日記より W

06.4.8− 06.4.25 宏の来た日 杖の紛失 06.7.2− 06.8.2−
06.4.12− 頸部エコー 06.5.15− 06.6.12 06.7.16− 06.8.8−
06.4.18− 弟の新居祝い 同窓会 ハロー 06.8.18−
外出 宏の帰った日 06.5.22 06.6.21 06.7.23 06.8.22−
06.4.23− 会合の通知 06.5.24− 06.6.27

頁が一杯になりましたので日記よりXへ  

    日記よりXへ
  
トップページに戻る


06.8.22−

22日
朝、起きると孝のメールが入っていた。
気になることが1点だけあります。
Grand Paさんの件ですが、今週中に整形外科を受診するようにいってください。
痺れのことですが、万が一それが12年前のような脊椎の腫瘍から来ているものであれば
手遅れになると左手が麻痺してしまいますので。
必ず今週中にいくように、よろしくお伝えください。 と。
それで、そのことを話したが小山は送ると言われた「紹介状」に拘り、病院に電話、紹介
状が来てから行くことになった。
猛暑と雨が降らないのとで身体が果物のようなものからジャガイモのようなものに変質し
ていくような気がし、うつらうつらして昼間も仕事が出来ない。
25日
小山が待っていた先生からの紹介状が来た。
それで川西病院に予約を申し込んだが、病院の地域医療室へ先生から直接電話して貰
わねばならず、予約なしで月曜に行くことになった。
27日
パソコンを打っていると何時も歳暮を沢山貰う宏のお客さんの野上さんから電話があり
同じような年齢で、宏の助言でうまく引っ越せたと言うことで掛けてこられたが、ほかの
話のほうが多くなる。
夕方、NHKからと電話があり話していると、「今日は日曜や。NHKが休日に掛けたりしない」
と爺さんが横から来て破鐘のような声で怒鳴った。
ホームページを見て、とかZAQで聞いたとか、きちんとした人の声だったが驚いて向こうは切っ
たが、そのあとも「お前のような者が一番騙されやすい。NHKと言うのが一番怪しい」と喚いて
いた。
それで、何でもホームページに書いているが、恐くなった。
野上さんのことがあり夜10時頃、宏の携帯に電話を入れる。
すぐ掛かってきたが事務所からで彼女も一緒とか。日曜なのに、早く帰って貰わねばと
言ったが忙しいのだ。
電話では野上さんから掛かってきたことを言い、浩ちゃんの送金の金額を聞く。
毎月4万円に決まったらしい。
それから彼女のお母さんのことについて聞く。木曜に退院されたとかでリンパへの転移
は無かったらしく、孝にお礼を言っておいて欲しいと言った。
それで、そのあと遅くなっていたが忘れないうちにと孝にメールを打った。
メールはお母さんの手術の結果の他、
爺さんが森ノ宮の先生の紹介状を持って月曜に、川西に行くことになったこと、紹介状の封書に
先生の名前も病院の名も書かれ
ていなかったところを見ると(向こうは近くのところでリハビリと
言われていたし)
たいしたことはないと思うことなど書く。
28日
小山が朝から川西病院の整形はへ出掛けていった。
そのあと孝とチャットをした。
ユイちゃんが電話を取り流暢な英語で喋ったが分からず孝に聞いた。
チョットした冗談だけれどと言う意味で向こうでは日常よく使われる言葉らしく、ローマ字で
メッセージを入れてくれたが消えてしまった。
しかし会話は言い回しが違うし、こちらの話す英語は日本流の発音で、まだ文字を知らな
いユイちゃんには通じないので彼女と英語で喋るのは諦めた。
けれどユイちゃんは眠るときも孝の受話器を取り、「グッナイ」と挨拶に来て、昔の5年生
くらいしっかりしてきた。    
朝早く川西病院の整形に行った小山が予約が出来なかったため2時廻って帰ってきた。
心臓の血管に金網を入れているのでMRは出来ずX線を撮られ、脊髄は痺れと関係なく
首の辺りが弱っているためと近くで首つりや赤外線のリハビリを受けるように言われたら
しい。それで夕方、写真と紹介状を持って近くの整形に行きリハビリを受け、膏薬を貰っ
て帰ってきた。
夕食をしていると又、野上さんから電話が掛かってきたが、リビングは暑く(クーラーは平
常は付けていないため)立ったまゝで聞くので、昨日のようにリラックスして話せなかったた
め悪い気がした。
話はたいしたことではなく、いろいろ聞かれたので答えたが目が悪くて殆ど字が読めなく
なっておられるらしく、それで手紙が判読するのに苦労する字だったので、話す言葉は私
より四才上だが、詰まったりされず思ったより しっかりしておられ元気だった。た。
朝日新聞に勤めておられたようなことを聞いていたので、「それなら上の学校を出られた
のでしょう」と聞くと、行かれた学校の名は忘れたが卒業は市大の福祉科になっていると
言われた。
病気で辞められたが勤めておられたのは終戦後7年程で、進駐軍の検閲の調印を押す
仕事をされていたらしい。


日記よりWへ


06.8.18−

八月一八日。
病院の行きし川西の郵便局で田舎の水道分担金と交友さんの合同誌の振込をした。
血液検査は男の看護士さんで、男の人は初めて見た。
順番待ちの電子の表に、私の担当の先生の診察が一時間半遅れているという字幕がずっと
流れていて、順番も12時から動いていないので、サンダルのボタンを外していたら先生が出
てきて名前を呼ばれた。超音波も血液検査の結果も異常無しだった。
帰りは社内遠足とかで駅前の店が臨時休業になっていたのでサビエで買った。
一九日(土)
昨日、油照りで病院へ行ったため、しんどかったので今日は何もしょうと言う気になれず一
日テレビを見て過ぎたが夜、日記を一つ一太郎からホームページに写し、12時うつらうつ
らしてきたので眠ろうとすると宏から電話が掛かった。
彼女のお母さんのことで孝にメール中らしく、小山の心不全の数値が異常に高かったので
一緒に入れるからと訊いた。
それで月曜の朝、チャットのときに言うことになっているのでと、お母さんのことを訊いた。
月曜か火曜に管が入ったまゝ退院とかで、そのことで孝にメールしていたのだと思うが、そ
んなわけで私が見舞に行く日が無いので小山と私の名前でお見舞いをしておいてくれたら
しい。
それで来週、帰ってくるのか訊くと、「何で帰らなければならないのか」と言い、「それなら一
ヶ月に一度くらいか」と聞くと「何でそんなに帰らなければならないのや」と又、言った。
自分の家だから帰りたいのではと思って言ったのだが。

1日
チャットの日で先ず奥さんの方に循環器学会から年会費15000円振り替えで領収した
と領収書が入っていた件について訊いた。
日本に居なくても払うらしく三年間ほど居るかも知れないのに勿体ないと思って言った
のだが、そんなところはいくらでもあるらしく領収書を保管して呉れたらよいと言った。
それから小山の18.4以下であるべき心不全のBNPの数値が、87.9もあったことに
ついて話した。チョッと待ってと循環器専門の奥さんに聞きに行ったらしく「その数値は
数値としてはそれほど高い数値では無いが只、前の数値と比べて高くなったときが悪
く次回、調べられるのでは」と言うことだった。
小山の手のしびれのことについても前、言ったのと違い、「脊髄と関係があるかも知れ
ないので近くの整形に早く行くように」と言い、川西病院を奨めた。
祐居ちゃんはしっかりしてきて、孝と長時間話しても嫉妬をしなくなり、訊くとハッキリと
答えが出来るようになった。友達も出来たらしい。
名古屋の人も家族が来られたらしい。
奥さんのことを聞くと「僕よりずっと有名な病院で給料も多いと言った。
午後、国民保険が宏の事務所の通帳から振り込まれていたので、(経費でないので)
小山の通帳から振り込むように中央の銀行まで手続きに行き、帰りサビエに寄って生
産者の名前の入った野菜が綺麗で安かったので沢山買った。
牛肉も手頃なのがあったので、葱や豆腐、厚揚げになまぶし、パンが二割引きの日で
食パンを買わずリンゴパンやケーキのようなパンを買った。
帰りバスの乗り場に行くとき、この前、幼児のように付いてきた浩ちゃんのことを思い
出した。
夜は疲れていたので、すき焼きは明日、するこにし、パックの「ご飯」を一パック、レン
ジでチンし、厚揚げに残っていたキムチの漬け物で食べ、買い立てのりんごぱんを食
べたかったので、冷やしておいた牛乳コーヒーで食べた。
何しろ太るのが一番恐いので、そのくらいしか二人とも食べてはいけなくなっていて料
理も楽になってきている。
食事をしながら「浩ちゃんは子供の頃に持っていた皆が無くしてしまったものを持って
いる」と私は小山に言った。
このところ自叙伝にアクセスが沢山あるので夜、一時頃まで掛かって更新した。トップ
ページを通らずアクセスがあるのはお気に入りにでも入れて貰っているのだろうか?


日記よりWへ


06.8.8

8日
成人病センターへ行った小山が帰ってきて心臓の方も泌尿器科の方も異常が無かったが、
痺れは心臓と関係ないので近くの整形へ行くように言われたと言った。
動いているときはどうもないが寝ると調子が悪くなるらしく夜も眠れないときもあるらしい。
前に脊髄の腫瘍を取ってもらったことがあり、そのことが関係しているのではと言われたと
も言った。
台風が雨を持ってくると言っていたので待っていたが東の方に逸れて、夜中の12時でも、
この部屋は32度もある。
10日
今日は腹部の超音波の日で一ヶ月ほど前から無事にその日を通過できるか頭痛の種だ
った。
それでこの前の映像の見せ合いのとき孝に、五時間前から水が飲めないことについて、
脳梗塞が恐くて訊いた。一回10CCをゆっくりと10分くらい置いて飲むのなら缶コーヒー
1っぱいくらいまではと言った。
それで二三回はテストのために飲んだが、あとは水筒は持っていったが飲まなかった。

病院で、超音波のとき膵臓を診るのでと先生が言われ看護婦さんが水を持ってきた。
そんなことは今まで無かったのか水は紙コップに半分しかなく、こんな少しではと同じの
がもう一つ持ってこられた。
半身を起こし其れを飲み超音波を撮ら、「膵臓が悪いのですか?」と訊くと「悪くないが、
良くみるために」と言われ、今日は待つ人が少なかったのでサービスに撮って貰ったのと
思った。
それで出てから待っていた人に、どこが悪いのか訊かれたときも只、B型肝炎のキャリア
で、定期的に撮って貰っているだけでと言い、膵臓のことも気に留めなかったが、帰って
から、孝が死ぬとすれば膵臓だと前に言ったことがあり気になった。
11日
トップページを跳ばし「自叙伝」にアクセスがあることがあるので「どこかの検索サイトに
載せて貰っているのかしら」と先日のチャットで孝に訊いたとき「そうやろう」と言った。
それで、あちことの検索サイトを調べた。
するとエキサイトやフレッシュアイやaltavista などの検索サイトから私のホームページ
のトップページやサブページの日記Wが出せるようになっていた。
しかし「自叙伝」のページは無かった。それで自叙伝は「お気に入り」に入れて貰って、
そこからアクセスして貰っている気がした。
5時前、宏の事務所に電話すると今日は帰れないが今週は帰ると言った。

13日 
宏から彼女のお母さんの手術が決まり、明朝、車で病院まで送っていくため月曜に帰る
と電話があった。
14日
小山が、田舎からの電話で亡くなられたことを知った京都の従兄の家に明石の弟と待ち
合わせ行くことになり9前に出掛けた。
そのあと孝とのテレビ電話で小山の手の痺れに付いて近くの先生に見て貰うよう言われ
たことを言い「M、Rなどがないけれど」と言うと、「その程度の病気だから其処がよいの
では」と言ったので納得した。
そして血液検査の心不全の数値が高いことを言うと孝が本人に聞かなければと言った。
それで祐衣ちゃんに替わって貰い「日本とアメリカとどちらの方が良い?」と訊いた。
「考えさせて」と言い、暫く向こうに行った。
その間、孝と話したが戻って来て「アメリカ」と言った。そして「どうしてかと言うとシショク
が出来るから」と言い、「それに近いから」と言ったが後が分からず孝に訊いた。
シショクは矢張りスーパーの試食で色々置いてあるらしく其のほか家の前にバスが止ま
り、そこから送迎バスが出るので其処まで送り迎えすれば良く、収入だけで行けるように
なると言った。
仕事のことについて聞くと人は阪大の方が上だけれど、阪大は2時間ほどしか研究でき
ないが、こちらは一日中出来るので、こちらの方が研究はと言い楽な生活で申し訳なく
想っていると言った。
それで「そんなら三年くらい居るの?」と訊くと「それは、家族が病気になったりすれば、
どうなるか分からないので」と言った。
しかし給料が安いので名古屋から来た人はまだ居られるのか訊いたが、そんなわけで
居られると言った。
その家族の人のことは訊くのを忘れたが、終わると九時からの電話は九時四〇分にな
っていた。最期に「更新しないと」とホームページのことを言った。


日記よりWへ


06.8.2ー

2日
今日はグレイの人間の半身像が2つ並んで出るウインドウウメッセンジャーを検索で調べ
た。すると使用は無料だが78千円の器械だけが要ると書かれていた。
会社が違うだけでヤフーメッセンジャーと同じものなのだ。
それで私は孝がテレビカメラ(ヤフーメッセンジャー)を使えるようにしたのと同じだけの操
作をしたのだと思った。今日はこの部屋で35度あった。
5日
小山が「猫がリビングから入って廊下を歩き自分の部屋に入ってきて自分の顔を観ていた
」と言った。黒の中くらいの大きさの猫だったと... コラッと言うと逃げていったらしいが、
暑いのでリビングの戸を開けていたため庭から入ったらしく、前に夕暮れにリビングに入る
と座っていて逃げた猫だ。


日記よりWへ


06.7.23

23日
外国からのメールが毎日来て、どうしてよいか分からないので孝に、そのうちの一つを、
コピーアンドペイストしメールで、聞いた。
一日に何通も来るようになって困っています。$と言うのが入っているところをみるとセ
ールスかもしれないのですが良い報せと言うのもあるかも知れず完全には削除してい
ないのですが。
ウィルスが付いているかも知れず又、クリックした途端に料金の請求が来るものもある
ので、その中に途中までの本文の続きが書かれていると思うのですが、青字のホーム
ページアドレスは開けていません。

青色の人間の半身が二つ並んだアイコン、アプリケイション名がwindows messenger
の表がデスクトップに最初に出て毎度、登録を促すので、それを済ませば消えるかと、
一時間ほど掛けてメールアドレスとパスワードを二回打たされ登録したあと、来始めた
のですが、セールスなのでしょうか?
件名は殆どにRe:がToが付いているのですが。
そのことについて何か解れば教えてください。
と孝にメールした。

24日
英文だけでも来ないようにしたいと「迷惑メール撃退」に挑戦したが上手く行かず、メール
名を変えようとZAQのインターネットソーサーに電話でメールの削除の方法を聞いた。
しかし2番目と思ったメールは1番目のニックネームで、「削除できないが変更は出来る」
と言われ、初期化し、(初期化すると最初のメールだけになった) 其れは簡単だった、
それから新しいメールを付ける方法を子機で聞きながら教えて貰った。
ZAQのトップページの左下の「会員サポート」(各種手続き)から入り、メールサービス、
メールアドレスの別名登録・初期化と進んで、初期は出来た。
それから同じような方法で新しいメールを作った。
撃退方法の方も教えて貰った。
それは左上のメールサービスから挑戦したが、その際、最後の項目が出来ずキャンセル
し、やり直したので登録されなかった。
(最後の項目は確答するものがなければ書かなくてよかった)
そんなわけで今日はパソコンの操作を色々覚えられ、大分かしこくなった。


日記よりWへ


06.7.16−

16日
5時前、宏から孝に聞きたいことがあるので孝の電話番号をメールに入れておいて欲しい
と言ってきたが医療訴訟の依頼でもあったのかとゆっくりしていた。
そんなことでメールをタイピングしているとき催促の電話が鳴った。
それで外国への掛けるのは、その上に付けなければならない番号があったりしてと、言い
わけをすると、「それはITを使う場合で、そのようなのは使わないから」と宏が言ったので
経費で落とすのかと、急いていないと思い明日の朝、8時頃掛けてはと言った。
17日
映像の見せあいの日で直ぐに繋がった。
孝が「ユイちゃんは寝てしまった」と言い、「今日はそちらから掛けてみて」と言ったので、
ZAQで聞いた番号を上に載せ電話を掛けると直ぐ繋がった。
それで「宏から電話が来た?」と聞くと「未だ」と言う。しかしメールはあったらしく、「こちら
から掛ける」と孝が言ったので、宏の事務所の開いている時間を言った。
「最近、奥さんを見ないけれど」と言うとカメラを動かしたのか彼女の映像が出た。
孝はいつもカメラて映っていると思っていたらしい。
それから孝のマンションの一理事が管理組合費を流用したことで説明会の通知が来たこ
とを言い、この四月に来た総会報告で二千万円余の残高(貸金庫に保管)と、出席者の
数が書かれていたが、殆どが委任状で、流用する人が出来るのではと思っていたことを
言った。
すると「二人か三人で組まなければ出来ないようになっているのだけれど」とが言った。
それから小山に変わり、孝が「暑そうやなあ」と言うと、私が日記に暑くて何も出来ない」と
書いているのをみて孝が言ったのに「涼しい」と小山が答えた。
そのあと一〇時頃、宏が、「今、(孝に)掛けてもよいやろか?」と掛けてきた。
それで「掛けてみたら」と言った。
大分経って宏から掛かってきて、彼女が居て言えなかったのだけれどと前置きし、彼女の
お母さんが病気になり、そのことで孝に聞いたと言った。


06.7.2−

7月2日
未だ本格的な暑さになっていないのでクーラーを節約したのが祟ったのか喉が渇かないの
で水の取り方が足りなかったのか、何も手に付かず休むと死んでいくような日が続いて、と
うとう身体が弱ってきたのだと思った。
そして、そのような身になって、なんと元気なと思っていた庭に出て仕事をしている小山の
身体の状態が、動いていなければ死んでいくようになっていたのだと解った。
夕方に散歩する人も、そうしなければ身体が持たなくなっているのだと。
其れで私は、電気仕掛けで水を動かさnければ生きていけない水槽の金魚のように、空気
のじっとしている家の中に居るのが悪いのではと、小山の真似をし風のある外に出、駐車
場を掃いたり、家の前の石垣の下のセメントをたわしで磨いたりしたら少し気分が良くなっ
た。
7月3日
チャットの日で映像は毎度パソコンの前に座っているだけの同じ画面なので、お互い元気
な顔だけ見ると電話に移った。
先ず私が自分の方を先にと、尿が細く出にくくなったことを言うと、「膀胱炎やな」と孝が言
った。それで「近くの医院に往っても抗生物質と消炎剤を貰うくらいのものなので家にある
消炎剤を飲んでもよい?」と聞くと、前にどこが悪かったときか忘れたが「そんなもので抗
生物質を飲むものでは。消炎剤を飲めば」と言った孝が今度は、「消炎剤など飲んでも仕
方がない。抗生物質を飲んだら」と言った。
それで4回ほど飲んで調子をみると言ったら、「それで充分や」と言った。
次に「爺さんが前立腺癌の検診で数値が上がり怖がっているので変わる」と、小山に受話
器を渡した。
「46はそれ程気にする数値ではない。100の人も見たことがある」と孝が言い、「しかし、
46でも癌になる人がいるので病院で二ヶ月に一度くらい計って貰うように」と言った。
夕方、コープに行こうと外に出ると隣の奥さんと会い、雨が降っていたので濡れてはと晴
れてから持って行こうと思っていた回覧板を取りに帰り渡した。
それで糖尿やら関節炎やら眼底出血やらで苦しんでいると、いつものことで30分ほど足
止めで(隣の奥さんは自分の症状を事細かに話す癖があり)、「歳を取ると動かないと調
子が悪くなるみたいで、うちのも庭の雑草を一本残らず摘んでます」と、それほど皆、弱っ
ていることを言った。

6日
昨日、病院の眼科に行った帰りに買い物をしたがクーポン券を貰える日で今朝、又コープに
行き、干し魚やら白菜やらを買った。  
昨日の夜、後片づけに遅くなり一時半まで起きていたので今日は眠ってばかりいた。
宏の事務所に電話を掛け、歳暮を貰ったことを告げ、持って帰って欲しいと言うと、最近、電
話が聞き取れにくいと言ったので、受話器の製造元に掛け、取り扱い説明書を貰えないか、
聞いた。(アメリカに行くとき孝が呉れた受話器なので挑戦したが操作が解らず)
それで、機種(KXーPW501−S)の名前を云い、料金は要るが、松下の製品を置いている
電気店に行き、送ってもらえばと言われた。それから音を大きくするには音量の上の矢印を
押せばと言われ、やってみたがうまくいかなかった。
10日
チャットの日で映像の見せ合いのあと孝が「今日はそちらから掛けて」、と言った。
前にポケベルに掛からなかったことがあり、「ZAQから外国に掛かるかなあ」と言った。
「上に番号を付けるだけでよい。其れはZAQで聞けば? 奥さんの里もZAQで料金は10
円ほどで掛かる」と、孝が言った。
それで掛けるのは次回からになり、小山の前立腺癌のことを聞いたので、変わったが「同じ
病院で定期的に診て貰えるようになった」と小山が答えると「良かったなあ」と言った。
それで又、私に変わり、「研究は日本と同じような?」と聞いた。
「同じだが、こちらは一日中出来る」と孝が答えた。
勤務時間は八時半から五時までで、通勤は八〇キロと聞いていたが一時間でいけるらしく
経費も予想通りで、どうにかやっていけるらしい。
しかし北海道並みの寒さで今も長袖を着ているらしく、「あんこのものが食べられないのが
一番、辛い」と言った。
それでこちらに来る人があると頼んでいると言い、名古屋の人が来たときウイロをお土産
に貰ったが、そんなわけで痩せていると言った。
それであんのものを食べないと一日でも生きていけないところは私がそうなので、遺伝なの
かも知れないと思い、そのつらさが解った。
それから祐衣ちゃんに替わって貰い、「そちらは面白い?」と保育園でのことを聞いたのだ
が、祐衣ちゃんは今日、遊園地や買い物に連れて行って貰ったことを言い、日本に居たと
きと同じように、休日は祐衣ちゃんを外に連れていっている生活が解った。
場所が変わるだけで、すべて同じ日常が続いているのだ。
祐衣ちゃんが「サンキュー」と言って又、孝に変わった。そんなことが言えるようになったの
だ。
それで「ZAQが検索でサブページも出るようにしてくれたので開けてみて」と言ったが、そ
のあと、よく変わるので開けてみると「外山きよ子」で検索したのに保険同人社社の「外山
」だけしか入っていないのが前に五つほど掲載されていて私のは後になっていた。
ヤフーも開けたが、こちらは「阪大へ行った日」のサブページは消えていたがトップページ
が検索で出せるように変わっていた。(その後、ヤフーは又、前のに変わった)
 そんなことからミサイルやそれを迎え打つ攻撃機のように、パソコンも未だ完全なもので
ないのかも知れないと思った。
終わってから「今日は名古屋の人の話が出なかったねえ」と言うと、(只独りの日本人なの
で)小山が「ウイロの話が出たではないか」と言った。

14日
 宏に今日は帰るのか電話を入れておいたら後から忙しいので今週は帰れないと掛かって
きた。三週間ほど帰っていない。
其れで貯まっている封書のことを言い、地震を気にしていたので、県の災害補償の話をし、
申込書を貰っておこうかと言うと、もう入っていると言った。
来週は帰ってこられるらしい。向こうの人のことを思うと、なるべく会わない方がよいのかも
知れないが、あまり会わないのも... 今日は機嫌が良かった。
パソコンを打っているとピンポンと鳴り、下に降りたが、小山の弟からそうめんのお中元だ
った。毎度のことだが小山は下に居るのに出てくれず、何の役にも立たない。
宏は仕事の関係で贈り物が多くそうめんは二三日前に来たし、去年のも大分残っていた。
こちらはお中元も歳暮も贈るのを止めているので何時も貰うばかりだし、食も細くなって食
べきれなくなっているので親類だし、実情を話し、言いにくかったが今回限りにして貰うこ
とにした。小泉さんはバレンタインのチョコレートも断られているという話だし...
田舎の小山の妹とも話し合って止めた話をし、自分でも驚くほど上手く話せた。
そんなことから暮れのお歳暮までに宏の住所も転送して向こうに行くようにして貰うことを
考えついた。夕方、稲妻がし雷が家の上を渡っていったので、むしむしする梅雨も、これで
明けるかも
知れないと思った。


日記よりWへ


06.6.27ー

27日
今日は吹田の市役所に行こうと想って朝からお風呂に入り、税務署に電話すると、行くのは
市役所の方ではなく税務署だと言われ、往き方を聞く。
梅田まで出て、JRの京都行きに乗り、吹田で降り5分歩けばと言われ、事情を聞かれ話し
ているうちに、前の人にも話したのだが、2年から3年半滞在することを言ったとき、その場
合は何かに確答するらしく、0の変更通知を、こちらに送って貰えることになり、往かなくて
済む。
時々変わるのでヤフーから「外山きよ子」と検索すると、いつもと違うのに変わっていた。
それで、すぐ消えるときがあり印刷した。
「外山」と言う題で、「外山きよ子の文のページ」「掲示板」「コンテナ」「主婦の雑記帳」
「日記W」、次男の生活ノートの載っている「日本全国書誌」「震災関連資料収集リスト」と
七つ載っていた。
そのうち「日記W」には、6月13日、検査入院の日で小山が8時前、私が宏に貰った要ら
ない...とあり、 ...の箇所を調べた。かばんを肩から提げて出掛けたとあった。
宏が香港で私のバッグを買ってくれたと、き店が呉れた布製ののショールダーだ。    
それから、「ヤフーから「「外山きよ子」で検索すると、始めに「阪大に行った日」と言う題で
掲載されていて驚いた。」と言うのが取れ上げられ、次いで
...とき旧姓で言い、女学校の名前も云ったが現在は外山と言おうとして... と言うの
が続いて、いずれも自分で書いたのに、 ...のあとさきを忘れていて、「日記W」のペー
ジを出して調べた。
それで三番目は、同窓会の勧誘のため東郷さんに電話したとき外山と言おうとし自分の
姓が思い出せず、ここまで惚けたのかと、と解った。
このようなページは6月14日にも出てきた。すぐに消えたが、それでページが2枚あるの
かも知れないと想った。
この間、払ったと想ったのに、もう新聞の支払い日で、宏が少し株を持っていたので日経
を取っていたが、出て行ったので9年振りに朝日に替えて貰った。
それから今日は気になっていた宏宛に来た郵便物を封筒に入れ、コープの往きしに投函
した。
それで遅くなり品物ももあまりなく、簡単にできるものと、好きでないが残っていた、ささみ
と葱と、その他切れている物を買い、帰ってから疲れていたが親子丼をした。
そんなわけで今日は結構、ドラマがあった。

28日
朝、プラスチックのゴみを捨てにいこうとすると、筋向かいの人が前にはもう少し歩き方が
良かったのに1センチほどずつ歩いておられたので驚いた。
其れで自分が脳梗塞になれば家事のことがあり、、どうなるのだろうと不安になった。
保健所からの街の検診の結果が来た。
私は血液検査も大腸癌の検査も悪いのは無かったが小山のが悪く、泌尿器科に行かね
ばならないのがあり、こんな検査は良い加減なものだと一日中ブツブツいっていた。
29日
夜、眠り掛けるといつもは10時に寝る小山が前立腺癌の検査の数値が気になり眠れな
いらしく、遠くはしんどいので近くの医院が載っていたのでと保健所の通知を採りに来た。
このところ小山の方が元気がよく私の方が先に死ぬのではと想っていたが、其れを聞き
勝ったと思った。遠くへは行けなくなったのだ。
そして朝、病院で聞いたらしく、放射能で前立腺癌を治して呉れるところがあるので其の
場所をパソコンで調べてくれと言った。
前立腺の癌の検査で昨年44だったのが今年46に上がっただけで。何も出来ないのに、
それほど生きていたいのだろうかと想った。
しかし、何度も言うので、その名前を聞くと、其れは解らないが兵庫県の播磨で放射線で
直してくれるところがあるので其処を調べて欲しいという。
それで兵庫県 播磨 放射線治療で検索すると、たまたま其処へ見学に行った者が書い
たホームページが出てきて、直接、癌だけに放射能を当て治すところと解ったが、住所も
電話番号も載っていない。
それで本人も納得したが、頼んでおきながら、他に何も記載されていないので他のところ
をさがしていたが、時間の無駄だと言って降りていった。
暑いので何もおかずを買いに行っていないのに「背広をクリーニングに出したまゝ一ヶ月
ほど放ってあるので今日帰る」と夕方、弘から電話がはいる。「取りに行っても」と言うと、
「沢山あるので」と言うので「ハムエッグなら出来るけど」と言う。
このところずっと体調が悪く、病気より気候で死ぬのではという気がする。空気が動かな
い家の中いるのが水の流れない川の中にいる魚のようで気分が悪く、動物は動かない
と死ぬように出来ているのではと思う。
12時少し廻り宏が帰ってくる。
「遅くまで仕事をするのは?」と言うが、若いせいか「其れは何んともない」と、夜遅くまで
働くのは苦にならないらしい。


日記よりWへ


06.6.21−

21日
テレビを見ているとピンポンとなった。暑いので上着を脱いでいたので「出てくれない?」
と言うと玄関の近くに居たいたらしく小山が直ぐに出て行った。
上着を着て出ると二三分も経たないのに屋根に上がる話が付いていた。
「屋根に上がるのは息子が嫌がりますのでと」と私は驚いて言った。
すると「1000円で直して貰えるのや」と小山が言った。
小山は私が血相を変えていたので黙ったが業者が「息子さんが居るのですか?」と聞き
そのあと何か言ったが聞き取れず聞き直すと「それなら息子さんが上がって直されたら」
と言うた。直そうと直すまいとこちらの勝手なのに。
業者が帰ってから「屋根にだけは上げないでと宏があれほど言っているのに」と小山に
詰ると「直さないと家が壊れる」と玄関の庇の屋根の瓦が1枚ずれているだけで家が全
壊するような言い方をした。もう説得されていたのだ。
この前、「テレビのアンテナが倒れかかっているから直してあげる」と言い庭に入ってき
た業者と話をていたので世間話をしているのかと中に入ったが、長いので出てみると、
業者が携帯で呼び寄せたらしく何人もの若い者を屋根の上に上がっていて驚いた。
すぐに降りて貰ったのだが、最近は瓦屋根が少なくなり瓦職人の仕事がないため、上に
上がらせると瓦を割って全部取り替えさせられるからと宏が友人の業者から絶対、屋根
だけは上がらせないようにと忠告されていることで、ベルに出て貰うという仕事もできな
いのかと毎度のことだが嫌になる
それにしても悪い箇所を放っておくと、それを見付けて業者が入って来るので宏にも言
わなければ、何時もして貰っているようなところがあれば兎も角、少しだけの仕事など今
は、やって貰えるところはなく、頼めば又値段のことで小山と喧嘩になるし、兎も角ベル
が鳴っても小山には頼めないと想った。
夕方、気になっていた洗濯機で洗えない手洗いの洗濯をする。
自叙伝を書いているので夜、戦時中、田舎に疎開していた弟に、そのハッキリとした時
期を聞くため電話したが、弟も正確には覚えて居ず、吹田の市役所に行く用事がある
ので帰りに寄ろうと想っていたが、それも電車とバスと二回、乗り継がねばならず、秋に
阪大に行くので、その帰りに寄ることにした。

16日
このところメールがあるといえば私を長男と間違え送ってくる出会い系サイトからのもの
で、其れは一日二三通あり、すぐに消しているが今朝、情報として取っておこうと思うも
のがあり、印刷しようとしたら45枚の用紙が一緒に出て詰まってしまった。
それで無理に引っ張り用紙は取れたがエラーの赤ランプが付いた。
再起動したが、いつもは直るのが直らず、孝と映像の見せあいをする時間が迫ってい
たので、それは放置し、ヤフーメッセンジャーを起動、そこから孝に映像の招待のメッセ
ージを入れ待った。
しかし20分待っても応答が無く、向こうの映像も出てこなかった。
だが前に、もっと遅れて、メールを打っていると、その画面に孝らの映像が出て来たこと
があり、ほかのことをしていようとメールのところを開けると、「1時間遅らせて下さい」と
言う孝からのメールが入っていた。
それで1時間後、再度、ヤフーメッセンジャーを開けた。
孝と祐衣ちゃんの映像が出、そばの子機のベルが鳴り受話器を取ると、「た、か、し」と
言う声が聞こえた。
「今まで病院に新しく入ってきた日本人の人を招待していたので」と言ったので、「どん
な話をした?」と聞くと、「こんなところに住んでいます」と見せただけで」と言い、「奥さ
んが沢山、料理を作ってくれた」と言った。
それで見場がきれいで、おいしかった裕美子さんのro−rukyabetu(一太郎がローマ
字で打ってくれたので、そのまゝに)を思い出した。
日本人の人について「奥さんは?」と聞くと「まだこちらには来られていない」と言うこと
で、二ヶ月の赤ちゃんが居られるらしく、奥さんはこちらに来られても仕事がないやろう
と言った。
小山のことを聞いたので、一日中、庭に出て私より元気で、昨日も二回、ジョイフル(一
キロ先の)に行ったと言った。
それから本場の英語を教えてもらいたいのでと祐衣ちゃんに変わってもらった。
「ハローと違う英語を言って」と言うと「ファッツセレブレットユアカラー」と早口で言った。
二三度聞き直すと「祐衣ちゃんは眠いからパパに聞いて」と言ったので孝に変わったが
睡いのに起きてきてくれたのだ。
それにしても祐衣ちゃんは思ったことをハッキリと言えるようにしっかりしてきた感じだ
った。孝に何と言ったのか聞くと、「どんな色が一番好きか」と聞いたと言い「日本の英
語とはみな違う、what isも要らない、セレブレットユアカラアと、語尾を上げて言えば
よい」と教えてくれた。
遅くなっていたので、では又、と言ったが、私はそのあと子供が難しい英語を使うはづ
がないと、セレブレットを辞書で引いた。
矢張り、そのような単語はなく、select(選ぶ)というのがあり、それなら知っているし、
セレクトゥエストゥの聞き間違えではと思った。
午後、五時近くなって印刷機を直しておこうとパソコンで調べたが解らず、ZAQに電話
で聞いた。
それで印刷機の電源を一旦切って、付け直せばと言われたが、その位置が解らず、メ
イカーの電話番号を教えて下さった。
しかし、その前にと、前に宏に聞き使った記憶があるので椅子の上に上り上から覗くと
てっぺんに電源を押すところがあり直せた。


日記よりWへ


ハロー

19日
チャットの日で小山が孝に、血管は細くなっているが前と変わらないカテーテルの結果と
それをすると全部解ると小山が言っていた階段を上る検査を、一ヶ月後すると報告し、
祐衣ちゃんに変わった。
私が取り、グッドゥモーニングサーと言うと、もっと大きな声でと祐衣ちゃんが言った。
それで孝が取り何を言ったのかと聞いたので、終戦後、路を通ると進駐軍が「ハロー」と
手を振って呼びかけていたことから、其れは「オーイ」と言うような言葉と想っていたので
「ハローは正式な挨拶でないからグッドゥモーニングサーと言った」と言った。
すると、それを聞き電話ではみなハローというのだと向こうは何でもハローと言うのだと
孝が言った。
それでアメリカ人は鳥のような感じがしたので私も、「ヘァルォー」と鶯が練習するように
祐衣ちゃんの発音を真似、何度も言ってみた。
しかし祐衣ちゃんのようには言えなかった。
祐衣ちゃんは孝の話では大分英語が言えるようになったらしいが私にはハローとしか言
わず、それが先ずその言葉が正確に言えないのではと言っているようで、そんな私が子
供に英語を教え弁護士や医者にしたことが不思議な気がした。
日本では本を読むための英語で発音は重要視されなかったこともあるがが。
其れはともかく「快適な生活を楽しんでいます」と言うのが孝の今日の現状報告だった。
それで、少しは贅沢ができるものの、共稼ぎで夜遅くまで働き、経費と税金に大方取られ
子供を産み育てるていることも出来ない宏と比べると、今は雇われている者の方が独立
している者よりも幸福な気がした。
夕方、家には発泡酒しかないためビールとつまみを中央まで買いに行った。
それから梅の実が大きくなったのでと妹に電話すると、近いうちに寄せて貰うと言った。


日記よりWへ


06.6.12−

6月12日
テレビ電話の日だが30分早くなったので今日は祐衣ちゃんが起きていた。
いつものように映像は、こちらが高齢のため元気か向こうが確認するためくらいになって
いて、直ぐ電話に変わった。
向こうは日中になると暖かくなるが北海道並みで、まだ寒いとか。裕美子さんも働きに出
られているが生活が苦しいのか家で料理を作られるらしく、それがえらいらしい。
名古屋市大から孝より少し若い日本人が研究室に入ってきて、その奥さんも医者だった
が、こちらでは専業主婦で子供も居られると言うニュースも入った。
私は宏が貯まった封書など5年振りに片付けてくれて家が綺麗になったことを言った。
祐衣ちゃんが向こうでは英語の先生で、二人とも発音を直して貰っているらしいが、孝は
結構な身分で英語を習いに行っているとか。
祐衣ちゃんと変わり「ハロー」と言い「フワッツユアネイム?」と聞いた。
通じたらしく「ユウイ」と返ってきたが「もっと大きな声で」と言った。
向こうの電話はスピーカーの釦がなく、大きな声で言っているのに祐衣ちゃんには聞こえ
ないらしく、それが難点と言えば難点だった。
しかし、「今日は祐衣ちゃんも大分喋ったし」と孝が言った。
そのあと病院から電話が掛かってきて、小山が明日10時に検査入院することになった。
私は午前中、洗濯をし、午後、検便を駅前の役場の出張所まで持って行き、ついでに乾
燥剤が切れていたのでジョイフルに寄り、夕食のおかずを買うためオアシスにも寄った
ので、くたくたに疲れた。そのあと
明日、粗大ゴミの日で昔々100円均一かなにかで買った本棚を一旦「これは捨ててもよ
い」と言いながら又、小山が突っ張り、気の小さいのと、全てのことに主導権を持っている
のに嫌になった。
6月13日
検査入院の日で、小山が8時前、肩から私が宏に貰ったが要らないので、やったバッグを提
げ、独りで出掛けた。
そして午後、その病院の主治医から「明日2時半からカテーテルをするため電話承諾が要
るので」と掛かってきたがカテーテルをさしこんだところに血栓ができたり腕が廻らなくなっ
たりすることがあるが千人に一人と言われお任せする。
今回は診るだけで前より細くなっておれば後日再入院して足の方からカテーテルを入れ、
直すようなことも言われた。
立ち会いについては子供に頼んでみますと言い、宏に電話するが、「前から言われていた
のなら急に言われても」というので、後から電話を掛けてきた小山に「先に約束したお客が
あって宏も行けないので」と言う。しかし翌日の
6月14日
2時過ぎ、「先生がわざわざ電話を掛けてこられたのやろ}と、それは手術の承諾を取るた
めなのに、「会うことになっていた人に日を変えて貰ったので」と宏から掛かってきて、手術
の立ち会いに行ってくれることになる。
そんなわけで宏は結局、手術の最後まで立ちあったらしく、あとの電話で知ったことだが、
血管が細くなっていることは細くなっているが、宏はそれを詰まっていることは詰まっている
がとと言ったが、前のままで前より悪くはなっていないらしかった。
私は晴天だったので、家中掃除機を掛け大掃除をした。
梅雨に入っているので、梅雨の合間の晴れ間にと洗濯も何回かした。
15日
昨日、働きすぎたので疲れて何も出来ずに終わる。それに大雨で三箇所給油が少しの間
だが湯が出なくなる。
夜、小山から日曜に退院なので、図書館に掛けてある画を帰ってから取りに行くのから、
そのまま置いておいて貰うよう、電話して欲しいと掛かってくる。それで帰ってから図書館
まで自転車で行くのだろうかと想う。
言い出したら聞かないので、その声がしんどそうだったし荷物も行くときだが重そうだった
し、又、入院されてはと、宏に迎えに行ってやって欲しいと留守電を入れる。
しかしあとで宏も仕事が忙しく大変だしと考え直し、掛かってきたら言おうと想う。
6日
宏から電話が掛かってくる。それで、お前の身体の方が大事だからもう迎えにいかなくて
もと言うと「明日は姫路まで行かねばならないが本当はママさんの仕事だと皆も思ってい
ると嫌みたらたらで日曜だから行くけど」と言う。
同窓会には行ったのにとも言う。同窓会は年に一度で命がけで行くが、あの子は歳を取
れば身体が弱ってくることが分からない。それにテクシーで迎えに行っても。
孝はママさんは行かなくても良いと医者だから良く分かっているけれど。世話をしている
ものが先に死ぬことだけは避けたい。
しかし宏の言ったことが頭に来てノイローゼになる。
17日
日曜に宏が小山を連れて帰ってくるので一応、玄関など掃いたりしたが、自律神経の失
調で吐き気がし気分が悪くなったので一眠りする。
起きてからまた宏が来るのだしと玄関の花を入れ替える。
     母の日に花送られしその日より花を飾るが習わしとなり
このところ宏の彼女から送られてきたグラス入りの花の、花は直ぐに枯れたがグラスが
初夏の玄関に合い、庭の色とりどりの花を切って飾るようになった。
この歳になって、花など水を入れ替えたり、邪魔になるだけだと、病気の見舞にも花より
食べ物と、お菓子を持って行っていた身が。
18日
朝、宏が病院から小山を連れて帰ってくっる。
「8時半に退院すると言ったらキチンとその時間に来てくれた」と小山は言ったが日曜は
10時になっても起きられないくらい疲れているのに自分の帰りたい時間に斬ったのだ。
そんなわけで図書館に廻って小山の画を持って帰ってきたが、私が来たついでに鏡や
傘を持って帰ってと言うと、ブツブツ当たりながら車に入れ、
その足で忙しいのか仕事が
好きなのか事務所に行った。
小山は帰ると直ぐに庭に出、疲れ畳の上に1の字に長いこと寝ていたが夕方また、外が
気持が良いのか庭に出て雑草を摘んでいた。


日記よりWへ


杖の紛失

6月6日
朝、成人病センターから「明日、入院して貰えますか?」と掛かってきた。それで勝手に
回答できず、小山を呼ぶと来週にして欲しいと言った。
昨日なら兎も角、今日ではと言うのだ。街の検診があるのでと断っていたが、それは他
の日でも出来るし予定を立てて貰っているのが解らないらしい。それで、向こうの人も小
山のような者には入院ですとハッキリ言えばよいのにと想った。
街の検診は、本当は明日に当たっているのだが、都合の悪いものは今日でも良く、空き
巣が流行っているため小山と別の日に行くことにしているので私は今日行くのだが、午
後1時からだったので午前中、手洗いの洗濯をする。
そのとき屈んだ姿勢が悪く、左の足を傷め歩くと痛んだので何ヶ月振りかに杖を持って
出る。出たのは1時過ぎだったが昼を抜いたのと暑いのとで検査場に着いた時は疲れ
はてていた。
番号は171番で受付と問診までが毎度のことだが、つかえていて、採尿に洗面所に入
ったとき、鏡を見ると顔色が悪かった。
そのあとは、あまり待たずにすいすいと済み、最後に65才以上は「診察」というのが今
回、増え、此処は少ししか人が居なかった。
問診のとき介護保険のチェックのようなものなのでと受けることを奨められ受けたのだが
形だけポンポンと二回ほど聴診器で心臓を押さえられただけだった。
子供が医者なので、どんな先生か立ち上がったとき顔を観ると、私服を着て中年の開業
医のような感じの先生で割と感じが良かったが向こうの方も私の顔を観た。
それで、入ってきたとき椅子が低かったが解らず、どすんと座った手前、「目が悪いでし
て」と言った。
終わってから、宏が家を出たので今年から掛けることになった小山の市民税を払うため
郵便局に行ったが、そこで振込帳を忘れてきたのに気付いた。
それで10円切手を10枚買い、それは目が悪いので紛失してしまったが交友さんの合
同出版誌の原稿を入れた封書と、宏から貰った播磨屋の缶入りおかきに入っていた お
かきの箱入りが貰える当たりの葉書をポストに入れた。
そしてオアシスに寄りおかずと週に一度ほど帰ってくる宏のビールが切れていたので、
6本入りのを買ったがビールを買うのだから手押し車で来ているとばかり想っていたの
が検診のため曳いてこず、レジで精算してから気付いたのだが牛乳や大根、ソースな
ども買ったので重くなり、三袋に入ったものをバス停までオアシスの手押し車に載せて
いった。
途中、自動販売機で小岩井のミルクコーヒーを買ったが小銭が無く千円入れた。
音がしたが、どこにも無いので通りがかった学生に聞くと千円入れるとお釣りは出ない
と言われ驚いたが、その中学生が下の方に何か書いてあると言ったので足下近くを覧
ると、へこんだところがあり中に手を入れるとおつりが出ていたのでホッとした。
それからバス停の前のベンチは陽が照っていたので建物のソバまでバックし、樹の下
のベンチに腰掛けミルクコーヒーを飲んだ。そしてバスがきたので乗ったのだがバスを
降りてから杖を忘れたのに気付いた。
バスに乗るとき何だか身軽くなった気がしたがコーヒーを買ったとき地面に置いた記憶
があり置き忘れたのはそこからバスに乗るまでの間だ。
その杖は小山が心臓で入院、長引き歩けなくなったとき病院で買ったもので、価格は
安かったが普通のところでは売っていない品物だった。
北海道に行った際も、最後のところで紛失し、宏にホテルに頼んでもらい、着払いで事
務所に送られてきたとき一千六百円以上支払ってくれた愛用の品で、足の調子が時々
悪くなる身には命綱でもあった。
そんなわけで、帰って疲れていたが、今ならあるかも知れないと杖がないので代わりに
手押し車を引いて中央まで捜しの行った。
自販機の前にも木陰のベンチのところにもなく交番に行けばと言われる人があり、そち
らの方に行こうとしているとオアシスの人がバス乗り場からお客の置いていった手押し
車を持って帰られるのに出会い、聞いた。
それで手押し車に忘れたのならサービスカウンターに行けばと言われ、そちらの方に
行った。リハビリに通っていたとき、人のと間違われないようにと兔の切手シートを貼っ
ていたが最近、覧ないので、ホテルの人が剥がしたのだろうかと想い、あれがあれば
と想っているとサービスカウンターで持ってきて貰ったのに兔のシールが。黒くなってい
たので気がつかなくなっていたが残っていたのだ。
それで杖をとっておいて貰ったこともあり先は六缶入りを買ったが、それを一箱と1.5
リットルのジュースを買って、缶ビールの方はダンボール箱を剥がし、手押し車に入る
だけ入れ、入らないのは貰った袋に入れ、再度バスに乗った。
今日はそんなわけで沢山歩いたので矢張り片足を痛め、家の階段を杖で上り下りした
がいつか二階に上れない日が来るような気がした。
(この日、最初に買った品物は8キロあった)


日記よりWへ


06.5.24−

24日
宏は疲れが溜まっていたのか11時まで眠っていた。それから洋間の半畳の押し入れを全部
空にし、他の家具と色が合わないので捨てる本箱も殆どを空にしてくれた。
ハンガーも不要なのをビニール袋に一杯選り出し、靴やボールや数年間の年賀葉書、不要
の書類なども処分してくれた。それで大分、部屋が広く綺麗になった。
しかし玄関に置いていたゴルフバッグを持って行くというので「下まで降ろしているのでズボ
ンプレッサーを先に持っていって」と言うと「ママさんは何時でも自分の思い通りにするのだ
から」と、「ママさんとは一緒に住めない」と、始めから同居の意志はないのに私のせいにし
た。その言葉は私が何か言うと出た。
持って行く衣類も三箱ほど詰めていたが「箱が足りない、今度持ってくる」と言った。
「この鏡も持って行く」とそれも次回になるが持って行ってくれるらしい。
二階が終わったところで「下にも少し本が選ってあるのだけれど」と言った。
「まだあるのか」と下に降りた。
それからリビングの本箱の前に出していた本を、要るのも大分あったらしく「こんなのを捨て
るのなら又、買うけれど、こっちのを捨てた方、下から二段は全部要らない」と言った。
二段目は法律の本で「それは飾りになるので」と言うと「飾りに本など要らない」と言い「ママ
さんが重いので本を捨ててと言うのなら、この本箱を持って行く」と言いだしたので驚いた。
それで「何でもママのせいにして」と腹を立てたが高いのを買うのなら持って行ってくれた方
が家が軽くなると想った。
とあれ今日は家が大分、片付き助かった。
そんなわけで昼過ぎまで掛かったが、帰りしな「一二週間後に又来る」と言った。
二五日
昨日、宏が出した不要品を分別収集のため選り分けるのに一日掛かっても出来ず、体調を
崩した

26日
テレビ電話の日で向こうの映像が覧えず「始めからし直して」とメッセージを入れると孝が
呼び裕美子さんがパソコンの前にきたのか彼女の笑った顔が映った。
それで「映像が出ました」と入れたた。
子機のベルが鳴った。
「チョット待って」と言い、こないだ見付けたスピーカーホンの釦を押した。
驚くほど大きな声に変わった。話すと「よかったなあ」と隆が言った。
「日本人と会ったことがある?」と聞くと「時々会う」と言った。
「給料は上がったの?」と訊くと「二年間の契約なので、その間はあがらない」と答えた。
「それなら早く帰るかも..」と言うと、「ことらは色々便利で。設備が整っていて今日もテ
スをしてきた」とそれが無料で出来るらしい。
それで仕事も五時までだし、長くて三年半と言っていたので、それくらいは居るかも知れ
ないと想った。
向こうに行って楽なのか孝も裕美子さんも若返って、特に裕美子さんは笑われるように
なり、前からだが、より綺麗になられた。
6月1日
10時過ぎ、アクセスが3つ入っていたので、夜、眠る前、ひょっとしてと洟も引っかけて貰
えないヤフーから「外山きよ子」で検索した。
すると5件の始めに「阪大に行った日」と言う題で掲載されていて驚いた。
それで、虫の知らせのようなものが存在するのだろうかと思った。
そんなわけでで嬉しくなって一時間ほど眠付けなかった。

6月2日
昨日眠なかったので朝から10年振りかで自律神経失調になり苦しんだ。
それで、吐き気がしたが、どんどん食べていってオンの状態に収めたが、仕事は積極的に
出来ずテレビを見て、だらだらと一日過ごした。
宏が先週、一二週間後に帰ると言っていたのでメールを入れていたが返事がなく、携帯に
入れたら夕方「今夜、帰る」と電話があった。
帰るとク行かず、今週は只帰ってきただけだった。
5日
テレビ電話の日で祐衣ちゃんが眠ってしまったので出てきたのは孝だけだった。
映像は両方ともうまくいったが毎回パソコンの前に座っている姿が見えるだけで、すぐ電話
に変わった。
遺伝子の仕事について、「勉強になる?」と聞くと、「矢張り阪大は凄い、日本は凄い」と言
ったので、「ブラウニング大学と言う名前は日本ではあまり聞かないし」と言うと、「肝臓の
遺伝子の研究では東海岸では一番だが、肝臓の研究そのものがアメリカではそれ程、重
要視されていない。循環器や大腸の方が盛んで」と言った。
それで「そんなら二年くらいで帰るの?」と訊くと、「一つするのに一年以上掛かるので二つ
ほしとげて赤字になったら帰る」と、もっとゆっくりしていたい感じだった。
私も洋裁をしていたので服はブランドものより日本製の方が裁断が形良く、染色が洗っても
色落ちせず、そのことに関してしか解らないが、日本は何でも凄いのかもしれない。

孝が阪大の薬局で貰い私にくれたラジオを、形が良いので惜しかったが聞きながら仕事が
出来ないので小山にやったら早速に掛けていた。ラジオは寝ながら聞けるので、寝ながら、
聞いていた。
私は孝にヤフーが検索に「阪大に行った日」と言うタイトルで載せてくれたことを言い「消え
ないうちに覧てよ」と言うと「直ぐ消えるのならあかんやん」と言った。
それから祐衣ちゃんが眠ってしまうので、次回から9時に変更するこ
とにした。


日記よりWへ


06.5.22ー

22日
テレビ電話の日で、このあいだ孝が言ったとうりにしたが向こうに映像が届かなかった。
それで祐居ちゃんが眠ってしまった。
そのあと自分流でしていると映像が届いたらしく、「映った」とメッセージが出、祐衣ちゃ
んを起こしたのか目を擦りながら立っている彼女の映像が出た。
それから孝が受話器を持っているのが映ったが電話が掛かってこず、そのことをメッセ
ージすると、「安い回線を使っているので一っぱいなのでは」とメッセージに出た。
そんなわけで今日は話が出来ず会えなかった気がした。それで次の一週間までが長く
感じられた。
午後、同窓会で世話になった大室さんに、その日、友人に出された手紙のコピーを貰っ
たこともあり、お礼の手紙を書いた。
すっかり良い季候になりました。
同窓会、色々お世話をお掛けしましたが、今回は皆よく話されて良かったと思います。
真田さんとは御主人の遺作展に招待していただき、未だ子供だった長男と二人で出掛
けていったこともあるのですが、いつも話すきっかけがなく、大室さんとも他のことを、も
っと話したかったのですが 兎も角有難うございました。
いただきましたお二人の方へのお手紙、同じ路(短歌)を歩まれるよいお友達がおられ
て羨ましく思いました。
(お手紙のレイアウトが真似したいほど綺麗でした)
それから私には短歌のことはよく分からないのですが、始め「辛夷の庭」をいただいた
折には其処までは思わなかったのですが、最後の歌集の島田修二先生に対する歌を
読ませていただいたあとに、たまたま再度、「辛夷の庭」の「葬」の七首に会い、最高に
惹かれました。
そのようなわけで方向を一本に絞らず今後も色々なものを書いていってください。
激しいうちにも優しい心を持っておられる方ですので。
もう残り少ない人生ですが、同窓の人たちとも回を重ねるにつれ、もっと良い友になって
いけるのではと思います。
ちなみに私は今、ホームページに長い間、書きたいと思い手が付けられなかった自叙
伝を書いています。76歳の記憶の。とりあえず御礼まで。
そしてに夕方、薄暗くなってからコープに行くついでに投函した。

23日
昨日宏にメールし携帯にも2回入れたが返事が無いので事務所に掛けると、「外山法律
事務所です」と低い声で、いつも男の人が出るのに彼女だった。
それで、携帯に入れたが返答がないのでと言い訳すると、「先生はいつもですねえ」と、
いつもの高い声に変わった。
整理して欲しいものがあるので来て欲しいことと、帰る日時を報せて欲しいことを伝言す
ると、「先生は今日、帰られますけれど」と言われた。
そんなわけで、セールスしか掛かってこないので又かとと嫌そうな声で出ると知っている
人のことがよくあり、嫌な電話が多いのだと想ったり、「電話での応答はしかねます」と書
いている宏のホームページの意味が分かったりした。
それに西尾さんも他に人と同様、長い間、同じ仕事をしていると、しんどくなるのかも知
れないと、他の人と変わらないところに返って親しみが湧いたりした。
そんなわけで余程のことがない限り事務所には掛けないようにしているが、今日は掛け
て色々なことが分かった。
そのあと宏から段取りがつかないが今日帰るとメールがあり、「今日はすき焼きなので」
と返事を入れたが、矢張り帰ったのは12時廻ってからだった。
そして、おいしかったのかすき焼きは全部、平らげた。


日記よりWへ


同窓会

19日
早く出ようと思っていたが日生で川西能勢口行きに乗ったときは10時を過ぎていた。
それでも梅田に待ち合わせ時刻の11時半の5分前に着けた。
梅田に着くと、車内で東出口を訊いた人が「向こうの方では」と指さし教えてくださった
ので、今日は其処が東出口だとハッキリ解った。
梅田も若い頃とは、すっかり様変わりして、めったに出ない者には解らなくなっていた
が、それは昔、通勤で乗り降りしていた乗り場だった。
それで昔よく地下鉄に乗るため降りた処も思い出され、そこから地下に降り、降りたと
ころにあった歩く歩道を一つ渡ったところで、住友銀行と紀伊国屋の小さな店が並んで
いる場所を訊いた。
それから、言われた方向を、待ち合わせのグループの顔を覗きながら歩いた。
そして旅行に行けなくなった私達と同年代の者が高齢社会を謳歌しているのを知った。

最後に皆の顔を見付け、三井住友の看板の字は見えたが本屋は分からず、教えられ
店は見えたが、何屋かは目が悪いので解らなかった。
今西さんがなかなか来ず30分待った。
集まったのは七人で、多かったので阪急の食堂に行った。
長い行列で、並んでいる片側のガラスケースの見本を覧ながら進んでいったが数が多
く迷っていると、大室さんが「皆同じものにしては」と言い、1680円の「わらびの里」に
決まり、近寄ってきた阪急の職員に、其の店のきちきちだったが七人座れるテーブル
まで案内された。
そこで、一人二つの膳で、毎度のことだがお腹がパンパンになり全部食べなければ良
かったと食べてから後悔した。

昼食を終えてから、「どこか話せるところはないかしら」と大室さんが云い、東郷さんが
大丸ならと大丸のなかの茶店に行った。
そこで学校時代親友だった川村さんに市役所を辞めパソコンを教えていた京大出の
長男のことを聞くと、今はパソコン教室を三つ持っているとかで、「それなら遊んでいら
れるわねえ」と言うと、忙しいらしく、経営も時間を喰うものなのだと知った。
川村さんは今は前ほど店に出なくても良いらしく、元気そうだった。
下が事務用品の店になったビルに次男の家族と住んで居るとかで、川村さんは三階
の居間に御主人と二人で居るらしい。
松葉杖を付いていたとき電話したら、「歩けるって幸せなのねえ」と言っていた柏木さ
んが、病院の帰り、おかしくなり、途中の知っている家に入り、そのまゝ脳梗塞で入院
されていると言う話には驚いた。
言葉はしっかりされていたと言うことだったが、私も買い物に行き、全く歩けなくなり、
たまたま居合わせた友だちに車で整形まで連れて行って貰ったけれど、皆、何時、何
が起きてもおかしくない歳になっているのだ。
私は「本の感想を書いて貰ったことから親しくなったのだけれど」と前置きし、大室さん
の家に招待された帰り、前田さんと柏木さんと電車の中で話し前田さんの話が面白く
楽しかったことを言うと、大室さんが親友だった川村さんに気を遣い本当はもっと多か
ったのだが「二回ほどだった」と言った。
「私は欲張りで、自分のしたこと思ったことと親切にして貰った友達のことを全部書きた
い」
と私が言うと、皆はちょっと驚いたようだったが前田さんがノートにびっしりと書いた日
記を見せ、私が目が悪く読めないので、その一日を声を出し読んでくれ、それを川村さ
んに見せた。
川村さんは「凄い」と言ったが、それ程小さい字で、ぎっしりと日記は付けられていた。
私は川村さんに一つでも披露して欲しいと俳句のことを聞いた。
しかし句会は止めていると言うことだった。
(川村さんは学校では級長をしていたが店をしているため、何も出来なくなっていた)
今西さんは片方の目が見ただけでも解るほどで全く見えないらしいが、もう一方の目が
よく見えるらしく、片目で編みものばかりしているという話だった。
「貴方も私と同じで一つ上ねえ」
と大室さんが真田さんに向かって言った。
大室さんは五年生のとき自分より一つ年下の新入りの農業の先生に弟とあだ名を付け
たほどで皆、知っいいたが、真田さんの歳のことは誰も知らず、皺もなく若く見えていた
ので驚いた。
東郷さんとは二年に一回の学校の同窓会に今年は無いけれど来年、一緒に行くことに
した。


日記よりWへ


06.5.15−

15日
朝、テレビ電話で向こうに映像が届かないらしく、裕美子さんが覧にきたのか彼女の笑っ
ている映像が出てきた。それで公開のボタンを押すと世界中に見えるようになるが孝の
方には届かないことが解り、始めからやり直した。
それから電話に変わったので三年半でも居ていたいほど仕事は面白いか訊くと、こちら
の生活は楽だと言い、赤字は追々黒字になるとも言った。
今日は曇りで肌寒く、家の外周りを掃除しただけで何も出来なかった。
16日
国民年金の一月分の振込票(一三五八〇円)が送られてきたので驚いて電話した。
それで、十二月中にアメリカへ行ったことを言うと、吹田市の国民年金課に問い合わせ、
一月一日になっているが訂正しておくと言われ、破り捨てて貰えばと言うことで、オアシ
スの例もあり、突っ張られても仕方無く、どちらの課の人も良い人で助かった。
17日
5月12日の肝臓の血液検査の結果で解らないところがあり孝にメールした。そのあと、
「受信メール」の字が太くなっていたので、このところ、良くあるデアイケイサイトからの
メールがと嫌だなあと、ずらすと孝からの返信だった。
早速に打ってくれたのだ。
下に添えられた私の文は自分が読んでも解らない拙い文だが、孝のは、とても良く解り
全ての疑問が氷解した。
祐衣ちゃんが、今回は正しいとしても、主張を通すところは相変わらずで英語の発音を
訂正されていることも孝は書いていた。


日記よりWへ


宏の来た日

12日
三ヶ月に一度、通院している川西病院で阪大で撮ってもらった頸部エコーの写真を見せる
と、私には写真のどこが血管か解らないが、「流れているやん」と言われた。
それで同歳の人よりも流れは悪いが詰まってはいないと言うことが解り安心した。
その日に解る血液検査では異常ないと言われたが、帰ってから覧ると前の検査で陽性と
書かれた箇所があり、孝に訊いてみようと思った。
遠出で疲れていたため一眠りしたかったが帰ったのが遅かったので時間がなく、それに
今日は宏が帰ってくるので、眠いのを我慢して起きていた。
それが十二時に帰ると言っていたのが十五分過ぎても帰らず携帯に電話を入れた。
折り返し「今から帰るので四十分後になる」と掛かってきた。
「おそいなあ」と言うと、「忙しいのや」と言った。それでそんな遅くまで仕事をしているのか
と彼女もよいことはないのだと思った。
それが帰ってくるなり、彼女の妹の長男がプラットホームに突き落とされて、そのことで遅
くなったと亢奮して言った。それでどうにかなったのか訊くと、それはどうもなかったらしい
が今後のこともあり向こうの方で話していたという。
思わず「たった独りの孫やからねえ」と言うと嫌な顔をした。この間、北海道に行った時は
しっかりした感じだったものの未だ幼かったのに、そんな喧嘩をする歳になったのだ。

そんなわけで「今日は遅いから直ぐに寝て明日の朝、ダンボール箱を二つほど移動し要ら
ない本を出してあるので覧てくれる?」と言うと「明日の朝は早く行かなければ」と言った。
「そんなら、そんなときは電話を入れてくれれば。寝るだけなら帰っても仕方がないのでは」
と言うと「なんやったら帰らなくてもよいのやでえ」と言う。
それで少し頭に来たが「それでも何かあるときは、お前もこちらまで帰るのはしんどいので
は」と言い、黙っていようと思ったが「来週の金曜日は同窓会で疲れているので帰ってくる
のは他の日にして欲しい」と言う。

13日
昨夜あのようなことがあり疲れていたのか起きてきたのは9時半頃だったが、ダンボール
箱を二つ運んでくれた。それから選っていたのと本箱の中から要らない本を前の二倍ほ
ど選り出し下まで運んでくれた。
それで「お前も中学のとき、女生徒を溝に突き落とし、顔に怪我をさせ、学校から電話が
掛かっててきたことがあった」と言い、そのとき、どうすればと先生に聞くと、お菓子でも
買っていけばといわれ、ケーキを持って謝りに行ったら何も言われなかったことを話し、
あまり言って陰で仕返しをされるようなこともあってはと言った。それに校長も学校も、責
任問題のことがあり、大きくしたくないのではとも言った。
それであの子も解ったらしく機嫌良く出て行った。
宏が行ってから「身体は居なくなったものの象が二三匹住んでいるくらい宏の物が多く、
本を大分出してくれたので、一匹減ったような気がする」と小山に話し、家も身軽くなって
喜んでいるようで、何とも言えない良い気分の一日になった。
そして今日は家族が家に居た気がし、離れても家族は家族だと、家族は別れて減るもの
ではなく増えるものかも知れないと思った。

母の日

14日
昼前、コープへ行って帰ってくると宏の名前で母の日の贈り物が届いていた。
それで
ハートグラスのミニブーケ有難う。
花が多かったので二つに分け玄関に置いたのですが
家の一輪差しよりハートグラスの花瓶の方が夏らしく、玄関に合いました。
花は開いていたので、あまり持たないと思いますが、花瓶は口が斜めに
なっているので、短い花には一輪差しより合いそうで使わせて貰いますが
高かったのではと思います。
というわけで、あまり無理をしないようにしてください。
と早速にお礼のメールを入れた。
しかし後から考えて折角、送ってくれたのに書きすぎたのではと思った。
そして昔、病気で学校を休んだとき、級友が電車に乗り花束を持って見舞に来てくれたこと
を思い出した。
そのとき、母親は、家に飾るのは勿体ないと思ったのか、世話になったところに上げると、
その花束をそっくり持って行ってしまった。
百合の花も五六本ある大きな花束で、一本でも置いておってくれたらと思った。
そして自分の実用的な考え方は母親の遺伝なのだと母のせいにした。
それから生活力のなかった小山のせいに。
その後、宏から「花は西尾さん(彼女)が宏の名前で送ったもので帰ったときに見せて貰
う」と、メールがあった。


会合の通知

10日
大室さんから、同窓会は解散したけれど、会いたい人だけでと集合場所など記した葉書が
来た。それで大室さんに電話し、どのような人に出されたのか訊いた。
最後の同窓会に出席された人、と言われ、そのほかの人には各自、電話連絡することに
なったらしい。そんなわけで私は今年、「梅田で会うようにする」と年賀を貰った東郷さんに
掛けた。そのとき旧姓で言い女学校の名前も云ったが現在は外山と言おうとして外山がな
かなか出てこなかった。言葉もゆっくりしか言えなかった。
それで、ここまで呆けたのかと嫌になったが、東郷さんが喜んでいたので良かった。
女学校のとき親友だった川村さんは二度掛けたが掛からなかったので、明日、掛けること
にした。
11日
朝、洗濯をして川村さんに掛けたが切れた。
それで昨日掛けた電話も今日掛けた電話も古い番号で6が抜けているのに気付き、6を入
れ掛かった。若い人が出られ川村さんは店に居られないようで、平日だけれど出てこられ
る気がした。
川村さんに変わって、「膝が悪いので長い距離や階段は駄目なのだけれど」と言われ、杖
を持って行けばと言うと「杖はねえ」とやはり。それで大室さんに話されたらと言った。
場所は私の説明では分かりにくく東郷さんに訊くと言うことだった。
大室さんに告げると前の人は大体来られるので10人程になるらしく、「56人と思ったので
行くところは決めていないけれど、どうにかなるわねえ」と言われた。
前に、迷って通知を出さなかったとき、長時間、電話を貰い行くことになった井上由起子さ
んに掛けた。二度ほど掛けて掛からず時間を置いて三度目、居られないのかと切ろうとす
ると、外に出ていた言い出てこられた。私も良くあることだが庭に居られたのだ。
それで話すと、「大原さんからも電話が掛かってきて」と迷っておられたけれど最終的には
「めまいがして耳も悪いので迷惑を掛けてはいけないし、今回は止めておく」と言われた
しかし電話で色々こちらの子供や孫のことを訊かれ話した。
それで大室さんに掛けたら主人が出られ伝言した。きっちりとした、おとなしい感じの人で
「井に上由起子さんですねえ」と復唱されメモをされた。


日記よりWへ


宏の帰った日

4日
筍の握り寿司を作る。
5日
昨夜、筍が足りなく握りが余ったので、お昼に再度、筍の煮付けをし、握りの上に載せて
食べる。
6日
宏が帰るので、残しておいた筍で筍飯を作る。そして
夜11時に宏が12日振りに帰ってくる。
食中毒になって病院に行き抗生物質を3日飲んで、おかゆしか食べていないと言い、ご
飯を食べるのは今が初めてだと筍ご飯を食べ、久し振りでビールがおいしいと言った。
引っ越した隣の人に、年取った者に色々させて若い者は入るだけだと言われたとかで、
お礼に岡山に旅行に招待したと言い、色々土産物を呉れた。
向こうの人からと言って小山にお米で作った焼酎と、私に素焼きの花瓶も貰った。
その花瓶は形がよく、自分の部屋に置き、同じような素焼きの前の花瓶は玄関に持っ
て行った。
いつもは9時には起きている宏が翌日は疲れが溜まっていたのか11時まで起きてこな
かった。しかし起きてから要らない本を大分出し、重いのでそのまゝにしていた預かって
いる孝のダンボール箱を、まだ置き場所が決まないので少し運んで呉れた。
この次はいつ来るかと聞くと「一週間に一回くらい」と言った。
同志社のパラリーガル(法廷に出ない弁護士)の人のことを訊くと、司法試験の勉強を
したいのでと止められたと、優秀な人は止められると言った。
そのかわりに今は甲南の人がパラリーガルになりたいと来て貰っていると。
こちらも聞かなかったがそのほかに変わったことはないようで、それでもいつもなら起き
ると直ぐに出ていくのを、大分長い間家にいたので、今日は家族が居るような気がし、
何となく楽しい一日になった。

06.5.8

8日
テレビ電話の日で、この前、小山が阪大からお金が出ていると言っていたので孝に訊いた
が、阪大からはお金は貰っていないと言った。
そして留学は自費でなく、働いているのでアメリカから貰っていると言った。
「公務員だから退職になるが阪大の医局には未だ籍がある」とも言った。それで帰ったら、
阪大に戻れるので安心した。
祐居ちゃんは沢山言えるようになり友達も出来たらしいけれど、未だ恥ずかしいのか電話
に出なかった。今日は裕美子さんも少しの間だがパソコンの前にいて孝も裕美子さんも仕
事が楽なのか日本にいたときより若くなっていた。
そのあと昨日、宏が出してくれた不要の本を下まで運んだが重い本で少しづつしか持てず
10回くらい階段を上り下りし腰が少し痛んだ。
9日
この間帰ってきたとき宏に頼まれた電話の申し込みに要ると言う小山の印鑑証明を貰うた
め家を出た。それが違った路を通って行ったため迷い、遊んだ居た子供に訊くと余計遠く
に行ってしまったので通り過ぎた若い奥さんに後ろから声を掛け訊いた。
「此の路を真っ直ぐ歩いていただきますと駅の方に出られます」と、高い綺麗な声で言われ
よい気持がした。大阪弁では歩いて貰うたらとか行ったらとかになるが、宏に何時も言わ
れるように、自分も、きちんとした言葉を使わなければと、この歳になって思った。
役場の出張所で印鑑証明を貰い、孝と家の固定資産税を3時過ぎていたので郵便局で振
り込み、印鑑証明を少しでも早くと持ってきた封筒に入れ、入り口の前のポストに入れた。
それからサビエで出来合いのおかずと、たまに帰ってくる宏のために、それが持てる限度
なので6本入りの缶ビールを買った。


弟の新居祝い

二九日 
昨夜、11時頃眠くなったので横になると眠ってしまい、3時半頃目が覚めたが、それから
眠れず起きて、そのまゝにしていたあとかたづけをした。
そんなわけで弟の新居祝いに行くのが遅くなり11時前、家を出た。
それでも言われた12時にに千里中央の駅に着き、一人で行こうと思ったがロックが掛か
っているかもと電話した。
弟が出て、妹が路に迷ったらしく、そちら方に行っているので、そのあと行くと言った。

しかし二十ゞ待ったが来ないので、座るところもなく歩き始めると、向こうから赤い服を着
た弟嫁の姿が見え、前に一度来たことのある服がハンガーに掛け売られている長い路を
通り、モノレールの車内からは直ぐソバに見えたが思ったより掛かった感じで、マンション
の鍵を弟嫁が開けた。
入ったところにエレベーターがあって、29階建と言うこともあるのかマンションなのに人が
一杯入ったので驚いた。
弟のマンションは一番上の端で、はいると皆来ていて出迎えてくれたが、目が悪いのと外
から入ってきたのとで皆の顔が逆境の写真のように黒く見えた。
しかし目が慣れ明るい食卓の前に来ると18才くらいにしか見えない姪の白い可愛い顔や
その主人の年齢より若い顔が見え、皆の顔もよく見えた。
妹婿もアデランスでもしてきたのか今日は随分若く見え、ピンクのツーピースを着た妹も馬
鹿に若く昔のような美人に変身している。
直ぐに食事になって弟と妹婿の四位さんが新聞や本に出てくる人のことを話し、姪や周り
のものが相槌を打ったが新聞が読めない私には、よく解らなかった。
姪の主人は何度も弟のビールをつぎ足し、べらべらと喋らず、なるほどとか時々、同調す
る礼儀をわきまえた物言いで現代青年らしく感じがよかった。

妹はしきりに「姉さん、もう何もしないで下さい」と弟嫁に言っていたが、そのねえさんと言
う度に私は自分呼ばれたのかと頭を上げた。

しかし弟が母親のことを言ったの私は弟と話が弾んだ。
姪に子供が産まれることを言うと知らなかったのか弟嫁が驚き、私が小山になつくように
なった孫の心変わりのことを話し出し、「逐一本にも書いていたのに」とま零したとき「読ま
せて頂きました」と姪が言ったのが一番嬉しかった。(姪にと妹に預けた本が手渡されて
いたことも嬉しかった)

大分時間が過ぎたので「寄るところがありまして」と姪夫婦が立ち上がると弟が追っていき
喋るのを止めず、なかなか離さなかった。
退役組の妹婿と弟はその後も喋り続け、妹婿は「一眠りして帰る」と、ソフアに眠ってしま
い、私は弟嫁にしきりの泊まっていけばと奨められたが体のことを思い突っ張ると弟嫁が
駅まで送ってくれた。途中、両側が木立になったところを通り、「このようなところは夜は恐
いのでは」と言うと弟嫁が笑ったが、夕方だというのに昼間の梅田の通りのように人が通
っていた。

06.5.1

5月1日
テレビ電話の日だが、この頃は映像よりも、電話で話す方が楽しく、孝が、祐衣ちゃんが
新しい言葉を覚えたと言うので、どんな言葉かと聞くが、本人の口から言わなければと、
言ってくれず、本人も恥ずかしがって出ない。
それで何時まで仕事があるのかと聞くと5時までと言った。
小山に変わると祐衣ちゃんが取り、「友達も出来たらしい」とそのあと、小山が言った。
それから孝との話で阪大から仕送りがあると言ったのが、おかしいので確認してみよう
と思った。そのあと
阪大の医学部から同窓会の通知が来たが、それには孝は米国留学になっていた。
年金通知では退職になっているので、二内は他に勤めても阪大に戻れるが一内は戻れ
ないと聞いていたので、籍はどうなっているのか、それも聞いてみたいと思った。
2日
京都の宏の依頼者から電話で筍を送るが明日は居られるかと、電話が掛かってきた。
昨年、戴いて連日、料亭の料理のような毎日で、エッセイにも書いた筍で嬉しかった。
3日
午前中コープに行っている間に筍が来た。それで早速、茹で、昨年、水を換えると一週
間持ったので、冷めるのを待ち冷蔵庫に入れた。
コープは五ポイントdayで乳液が切れかかっていたので買おうと思ったが無く、乳液と
化粧水の混じったのを買ったが、付けてみて悪くなく、よかった。
夕食に筍飯を炊く。上手に炊けるかと思ったが、おかずよりご飯の方がおいしく、二杯
食べる。


日記よりWへ


頸部エコー

28日
今日の日は二箇所の科にいくので、気持が緊張していた。
一電車遅れなければ出来なかった蛍池の精算もスッと出来た。モノレールは蛍池が始発駅
で門真行きと空港行きがあると思っていたのも門真と空港の中程の駅だとハッキリ解った。
阪大駅前で降り、持ってきた「主婦の雑記帳と」と「コンテナ」を構内の壁に埋め込んだよう
な近代的なものに変わっていたモノレール文庫に入れた。
病院で守衛のような人に診察券に付いて聞くと、予約があれば機械を通さず直接、受付に
行けばと言われ、壁に貼られていた表で内科と外科の階を調べ、昨日、電話で言われたと
おり両方の受付を済ませた。
喉が乾いてきたので脳梗塞が恐く一階の自動販売機までジュースを買いに降り、順番が来
てはと待合いの椅子に腰掛け飲んでいると、直ぐ横の部屋からっ先生に名前を呼ばれたの
で、慌てて飲み干し、くずかごに入れ、呼ばれたエコーの部屋に入った。
孝の名前を知っている若い先生でどうしてきたのか聞かれ、「死ぬとしたら脳梗塞と思うと
言うと子供が予約してくれましたので」と言った。
その他に右肩の凝りがひどいことや、指が勝手に動くことがあることや、右の手と左の手の
温度が違うこともいった。
始めは静かに黒白の画面が出、拡大されているのか硬貨のように大きい血管が見えたが
やがて画面が血のように赤く写りガアガアと大きな警戒音が出た。
先生は其処の処を何度もバックされ、物差しで測るようなことをされたり写真を撮られたりし
たので、やはりおかしいので孝が予約してくれたのだと思い「重症なのですか?」と聞いた。
肝臓を診たあとで機械の調子が悪いため音が出るようなことを言われ安心したが、終わっ
てから貰ったコピーでは、正常範囲に掛かっているものの少し上で、熱なら37度と言った感
じの位置に私の★印があった。
「血液をサラサラさせる薬もあるが飲まなくてもよいでしょう」と言われ肝臓とのかねあいも
あり(肝臓に毎日の薬は負担になるので)強いて欲しいと言わなかった。
そんなわけで甲状腺に呼ばれたときは四時近くになっていた。(病院に着いたのは二時半)
腫瘍は一センチ以下で次回の予約を貰ったが、この前、三又掛けている人がいたが二又掛
けるのは悪い気がし、川西より阪大が良いと思ったが、大分、遠く、やはり一長一短がある
と想った。
それに患者はどこへでも勝手に行けると思っているが、そんなものでもないことが解ってき
た。甲状腺も一度受け付ければ、ずっとフォローしていかねばならず、良く受け付けて貰っ
たと今頃解った。
帰りモノレール文庫を覗くと、早速借り手が付いたのか「主婦の雑記帳」が無くなっていた。


日記よりWへ


06.4.25−

二十五日
今日、家を出ると言っていたので確認すると今度は本当らしく「今日から帰ってこない」
と言い出ていった。
それから暫くして電話で「猪名川の役場に居るが家に厚生年金の通帳がある?」と聞
いてきた。それから取りに帰ってきて、貰ってきた小山と私だけになった健康保険証を
渡し、前の保険証を役場に返すため取った。
それで今度はいよいよ越すのだと分かった。
そして「そしたら、今日からもうずっと帰ってこないのやねえ」と言うと連休の中程に一
度帰ってくる。ちょくちょく帰ってくる」と言った。
そうすると、こちらに帰ってくる日があるのだろうかと「12時廻るような時は電話して
よ、中鍵も掛けるので」と言うと「分かった」と言い、泊まることもあるのか聞くと「ある」
と言ったが帰ってくるときもあるといってもどう言う帰り方をするのか分からない。
十一時、昨日付けた心電図のための装置を取って貰いに小山が出掛けていった。
風がきつく、この間掃いたのに又、落ち葉が一杯で、玄関や家の外回りを掃き、一応
出ていったので宏のベットのシーツやパットを洗濯した。
夕方、弟嫁から土曜日、お昼の食事を作っておくのでと電話があった。
妹が主人と一緒に行くので小山もと言うことだったが空き巣のことと心臓が悪いことで
今回は一人で行くと言った。

二六日
山下までの回数券の有効期限が今月中だったので、切れかかっていた睡眠薬を川西病院ま
で貰いに云った。そこで、
内科の壁に、事情により四月から薬のみと注射の午後の受付が廃止になると書かれ貼られ
ていた。それで五月に午後の検血(そのあと診察)の予約があるので、どうなるのか気になっ
た。
終わって、喉が乾いていたのでジュースを買いに行き、ついでに菓子パンを買ったが、入り
口の長椅子を、赤ん坊を真ん中に寝かした親子連れが占領していたので、向かいのレント
ゲン室の前の長椅子に腰掛けた。
二人の人が座っていたが、「私が外に出ると猫が鳴きながら付いてくると」と猫に好かれてい
ることを自慢げに話したのでふり返った。
声は若々しかったが、その前に癌のことを色々知っていて話していたことや、髪が異常に白
くパジャマを着ていたことなどから二人とも癌患者のような気がした。
そして話に興じて楽しそうだったので、人生どうなっても生きていける気がした。
それで、以前に内科の待合いで、一言一言、定年になった主人をやっつけていた教養のあ
る感じの奥さんが、近所のお婆さんがやってきて猫の一挙手一動を「あゝもしますのよ、こう
もしますのよ」と長々話すのを、「そうですの可愛いですねえ」と笑顔で受け答えしていたこと
があった事を思い出した。
そんなことから、自分もテラ子に夢中だったので大きな声で言えないが、人は歳を取ると猫
にでも好かれていると自信が湧いてくるのだと思った。
そのあと、あちこちに寄って、行きしは寒かったが帰りは暑くなって無事一日が過ぎた。

27日
何か一つでも仕事をしようと思うのだが、する気がしない。それで昨日、あちこち行き過
ぎたこともあり一眠りしようと窓を閉めめた。そのとき跳び上がるほど指を詰めた。
それでコレではどうしてもと眠らなければと一眠りした。すると夢を見た。
役場のような処に行っていてエレベーターに乗ろうとすると変な男の人が居たので上る
のを見合わせているうちに眠ってしまい、目を覚ますと五時になっていて理由を言い受
け付けて欲しいと頼んだが反対する人があったりで交渉しているところで眼が覚めた。
夢が色んなものを組み合わせてをストーリーを作っているのに何時も驚くのだが、変な
人が付いてきてエレベーターが恐いと言うテレビの話と、この間、行った吹田市役所の
場所と、眠らなければと言う身体の状況と、明日の予約時間に遅刻しないかと言う危惧
を上手く使い作っていた。
眼が冷めたところで電話が鳴った。セールスかと思うと阪大からで孝が勝手に入れたと
思うがと言う前置きで、明日の予約の時間に関してで、同じ内科でも課が違い忙しいら
しく、二時には出来ないので三時にして欲しいという電話だった。
それで少しゆっくり出来ると思った。首のエコーをして貰うのだが、そのことを出来る先
生は一人で、それも他のこともしてされるらしく、阪大も大変なのだと思った。


日記よりWへ


06.4.23−

二十三日
自叙伝で祖母のことを書いていると涙が出てきた。それで、それほど上手く書けたのだと
嬉しくなって小山に話すと知らぬ間に横を向いている。聞いているような振りをしていたが
食事を作ってもらわねばならないから嫌々聞いていただけなのだ。
馬鹿馬鹿しくなって片付けながら作ったので夕食が遅くなり八時前に呼びに行くと
「今からテレビを観る」と言った。
「取りに来るぐらいは取りに来たら」と声が大きくなった。
キッチンに入ってきたが「何で、そんなに偉そうに言うのだ。俺は食べなくても良いのだ」
と言った。
こういうときの言葉は心得ている。それで風呂も聞くと入らなくても良いと言ったが明日、
病院に行くのだ、子供の足を引っ張ってもと湧かしてやった。
二十四日
年金の脱退の手続きに吹田に行った二十一日、帰って直ぐに「日記」を書いたら覚えすぎ
ていて幼稚な感じの文になった。それで日記は忘れないうちにと思ったが少し経ってから
のほうが良いのかも知れないと思った。
九時三十分まえ、昨夜、仕掛けておいた目覚ましのベルが鳴った。
それで髪もとくまもなく、と言っても毎度のことだが、二階に上がり仕掛けた
しかし、あれほど云っておいたのに小山は上がってこなかった。下に降りる間がないので
大きな声で呼んだが来ないので、絞れるだけの声を出すと喉が痛んだ。
裕美子さんの映像が出た。
こちらに居た頃と変わらず久し振りに会った感じで懐かしかった。それから祐衣ちゃんに
変わり孝が横から顔を見せた。
ソバの子機が鳴った。孝が電話を掛けたのだ。みな元気だとしきりに言っている。
「宏がいよいよ家を出る」と言うと、「それは良いことだ」と言い、「連休に旅行にも行くらし
い」というと引っ越すときぐらい旅行しなければよいのに又「それは良いことだ」と言った。
奥さんのことを聞くと「仕事が決まり明日から出勤する。すべて順調に行っている」と言っ
た。保障も入っていると言った。
そんなわけで孝は長いこと受話器を握っていたが小山に変わった。
「日本人の人と話したかと聞いて」と私が横から言い忘れたことを言うと小山が聞いた。
日本に居たときとみんな変わらない顔をしていた。日本人は居ないところらしく裕美子さ
んも今日は懐かしそうだった。
11時、小山が森ノ宮の成人病センターに24時間心電図を付けて調べる検査の器具を
取り付けるため出掛けていった。


日記よりWへ


外出

四月二十一日
午前中は小山が歯医者の予約で出掛けたので、早いこと片付けてしまおうと、国民保険の
手続きに午後、吹田市役所へ出掛ける。しかし
回数券を買って電車に乗り、持っていた傘が無いのに気付き、切符売り場に置き忘れたの
ではと急いで階段を上り引き返すが改札のシャッターが必死になって閉めた。
それで身体を乗り出し、切符を買っていた人に「そこに傘ありません?」と聞く。
無いと言われ急いで降り、元の電車に乗る。
座っていた人に話すと車掌さんに云って置いた方が、山下の駅に着いているときがあるの
でと、しきりに奨められるので車内を駈けて前まで行くと、車掌兼運転手の人がもう運転し
始めていた。それで安い傘だしと諦めバックしながら其れより財布を置いてきていないかと
確認のためバッグを開けると、上に傘が載っていた。
宏に貰った高いバッグなので傘など入れたことがないのに無意識に入れていたのだ。
それで、行きしからこんなに惚けて上手く行けるか不安になった。
昨日、検索で調べたが写真をコピーした地図で良く解らず市役所へ掛け聞いた。
親切な女の人で、どこから乗られるかと始めから訊き教えて貰った。
それで、言われたとおり十三で乗り換え、階段を下り、向かって右端のホームへ渡ったが、
梅田行きが止まってまっていて訊ねると京都行きは向かいのホームと言われ引き返した。
渡らなくて良かったのだ。(昔は京都行きはそこから出ていたが今は)
そこで電車が来たので又、吹田まで行けるか訊き、淡路までならと言われ60年前の通学
コースで其れに乗る。
当時は階段を降り次のホームに移ったが今は降りた処に電車が来て、乗り換えると赤や水
色の帽子を被った小学生が遠足の帰りなのか一杯乗っていてた。そして、疲れているのに
小さな子が二人、席を立とうとしたので「いいからいいから」と断った。
小学生の隣に座った先生のような人に「この電車は吹田まで行けますか?」と訊くと「三つ
目です」と言われ「子供らが「次の次だ」と言った。
吹田で降り市役所の中に入り明石の市役所の五倍くらい歩いたところに国民年金課があ
って先ず、その広さに驚く。厚生年金は調べられたが脱退になっていたので、国民年金を、
入って止める手続きとして本人の名前と住所、生年月日を書かされただけで仕事は済む。
(印鑑は忘れられたのか言われなかったので引き返し付いた)
帰りは同じ校章をした学生で電車は溢れていた。
どこの学校か中年の人に訊くと「関大付属では」と言った。又席を譲ろうとされ断っていると
後ろから肩を叩かれ二人の学生が席を立った。
それにしても誰が見てもお婆さんに見えるのだろうか?服装は娘さんと変わらないのに。
それでも皆、優しく自分も若いころは今より優しかったことを思い出し、必ずしも歳を取って
精神が成長するものでもないと思った。
帰り、ニーレングスが無くなっていたので川西能勢口で降り、前に売っていたところが捜し
たが分からず「セイブ」で突っかけと靴下を買い、おかずを買うためサビエに寄り、帰ると
7時半を廻っていた。

この歳になり、電気製品が「出来た」と言う報せしか、もの言うものもない日々を過ごしてい
ると、そんな若い者にとっては朝起きて顔を洗うようなこともことも珍しく長々と書いてしま
ったたが、今日は少しもしんどくならなかったので余計楽しい一日となった。

夜、十一時半頃、今から一時間一〇分後に帰ると電話が掛かってきて帰らないと思った宏
が帰ってきた。


日記よりWへ


06.4.18−

十八日
朝、パソコンを開けると孝のメールが入っていた。
テレビ電話に出なかったのは九時半まで一時間あると仮眠し、眠ってしまったと言うこと
で皆元気らしい。国保の件について要らないので手続き頼むと書いていた。
十九日
そんなわけで吹田市役所の国民年金課に掛け手続きの方法を聞いた。
認めをもって来るよう、それから本人の生年月日と前の住所が要ると言われた。
籍は抜いていったらしい。止めるとその期間、何の保障もなくなるので他に保障がある
のか孝に確認のメールを入れた。
それから、小山の田舎の土地に家を建てたという月野さんさんから封書が来た。
小山に郷土会で使っても良いと言われ、弟に伝え、何もかも田舎に委せて建てたらしく、
何の手続きもせずと書かれ、来月で77才になり、弟しか頼れる者はないこと、小山の妹
とも動員で一緒だったとかで入院で頼めなかったが家まで行ったことも書かれていた。
すべて自分の無知非常識に依るものでと名文の文章だった。それで宏にも見せた。
しかし、その家は弟の家の建て増しではなく一軒の家だったらしい。そのソバの弟が駐
車場を建てている処も小山の土地らしく、測量士に頼まねばならないこともあり、宏も忙
しく、こちらには何の利益もないことで、どうなることかと想う。

二十日
昨日何もしなかったので風が強く直ぐ乾いたせいもあり今日は朝から洗濯を四回した。
それからパソコンの部屋を少し片付けた。
国民保険のことについて孝に確認のメールをしていたが、その返事が来た。
奥さんも入っていないとかで若い者には保険料が高すぎるのではと、こちら払ってもと書
こうと思ったが断るだろうと書かなかった。車に乗っているので万一のこともあり、傷害に
なったときは月に八万円、生涯貰えることも書いたのだが。
それから手続きに生年月日が要るのでこの間までは覚えていたのだが忘れ、書いてあ
るものを捜すのに大分時間が掛かった。
古いパスポートを見付け分かったが、案外、家に生年月日を書いてあるものが無いのに
驚いた。
夜、帰宅した宏に何時も行くので「今度の連休は旅行は止めて引っ越さないと」と言うと
「明日引っ越す」と、そんな重大なことをこちらが言うまで言わないで、それも普通の言い
方ではなく喧嘩腰で、今まで世話をしてきたのに鶏が砂を引っかけるような出て行き方
でと腹が立って二時半頃まで眠れなかった。
それで翌朝、「昨日引っ越すと言っていたから今日は帰らないのやねえ」と念を押すと
(荷物は半分ほどは持っていっているので身体だけ行けばよく)
「かも知れないと言っただけや」と変わっている。
そして、其の晩、金曜日だから帰ってこないと想っていたが帰ってくる。


日記よりWへ


06.4.12

十二日
昨夜シャワーを使えなかった宏に身体だけでも拭いていったらとお湯を湧かしてやる。
雨は降っていたが小降りになったため昼頃から湯が出始める。
昨夜、ちょろちょろと出しておけばと想ったが凍結ではなく大雨で湿って点火が出来なく
なったためで其れとは関係なく、風で乾いたのか直りも早かったのだ。
しかし又、止まってはと追い炊きは出来るので風呂を炊くが、そのときガス屋の人に言
われた水を張って湧かせることを思い出す。出なければ泊まるつもりだったのか夜、宏
からお湯は出るようになったか電話が掛かってくる。
十三日
宏の家を出るのが延び、また夜が遅くなるので、冬の疲れも取りたいし、昼寝をしたら、
夢を見た。学校の階段を上っていて途中からプツンと切れている夢で、違う上り口から
上っても、どこから上っても途中から無くなっている。
八方塞がりで、どう生きていけばよいのか分からない今の状態と同じで、嫌な夢を見た
と想った。ホームページと言う高速を走っていて、アクセスのない日が続くと矢張り其れ
が評価のような感じがし、止めなければと出口を捜すが、出口がない感じで。
一日のうちパソコンの前にいる時間が大半を占めると、善ではなくなり、止めようと想っ
ても止められない競馬やゲームのような悪になっている感じで。
他のより日記にアクセスがあるので日記を書いているが、日記は文学でもないし、毎日
のことを書いているので個人の新聞のようなもので、残したいものを書くつもりが新聞は
読んで捨てられるものだしと考えると頭が痛くなる。
それでもアクセスがあれば自信がつくと言うこともあるのだが。
夢は私に何を言っているのだろう? 今日は一つアクセスがあった。

十五日
今日の昼で、やっと貰った鰺を食べ終えた。岩塩を付けてあったせいか、表面を水で少し
拭き取って良く焼いたら食べられたが、上手く持って帰れば、もっとおいしかったのにと思
った。小山はその他にあちこちからお饅頭やお菓子を貰ってきていた。
お米と梅干しは特に沢山貰って来ていた。
前に妹から梅を送ってきた時、あまり辛いので「塩分は体に悪いから、これだけは捨てる」
と言うと母親が塩出しする方法を教えてくれた。それから人に貰ったものは、どうにかして
食べ決して捨てないようになった。それで梅干しは三四日、水を換え、塩出しして今日一
回目を食べた。
十六日
今日は小山が鹿児島県人の郷土会に行く日だが、二紀の展覧会を見に動物園前の美
館に寄るため八時に出ると言うので朝食を早くした。
服を着替えてキッチンに入ってきた小山に(食事はキッチンでしている)「そんな遠いとこ
ろまで、よく行けるわねえ」と言うと「俺は意志の力でいけるのだ」と言った。そんなに元
気があるのなら庭の一つも掃いてくれればよいのに。定年になった男は遊ぶことだけし
か出来ないのだ。
その日、元町の会場から「兄さんはどうしています?」と言う電話が掛かった。「出ました
けれど」と言ったら「それなら待っています」と言われたが会場に行く路で迷ったらしい。
昨日土曜に三つと今日、日曜五つ、ホームページを止めようと想うとアクセスがある。
十七日
今日は久し振りに天気が良くパソコンの部屋の掃除をした。
テレビ電話の日だったが孝は出てこず電話もなかった。それで気になりメールした。
国民年金加入の通知が来たので問い合わせたら日本にいるものは加入しなければなら
ないが海外に居住のものは任意と言われ、どうするか又メールした。
午後、妹から電話で、マンション(弟夫妻は長男と同居したく広いのを買ったのだが..)
を購入した下の弟のところへお祝いに行く日を決めるため何日が空いているか聞いた。
それから長女が子供が産まれるのでと孝の奥さんの際の病院を聞いた。
由起子ちゃんは優しくお父さんと同居するため戸建てを買ったと言うことだったが、お父
さんは、未だ元気なのでと来られなかったらしい。
夜、帰ってきた宏に田舎の土地のことについて聞くと、調べているが悪い人でないみた
いとと言った。「其れは犯罪を犯すよう人ではないけれど、それで、どうなるの?」と聞い
た。「最終的には書類を作るようになるやろ」と言った。
「そんなら退けて欲しいときは退けられるように書いてくれる?」と言うと「それはできな
い」と言った。法律では、そのようになっているらしい。


日記よりWへ


06.4.8−

八日
カーテンを沢山洗ったので疲れ夕食後、一眠りしょうと休み、そのまゝ眠ってしまった。
そして夢を見た。
小山の弟が来たので何か作ろうと買い物に出、外でおいしそうな干し魚を並べて売っ
ているオッチャンが負けてくれ買って来る夢で、よい夢を見たと想った。
それで明石にいた頃の青空市場を思い出した。
随分と眠った感じで部屋の出窓の明かり障子がほんのりと明るかったので、もう夜明
けになったのかと電燈をつけると未だ一時半だった。それで少し仕事をし又眠った。
九日
昨日は沢山仕事をして疲れたのか今日はコープに行っただけで何も出来なかった。
気温も上がらなかった。
スキーに行って雪崩にあい三組の人が亡くなられたことをテレビで報道していたが四
月に入ってのスキーは絶対行ってはいけないことを子供に云っておかねばと想った。
十日
テレビを見ていると小山の従妹から電話が掛かってきた。
小山が見舞に行ったことで妹が大層喜んでいたと田舎から電話が掛かってきたとかで、
容態を聞かれ大分話した。それで脳梗塞と思っていたが胸が苦しくなって入院したから
心臓も悪いのではと言われ驚いた。
東京の弟さんの話では脳梗塞の手術をしたと聞いたので、そのように言ったのだが。
「孝行な息子さんを持ってきよ子さんは幸福だ」と繰り返し言われたが育てた百分の一
も返ってこないのに人にはそう見えるらしい。もう三十年ほど会っていないが声は昔と
変わらないし、ものの言い方も変わらないので四月の誕生日が来れば八十才になると
言われ驚いた。
小山の従妹は子供が無く主人と二人暮らしなので元気だが女は何才まで家事が出来
るのだろうかと想った。

十一日
三時に帰ると言っていた小山が四時過ぎても帰ってこず、病気のこともあり宏の事務所に
電話した。三時二十分発の飛行機に乗るので四時二十分ごろ大阪に着くから五時過ぎに
なると言う。念を押したが、やはり小山の帰宅時刻は良い加減なものだった。
七時になることもあると宏が言っていたので其れまではと思っていたが、その七時に空港
からのバスを乗りまちがへ宝塚の方へ行ってしまったと言い、小山が帰ってきた。
妹さんの容態を聞くと、頭はしっかりしているが手が水平までしか上がらず、足も太くなって
歩けないらしいと言った。
それで容態を知りたいと昨日、従妹から電話があったことを言うと電話番号を捜し掛けてい
た。
小山は「妹は足がむくんでいて歩けない」と私には言ったが、従妹には、「元気で心配する
ことはない」と言い、「其れを聞いて安心したと言っていた」と私に告げた。
私の兄弟のとき下の弟も妹も医者からの説明されたとおりに逐一報せてきたが、伝え方に
よって内容は随分と変わるものだと想った。
そんなわけで、このあいだ頭の血管の二箇所にカテーテルで金を填めたという話も心臓の
血管にらしく、中身のことは分からないが、小山が想っていたほど弱られていなかったと言
うことだけは確かだった。
それから土地を見て回ったら、家が建てられていたと言ってカンカンに怒った。
前に、「小屋を建てさせて貰うのでお酒を送った」と、電話があり、小山に聞くと、同郷会の
酒の席で「田舎に帰りたいので」と言われ、一間建て増す処が小山の宅地になり、頼まれ
た話は聞いたことはあるが、其れがセメントを貼った本建築で、契約も交わしていないうち
で、驚いたらしい。そのことで宏は役場まで行き、不法建築のことを確かめたらしいが、知
っている人のことでもあり、どうなるのだろうか? 宏も詐欺罪になると怒っていたと小山の
話だが。
妹は病棟は違うが義母と同じ病院に又、戻っていて、小山はその義母のところへも、父方
の従妹の家にも寄ったらしく、同窓会の友人の家へも行ったとかで、そこで昨日貰ったと言
う商品の太い鰺の半干を沢山鞄から出した。其れは鞄の中に入れられ一昼夜経っていた
ので手で触ると煮たように熱くなっていて生臭い臭いがした。それで取りあえず冷凍室に
入れた。
夜十二時を廻り宏が小山の荷物や、あちこちで貰った小山の土産物を持って帰ってきた。
、田舎に行く前、聞くと「小山の荷物があるから一日だけは家に帰るが」と言っていたので
「明日から向こうの家に行くのやろ」と言うと、「忙しいから今月一っぱいは行けない」と毎
度のことだが変わっていた。それで、それも怪しいものだと想った。
夜、降り続いたひどい雨で三箇所給湯の外器が点火しなくなり、お湯が出なくなる。
この三日、全くアクセスが無く、ホームページをどうするか迷う。


日記よりWへ