西暦2001年10月27日 東北地方宮城県仙台平野
「ウネビ31、応答せよ。こちらレットー01。ウネビ31、応答せよ。――ッ、ダメだ、中隊指揮車とも繋がらねえ」
「こりゃあ、オレたち完全に迷子ですね、小隊長」
「だな。みっともねえ話だが。レットー01より小隊各車。状況を知らせ。送レ」
はぐれた二号車を除いた戦車小隊他二両より異常なしの報告が返ってくる。喉頭マイクを軽く指で弾き、陸上自衛軍第六戦車大隊第四中隊R小隊隊長・峯島九郎三尉は思わず出かけた舌打ちをこらえた。現在、ここ仙北平野は<敵>軍集団の顕現に伴って発生する時空震動を原因とする激烈な電磁波障害下に置かれており、先程から何度も本隊と連絡を取ろうとしているものの、まともに部隊間での通信が繋がらない状況にあった。普段ならば十五分と掛からず、神祇局の誇る護國ネットワークによる<調律>が行われて電波障害は解消されるのだが、先日、仙台市郊外で勃発した会戦で陸奥国一之宮である鹽竈神社が被害を受け、護國ネットワークのハブとしての機能を失ってしまった影響だろう、既に発生から三十分以上経過しているというのに今なお電波障害は解消されていない。辛うじて小隊間での通信が可能なのがせめてもの救いだ。
峯島は司令塔のハッチを開け、車外に身を乗り出した。晩秋の東北地方特有の染み入るような寒気が車内へと入り込んでくる。
「ここいらは長閑だな」
土手のくぼみに隠れるように停車している峯島の74式戦車の前方には、稲刈りの終わった水田が見渡す限りに広がっている。やはり主戦場からは外れてしまったのだろう。特科大隊の重砲群と思しき腹に響くような砲声こそ遠方から響いてくるものの、視界に入る範囲に戦闘を匂わせるものは見受けられない。むしろのんびりと列車の車窓から眺めるにうってつけの牧歌的な田園風景だ。そう、ついでに駅弁でも頬張りながらだとさらに雰囲気も万端。渋いお茶に名物の牛タン弁当なんかがあった日には――。
「あー、ちくしょう。考えてたら腹減ってきたぜ」
ハッチから頭を覗かせ辺りを警戒していた装填手の小島は、能天気な小隊長の物言いに呆れていいものか感心していいものか迷ってしまう。
「小隊長、こんなときによく腹減ったなんて言ってられますね」
「あん?」
「だって――」
小島は無意識に時計に目をやった。針は午後一時四十五分を差している。彼等が属する第六戦車大隊の車列を、いきなり一キロを切る至近距離に時空転送されてきた【敵】の大群が側面から蹂躙したのが確か午後一時になる直前。あの悪夢のような激戦から、まだ一時間も経過していないのだ。
枝から落ちた巣から唸りを上げて溢れ出す蜂の群れのように。【敵】の大群は、虚を突かれ咄嗟の反応を失った第六戦車大隊の横っ腹を食い破った。
横転し炎上するFV小隊の装甲戦闘車。完全にパニックに陥り、車体周辺や射線上に味方がいるにも関わらず主砲を撃ちやがった別小隊の74式。そして、
あの【敵】に踏み潰され、生きたまま食いちぎられる同僚の姿。ペリスコープ越しに垣間見た光景は未だに目蓋の裏にちらついている。通信機から聞こえてきた悲鳴や絶叫が耳にこびりついて離れない。もう片手で数えられないほどには戦場を経験して慣れたとはいえ、空腹にまで気が回るほどまだ神経は図太くなっていない。なにより、いつどこからあの化け物が目の前に飛び出してくるのか、そればかり気になって縮み上がっているのに、この隊長ときたら。
峯島はバカ野郎と力なく毒づき、
「さっきのドンパチのお陰でよぉ。オレぁ、昼飯喰いそびれたんだよ。腹ぁ減ったんだよ。腹が減ってちゃナンパもできねえじゃねえか」
「小隊長、うちらは戦争をやってるんであって、女の子をひっかけにブラブラしてるんじゃないんですよ?」
「ああん? 似たようなもんだろう?」
どうやらこの男の神経は、自分とは根本的に違うのだと小島は改めて納得した。
「なあおい、さっき通った国道沿いにコンビニあったよな。戻ってなんか買ってこようぜ」
「残念ですがとっくに店員は避難して、店は閉まってますよ一尉」
雑音混じりの無線越しでも透き通っていると分かる涼やかな声。峯島たちの第六戦車大隊でただ一人の女性砲手、和月柚子二等陸曹の声だ。
「おいおい、コンビニってのは二十四時間年中無休じゃねえのかよ。これだから田舎のコンビニってのは」
「田舎だ都会だの問題ではありません。戦場の真ん中で呑気に営業しているようなコンビニなんて<DMZ>くらいなものです。文句があるなら後ほど正式に事務局を通して当該店舗の方に抗議してください」
「<DMZ>ってどこのコンビニだよ、聞いたことねえぞ? 事務手続きとかよくわかんねえから、やっといてよ和月くん」
「イヤ」
「うわ、速攻で拒絶されたぞ」
「阿呆なことを言ってないで、ちゃんと警戒してください。いい加減にしないと砲弾の代わりに砲塔に詰めますよ。つーか、もうこの小隊長、本気でウザイわね。小島陸士、弾種・峯島三尉で装填準備!」
真面目に対応するのも限界が来たらしい。突然プチンときたらしい和月が、ドスの効いた声で小島に命じてくる。クールなようで案外と沸点が低いのだ、この人。とばっちりに泡を食うのは小島陸士だ。無視すればいいのだろうが、この小隊で和月をシカトできるような命知らずの猛者は小隊長ぐらいのものだ。
「え、あの」
「あ、こら小島。てめえ和月の言うことにいちいち反応すんじゃねえ。和月よりオレの方が偉いってことわかってんだろうな。車長で小隊長で三等陸尉なんだから、オレ様は。偉いんだぞ」
「はいはい、えらいえらい」
「ちょ、和月、バカにしてやがるな」
「はい」
「だから、即答するんじゃねえ!」
「チッ」
「舌打ちまでしやがったぞ、おい!」
「いえ、バカになどしておりません小隊長殿、そんなことは毛頭考えてなどおりません、このバカ」
「バカって言ってるじゃないか!」
「うちの故郷の方言では、場合によって語尾にバカと付け加えるんです。具体的に説明しますと、峯島三尉に話しかけた時とか峯島三尉に呼びかけた時とか」
「方言なのになんで俺限定なんだよ! こ、この。あんまり苛めるとオレ様泣いちゃうぞ!?」
「ふんッ、いい歳したオッサンが、うざいです。もういいから死ね」
「か、仮にも小隊長に死ねとか言うなよ!」
「……すみません、少々興奮してしまい言いすぎました。訂正します。――――とっとと消え失せろ」
「ある意味よけいひどくなってるわ!」
「あのぉ、小隊長、和月二曹。一応ですね、今戦闘中なんですけど」
「んなことはわかってんだよ。訓練中にこんなことやってたら後で大隊長自ら大目玉食らっちまうだろうが」
そりゃあ、その通りかもしれないが……。
「でも、そう仰いますけど、訓練中にも毎度おんなじことやってるじゃないですか」
「それで毎度、大隊長自らに大目玉食らってるんですよね、この人」
心底呆れたように、和月が呟く。いや、あんたもその一端を担ってるじゃないか、と反駁したくなる小島であったが、峯島相手ならともかく和月相手に面と向かって言えるほど彼も無謀の徒ではない。なので、小島は情けなげに顔を弛緩させ、操縦手、杉浦三曹に何とかしてくれと念波を送った。当たり前だが、杉浦は我関せずとばかりに前方警戒に勤しんでいた。もしかしたら察していたかもしれないが、無口なヒトなので無視されたのかもしれない。小島はぐったりと肩を落とした。
まったく、これじゃあ敵に神経をすり減らしている余裕なんざないじゃないか。
「……でもまあ」
この人たちといると、あんまり死にそうな感じがしないのも確かなんだけど。
その時だ。
「小隊長! 4時の方向!」
「ふん」
空気が一変した。普段は消え入りそうな声しか出さない杉浦の怒号に飛び上がる。峯島はじめ、乗員の雰囲気が一気に引き締まるのに一人ついていけず、小島は慌てた。いや、訓練の賜物か頭はともかく身体の方は瞬時に反応を示していた。
4時の方向、営林と思しき木々の繁みから田んぼの畦道へと、人影が飛び出してくる。人間だ。ケープ付きの黒いファーコートの裾をマントのように舞わせながら、全速力で疾走していた。まるで、何かに追われているかのように、だ。
ふと、視界を何かが横切ったような気がして、小島は瞬きした。途端、ドスンという鈍い音がして地面が揺れる。小島は目を見張った。ほんの数十メートル先の田んぼの真ん中に、樹齢数十年は経ているだろう杉の木が刺さっていた。引き千切られたような幹の断裂面を上にして、逆さまに。
空に目をやる。
十メートルを超える杉の木が、根元からへし折れて竹トンボのようにクルクルと空を舞っていた。唖然としている彼の視界の先で、杉の木は畝を疾駆する人影の至近距離に落下し、突き刺さる。
さらに轟音。そして地響き。分厚い金属の壁を通して伝わってくる大地の震動。人影が飛び出してきた営林の方に目をやった小島は、今度こそ言葉を失った。まるで土砂崩れのような土埃が、黒コートを追いかけるように丘陵の斜面を走っている。時折、砕けた杉の木の幹が小枝のように跳ねあがる。
巨大な、とてつもなく巨大な何かが、障害物である木々を薙ぎ払いながら進撃していた。
「こいつはでかいぞ、大物だ!」
峯島が歓声とも罵声ともつかない声を上げ、小隊各車に戦闘開始を下令した。今まで狸寝入りを決め込んでいたディーゼルエンジンが高らかに咆哮する。古代の肉食恐竜のように大きく車体を身震いさせ、轟音を撒き散らしながら三両の74式戦車が天然の奄体壕から飛び出した。同時に、山林を割り箸のようになぎ倒し、人影を追いかけていた土煙りの正体が、田園へと姿を現す。
誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
毒々しいまでの朱色の甲殻。小島たちが乗る74式戦車よりも二回りは大きい体躯。
敢えて例えるなら、それは――巨大な昆虫。
「……バーミリオン!」
朱色を意味するその名こそ、七年前、宇宙から飛来し、今なお世界中を狂乱の渦に陥れている怪物たちの名称だ。
『レットー01、あれは兵隊蟻じゃないんじゃないっすか。大きさがまるで違うし、見てくれも――』
「わかってる、レットー04。ありゃあ恐らく9月に北海道に出たっていう重装騎兵級だ。兵隊蟻なんぞと役者が違うぞ、気ぃ引き締めろ!」
その全高はおよそ四階建てのビルに相当。7対の節足。高々ともたげた上半身の胸部は、分厚い甲殻によって鎧われている。逆三角形気味の頭部にバスターソードのような両腕を掲げる姿は、カマキリに似ていると言われている。葡萄の房のようにして頭部が五つもぶら下がっているような異形を、この世界の生命体に当てはめることを許せるのなら、だが。
重装騎兵級バーミリオン。現在この地球上に出現したバーミリオンの中でも未だ二桁しか交戦が確認されていない上位攻性種である。
キュイラッセは一度脚を止め、一見して鬣と見紛うような後頭部から背中までびっしりと生えた赤黒い触角を逆立たせる。まるでイソギンチャクの触手である。その一本一本が生きているように、触手はウネウネと蠢く。見ているだけで、吐き気が込み上げてくるグロテスクさ。と、不意に触手が一斉に動きを止めた。途端、一糸乱れぬ動きで触手がうねり、一点を指し示した。
「――――ッ!!」
その先には、畦道を一直線に駆けている黒コートの人物が。
顎を十字型に引き裂き、キュイラッセが劈くような甲高い五重奏の咆哮を発した。巨体を震わせ、節足を跳ね上げ、逃げる人影めがけて再進撃を開始する。その迫力たるや、山そのものが動き出したかのようだった。
小島は咄嗟に叫んでいた。
「小隊長、早く逃げてる人を助けないと!」
「言われなくてもわかってるわい! 全車、行進間射撃用意。目標、前方二時。距離2600。弾種・徹甲!」
峯島車を先頭に、三両の74式戦車が右梯隊――斜行陣形で突撃する。
「ちっ、遠いな」
だが、これ以上接敵を待っていれば、戦車砲の効果範囲内に追われている人が入ってしまう。七四式戦車の砲弾であるM743装弾筒付翼安定徹甲弾は、発射と同時に装弾筒が弾芯から離脱し飛散するため、単純な砲弾射線上のみならず、戦車前方の九〇度角、左右四〇〇メートル以上が危険区域に含まれるのだ。
「小隊各車は射撃待て。和月、やれるな?」
間髪入れず、勿論という気負いの無い答えが返ってくる。峯島は愉快そうに鼻を鳴らした。
「よし、中てたら一杯おごってやるぜ」
「あら、一杯だけですか?」
「何なら、一晩中付き合ってやってもいいぜ?」
「……すけべ」
と呟き女砲手はペロリと上唇を舐めた。
「照準良し、いつでもどうぞ!」
「な、なんだよ、スケベって。ええい、撃てッ!!」
足を止めることなく、峯島の74式戦車が吼えた。戦車そのものを飲み込むような火炎が踊り、撃ち出された砲弾の初速は時速一五〇〇キロを超える。装弾筒が空気抵抗により弾体より離脱。重しから解き放たれた戦車砲弾芯は、衝撃波を撒き散らしながら2600mの距離を2秒弱で征圧した。
着弾。
閃光。
凄まじい爆音とともにキュイラッセの頭部が紅蓮に飲み込まれる。節足がもつれ、キュイラッセの巨体が進撃の勢いのままもんどりうって地響きとともに転倒した。
「すげえ」
この74式、後期型だけあって最新式のFCSへと改修してはいるが、それでもこの距離の行進間射撃で一発必中というのは通常なら考えられない。そのあり得ない事を和月は易々と成し遂げる。でたらめだ、小島は戦慄した。
先刻のバーミリオン兵隊蟻群との不期遭遇戦でも和月二曹はそのデタラメな腕前を如何なく披露している。彼女はあの敵味方が入り乱れる大乱戦の戦場を突破する際、前方に立ち塞がった十匹近い兵隊蟻の小集団を、一切スピードを緩めない全速力で走行しながら、瞬く間に粉砕して見せたのだ。恐るべき事に、小島は未だ彼女が実戦で標的から弾を外したのを見たことが無い。和月柚子の砲手としての技量は、客観的に見ても常軌を逸している。
「よし、見事だ和月二曹」
「♪♪」
称賛に対してろくに反応もせず妙に上機嫌な砲手の様子に怪訝そうに眼をやりながら、峯島は小島に声をかける。
「おい、装填手。ぼさっとするなよ、次弾の装填は済んだか?」
「それは――」
他の乗員が漫才に興じている間に当然やっている。不整地走行中に砲弾を装填するという、これはこれで常軌を逸した行為を当たり前のようにこなしながら、小島は外を覗いた。既に敵目標は沈黙しているんじゃ……。
「…嘘だろ?」
大気を切り裂くような甲高いキュイラッセの咆哮。装甲と発動機の爆音越しにすら耳に届く。潜望鏡にははっきりと、キュイラッセがのっそりと身を起こす姿が映っていた。鼻歌まで歌いだしそうだった和月が不服そうに舌打ちする。タングステン弾芯の装弾筒付翼安定徹甲弾の直撃を食らってなお無傷とは。
「例の<結界>か。流石に兵隊蟻とは格が違うな。釧路じゃ90式の120ミリが蹴散らしたって話だったんだがな、こいつの105ミリじゃちと威力不足かよ」
「どうするんです!?」
「どうするもなにも――」
「至近まで近づいての零距離射撃に決まってるでしょう」
和月の囁きは、飢えた虎の舌なめずりそっくりだった。小島は今の彼女の顔が見えなくて良かったと思った。きっと見たらちびる。
「過激だねえ、うちの姫さんは。だが好きだねそういうの。じゃ、それでいこう」
いっそ他人事と言ってもいいような気軽さで、飄々と和月の案を採択する峯島。小島は嘆息した。この二人、仲がいいんだか悪いんだかよく分からないんだが、やっぱり根本的なところで息が合ってるんだよな。
「なんにせよその前に、だ。先に逃げてる奴を回収するぞ。いい加減邪魔だわ。くそっ、面倒クセえなあ。いっそ見なかったことにするか? おい」
「そ、そりゃあ拙いですよ」
「でもなあ」
空気の抜けた風船のような応答に小島が反駁しようとしたその時、ポツリと杉浦三曹の声がした。
「小隊長、あれは女性です」
「なんだと!?」
峯島はかぶりつくようにペリスコープを覗き込んだ。気がつかなかった。確かに、よく見ればあれは女だ。勢いよく翻っているファーコートのケープに紛れてわからなかったが、うなじで結った腰までありそうな長い髪が踊っていた。しかも横顔を見る限り随分若い。まだ十代の女の子じゃないのか。
「おい、和月。お前の方が良く見えるだろ。美人か!? 美人か!?」
「まあ、そうなんじゃないですか? 私の方が綺麗ですけど」
さらっとなんか言いましたよ、この女。慄く小島を他所に、峯島は俄然やる気になっていた。
「よし、つまりは美少女ってことだな。美少女美少女。わお、美少女。おい、絶対助けるぞ。杉浦、当車はこのまま吶喊だ。キュイラッセと美少女との間に滑り込ませろ。小隊各車は支援よろしく、送レ!」
「……ねえ、小島くん。やっぱりこいつ、薬室に詰めてくれない?」
「わ、和月二曹、なんか声が怖いんですけど」
俄かに峯島の74式戦車は速度をあげた。田んぼの畦などもろともせず、40トン弱の巨獣が跳ね飛びながら爆走する。後続の二両はやや距離を開け、車載のM2重機関銃をキュイラッセに向け射撃し始めた。12.7ミリの火線がキュイラッセを捉える。弾は着弾寸前で【結界】と呼ばれる力場に阻まれ、空間に波紋を残すだけですべてが弾かれていた。が、それでも牽制としての役目は果たしていた。キュイラッセは纏わりつくキャリバーの火線にうるさそうに身悶えし、進撃の速度を緩めている。
間に合うか?
戦闘によるものとは違う緊張に、小島は唾を飲み込んだ。あんな女の子、キュイラッセのような怪物に捕まればひとたまりも無いだろう。冗談じゃない、勘弁してくれ、峯島小隊長ではないが女の子が目の前で踏み潰されるような光景なんか見せられた日には、一生夢でうなされる。
「くそったれ、なんでこんなところにまだ残ってるんだよ」
この一帯は、民間人は三時間前に避難が完了していると聞いていたのに。いい加減な仕事しやがって。どうせ避難誘導の担当がろくな確認もせずに尻尾をまくりやがったのだ。
と、小島は少女と目が合ったような錯覚を覚えた。いや、あながち錯覚でもない。確かに、少女は一瞥をこちらに向けた。キュイラッセへの砲撃で、少女も戦車小隊の存在に気がついたようだった。だが、少女は刹那に迷った素振りは見せたものの、戦車の方には向かわずそのまま畦道の上を走っていく。正しい判断だ。稲刈りが終わったとはいえ、田んぼの上は間違っても徒歩での走破が容易いとはいえない場所である。踏み込めば一気に速度が落ちて、キュイラッセに追いつかれかねない。それでも、後ろから巨大な蟲の怪物に追いかけられているという状況なのだ。明らかに自分を助けに現れた戦車の方へと逃げ足を向けてしまいたくなるのが心情だろうに。少女は逃げながらも、冷徹なほど冷静だった。峯島が興味深げに呟く。
「ふん、もしかしたらあの嬢ちゃん……」
「小隊長、化けカマキリが――ッ!!」
「ぬっ」
峯島が瞠目する。キュイラッセの首に該当する箇所にずらりと並んでいた気穴のようなものから、黄土色の体液に塗れた管が飛び出してきたのだ。四対八本の管は、少女に狙いを定める。事前に目を通していた資料の記憶が甦る。過去出現したキュイラッセ級と接敵した北大西洋条約機構軍やインド陸軍、傭兵公社エグゼクティブ・ハートレイ社の交戦記録、及び北海道でキュイラッセを撃破した本邦第七戦車大隊の報告書によれば、あれは確か――。
「――おい杉浦、急げ!」
八対十六本の管がオレンジ色に発光し、先端に同色の光球が生まれ、そのまま膨らんでいく。
AHEH――エーテル榴弾砲と呼ばれるバーミリオン上位攻性種の生体兵装だ。
「――――ッ」
今まで聞いたことのない和月の苦渋の呻きが、小島のインカムを震わせた。間に合わない。この戦車がキュイラッセとの間に割って入り、少女の壁となるより前にエーテル榴弾が撃ち放たれる。少女とキュイラッセとの距離はもう500メートルもない。至近距離からの直射砲撃だ。生身の人間など、跡形も残らない。援護射撃? 無理だ。距離と射線の関係上、絶対に少女を巻き込む。戦車の砲撃とは、尋常でない威力をぶちまける代物なのだ。
小島は咄嗟に目を伏せようとした。だが、意に反して小島の目蓋は石化したようにピクリとも動かず、眼球はペリスコープから外れない。
その時だった。
不意に、小島たち四人のインカムにプラスチックが割れるような音が走った。次の瞬間、ヘッドホンに聞き覚えのない女の声が混線した。
『YHVH ADNI AHIH AGLA 我が前面にラファエル、我が後方にガブリエル、我が右手にミカエル、我が左手にアウリエル。我が四方に五芒星燃え盛り、我が天上に六芒星輝かん!』
「なによ、これ!?」
混乱した和月に、峯島が鼻を鳴らした。
「小五芒星儀礼か」
「は?」
「カバラ十字――西洋魔術の呪文だよ」
「な、なんでそんなこと知ってるんですか、小隊長!?」
「いやあ、ウチの実家、神社で神職やってるのよ」
それ、理由になってないんですが。
「しかし、バーミリオンの発生地域じゃ、魔導詠唱が無線に混線するって話は本当だったんだな。なら、電波に呪を載せて術式を広域拡散励起させるって構想もまんざら――」
「あ、あの。それって、どういう――」
「ああ? まあ見ろよ、あのお嬢ちゃんを」
その光景に小島はあんぐりと口を開けた。和月の息を呑む音がする。
少女は、あろうことか急ブレーキを掛け、今まさに自分を消し飛ばそうとしている異界生物へと挑むように振り返った。
地面から吹き上がる突風。舞い上がる黒髪。そして、光跡が踊り、少女の前面の空間に光り輝く五芒星が形成される。少女の左手には、いつの間にか一枚のカードが握られている。タロットカード。大アルカナのT――【魔術師】
『我はこれより、自らの持てる全ての力を宇宙の偉大なる諸力に捧げ 聖なるヘルメスの叡智を獲得せんことをここに宣言する』
少女の右手が前方の五芒星の中央を突き破り、人差し指が中空に水星の六芒星を描き出した。
「あれが――本物の【魔法使い】だ」
『我が双頭の【ヘルメスの蛇杖】よ――ラファエルとしてウリクスたりて剣となる迅風と化せ。ヴァウたる息子、ルアクの輝きよ、集え!』
その言葉と共に、六芒星が粉々に飛散する。千鞭が振るわれたような切り裂き音が迸り、砕けた星は球形となって今まさに砲撃を放とうとしていたキュイラッセを包むように再構成された。指定空間の限定閉鎖が完了したのだ。
『然して風よ、退去せよ!』
少女が【魔術師】の大アルカナを未だ消えずに発光する五芒星の中央に嵌めこんだ。回路が通ったように、五芒星が明滅。概念検閲を通過し、術式執行――途端、紙袋を膨らませて破裂させたような音が響き、球体が一瞬にして白い霧に包まれた。魔法律に基づき現象が確定したのだ。
球体内の大気中水蒸気が凄まじい急減圧に断熱膨張を起こし一気に凝結。1気圧から、火星地表面上にほぼ等しい0.01気圧へと急減する。
いかなバーミリオンといえど、三次元階層に存在を固定され、なおかつ地球上の自然環境下にて活動するために生体環境を最適化している状態だ。そこに、真空曝露に等しい急減圧が襲い掛かればどうなるか。
背中で蠢いていた鬣状の赤黒い触手が、瞬く間に粘液を乾燥させて枯死していく。甲殻の関節部から、沸騰した黄色の体液が割れた水道管のように噴き出した。五つぶら下がっていた頭部のうち、二つの頭部の眼球が内圧と外圧の偏差に耐え切れずに破裂する。
そして、アルハザード練成式に基づいて、エーテル榴弾砲砲管内にて劣化AD弾殻の自己鍛造プロセスに入っていたエーテル流体が自壊暴走を開始する。すなわち――――。
峯島たちのペリスコープ越しの視界が、一瞬閃光に塗りつぶされる。
発射直前だったエーテル榴弾砲の誘爆だった。
凝結により発生した雲が吹き飛ばされ、代わりに舞い上がった土煙の中から、あらぬ方角に三条のオレンジ色の光が飛び出す。エーテル砲弾は、少女を掠りもせずまるで見当違いの方角へと飛んでいき、田んぼにクレーターを穿ち、山腹の木々をなぎ倒した。
「なにが――――」
起こったんだ? 小島は絶句した。具体的に何が行なわれたのかは、小島には見当もつかなかった。だが、一つだけ彼にも分かることがある。
【魔法】――あれが。
今のあれこそが、本物の【魔法】なのだ。
1969年10月31日、この世界が近似パラレルワールドと重なり、完全に融合してしまったとされるあの日――いわゆる【ペンテコステの夜】以来、これまで魔法や幽霊、想像上の怪物とされていた存在は幻想存在から、第三次元階層に物理的影響力を及ぼす事が可能な同位相存在へと移行――――つまり、現実世界に幻想ではなく現実の存在として顕現したとはいえ、それを一般人がまともに目にする事はまず皆無と言っていい。
【MM・ハロウィーン】から三十余年、今まで滅多と俗世に関わることのなかった魔法使いやモンスターたちが、この異星界生物の襲来に際してこれまでにない規模で対バーミリオン戦争に参戦していると言われているが、これまで小島はそうした魔性の存在を直接眼にしたことはなかった。
少女の黒いファーコートが翼のようにふわりとはためく。そこでようやく、小島はそれが前を開いた黒いファーコートではなく夜の色に染めた魔法使いの纏う外套なのだと気がついた。
そう、彼女こそ現世に甦った禍つ真理の導き手。――本物の魔法使い。
「す、凄い。凄いじゃないですか、上位攻性種をたった一人で。しかも生身で倒すなんて!」
「いえ、まだよ」
思わず小島があげた歓声を、即座に和月が否定した。
小島の幻想を食い破るように、土煙のカーテンを突き破り、大剣状のキュイラッセの前脚が現れる。まるで爆風のごとき甲高い雄叫び。土煙は引き裂かれ、キュイラッセが姿を現す。壮絶な姿だった。関節という関節から体液を滴らせ、グロテスクながらも雄雄しかった触手の鬣は、干乾び結合をすら保てずボロボロと剥離し崩れている。
だがしかし――敢えて言う。
なおも、重装騎兵は健在だった。
エーテル流体の誘爆により、キュイラッセの十六門を数えたエーテル榴弾砲管は半数以上が縦に裂け割れ、もはや砲身の体をなしていなかった。だが、未だしぶとく稼働し続ける六門の砲管からは、既に眩いばかりのオレンジ色の光が――。
身を翻し再び逃げを打とうとした少女の膝が、回線が切れたようにかくんと落ちる。少女の肩は大きく上下し、新たな砲光を前にして彼女は立ち上がったものの走り出す事も出来ないようだった。疲労困憊。あの大魔法は、バーミリオンだけではなく放った少女に対しても無視できない反動を与えていたのだろう。おそらく、あれは少女にとって、これより後のない最後の指し手だったのだ。
少女の仰ぎ見る前で、限界まで膨れ上がったオレンジの光が――解き放たれる。
そして――
「てめえらっ、姿勢保持! どっか掴まれ!」
車長席で野獣のように牙を剥いて笑いながら、峯島が吼えた。
「やれ、杉浦ッ!!」
それは、落下してきた隕石のようだった。
発射された六発のエーテル榴弾に、もはや立ち尽くすしかなかった少女の前に――視界の外から吹っ飛んできたのだ。38トンもの巨大な鉄の塊が。猛烈な土煙をあげて横滑りしながら。
――ドリフトだ!
既知外じみたドライビングで登場した74式戦車は、そのまま少女とキュイラッセとの間に急停車。およそ80メートルもの至近から放たれたキュイラッセの榴弾を、その正面装甲で受け止めた。ウインカーが弾け、投光器や防空管制灯が砕け散り、工具箱が中身をぶちまけながら吹き飛び、車載機銃がバラバラに分解しながら宙を舞う。
だが、少女には何も届かない。破片も、爆風も、灼熱も。74式戦車は、少女に襲い掛かるはずだった全ての猛威を壁となり、楯となって防いだ。
着弾の余波に煽られて膝を付き、唖然と見上げる少女の見ている前で、司令塔のハッチが開いた。中からむさ苦しい顔をした男が姿を現し、悪寒を催す胡散臭い笑顔で少女に笑いかけた。
「Heyカノジョ、暇ならちょっと乗ってかね?」
夜の繁華街を歩いていてナンパされたような気安さに、少女は水から打ち上げられた金魚のように目を丸くして口をパクパクさせたが、ここで時間を浪費するような愚図ではなかった。すぐさま自失から回復し、動かない足を叱咤して、車体によじ登る。むさ苦しい男――峯島三尉はチャシャ猫のような笑みを浮かべたまま、少女の手をとった。定数外の乗員を乗せる空間的余裕など一切皆無な74式戦車ではあったが、そんな事実を踏まえてなお乗り込むことが可能なほど、少女は小柄だった。少女を車内へ引き込むと同時に、峯島が無線に向かって怒声を上げた。
「よっしゃ。小隊各車、ッてぇ!」
機銃で牽制しながら側面に回りこんでいた三号車と四号車は、待ってましたとばかりに主砲をぶっ放した。距離1150。この距離で外す下手くそは峯島の小隊では生きていけない。タングステン合金弾体APFSDS二発が初速1501m/sという速度でキュイラッセを横から打ち砕く!
――かに見えた直前。キュイラッセが跳躍した。魔法によって関節部を手ひどく損傷しているはずにも関わらず、バッタのように高々と跳んだキュイラッセの落下地点は……。
「後退だ! 後退後退!」
慌ててヘルメットを魔法使いの少女に被せ、峯島が指示を飛ばした。戦車は後方へと急発進。直後、マサカリでも振り下ろすように、大剣状の前脚が今まで峯島たちがいた場所へとたたきつけられた。
「舐めるなッ!!」
和月が吼える。キュイラッセ着地のタイミングに合わせての、第二射。キュイラッセと峯島の74式戦車の距離はこの時、86メートル。もはや、MBTに想定された砲戦距離の極限を越えている。それは本当のゼロ距離射撃!
すべてを吹き飛ばすような衝撃。あまりの近さに発砲炎がキュイラッセまで届かんとする。砲身から飛び出すと同時に弾芯から剥離した装弾筒までもが、まとめてキュイラッセに直撃する。
「今度こそ――ッ」
我知らず、小島は叫ぶ。だが――。
「まだ!」
「ヤロウッ!」
「しつこい」
魔法使いの少女が、そして峯島に和月が、呪わしげに、忌々しげに罵声をあげた。これほどの至近距離から砲撃したにも関わらず、砲弾は結界を抜けなかったのだ。キュイラッセは着弾の衝撃に大きくのけ反り、たたらを踏んだものの、すぐさま全速後退する峯島車に地響きを立てて追いすがってくる。
「あの距離でも抜けんのかよ。こいつぁ、キツいぜちくしょう」
「小隊長、さっきのエーテル榴弾直撃で冷却系がイカレた。ギアも感触がおかしい。エンジンに異常音確認」
「んだとぉ!?」
抑揚の乏しい杉浦の報告には、明らかな焦燥が混じっていた。
「おいおい、随分痛快なありさまになってるじゃねえか。どれぐらい持つよ、杉浦?」
15分以上はもたない、と杉浦が答える。小島はゾッとした。動かない戦車など、鉄製の棺おけと変わらない。
後退しながらの、第三射。追いすがってくるキュイラッセの胸部に命中。壁に激突したように、キュイラッセは一旦動きを止めたが、それだけだ。進撃速度を緩めることしか出来ない。僚車も側面から援護射撃を加えてくれるが、細かく軌道を変えて跳躍までするキュイラッセにはなかなか当たるものではないし、命中しても多少行き足を止めるだけだった。
「逃げるのは無理か。かといって、あの距離から撃って結界を通せないんじゃ、どうしようもねえな」
「どうしようもないって、そんな!?」
「喚くなよ、装填手。今、考えてんだからよ。ああ、だめだ。腹減ってると頭が回らないんだよな、オレ様。おい和月、今度から手弁当作っといてくれよ」
「バナナでいいですか?」
「それのどこが手弁当だよ! っていうか、俺をサル扱いしてねえか、それ?」
「だ、だからそういう話をしてる場合じゃ――」
「あの、発言しても、いいで、すか?」
ひょい、と挙手された魔法使いの小さな手が、この期に及んでもなお続く彼らの掛け合いを遮った。轟音の洪水のさなかである戦車内であるにも関わらず、インカム無しで全員の耳に真冬の流水のような声が響く。峯島は、自分の膝の上に腰掛け、首にしがみついている魔法使いの少女に優しく微笑みかけた。
「おお、構わんぞ。全然OK。何か言いたいこととか聞きたいこととかあるのかな? お兄さんが答えてしんぜましょう。ちなみに、オレ様の携帯番号は――」
「舌を噛み千切って黙りなさい、小隊長。で、なにかしら? え、と……」
声が通るだけでなく、少女には車内の人間の声がインカム無しでも聞こえるようだった。どこかたどたどしい口調で自己紹介を始める。
「タヅナ。タヅナ・香坂・カナーリス、です。フユシバ・スタッフサービス社魔導事業部降魔二課の第十四位執行員。CC3特別強襲チームのメンバーとして、石巻ゲート封鎖作戦に参加。していたですが、現在事情により単独で行動中、です」
「ふん。つまり迷子ってわけね」
「…………くすん」
あからさまにへこむ魔法使い。
「こら、和月。微妙なお年頃なんだから、もちょっと気ぃ使えや」
「……チッ、ロリコンめ」
「大丈夫、です。へこんでません。たづなはいつも元気、なのです。いっつ・くーる」
「……で、小隊長。このまま無策に戦っても状況は――」
「ああっ、華麗にスルーしないでくだ、さい」
「うるさいわね、今こっちは忙し――」
「打開策は、ありまス、です」
もはや引き千切れんばかりに切羽詰っていた車内の空気が一瞬霧散した。皆の意識が集まるのを待って、少女は続きを口にした。
「ただし、皆さんにはチョー困難と思われる難度のアタックを要求することになりまス、です」
峯島はふん、と鼻を鳴らした。
「言ってみな、お嬢ちゃん」
タヅナは神妙に頷くと、端的に作戦の内容を説明し、出来ますか、と言わんばかりに少女は言葉を切った。峯島は眉根を寄せ、口をへの字に結んだ。それを見て、タヅナは気を落としたように俯く。と、そんなタヅナのヘルメットが乱暴に抑えこまれた。
「たいちょーさん?」
「ふん、なんだ、楽勝じゃないか。なあ、お前ら」
「ら、楽勝って、冗談でしょう? そんなの無理に決まって――」
「まあ、そのぐらいなら余裕ですね」
「問題なし」
「ええっ、そうなんですか!?」
一人絶句している小島に向かって、峯島が呆れたように、
「装填手ー、てめえオレ様の小隊の人間のくせにダセえこと言ってんじゃねえよ。この程度、それこそバナナ食いながらでも出来るだろうがよ。それともなにか? 小島陸士、貴様オレ様の車の装填手のくせに、90式のへっぽこ自動装填装置より役立たずなのか? おぉ?」
「そ……」
「大丈夫よ、小島陸士。こんなの、お弁当を作るより簡単じゃない」
「あ、和月。お前やっぱり料理苦手だったのな」
「う……ち、違いますよ。出来るに決まってるじゃないですか。当然です」
「じゃあ今度作ってみろよー」
「いいですよ、作りますよ。ノープロブレムです」
「……は」
しゃっくりのように、笑いが込み上げてくる。外ではキュイラッセに追いすがられ、周囲には雨あられと榴弾が降り注ぎ、車内は洗濯機に放り込まれたように上下左右にかき混ぜられているというのに。もういつ車が火を吹いて止まってしまうとも知れないのに。
この人たちは相変わらずで――まったく、呆れるくらいに最高だ。
小島はぽかんとなっているだろう魔法使いの少女に、確信をこめて宣誓した。
「と、いうわけで。全然楽勝、みたいだよ」
「……っふふ」
少女の漏らした小さな笑い声は、風鈴の音色のように狭い車内を通り抜けた。
「と、いうわけだ。ご理解いただけたかな? 小隊各車。送レ」
『レットー03。馬鹿馬鹿しくて反論もないですわ。ま、やってみましょ』
『こちらレットー04。なんすか、結局美味しいところは01が持ってくんすか。ズルいなあ』
「くくっ、当然だろレットー04。なんせこれはオレ様の小隊だからして、オレ様が目立たんでどうするよ」
無茶苦茶をしれっと言ってのけ、峯島は舌なめずりした。三号車、四号車が澱みのない機動で散開していく。配置に着いたのを確認し、悠々と峯島が言った。
「勝負は一瞬だぜ、しくじるなよ子分ども」
「誰が子分ですか。砲手、照準よし」
「装填手、準備よし」
「操縦手、事が済むまでつつがなく持たせます」
「ま、魔法使いもいつでもいける、です」
ガハハ、と大笑いし、タヅナのヘルメットをバシバシ叩き、小隊長は昼飯でも食いにいくように告げた。
「じゃ、まあちゃちゃっと行きますか」
快活な四つの応諾を受け、峯島は心底愉快げに頷くと――銅鑼を鳴らすような声で命じた。
「撃てぇッ!!」
まずは作戦の第一手。
峯島車の第四射。
各車と標的の相対位置、そして和月の技量を鑑みて、確実に命中させてなおかつ一瞬完全にキュイラッセの動きを封じる一撃。たとえ結界を貫けなくても、カウンターの要領で砲弾がキュイラッシの猛進を縫いとめる。
間髪入れず第二手。
ハッチを開き、魔法使い、タヅナ・香坂・カナーリスが車外に身を乗り出した。硝煙の漂う外気に髪を逆巻かせながら、彼女は再び【魔術師】の大アルカナを取り出し、たどたどしい喋り方がウソのようななめらなか、歌うような旋律で呪を紡ぐ。玲瓏とした魔導詠唱が、ディーゼルエンジンの轟音をもろともせず、高らかに響き渡る。
「我が双頭の【ヘルメスの蛇杖】――ガブリエルにしてパイモンたりて杯より溢れる水と化せ。理解の大海ビナーを誘い、今マルクトの座を脅かさん!」
虚空より滝のように零れ落ちてきた光芒が大地に広がっていき、キュイラッセの四方を囲むように、水星の五芒星となって固定化した。
「然して水よ、侵略せよ!」
詠唱完了と共に、再び現象が確定した。水星の五芒星が眩い光を放ち、霧散した。途端、五芒星が描かれていた大地が、キュイラッセが立っていた地面が一瞬にして泥濘へと変化する。重装騎兵の名を冠するに相応しい大質量を誇るキュイラッセが、この地面の液状化に耐えられるはずがない。その脚部はずっぽりと泥の奥へと沈みこみ、抜け出そうにもとっかかりもなく、泥濘の海の中でもがくキュイラッセ。
完全に動きを封じたうえで、第三手。
「03、04。弾種・榴弾。本車は徹甲だ。撃てぇッ!!」
丁度キュイラッセを中心にして三角を描くように位置取った戦車たちから、発砲炎が立ち上る。発射されたのはAPFSDSではなくHEAT-MP――多目的対戦車榴弾。
タヅナ・K・カナーリスは、キュイラッセの結界の特性について、峯島たちにこう語った。
即ち、かの結界は全面が常に一定の防御力にあらず。攻撃を受けた部分に防御力が流入する構造にある。そして、結界の防御力の総量は変化しない、と。
HEAT-MPが泥に嵌まったキュイラッセの光背に着弾。爆圧とともに漏斗状にばら撒かれた鋼球がキュイラッセを飲み込む。一種の飽和攻撃により、結界の防御は光背部全域に満遍なく拡散した。一瞬とは言え、この瞬間キュイラッセの前面に展開する結界の防御性能は極端に減衰する。
その、僅かな一瞬を見逃さず、和月の放った現代のジャベリン――APFSDSがキュイラッセの咽喉部へと喰らいつく!
自らの身を消耗しながら侵徹していくタングステン弾芯を、だが減衰した結界場は力場を散逸しながらも――持ちこたえた。流体挙動制限下に存速を殺された弾芯の残部が、結界を貫通できずに弾かれる。
だがしかし、それは予想された結果!
間髪いれずに第四手。
もう一度車外に小さな体躯を曝したタヅナが、高速形成した五芒星をAPFSDSの命中した箇所に投じて刻み付ける。峯島の膝に落ちるように飛び込み、消耗しきった気力を振り絞り、詠唱。
「一なる者の奇跡の行いにおいて、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如く――環ッ!」
結界に刻まれた五芒星が新星のように輝き光る。APFSDS着弾により貫通寸前にまで減衰した力場の修復論理式が、タヅナからの呪式介入により完膚なきまでに発狂した。
「介入成功、修復停止しました!」
弾む少女の叫びに、和月柚子は頬が引き攣るのを感じた。久しぶりだ、こんなに緊張しているのは。結界の修復が再開されるまで、タヅナが保証したのは僅かに4秒。その間に和月は先ほど自分が中てたのと寸分替わらぬ箇所にこの砲弾を命中させなければならない。許される誤差は50cm。外せば、キュイラッセに対抗できる手段は皆無となる。故障を抱えたこの戦車の稼働可能時間を考えれば、逃げ切る事も不可能。つまり、待ち受けているのは自分のみならずこの車に乗っている全員の死。
「くっ――くふ」
ああ、なんだ。この頬っぺたの引き攣りは緊張じゃなくて――私は、笑っているのか。
なんて、素晴らしいイカレ具合。でも峯島三尉が望み欲するのはこの狂気と紙一重の位置にいる天才砲手たる私なのだ。ならば、いい。それで良い。
神業じみた速さで、小島が次弾を装填する。和月はこっそり舌を巻いた。ほんとに人間か、こいつ。
「やれ、和月ッ!」
「はい!」
最終手。
鐘を打つように応え、和月は自分の為すべき事を敢然と成した。
APFSDSは寸分違わず、それこそ十センチの誤差すらなく輝く五芒星に着弾し――あれほど頑強だった結界の力場を食い破った。
豆腐でも繰り抜くように、キュイラッセの咽喉部を丸い穴が貫いた。直後、タングステン合金の飛沫の発火により生じた火炎がキュイラッセの上半身を呑みつくす。
咽喉部にあった結界発生器官を吹き飛ばされたキュイラッセに、三号車、四号車のHEAT-MPが猛然と浴びせかけられる。瞬く間に装甲を削り取られ、剥き出しの器官を抉り取られていく巨体。結界を失い丸裸にされたキュイラッセに、もはや峯島小隊の砲火を防ぐ手段は残されていなかった。
砲声が途切れる。
かすかに甲高い軋むような音を立てながら、上半身を跡形もなく吹き飛ばされた怪物が、術式の効果が途切れて乾き始めた大地に倒れ伏した。
「中隊と連絡つきました。石巻ゲートの封鎖、完了したみたいです。二号車も無事だそうで」
「そうかい。長谷部たちも無事か。で、作戦はオレ様たちを除け者にしつつ無事成功、ってか。ま、いいけどな」
キュイラッセ撃破直後に動かなくなってしまった74式戦車の車上。上半身を粉砕されて横たわっているキュイラッセの残骸を目下に収めながら、峯島たちはタヅナが所持していたサンドイッチセットの相伴に預かっていた。警戒に当たっている僚車からはブーイングが発せられているが、気にするような峯島ではない。餌を与えられた子犬のように上機嫌にサンドイッチに被りついている峯島と、何故か不機嫌そうにガツガツと美味そうに動いている彼の口元を睨みながら、ヘルメットをタヅナに被せたために車内でぶつけて流血していた峯島の頭部に包帯を巻いている和月を交互に眺め、小島は苦笑を浮かべた。
ほんと。この二人は、わかんないなあ。
そんな小島に、ひょいと卵サンドが差し出された。
「おにーさんもどうぞ、です」
「ありがとう」
小さな手から受け取り、笑いかけると、照れたようなはにかみが返ってくる。あんな凄まじい魔法の使い手とは思えないあどけない反応に小島は温かいものを感じながら、卵サンドにかぶりついた。
「おいしいです、か?」
「うん、おいしいよ」
「よかった、です」
蕩けるような甘さと傍らの少女の微笑みに、小島はだらしなく相好を崩した。
この三カ月後、峯島小隊は某方面からの働きかけで【テトラマイン作戦】における特別独立戦闘群の一角に組み込まれ――オワフ島奪還戦にてとある魔法少女とその仲間たちとともに、戦史に残る激戦の渦中に放り込まれる羽目になるのだが……勿論、今現在の束の間の平穏にデレデレとにやけている小島一騎陸士には与り知らぬ未来のお話であった。