ムガール帝国


ムガール帝国はティムールの子孫であるバーブルによって1526年にできた国です。
バーブルは以前はより北方のサマルカンドの覇権を争っていました。
アフガニスタンを拠点に北インドに進出し、デリーを攻略し、アグラーを治め建国。
第6代皇帝の下でデカン高原までの最大版図を築き上げました。
あいつぐ反乱の中、最後は1858年にイギリスがインドを直接統治下におき、ムガール帝国は滅びました。

ここでは、歴代の皇帝を紹介します。
ムガール帝国では日本のように長男が家を継ぐという制度はなく、先帝が亡くなるたびに兄弟によって後継者争いが始まります。
領土拡大のための戦いも必要だし、王位を獲るための戦いも必要。
戦いばかりです。


ムガール帝国の創始者バーブルはティムールからのトルコ系父とチンギス・ハーンからのモンゴルの血を引く母の間に生まれました。
ティムールもモンゴル帝国の後継者を名乗っていましたから、それもあって「モンゴル系の国」とみなされ、モンゴルのアラビア語なまりの「ムガール」帝国と称されたわけです。
宗教的にはイスラム教スンニ派です。
実際のバーブルはモンゴルを嫌っており、そう呼ばれることを嫌悪していたといいます。

また、彼は出身地に比べると暑くて厳しい北インドも好きになれなかったようです。
遺言により、遺体は現アフガニスタンのカーブルに埋葬されました。
享年48歳。
現代では戦乱の国アフガニスタンも、元々は緑豊かな豊穣の国だったのですね。

※どの書物をみても「カブール」でなく「カーブル」と記されているので、ここでの表記はそれに従います。


2代目には長男のフマユーンが1530年に即位。
1540年にスール朝の成立によって一時期北インドを追われますが、1955年に再び複座する、ちょっと情けない王です。
フマユーン帝は翌1556年にデリーの書庫で階段から落ちて亡くなります。トホホ‥‥。

ちなみにフマユーンとはペルシア語で「幸運」の意です‥‥。

また、デリーのフマユーン廟(世界遺産)はタージ・マハールに影響を与えたと言われています。


父の急死によって1556年に即位したのが第3代アクバル大帝です。ジャイプール郊外のアンベール城
当時13歳。
フマユーン帝の死の直後にスール朝の残党によって占領されたデリーを奪還しました。
最初はバーブル帝から仕える功臣バイラム・ハーンの力を借りていましたが、1560年に政治の実権を握ります。

アクバルはイスラム教の信徒でしたが、ヒンドゥー教の諸侯に礼を尽くして妃とし、ヒンドゥーとの融和をはかりました。
嫁いだのはアンベールの王の娘ですが、後の皇帝を生むことになります。
こうして王家の血もだんだんインド化していくわけです。
アクバルは読み書きに興味を示さず文盲でしたが、好奇心旺盛で、抜群の記憶力を持っていたと言われています。

中央集権体制を作り上げ、国力を増して、アフガニスタンから北インドの一部という比較的小さな領土を数倍の大きさに広げました。
だから「大帝」と呼ばれるんですね。
また、アクバルはアラビア語で「偉大な」という意味です。
イスラム圏に行くとお祈りの時間に聞こえる「アッラ〜〜、アクバール」(アラーは偉大なり)というアレですね。



アクバル大帝が亡くなった1605年に即位したのが第4代ジャハンギール帝です。
ジャハンギールは父に反乱を起こしたりして、父を大いに困惑させますが、結局後継者として認められます。
しかし、その因果か、即位直後に長男ホスローに反乱され、1622年にも息子のフッラムに反乱を起こされます。
大変だ、こりゃ。
1627年没。

ジャハンギール帝には20人近い妃と2〜300人の妾がいたと言われています。
いいなあ!


1628年に即位したのはフッラムことシャー・ジャハーン帝です。
妃ムムターズ・マハールのためにタージ・マハールを建てたことで有名です。
ムガール帝国の文化・美術面はこの時最高潮を迎えたと言われています。
ムムターズは18年間で14人の子を産み、お産のために37歳で亡くなったといいます。

ムガール帝の伝統、「王位争い」によって、シャー・ジャハーン帝も息子アウラングゼーブによって8年間もアグラー城に幽閉され、1666年没。


父から王位を奪ったのが第5代アウラングゼーブ帝です。
1657年にシャー・ジャハーン帝が病の床に臥すと、後継者争いが起こり、1658年、アウラングゼーブは父を幽閉し帝位に就きました。
彼は即位前後に多くの兄弟、甥たちを殺害した残忍な皇帝と言われています。

また、イスラム教に傾倒し、ヒンドゥー教徒などの非ムスリムを迫害する政策を採りました。
これは、ヒンドゥー教徒やシーク教徒の反乱を招きます。
ムガール帝国はアウラングゼーブ帝の時にインドの南端近くまで征服し、最大版図を実現します。
しかしこの後、急速にと崩壊へ向かっていきます。

1707年90歳で没。


アウラングゼーブ帝の死後、反乱相次ぎ、18世紀半ばにはムガール帝国はデリー周辺を支配する一地方勢力まで転落します。
皇帝は次々と代わり、第17代皇帝バハードゥル・シャー2世がビルマに流されて、1858年、帝国は滅亡しました。


はあ〜長かった。

完。



参考文献:『世界の歴史14 ムガル帝国から英領インドへ』佐藤正哲・中里成章・水島司著(中央公論社)
       『インドのムガル帝国軍』デヴィッド・ニコルPhD著、アンガス・マックブライド彩色画、桂令夫訳(新紀元社)