イスファハンのイマーム広場
(イラン)


独断評価(各5点満点)イスファハンの女の子

   インパクト
   リラックス
   行きやすさ

     とにかく美しい。




行き方

イスファハンのモスク○イスファハンはザクロス山脈の東に位置し、標高約1,300m、 イラン の首都テヘランからは南方約330km。
日本からはテヘランに入って、イスファハンに飛行機を乗り継ぐか、つらつらと長距離バスに乗るか。
イランの都市間は赤茶けた荒野が続くことが多いです。



イスファハンのイマーム広場
イマーム・モスクの天井
○ティムール帝国(1370〜1507)を引き継いで1501年にサファビー朝ペルシアが成立します(1501〜1722)。
イランではイスラム教シーア派の信仰者が圧倒的なのはこの時に国教に採用されたことに由来しています。
同時代に西にオスマン・トルコ帝国(1299〜1922)、東にインドの ムガール帝国 (1526〜1858)というイスラムの大国が並びたっています。

サファビー朝は第5代国王シャー・アッバース1世(在位1588〜1629)の時代に最盛期を迎えます。
世界史に登場する偉大なる「大帝」の一人です。
オスマン・トルコのスレイマン大帝(在位1520〜1566)にはやや遅れますが、ムガール帝国のアクバル大帝(在位1556〜1605)の治世と重なっています。
イスラムの三大国の「最盛期」がほぼ同時代だったというのは面白いですね。

彼は1597年にイスファハンに首都を移し、都市計画に基づいて新しい市街を建設します。
その治世にイスファハンだけでも162のモスク、48の神学校、1,802の隊商宿、273の公衆浴場がつくられたといいます。

これによって当時、「イスファハンは世界の半分」と世界にその名をとどろかせました!

ペルシア絨毯に織られたイマーム広場(北から南を見ている)○中核となったのが、この南北約510m、東西約160mのイマーム広場。
イマーム広場は、イラン革命前までは「王(シャー)の広場」と呼ばれていました。
それに置きかわった「イマーム」とはイスラムの指導者の意。
四角形の広場を商店の入った2層のアーケードで囲み、中央に20世紀に整備された池と噴水があります。
四辺それぞれにすばらしい建築物群があり、南にイマーム・モスク、東にシェイク・ロトフォッラー・モスク、西にアリ・カプー宮殿、北にカイサリヤ・バザールを配しています。

カイサリヤ・バザールは絶品の ペルシア絨毯 などを見ることができます。

イマーム・モスク入口の鍾乳石飾り
○イマーム・モスクはイスファハンのシンボルで、かつては「王のモスク」と呼ばれていたもの。
青色のタイルが非常に美しいモスク。
1590年から建て始めたとも1611年あるいは1612年からともいわれ、メインエントランスの完成が1616年、全体の完成は王の死んだあとの1630年だったといいます。
入口の門とモスク本体が45度の角度をつけて配置されているのも特徴。


シェイク・ロトフォッラー・モスクシェイク・ロトフォッラー・モスクは1602年から1618年にかけて建立。
シェイク・ロトフォッラーとはアッバース1世が招いたシーア派の説教師の名前です。
王は信奉のあまり彼の娘と結婚したので、王の義父にあたります。
イマーム・モスクよりやや小ぶりで、イマーム・モスクは男性的、シェイク・モトフォッラー・モスクは女性的といわれています。
王族専用のモスクだったようで、王の妻たちは正面のアリ・カプー宮殿から地下道を通ってモスクと行き来していました。

アリ・カプー宮殿の陶磁器の間
アリ・カプー宮殿は、15世紀のティムール朝の建物にアッバース1世と、第7代国王のアッバース2世が増改築したイランで最も古い高層建築で、外観ではバルコニーが目をひきます。
普通は7階建てと数えるようです。
バルコニーからは王が謁見、観兵、処刑、ポロなどのスポーツ観戦をしていました。

最上階は「陶磁器の間」とか「音楽ホール」などと呼ばれています。
王が楽器の演奏をさせた部屋で、壁や天井がいろいろな形にくりぬかれていて、そこに鉢や瓶や壷などの陶磁器をはめこんでいたという説や音響効果のためだ、などの説がありますが、実際のところはよくわかってないようです。
みなさんは何に見えます?



周辺のみどころ

【チェヘル・ソトゥーン宮殿】

アリカプ宮殿の裏庭園内にシャー・アッバース2世によって、1647年に建設されたものです。
「チェヘル・ソトゥーン」とは40の柱という意味。
宮殿の20本の柱が、前の池に映って40本に見えることから名付けられました。

【金曜のモスク(ジャメ・モスク)】

イランに現存する最古のモスクといわれ、8世紀に創建されましたが焼失し、12世紀頃、再建されたものです。
長きに渡って改築が行われたためにいろいろな様式が混ざっているといわれています。


イスファハンにはイラン最大のザーヤンデ川が流れており、大小の橋が架けられていて名所になっています。
橋といっても2層になっていたりして、人々の憩う場所になっています。
シ・オ・セ橋
【シ・オ・セ橋】

「シ・オ・セ」とはペルシャ語で「33」を意味します。
橋の上に33のアーチが並んでいることにちなんでいます。
長さ300m、幅14m、1602年建設。

【ハージュ橋】

シャー・アッバース2世が17世紀に建造した橋。
2層のテラスがあり、王が宴を催していたそうです。
長さ133m、幅12m。



旅の想い出

○イランはかなりの親日国で、かつ歴史的背景から欧米人旅行者が少ないためか、日本人旅行者にかなり親切にしてくれます。自宅でチャドルを脱いでくつろぐ
イスラム教には客人(旅人)はもてなすべしという精神があることも関係しているでしょう。

長距離バスで移動した時、食事休憩でドライブ・インに入った時、単に乗り合わせただけの言葉も通じない少年が注文の仕方などを親切に教えてくれました。
さらになんと、お代まで払ってくれたのです!
こちらが払おうとしても決して受け取ってくれません!

○イスファハンでは現地で知り合ったイラン人がタクシーで市内観光に連れていってくれました。
自分でまわったわけではないので今でも位置関係がよくわかっていません‥‥。

家にも招待してくれましたが、女性もやはり家では、外出時に頭にかぶっているチャドルを脱ぐことが新鮮な驚きでした。
そしてなによりもイラン女性は美人です!
私の中で美人度ナンバー1の国はイランです!

また、「白人」である彼らの家に入る時に靴を脱ぐことにも軽い驚きを覚えたので、そのことを口にすると、彼らがおどけて言いました。
「だって、わたしたち(キミらとボクら)はアジア人なんだもーん!」

‥‥いい人たちです。



※今回は年代があいまいな史実が多く、多数の文献を調べるほど異説が出てきましたので、私なりに整理しています。
あいまいさはペルシア文化の特性とイスラム世界に対する研究の浅さからきているのでしょうか。