば
という気持ちになった。自分のことより子供が独立する方が大事だし..
十一月十二日
午前中、洗濯をしてコープに行った。
受信メールが沢山になったので、仕方をすっかり忘れてしまったがインターネットの本を
繰ってフォルダーを作り整理した。そして、メールを始めた頃、孝とやりとりしたのを入れ
て置いた古いフォールダーを思い出し、パソコンの中から捜し、開けてみた。
本音で書いていて面白く、「メールごっこ」と言う題で本に載せたいと思っていたが、その
前に推敲しがてらホームページに載せてみたいと思った。そのようなわけで私から孝に
出した送信済みのメールもフォルダーを作って整理した。
十二月十三日
パソコンを打っているとピンポンと鳴り歳暮かと降りてみると銀行の人で小山の誕生日
のお祝いを持ってきて下さった。
私は十一月に誕生日の日に貰ったが、小山のに来られるときは、もう少し増しな格好を
しなければと思いすっかり忘れていた。十日の小山の誕生日も知らぬ間に過ぎていた。
昨日も今日も四度くらいまでしか気温が上がらず、お正月が迫っているのに何もしてい
ない。工事の車が来て家の前の道路が壊され新しいアスファルトになっているというの
に。
ホームページのアクセスが無くなってはと、ヤフーのサイト登録申し込みに挑戦したが、
難しいこともあるが、トップページを直してからと途中で止めた。
年賀状も未だ買っていないのに気温が低く病気になりそうに体調が悪い。
十二月六日
小山が森ノ宮の病院に行くと言っていたので昨夜、宏に頼みメモして置いが小山はメモを
見ながら七時頃、独りで出掛け、二時半頃、帰ってきた。
胸が圧迫されると言ったらしく、一月十二日の検査入院の前の六日に超音波、十日にも
他の検査を受けに行かねばならなくなった。
十二月七日
夜十二時、「仕事を終わったところで今から帰るが一時間十分掛かる」と宏から電話、
「お風呂があるけど」と言うと、「疲れているので止めとく」と言ったが、帰ってきて車から
出たところで聞くと、身体を震わしながら「入る」と言った。
風呂に入ってから「豚の味噌炊きがあるのだけれどを食べる?」と聞くと食べると言い、
話しているうちに「近所の人と話さないと」と説教を始めた。
このところ家で食べるようになり、家庭が戻ったような気がしていたが私を普通の人の処
まで引き上げようとしている感じで腹が立ってきた。
小山を宝塚の病院に顔見せに連れて行くため明日の朝早く孝が来るというのに後片づ
けを済ませたら三時になっていた。その前にレタスを載せたパンも作らなければならなく
私の方が小山より早く死にそうな気がする。
十二月八
八時半と言っていたが九時に孝が来て、小山を東宝塚の佐藤病院に載せて行った。
そのあと荒ゴミを捨てに出ると、宏が出たあとの駐車場が隣の落ち葉で一杯になってい
た。それを掃き、昼に孝が帰ってくるのに間に合うよう、お豆腐や糸こんにゃくをコープ
に買いに行き、歳暮で貰った牛肉ですき焼きを作った。
病院は検索で調べたが平成十三年六月に開院になった百六十六床の新しい大きな病
院で、前に森ノ宮に居られた先生が、先に頼んで置いて戴いたらしく「奥さんから電話が
あった」と言われ、小山のことも前の病院で診て貰ったことがあり覚えておられた。
病院では前の病院から預かってきたビディオを見、超音波も撮り、その他の検査もして
貰い、小山は孝らがアメリカに行っても、緊急のときに診て貰えるようになった。
十一月三十日、
身体が寒いのでお風呂でも沸かして温まろうかと、その前に家の前や裏を掃除せてと箒で
掃いていると身体が暖かくなって湧かさなくても済むようになった。
掃除の最中に車が止まって牛肉の歳暮が来た。
寒くなったので下より大分暖かい二階のパソコンの部屋に居ることが多くなった。
十二月一日
風呂の床の敷板が古くなっていたので気になった居たが思いきって駅の方まで買いに出掛
けた。四時になっていた。外に出ると、直ったのかと思っていた左膝がおかしい。
市販のサポーターはしてきたのだが手押し車を引いているのに足が頼りない。
それで左足を浮かすように歩いているうちに良くなったのか足のことは忘れた。
ジョイフルで風呂の敷き板を買い、サビエに寄ったら野菜の安売りをしていたので店の手押
し車の籠に入れているうちに沢山買ってしまった。今日は歩いているうちに良くなったもの
の、折りたたみの杖は重いが買っておいたほうがよいのか解らなくなった。
十二月三日
昨夜宏がシャワーを浴びなかったので朝、風呂を沸かし宏が入ったあと入った。
歳暮を貰った人に礼状を三枚書いた。字があっちへ行ったり、こっちへ行ったりして母親が
書いたと一目で分かるとしても、どんな母親だと思われるだろうかと思った。
午後、妹に日曜に孝と見舞に行ったことなどメールしたら夕方、返事が入っていた。
十七日に手術に立ち会った妹は、私らが行く前、二十二日の三時過ぎに又、行ったらしく、
そのあと下の弟が来、五時過ぎ奥さんの静子さんが来て長い間話したらしい。
下の弟はこないだ掛けたとき、日曜に行ったと言っていたので何度も行っているのだ。
妹はミャンマーに一週間ほど旅行するようなことも書いていた。
十一月二十八日
昨日のお寿司が残っていたので昼、「お寿司でも良いやろ」と言うと、「みそ汁でもあれば
食べられるが」と言った。お寿司は三時間ほど掛けて作ったのだ。
其れを、いくら残りと言え、一つ一つの言葉がそうだ。人によって言葉を換えているのだ。
「みそ汁を作ってくれないか」とどうして言えないのだろう。すましは作ろうと想っていたの
で作ったが、衰弱しているので魚を焼いたりして、ここまで快復したのを、世話をするのが
しんどくなる。
しかし朝からお風呂を沸かし、昨日入ったので身体を温めるだけにし三回入ったので薬は
入れてないが、温泉に入っているようで身体の方は、一日ほかほかと気持ちよかった。
十一月二十九日
夜、マンションを買った下の弟に、お祝いに行きたく、何時頃行ったらよいか電話した。
水泳などに出掛けているときがあるので来るときは電話して欲しいと言い、十九階の一番
上なので、大阪が一望に見えると言った。
(弟は前に持っていた千里の分譲住宅の建て替えで子供と同居したく広い7.500万円
のマンションを4000万追加で買ったが、同居は5年後になるらしい)
日曜に兄貴の処に行ったら「来てくれた」と言っていたというので、「私が」と言うと、孝の
方で、嬉しかったらしい。そう言えば私は車に乗っていっただけだった。
癌はまだ見付かっていない?と聞くと、手術する前からあったと言う。今は肺もファイバス
コープのようなもので見られるらしく、3.8センチと1〜1.5センチの二つの癌が見付か
ったらしい。肺活量のことと思うが、其れが手術後に四〇以上無ければ手術は出来ない
が弟の合、39.8とか、ぎりぎりで出来たと言うことも、妹からも聞いたが、みな、しっかり
と頭に入った。
今は手術の四時間後から先生と看護婦さんが付いて10米か20米から歩き始めると言
う話も。その方がずっと経過がよいらしく、詳しく知った。
「しかし、51キロとか言っていたけれど痩せすぎでは?」と言うと「手術前は50キロを切
っていた、手術をしてから太ったほどで」と心配ないような感じ。
「水を飲まんとあかんのに、昆布茶なら飲めるというので病院の近くの店を探したが売っ
ていなかったので家の近くで買って持っていった」と、自動車が乗れなくなっているのに、
「そんなら、それを飲んだら」と言っただけの私とは違うと思った。
退院は火曜日と言われたが、ひろ子ちゃんの主人が木曜日が休日なので、車で迎えに
来てくれるため木曜日になったと言うようなことも言った。それで、ひろこちゃんのところ
とも、うまく行っているのだ。主人も良い人で良かったと思った。
そんなわけで久し振りに長い間話して、電話だが会ったようで今度行くのが楽しみにな
った。
下の弟は出来るうちに行っておかないとと、一年に7回くらい旅行しているらしく、私より
元気な感じで、それも良かったと想った。パソコンで毎日、文を打っているので頭の方は
私が一番、元気だと思うのだが。
車に中で「肺に癌が有ったのかしら」と私が言うと「素人はそうだから」と孝が云った。
「疑かったら取る。胃の場合は手術の前に調べられるが」とこの子は言うが消化器の
方だからハッキリしたことは?
病室に入ったとき弟はテレビの競馬を観ていた。
ベットの側に腰掛けていた弟嫁の静子さんが「見せて貰った。固かった」と言い、「あの
堅さは一度、触ったら忘れられないですよ」と孝が云った。
それで固かったら、癌でないのに取られたのではなかったと思った。
弟は15センチ切ったと言い、手術の跡を見せてくれたが、はや肌の色と同じになって
いる。胃の手術の跡も見せてくれたが、それも10センチほどだった。
前に入院していた際、刀きずのような手術の跡のある人が居るとかで、お風呂に入ら
ない人があったので、手術の跡というものは、そのように恐ろしいものかと、自分の身
体に跡が無いことを幸福に思っていたが、こんなものなら別にと手術もそれほど恐くな
い気がした。
「左の上の一葉を切除しました」と孝に弟が言った。
「若い人は骨に弾力があるので、骨を拡げ」と両手で拡げる格好をし、「その間から肺
葉を切除出来るのですが、私は歳を取っているので肋骨が二本折れました。
その前に胃からの転移を調べる検査もして貰いました」
「それもやってもらったのですか?」と孝が。
「先生が変わり、前は六ヶ月に一度だった検査が三ヶ月になって」と、其れも幸いした
らしい。
「それでリンパに癌はなかったの?」と私が聞いた。
「未だ判らない」と弟が言ったが、抗癌剤は服用していないらしく、今のところ見付かっ
ていないのだろう。
そんなわけで痩せていたが元気だった。
弟は手術が午後だったので翌日からだったが他の人は術後、四時間で歩かされるら
しい。そんなところが私立の病院らしく、進歩していると言うか、そこまでやってくれて
いる感じだった。
一時間ほど話して休憩室に移った。そこで他の話から母親の話が出た。
「男と女は感情が違う。男はお金を出していたらよいと思うが」と弟は言い、
母親が病気になったとき妹が行っていたが、終わりごろ自分が行くと、「少しも来てく
れなかった」と涙を流した。それを見て次の時から毎日行くようにした、周りの人が優
しい息子さんだと..」と初めて聞く話を。
若い頃は涙など見せたことのない気丈な母親だったが歳取ってからは、やはり誰でも
なのだと、自分の知らない母親の話なので、良いことを聞いたと思った。。
ひろ子ちゃん(弟の娘)が定期を買って毎日来てくれているとか、そのひろ子ちゃんに
二月に子供が産まれるとか言う話も良い話だった。
帰り、車の中で毎度のことだが孝が絡んできた。連れて行ってくれたのだしと、それを
上の空で聞いていたが、帰ってから腹が立った。
小山のことは一緒に居る宏には、あうんで判るのだが、そして朝まで話していても良い
ほど意気投合するのだが。
十一月二十七日
朝から五目寿司を作る。
昼前、孝が来て食事をしたあと小山の心臓の図面についてついて聞く。
点線の処は血液が通っていないと思っていたが、そうではなく、丸くなっている心臓の
片面から見た図なので、その裏側の血管だと言う。
それで一枚ずつ聞く。
図面@ 1998.2.26日に緊急入院(エッセイU 心筋梗塞に)したときの・
右冠動脈 風船 とあり、左回旋枝の根本も殆ど詰まっていたが右回旋枝から自分で
バイパスを造り血液を送っていたので、それは四.八日に直すことになる。
この日、三本ある血管のうちの二本が詰まった。
A 1998.4.8日
2.26日にに予定していた左回旋枝の根本をロータブレーター+風船+ステントを。
ステント内の亜急性閉塞 @脱水 A感染 B運動(過激な仕事)に注意
B 1998.7.8日の検査入院
前にしたステントの再狭窄なし。しかし最初の二月の心筋梗塞の際、風船で膨らませた
ところが再狭窄していたので、その箇所と、その少し先の箇所を風船で膨らませる。
それから同じ右冠動脈の根本の新しい狭窄部分をアテレクトミー(カッターで削る)。
そして最初の緊急入院から7年六ヶ月後の
C 2005.10.1日
胸痛でニトロを三度、飲むが痛みが持続、緊急入院で左前下行枝の根本近くにステント
を填め、一ヶ月後、再検査するが再狭窄無し。1998.4.8日にステントを入れた左回
旋枝の根本の狭窄は触ると右も詰まる危険があり放置
とやっと判る。
そんなわけで、今度は今、詰まり掛けている前にステントを填めた部分の血管の血の
通りが悪くなっているので隣の血管からバイパスを自分で造っていっているのではと孝
が云った。
そのようなわけで、今度発作が起きればどうなるか判らないと言うことにはかわりない。
今までのように綺麗に直すことが出来ないので。
長くなるのでそのあとの弟の見舞は次回に。
十一月二十五日
日曜に孝が来るので玄関や家の外を掃いた。
それから青空文庫のホームページを開けた。有効期限が五十年から七十年に延長になるか
も知れないと言うことでざわついていた。それで、そのことについて憤慨しているところを読ん
で時間を喰ったが最後に太宰治の「秋」を見て得をした。
そして、こんなところにリンク出来たらなあと、リンクの頁を開けクリックしたが、殆どの人のが
出てこなかった。
今日は疲れたのか、そのあと眠ってしまった。
小山は私より元気だったので心臓が鉄で出来ているのかも知れないと思った。しかし嬉しそ
うな感情は未だ戻ってこない。
十一月二十六日
あす、孝が来るのでお昼、五目ずしでも作ろうと材料を買いに行き戻ってきたら昼になってい
て、食事を作ったら疲れてしまった。小山は恐ろしく元気になって金槌を打っていたが顔付き
もしっかりして、もとのように威張るようになった。
それでも 「孝の家に電話を掛けると祐衣ちゃんの声がして、家族があった。宏にだってと思
うと宏が去ってしまうのも」と話すと、しっかりとした顔付きになっていて聞いている。
もう大方直っているような感じだ。
孝の処は家具付きで借りて貰える人が見付かって、こちらに、それほど運ばなくても良いよう
になってと言う話もする。しかし、今年の冬はどこへも行かない方が良いのではと言う。
夜、一時までパソコンを打つ。
十一月二十二日
小山が「夜、寝ているとき息が苦しいときがある」と言ったので昼は元気だが夜、悪い方
がと、昨日も出して置いてくれと言っていたが上の空で聞いていたスプンに箸箱、吸い飲
み、湯飲み、急須等、ビニール袋に入れて渡す。
十一月二十三日
庭から部屋を除くと小山が広縁の天井に棚を造っていた。
見ると天井に六十号の画を既にぶら下げていている。あちこち家の柱にくぎを打ちつけ
入り口も狭く改造しているが、柱と言うものは家を支えるものなのに、生きていたら、ど
んどん家が壊されていくようで、死んだ方がよいのではと迷う。
今日は買い物に行っただけで天気が良いのに昨日、仕事をしすぎたので疲れて洗濯も
出来なかった。
小山は顔に表情が戻ってこないので、矢張り死んでいっている感じがする。
宝塚の不動産屋と言って弘に電話が掛かってきた。手紙を送ってもよいかと聞いたので
丁寧な言い方だったし弘の知った店なので「はあ」と答えたが、こんなとき宏は、やはり
出ていくのだろうかと思った。
十一月二十四日
小山に表情が少し戻ってきた感じだがかんしゃくもちのよう顔で戻らない方が良かった
ような感じだ。
今日は空が晴れて風もあり気持ちも良いので洗濯を二回した。
午後、長いこと開けなかった青空文庫をこないだ開けアンデルセンの「赤い靴」を読み
始めたら止められず終いまで読んでしまったので、今日、「小夜啼き鳥」を読み始めたら
又、止められなくなって、終いまで読んだ。
読んで時間が損したと思わない作品だった。それでアンデルセンが好きになり、若い頃、
愛読した森鴎外訳の「即興詩人」を開けた。初めの書き出しから、うっとりするような名
文で、その文の書き出しをを覚えていたのに驚いた。
長いので読むことは出来ないが、森鴎外が九カ年掛けて訳したとあり、そのくらい掛か
るだろうと思った。
十一月一九日
小山が歯が悪いので流し込まねば食べられず、余命も少ないので、汁物を作ったり、お粥
を作ったり、野菜も生は噛めないので炊いたりしてやっているため過労になったのか風邪
気味で体調が悪い。そんなわけで小山の方が元気な感じがする。
あまり元気なので再度、図面の書き方が悪いのではと前のものしか私の手元にないので
其れを出してみた。前のも冠を填めた処より向こうの血管は点線になっていた。
しかし、その図面は手術をする前のもので、「ここから血液が行かなくなっていたので治し
冠を填めました」と、言われた記憶がある。
だが今度のは明らかに術後の図面だ。それでもう一度、裕美子先生(孝の奥さんで循環
器専門)に、聞かなければと思った。
上の弟の見舞と下の弟の新築祝いに行くのか宏に聞いたら、彼女と一緒に行くと言った。
忙しいかったからで、みな(祝いを貰い、そのまゝにしていたことなど)気にしていたのだ。
昨日、パソコンの印刷が出来なくなっているので宏に看て貰ったが直っていなかったので
電源が付いていないのではと言うと、矢張りそうだった。
それで電源の付け方も知らないので呆れていた。
先日、電気会社からメーターを取り替え来たが、そのあとあと風呂が温まらず、看ると裏
口に取り付けた温度設定の器具が切れていたので印刷機もと思った。
いつもしているコピーアンドペイストやリンクなどは出来るのに、滅多に使わない難しい漢
字の出し方も出来なくなっていて、しないでいると忘れていく頭になっている。
切れている蛍光灯を頼んだら外し、買ってきてくれたりで、このところ宏との関係は良くなっ
ている。
十一月十七日
東京の弟さんに掛けたらと云うと「今掛ける」と小山が立った。
それから、「今年の夏、暑いのでじっとしていたのがコレストロールが付き、悪かった」
と聞こえてきた。分かってきたのだ。
だが「とにかく動かんとあかん。動くことや」と病人に奨めているのは。
「俺の方は完璧や。定期的に掃除をして貰えば良いだけで。しかし歳を取ると手を抜
かれるところもある」と、直せる限り直して貰っているのに、それで動けるのに何も解
っていない。
それに夏の間、じっと寝ていたのは歳のせいと思っていたが怠けていたのだ。
十一月十八日
夜の十時過ぎ 妹から「今、帰って食事をしたところ」と電話があった。
「兄8私には弟)の手術は三時間半ほどで、本人は未だ病室に帰ってこないが取った
のは左の一葉、腫瘍の大きさは四センチほどに見えたがそんなに無いと言われた。
(手術前の検査軒録では三.八)
隣接するリンパも摘出されたがガンがあるかどうかは後から調べるらしく、癒着も少
しあるとか。肋骨が二本ほど折れたが其れは直るらしく、その他に治療中の虫歯が
折れたらしい。
出血は殆どなく、従って輸血もなく、癌はAからDまでの階級があるとして、そのそれ
ぞれに1.2があり、Aの1は三センチ以下でリンパに転移無しのものとか。
CやDは手術不能のものとか。弟の場合、転移していれば抗癌剤を飲むことになるら
しいが今は飲んでいない。
しかし痩せていて体重が五〇キロ台で、手術の際、足に填めるものが男女共通で、
SSからLLまであるうちのSだったと言うようなことも言った。
しかし肺ガンは予後が良くないと言うようなこともいわれたらしい。
胃癌で三ヶ月毎に通院していて三月に肺に白い陰があると言われ、六月に其れが
ハッキリしてきたのでCTを奨められたが、断ったとか言うようなことも言っていた。
妹は普通は受けるのにと言ったが、私は自分が言われたら断るだろうと思った。
帰りしな嫁いでいる娘のひろ子ちゃんがバイバイをすると薄目を開けていたとか、
妹が帰る頃は未だ完全に麻酔から覚めていなかったらしい。
それで土曜か日曜に行くことになっていたが今週は子供の都合が悪く来週になるこ
とを言うと「二週間、入院しているので」と言った。
それから、ひろ子ちゃんに子供が産まれるとか、下の兄(私には弟)が、ボリープを
三回取ったとか、新しいマンションに荷物は未だだが身体は越している、しかし五年
ほどは長男夫妻と同居しないとか話してくれた。
あれほど同居を楽しみにして一番広い部屋を購入したのに、矢張り若いものはと、
うちの宏だけでは無かったのだ。
十一月十二日
上の弟が肺ガンで月曜日に入院することになったと下の弟から電話が掛かってきた。
滝井の関西医大病院で水曜日に手術をするという。
そのあと妹に知らせようと掛けたら昨夜、下の兄から掛かってきたと言い、近くにいるの
に話をするのも久し振りで大分、話した。
十一月十四日
小山が梯子に登り入り口の松の剪定をした。しかし顔に表情が無くなっているのが戻っ
ていず、頭はおかしくなっていないが、完全に回復していない感じがする。
十一月十五
今朝早く妹から「手術が金曜の朝八時に延びたこと、それで妹が行くことになったことな
ど電話があった。今は手術のあと、すぐ歩かせられるらしく手術の立ち会いと介添えの
付き添いを兼ねて行くと言う。朝八時は早く一日中なので身体に自信がbなく、私はあと
から行くと答えた。
それで孝に術後、動けるのか、何日に一緒に行ってくれるのかメールで聞いた。
手術の後すぐに歩けると言うことは聞いたことがありませんがと返事にはあり、見舞に
行く日は土曜日か日曜と書かれていた。
今日は久し振りに青天で風量も多かったので沢山、洗濯をした。
それから、小山が松の隣の樹を五本ほど剪定していたので伐った葉や枝を片付けた。
そのあと鋏を樹の枝の葉の上に置き忘れたというので、あちこちの方向から眺めたり
時間を損した。小山は五本ほどある高い樹に一々長いはしごを掛け、上ったり降りたり
して、半分になった心臓で三十分ほど探し回っていた。
それから大分して行くと、一番、下の手で届く葉を指し、「この上にあった」と言った。
お陰で買い物に行く時間が遅くなり薄暗くなってから他の用事もあって駅の方まで出掛
けた。途中、変な男がフラッシュをたき、家を撮して廻っているのに出会った。
改装業者ならまだしもだが、空き巣のバイトも居るかも知れないし、前にも二度ほど見
たことがあり嫌な感じがした。
久し振りに買い物をしたので手押し車に一杯とスーパーの大袋に二杯、買ったが、バス
を降りてからは重い袋を車に引っかけ、上手く帰った。
十一月十日
孝から「おめでとう」とメールが来て自分の誕生日に気付く。
それから又、忘れ、銀行の人が誕生日祝いを持ってきて下さり思い出し、十一月になれば
来られると思っていたが、当日に来られたのに驚く。とすれば毎年、来られたのは当日だ
ったのだろうか?
それで今日は誕生日なので何か何かおいしいおかずでもと思い夕食の買い物に行き又、
忘れ、いつもの安いものを買って帰る。
十一月十一日
血液検査に病院に行く。採血のとき、生年月日を言わされ「十一月十日と言うと昨日誕生
日だったのですねえ」と又、言われた。
採血のあと久し振りに食堂に行った。中は満席で「ありがとごっす」と顔を見ないで女の子
が運んでいた。顔を見て運び上手くなっていくというのをテレビデやっていて自分もそうしよ
うと思ったが、その子を見て見ないのが良い感じがした。
お水とおしぼりがなかなか来なかったが下を向き「おそくなったね」と言って置いていってく
れ又、良い感じがした。ここの定食は評判が良く、皆、定食を頼んでいた。
特に今日のは八宝菜が家でも作ってみたいと思うほどおいしかった。
診察は採血の一時間あとになるので廊下の椅子に座り待っていた。
そのとき隣の人に「検診から肝臓で来ていますが半身が凝るので、その方が心配なので
すが」と話すと、そのことを言わなければと言われた。
しかし「又、違う先生のときに来なければならず、遠いので」と、私は言った。
そして、今日から先生が変わるで不安だったが、呼ばれて入っていったとき感じの良い先
生で一目で安心した。
「阪大の医者と書いてある」とその先生も言われ、「自分も阪大にいたことがあり、教えて
貰った」と孝のことをよく知っておられ大分話した。
それで云わないで置こうと思っていたことも言い、じっとしているのに手の小指が動くと誰
にも話したことがないことまで話した。
そしで脳梗塞の方が心配で子供が首の超音波の予約を取ってくれたことを話すと、それ
ならMRの方が良いと、阪大でもこちらでもと言われた。
「子供と相談します」と言ったが、悪いところを一つずつ直していきたいと前向きの気持ち
になった。
そんなわけで今日は行くまでは不安だったが、とても楽しい日だった。
なお、これはどういうことか孝にきかなければ分からないが、肝炎ウィルスの数が、正常の
数値に減っていた。
そしてCTの予約が無く、先生が忘れられたのかと思い看護士さんに聞いたが、そうでなく
超音波だけになった。
十一月八日
九時過ぎても起きて来ないので死んでいるのではと襖を開けると未だ寝ていたが「昨日は
お前が買ってきた布団でひどいめにあった」と言った。
やはりおとなしいのは一日だけだった。「お前の買った布団は初めは温かかったが寒くて
眠れなくなり前の布団を下にし靴下を穿いたら、やっと眠れた」と言うのだ。
初め温かかったなら布団のせいとも言えず、靴下も冬の分厚いのを二枚穿いたというの
だから、眠れたのは、その靴下のためで、前の布団を下にしたせいとも言えないのに。
その日は青天だったせいもあるが、自分の部屋の前を藤棚の藤の変わりに簾で覆ってい
たのを外したり、樹の葉を少し剪定したり一日、外で動いていた。
それで良くなったのかと想ったが、小山が貰ってきた心臓の検査の結果の図面を見た驚
いた。前にしたところは今回は手を付けない方が良いので触られなかったと言っていたが
根本から血管が点線でしか記されていず、血液がそこから行かなくなっていたのだ。
其れで触っても仕方がなかったので、もう一本の方も真ん中から点線で、完全なのは、こ
の間、冠を填め、直して貰った一本だけで心臓の半分は死んでいたのだ。
生きていると言うより死んでいって居るという感じで、人はこんなになっても生きているの
だろうかと驚いたのだが、本人は無知なのか、悪い症状が無くなったので治ったと思って
いるのか至って元気で、それを見て余計、哀れな気がした。
十一月九日
今日も一日中、庭に出て仕事をしていた。
入院する前は朝、食事をすると部屋の真ん中に1の字になって寝、昼、食事を済ますと又
「気を付け」の字になって寝ていたが、半分でも手術で余程通りをよくして貰ったのか、体
が小さいので、それでも生きていけるのか、朝、食事を済ます、直ぐ庭に出、昼食も済ます
と休憩することもなくまた庭に出て、そのあと一キロある駅の近くの店まで買い物に行き、
帰り路で下痢をしたとかで、帰ってから洗濯をしていた。
そんなわけで、死に向かってゆっくり歩けばよいのに、走っているようで、自分も血液の循
環が悪いのか足の指の感覚がおかしくなったりで、競馬の馬のように、その後を追ってい
る気がするのだが、いつのまにか、そんな歳になったのだ。
しかし、小山の生き方を見ていると教えられる気がし元気が出てくる。
十一月五日
渡辺さんの奥さんから「小山の妹の玲子さんが肩と胸が痛み整形に行ったら内科の病気と
云われ十月二十日に入院した。心臓が悪いようだが五カ所ほどが悪く、手術が出来ないの
で点滴をしている。軽い脳梗塞もある」と電話があった。
そのあと小山の弟からで「昨日大きな病院に入院した。軽い脳梗塞だが二ヶ月掛かると妹
の主人から知らせが..」と電話があり話が大分違った。
十一月七日
朝、宏から電話で小山を迎えに行く、と。孝が行くと言っていたので孝に掛けてと云った。
そのあと孝から兄に行って貰うことになったと話が付いたらしく、十二時過ぎ、宏が小山を
連れて帰ってきた。
妹さんのことについて話が違うので小山に掛けて貰った結果、初め(二十日)近くの伊作の
病院に入院したが、大きな病院に行った方がと云う人があり、診て貰ったのでは。そこで言
葉におかしいところがあり、脳梗塞ではと云われ一昨日、その病院に移ったのではと小山
の解釈でやっと判った。
小山は「発作は入院中、一度もなかった。然しカテーテルをする際、尿道に管を通すのだが
そのとき痛み、その後、前立腺が悪化、尿が出ず、お腹がパンパンに腫れ苦しんだ。
其れで泌尿器科に行かされたが、そこでも管を通すのだが、その先生は上手く全然痛まず
大量の尿が出た。そんなことで入院が二週間ほど長引いた。心臓の方は未だ悪い箇所が
あるので来年の一月に又、三日ほど検査入院をする」と云うようなことを云った。
今日は病人が動いてはと、肩がきんきんの凝っていたがベットのメイキングをし、昼食も久
し振りに皆で食べ、小山も庭に出ても眺めているだけだった。
十一月三日
ピンポンと音が鳴り出ると阪急からで通販のチョッキが来た。
こしのひろこの羽毛のホームチョッキで、男女兼用なので小山に買ったのだが、包みを開け
てみると箱に入っているが紙みたいに軽いチョッキが出てきた。
着てみたがさすが「こしのひろこ」のデザイン、裁断が良い。
縫製も丁寧で阪急だけのことはと思ったが、紙を羽織っているようで、格好良いけれど少し
も温かくない。申し訳程度にしか羽が入っていないのだ。
やはり通販は? それに八千円では? これでは私が着るより仕方がない、玄関でチャイ
ムが鳴ったときでも羽織ってと椅子の背に掛けて置いた。そして
十一月四日
肌寒く肩が凝るのでこんなものでも羽織らないより増しと昨日、椅子の背に掛けて置いたチ
ョッキを羽織った。すると自分の身体の体温で寝ていた羽が膨らみ、ほこほことしてきて肩
の凝りも和らぐ感じで離せなくなった。
それで、このところ外に行けないので立て続けに申し込んでいたが、通販も、行って捜した
りする手間も省けるし、もうあまり生きていけないのだし要るものは買わねばと云う気にな
った。値段だけの価値はあるし、通販は、次回から買わなくなるのであまり悪いのは置いて
いない感じもするし。
今はパソコンで買う人が多いらしいが、まだ、そこまでは出来ないが、そのうち必要なとき
が来れば、それも出来るようになるかも知れない。
七時を大分過ぎて病院の小山から弾んだ声で月曜の十一時に退院するという電話が掛か
ってきた。孝が迎えに行ってくれるらしく、「こちらの病院は予約が一杯で、今度、何かあっ
たときは宝塚の病院に行けるように孝がしてくれている」というようなことも云った。
それで孝の家に電話すると裕美子さんで、今、病院に行って研究会に寄っていると、忙しい
のに行ってくれたのだ。
しかし祭日明けで皆、忙しいのか今日は平日なのにアクセスが一つもなかった。
十一月二日
ホームページの「日記よりU」の頁が一杯になったので、新しい頁を作りアクセスを付け
検索から頁を開いたらアクセスカウンターの付く場所に数字が出ず、Xのマークが付い
ていた。それでZAQに聞いた。
そして、検索の頁のアクセスカウンターのX印を右クリック、プロパティを出すと、どこが
悪いか記された表が出てくる方法を教えて貰い、付け直した。
最初から書いたつもりが抜けていて最後も字が抜けていた。
検索の頁を触れたのは初めてなので亢奮した。
それから、その新しく作った頁に次の頁(自叙伝)へ行けるリンクを付けるのに、コピー
アンドペイストを使ってみたら、リンクも壊れず簡、単に出来た。それでアクセスカウンタ
ーもコピーアンドペイストでも出来るのではと次回はやってみようと思った。
そんなわけで今日はパソコンで家事は何も出来なかったが一つ賢くなった。
しかし、忙しいのに親切に教えてくださったZAQの人には、もっと挑戦してから、聞くべ
きだったと悪かった気がした。
エイブルと云うところから宏にと言うことで「良い家が見付かったので」と電話があった。
「宝塚の?」と聞くと「そうです」と云うことで、宏がそう言っていたので事務所の方に掛
けて欲しいと云った。
夜、帰宅した宏に聞くと「何時も頼んでいるところだ」と云った。
それで宏も間もなく出ていくのだと思った。
そして今度、爺さんが入院したら着替えは自分が持っていかねばならなくなるのではと
思い、それに家もだんだん寂しくなる気がした。
十月二十四日
迷惑メールが毎日、二通ほど来るのでメールアドレスを最初のだけにしたくZAQに方法を
聞くが、よく解らず当分、我慢することにする。
赤旗の集金に来られた芦野さんが「56才の時心臓のバイパス手術をし、今65才で十年
になる」と言われた。バイパスはカテーテルが悪くなりされたので、そのとき九〇才の人が
されていて最高年齢であったと云うことも云って下さったが、「予算で今はそこまでは、もう
やってもらえないのでは」と云った。
二十八日
阪大へ。遅くなって一時半に家を出る。
孝が着くと直ぐ電話するように云っていたが三時の予約を三分ほど過ぎていたので先に
三階の受付に行き自分で手続きをした。
そこで電話のカードを忘れたのに気付いた。判らないときは職員の人に頼めばと孝が云
っていたので受付の人に孝の院内番号を見せ頼んだ。しかし、その番号はそこでは使え
ず下に降り受話器のところに行くと一〇円硬貨で掛けられた。
間もなく孝がやってきたが「今日は自分で超音波を取って貰えるやろ」と云う。
超音波室の中待合いで隣の人が、こちらの乳ガンの腫瘍の他に糖尿で内科と眼科と一
日で三カ所、看て貰っていると云われ長時間、話した。
私の甲状腺の腫瘍は前回と同じ六ミリで異常なし、右の方も水疱のようなものが出来て
いるが、それも小さいのでと六ヶ月後の予約を貰う。
そのあと孝が内科の空き部屋で受診してくれ、受診と言っても今は話すだけだが、睡眠薬
や肩が凝っていたので湿布薬などを出してくれた。
その後、1日に三カ所診て貰われた話をすると、半身が凝るため一番、怖れている脳梗
塞の検査を、内科で首のエコーを取れば判ると、来年の甲状腺の予約と同じ日の内科の
予約を取ってくれた。
帰り祐衣ちゃんを迎えに行くため、保育園に寄った。
建物の中に入っていくと園児がてんでに工作のようなことをしていたが祐衣ちゃんが孝を
見付け出てきた。それから暗い道を見失うほどさっさと先に歩き車の助手席に乗りったか
と思うと、あちこちのボタンをパパパパと押した。(扉を閉めたりする)
そして私達は孝のマンションに向かった。寄った。
家の中にはいると祐衣ちゃんは「祐衣ちゃんの寝るところ」と襖を開けて川の字にマットを
敷いた寝室を披露、前の寝台の寝室は物置になったのか開けなかったが冷蔵庫の中や
冷凍室まで開けて見せた。こんなに沢山食べ物があるというじ自慢なのだろうか?
それとも子供というものは客があると嬉しいのだろうか、
それで長男の宏が小さい頃、妹が来て帰ろうとすると包丁を持ち出し、「帰ったら切る」と
「恐い、恐い」と逃げ廻るるのを追いかけたことを思い出し思った。
私がトイレに行こうとするとトイレの電気を付けてくれた。
しかし私は用をたしてから、どうすればよいのか判らなくなった。どの釦を押せばよいの
か、それから手で拭けばよいと云うことを思い出すのに時間が掛かった。
それでそこまで頭が悪くなるのだろうかと悲しくなった。
昨夜も、あり合わせのもので済ますので、晩ご飯を食べたのかどうかも判らなくなって、
今のことも忘れてと情けなくなった。
しかし自叙伝を書いていると遠い昔の詰まらないことでも次々と思いだし、そんなになっ
た頭が記憶していることに驚くのだが、頭も急速に衰えていく部分や衰えていない部分、
思考力など発達していく部分があるような気がする。
トイレから帰ってくると祐衣ちゃんはソファに座っている孝の身体に正視出来ないほど抱
きついていた。それで祐委ちゃんも大人のように発達したところと未だ赤ん坊のような未
発達の部分が同居していることが判った。
今年のZ月、北海道で小山に抱きついていたとき、その心変わりに腹を立てたが、未発
達の部分のなせる業だったのだと誤解が氷のように解けた。
其れで又、小山を救急車で運んだ十月一日、遅くなり指を口にくわえ眠ろうとしていた祐
衣ちゃんを思い出した。
大分待って孝が注文した握りが来た。
それから裕美子さんの帰りを待ち、祐衣ちゃんの鉄火は今日は若いお兄ちゃんが作った
と云うことが話され、久し振りの楽しいときとなった。
私は持ってきた小山の心臓の図面を出し、裕美子さんに今回手術した部位を聞いた。
それで完全に部位が判った。
そのあと裕美子さんのお土産の酒饅頭を戴き、車で家まで孝に送ってもらった。
この日、孝は疲れていて路を一筋、間違えた。
今日はうまく病院に行けるかと不安な日だったが、時間にも間に合ったし、待合いでも
上手く話せたし、曲がりなりにも手続きも自分で出来たし、その後は降って沸いたような
楽しい時だった。