F−1章 インドネシア民族の出自

563.マレー系民族の広がり 564.大陸からの移住
565.プロト・マレー系 566.先住民族
567.身体的特徴 568.双系社会
569.女性上位社会 570.姓のない名前
571.インドネシアの二面性

F−1.インドネシア民族の出自(注釈と資料)
F-1 インドネシア民族の出自  F-2  インドネシア人の民族性  F-3 稲作共同社会   F-4 諸民族とその社会
F-5 ジャワ社会とジャワ人 F-6 バリ社会とバリ人 F-7 少数民族  F-8 華僑と華人  F-9 異邦人として
F-10 インドネシア人の信仰心  F-11 宗教の並存  F-12 変動する社会  F-13 現代社会の様相



改定作業中




F−1 インドネシア民族の出自

563.マレー系民族の拡がり

 《人種》、《民族》、《国民》という言葉がある。日本の場合は一部の例外を除き常に『日本人』
であるが、外国ではこのような簡単なものではない。民族、人種、国民は各々別の概念であ
り、人種(race)とは[身体的]なもの、民族(ethnic group)とは[文化的]なもの、国民
(nationality)とは[政治的]なもの、というのが一般的な通念である。本書では他に種族・部族
という用語も民族の細分化概念として適当に使用している。
 かつて人種区分に白色・黄色・黒色以外に褐色人種という区分があり、マレー系のインドネシ
ア人は褐色人種とされたが、蒙古斑など黄色人種と共有することから今日では渇色人種区分
説は影を潜めている。黄色人種もモンゴロイドという呼び方が普及している。
  マレー系人種は南方モンゴロイドに分類される。中国人など北方モンゴロイドの顔は平面的
で目は一重瞼の切れ長であるのに対して南方モンゴロイドの皮膚は黒く目鼻たちは立体的で
瞳は大きい。今日のインドネシア人の先祖はアジア大陸から移住したモンゴロイドであり、猿人
である化石人類のジャワ原人(→138)とは関係がない。

 民族の区分である言語の分類においてインドネシア人はオーストロネシア(アウストロネシア)
語群(注)に属している。オーストロネシア語群は南島語族、マラヨ・ポリネシア語族ともいわれ
る。オーストロネシア語族の下位分類は〈西部語派〉と〈東部語派〉に大別され、西部語派は@
台湾諸語、A西部インドネシア諸語、B東部インドネシア諸語に区分される。Aにはインドネシ
アのほとんどの民族とフィリッピン、マレーシア、マダガスカルを含む。インドネシア国内のAと
Bの境界はスンバワ島(→214)を二分し、スラウェシ島の東側を通る。
 インドネシア人の主要言語はジャワ語、スンダ語、マレー語などであるが、これらは各々別の
言語であって方言の相違ではない。
 オーストロネシア語群の中では西はマダガスカル島から東は南米のチリ国に属するイースタ
ー島、北は台湾の高砂族、東北はハワイ諸島、南はニュージランドのマオリ族までその面の拡
がりは非常に大きい。何れにしろ、オーストロネシア語群、俗にいえばマレー系民族のインド洋
と太平洋の両方にまたがる拡がりは驚異的である。その中でもインドネシア人はマレー系民族
の中核に位置している。しかし同じ東南アジアでもすぐ近くのタイやミャンマー(ビルマ)とは別の
言語群になる。
 マゼランは世界一周の航海に出かける際にスマトラ島の奴隷(多分マレー人)を従者として
航海に伴い、フィリッピンに着いた際にスマトラ人の単語のいくつかを住民が理解できることで
アジアに到着したことを確信した。
注釈と資料-563  
⇒老人  ⇒マレー系民族の拡がり
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564.大陸からの移住
  
  オーストロネシア語族の故郷は中国の南部と考えられている。タイ、ベトナム、ビルマ族など
の民族は中国から押し出されてインドシナ半島に定住した。同様にインドネシア人の祖先のオ
ーストロネシア語族も北から漢民族(中国人)の圧力を受けてメコン河、メナム河、イラワジ河
に沿って南に移動し、ついには海を越えて島々に散らばって居住したものと見られていた。
  しかし最近の学説では語学的には台湾の高砂族の言語が最も古いオーストロネシア語にな
るらしい。すなわちアジア(中国)大陸から台湾に移動した民族集団がオーストロネシア語族の
先祖である。約4500年前に台湾からフィリッピンに移り、そこから東西南北に拡散した、という
説が有力になっている。
  この中で南の島々に移住したのが現在のインドネシア人である、マレー系民族が一気に南方
の島嶼部へ大移動した時期は数千年前でそれほど古い昔ではない。移住時期の早いグルー
プがプロト・マレー人(次項)であり、遅いグループが新マレー人である。
  世界史上の"民族大移動"というと教科書ではヨーロッパ大陸のことしか記載されていない
が、東南アジアでも同じような民族大移動があった。以後、東南アジアではせいぜい近代の華
僑の移動くらいでインドネシア民族の定着時のような規模の大きい移動はない。
 ベトナム・カンボジアにかけて居住するチャム人はかつてのチャンパ王国(注)の後裔であ
る。大陸部ではチャム人がオーストロネシア語族に属する。
  インドネシア民族のほとんどはオーストロネシア語族であり、西インドネシア語群と東インドネ
シア語族に大別される。アロル島(→223)、ティモール島(→221)、ハルマヘラ島(→230)には別
群の言語の民族が散在している。ニューギニア島の沿岸部はオーストロネシア語族の言葉で
あるが、内陸部は別系統の言語である。
 ところでマダガスカル島はアフリカのインド洋沖に位置する島である。島といってもグリーンラ
ンド島、ニューギニア島、ボルネオ(カリマンタン)島に次ぐ世界第4位の大きさである。アフリカ
からはモザンビーク海峡を隔てて400kmの距離であるが、人々の顔立ち、言葉、文化には
8000km離れたインドネシア的要素が見られる。
  人種的にもモンゴロイドの特徴が見られ、アフリカ大陸の黒人とは異なる。文化的にもアジア
と同種の稲を栽培しており、高床式(→792)の米倉、穂摘み(→592)などインドネシアとよく似た
稲作民族の文化を維持している。
  言語的にもオーストロネシア語群の中でインドネシアとマダガスカル島の言語は近い関係に
あり、マダガスカル語は西インドネシア語群に属する。
 マダガスカル島は当初はアラブ、後にはヨーロッパの支配下にあったが、1960年フランス植
民地から独立した。住民は先祖がインド洋を超えてインドネシアからやってきたことを誇りにし
ており、マダガスカル島がアフリカに含められることを嫌がり、アフリカ並びにマダガスカルの並
列を称している。

注釈と資料-564 
⇒アウトリガー船⇒マダガスカル島
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565.プロト・マレー系
(プロトマレー)

  マレー系民族のアジア大陸から島嶼への移動は何回か繰り替えされており、民族毎にこの
移住時期に差がある。比較的初期に移住してきた集団が「プロト(proto)マレー人」といわれ、
比較的後期の移動の集団がデュトロ・マレー人(新マレー人)といわれる。プロトとは「最初
の」、デュトロは「二番目」という意味である。ただし最近の学説ではプロト・マレー人、新マレー
人という区分はあまり意味がないらしいが、文化の差異の説明にはきわめて好都合な区分で
ある。
 前者のプロト・マレー系といわれる民族はスマトラ島のバタック人(→607)、ガヨ族(→085)、ニ
アス島(→096)・ムンタウエィ島(→657)の島民、カリマンタン島のダヤク人(→624)、スラウェシ島
のトラジャ人(→618)等がその代表である。フィリッピンのイフガオ族、ボントック族も同系であ
る。
 これに対して後者の移動時期が比較的新しい新(デュトロ)マレー人はジャワ人を始め、東南
アジア島嶼部(インドネシア)の多数のマレー系民族である。
 プロト・マレー系民族は共通して個性の強い。例えば首狩り(→625)のような独特の文化を持
ち山中に居住していた。このためヒンドゥー教やイスラム教の外来の宗教の影響も受けずにア
ニミズムを維持してきた。伝統文化に固執してきたこれらの民族も最近では他民族との同化が
目につくが、なおかつ特徴ある固有の文化を保持している。

 私見であるが、この〈プロト・マレー人〉と〈新マレー人〉の関係は日本の〈縄文人〉と〈弥生人〉
の関係にも対比できるのと思う。日本の歴史において縄文が先行し弥生が後継者である。し
かしこの両者間の移行は突然に生じたのではなく両者は併存した。また両者は異なる民族集
団によって担われたのでものであり、地域的棲み分けもあった。しかし狭い日本では数におい
て不利な縄文文化は弥生文化に次第に吸収される形で日本人が形成された。
 縄文と弥生は文化としてどちらが優れているという問題ではない。出土された縄文土器には
芸術的にも優れており縄文文化の方が個性は強い。縄文のオドロオドロシイ土偶を見ていると
ダヤク人やニアス人の木彫りと心象的に重なる。
 東南アジアの島嶼においては低い人口密度から《プロト・マレー(縄文)人》と《新マレー(弥
生)人》の併存の状態がそのまま継続することが可能であり、今日に至ったといえるのではな
いか。さらに飛躍すると日本武士の首への執着は縄文文化の痕跡であり、日本の縄文は台湾
の高砂族につながりそうに思う。残念ながら日本の縄文遺跡からは首狩りの存在を証明する
遺物はまだ発見されていない。
 今日のプロト・マレー人の居住地を見ると、彼らは後からきた新マレー人に追われて山中に
いるように見える。しかし見方を変えるとプロト・マレー人が涼しくていい所を先取りしたので、
後からきた新マレー人は条件の悪い海岸に居住せざるをえなかったともいえる。
 

注釈と資料-565 
⇒ニアス島の伝統家屋
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566.先住民族

  ジャワ島にいたホモ・エレクトス(直立原人)であるジャワ原人(→138)は絶滅し、地球上には
ホモ・サピエンスが取って代わり、「ソロ(Solo)人」、「ワジャク(Wajaks)人」が大陸から海水面
の下がったスンダランド(→016)にやってきた。
東部ジャワのパチタン(Pacitan)で発見された旧石器文化がその遺物である。スラウェシ島の
トアラ石器文化(→205)、東部ジャワのサンプン骨器文化は後期石器時代のものである。先史
時代の人類の痕跡が熱帯に多い理由は氷河期の気候に耐え得る地域であったからである。
  その後、海水面が4~5万年前に下がった際にオーストラリア原住民のアボリジニの集団がイ
ンドネシア経由でオーストラリアに移住したと考えられる。オーストラリアのアボリジニとパプア
系民族(→626)は近い関係にあるといわれる。
  ところで東南アジア島嶼部の山中に点々と「ネグリト(Negrito)」といわれる部族がポケット状
に残されている。身長は低く、皮膚の色は暗褐色か黒色、短頭型、毛髪は縮れ毛というように
身体的特徴はネグロイドである。ネグリトはスペイン語で「小黒人」の意味でアフリカの黒人、
パプア人との共通性が見られる。言語的にはオーストロ・アジア系の要素が強い。
  マレー半島の山岳部に居住するネグリトは2千名程度で吹き矢(→625)を使用する狩猟民で
ある。その他にインド洋のアンダマン島の民族、フィリッピンのアエタ族がいる。
  一時アチェ州(→085)の険しい山岳に小人が原始的な状態で生息している伝えられたことが
ある。もし本当であれば原形に近い先住民であるが、その後の消息はない。マルク諸島の人
跡未踏の山中にもネグリト族が放浪していると伝えられる。スマトラ島のジャングルの中の未
開のクブ族(→656)はネグリト族の血をひくらしい。
  スマトラ中央部の「サカイ(Sakai)族」は短身体で頭髪は縮れ毛である。容貌からもネグリトと
モンゴロイドの混血らしい。言語はオーストロネシアの要素が強い。サカイとはマレー語の奴隷
の意味なので最近は使われない。マレー半島の「セノイ(Senoi)族」と共通点が多い。
 サカイ族はリアウ州のジャングルで焼畑農業を営み、簡単な住居で放浪生活に近かった。一
般住民との接触を避けていたが、近年の石油開発によってリアウ州ブンカリス県に道路が通じ
たことから生活基盤が変わり、サカイ族が定住化するようになった。現実には彼らが都会に出
てくるとインドネシア人とほとんど見分けがつかないらしい。名目はイスラム教徒やキリスト教徒
に改宗したが、先祖伝来のアニミズムの影響が強い。
  ネグリトはマレー系民族が東南アジアの島嶼部に大挙して移動して来る以前にいた東南アジ
ア古代人の生き残りらしい。オーストラリアへの移動過程で残留したアボリジニの一派というこ
とでもないらしい。東アジアのモンゴロイドの海の中でなぜこのように種族が存在するのか解明
されていない。
注釈と資料-566 
⇒サカイ族
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567.身体的特徴

  世界の人種は皮膚の色に基づいて〈コーカソイドという白色人種〉、〈モンゴロイドという黄色
人種〉、〈ネグロイドという黒色人種〉に大別される。かつては《褐色人種》という範疇があり、マ
レー系民族は褐色人種と称せられた。またアメリカ大陸原住民のインディアンを《赤色人種》と
いう分類も存在した。
 最近では褐色人種も赤色人種も黄色人種の分派とされ、インドネシア人は黄色人種の南方
モンゴロイドに分類される。インドネシア人の赤ん坊の尻には日本人と同じ黄色人種の証(あか
し)の"蒙古斑"がある。
 日本人より色の白いインドネシア人もいるし、インドネシア人より色の黒い日本人もいるが、
一般的にインドネシア人の方が色は黒い。しかしこれは後天的なものらしい。産まれたばかり
のインドネシアの赤ん坊の肌の色は日本人と変わらない。
  インドネシア人など南方系モンゴロイドは目が丸く二重瞼が多い。北方系モンゴロイドは目が
細く切れ長である。寒冷期に気候に対応するため目が細くなったのが遺伝体質になった。鼻が
低いのも熱の拡散防止のためである。
  日本人は大陸(朝鮮)経由の北方モンゴロイド系、南方系のハイブリッドである。目が細く切
れ長の大陸系の人もいる。目が丸く二重瞼の人は南方系の人もいる。インドネシア美人、特に
スンダ美人(→612)の写真を見ると沖縄美人かと思う。
 田口重久氏の観察によればジャカルタで普通見かけるインドネシア人は、中・東部ジャワ州
出身のジャワ人、西部ジャワ州出身のスンダ人が多く、次に北スマトラ州出身のバタック人や
西スマトラ州のミナンカバウ人などである。
 インドネシア人の身体では同一民族の中での個体差の方が、民族間の相違よりも大きい
が、一概に言って、ジャワ人には丸顔で色が黒く、スンダ人にはあごがしゃくれていて肌の色の
薄い人が目立つ。バタック人には日本人のように頬骨の高い人が多く、いかつい感じを受け
る。ミナンカバウ人は少しアラブの血が混じっているように見える。
 体躯の大きい人も小さい人もいるが、インドネシア人の平均的体躯は日本人より小さい。現
在のユドヨノ大統領はインドネシア人では例外的に大きい。同一種の哺乳類は暖かい所ほど
身体が小さいことは虎や熊の例と同様に人間にも適用できるベルクマンの法則(→067)であ
る。ただし人間の場合は食料事情の影響も大きいと思われる。
  マレー系民族の中でも曙関や小錦関のようにポリネシア系は概して大柄である。島嶼では一
般に食料事情が悪いにもかかわらず身体が大きい理由は食糧の入手ができない時に備えて
体内にエネルギーを備蓄するためということであるが??。インドネシア人にポリネシア系を思
わせる大柄の人もいる。
  警察・軍隊が治安用に使用している銃は輸入品のため、普通のインドネシア人にとって銃は
大きすぎる。警察が治安のためとは言いながらやたらと銃をぶっ放す傾向があるのは輸入の
銃が身に合わないからだという説を紹介しておく。

注釈と資料-567 
 ⇒スンダ美人⇒女性の脚
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568.双系社会

  婚姻と出生を契機とする親族といわれる人間関係のあり方は民族によって多様多岐である。
インドネシアの民族ではスマトラ島のバタック人(→607)は〈父系社会〉である。父系(男系)社会
は世界でも最も一般的なシステムで日本人社会も原則として父系社会である。
  同じスマトラ島のミナンカバウ人(→609)は〈母系社会〉である。特に母系(女系)社会は世界
にも数少ない貴重な存在である。ミナンカバウ人でも王位継承は父系というように社会階層で
変わるが、この場合でも祭儀は母系でおこなう。ミナン人に隣接するルジャン族のようにミナン
人の影響をうけて1930年頃より父系から母系に変更になった民族もいる。

  ジャワ人をはじめインドネシアの多くの民族は父系・母系のどちらでもない〈双系社会〉であ
る。双系社会では結婚すればその夫婦は夫方、妻方の何れにも属しない。仮にどちらかの親
の家に同居または隣に住むことがあってもケースバイケースで社会一般のルールがあるわけ
ではない。
  家系というコンセプトがないからインドネシア人には苗字、即ち家族名がない。世代間の連続
観念が希薄である。直系、傍系という考え方もない。
  しかしワヤン(→904)の登場人物を見ると人物の血族の説明がうるさいくらいである。家系は
なくても血統は重んじられる。血統には母方の方も並列的であり対等である。日本の系図を見
ていると家系があって男の名前だけが連ねてある。しかし日本の父系社会は儒教によって確
立された後天的なものであり、実態はかなりの母系的要素が潜在(注)している。
 子供の割礼、結婚式、葬儀、その後の儀式に一族が集まることがあるが、そのリーダーとな
るのは知識が豊富とか社交的などの個人の素質であり系譜や出自ではない。
  インドネシア語の家族「クルアルガ」(→573)は狭い意味の家族だけでなく親族をも含む。双系
社会の親類は父方、母方の両方に対して等距離である。インドネシア人には親類が多い。親
類とは何らかの血縁関係の知り合いは全部親類である。
「ソウダラ(saudara)」は狭義には兄弟姉妹という意味であるが、広義には親類全般を指す。ス
カルノ大統領が演説の冒頭で『ソウダラ・ソウダラ』と呼びかけた。「同士諸君」という意味にも
なる。「ブサン(besan)」の語義は従兄弟の意味である。インドネシアでのブサンの使われ方は
血統上の従兄弟に限らない。政治家は党派を超えても親しい関係にあれば皆ブサンと呼びか
ける。
  インドネシアの王朝史には女王が存在している。マジャパヒトの創設者(→247)の後3代は女
王である。アチェ王国(→257)ではイスラム改宗後であるが、イスカンダル・ムダ王の後は女王
である。国王には職能分担から男が選ばれたが、男がいない場合は女王が選ばれた。血統
が優先である。ヒンドゥー教・イスラム教のどちらの教義にもない女王の存在はマレー系社会
の所産であろう。           

注釈と資料-568  610.母系社会
⇒働く女性⇒市場の女性
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569.女性上位社会

 インドネシアの大半は双系社会であるが、男女対等が常に明確な状態で確認できるわけで
はない。カルティニ(→342)を憤らせたようにジャワ貴族社会では男尊女卑の慣習が定着して
いた。これは女性の地位が低いヒンドゥー教とイスラム教の影響である。
 しかし男女平等の西欧近代思想が抵抗なく受け入れられたのは双系社会(前項)の基盤故
であろう。インドネシアでは双系社会であることから父系社会と比べると女性の社会的地位は
高い。2001年に女性のメガワティ大統領が登場した。
 近代社会の仕組みの中にも女性の職場進出は日本以上である。日本を上回る女性の管理
職がいるのが一般的な事務所の風景である。インドネシアでは女性が大臣になってもニュース
価値はない。
 日常風景においても女性連の横行が目立つ。例えば夫のビジネスのパーティでも夫婦同伴
で押しかけて憶することなく中央に堂々と鎮座しており、亭主連は隅の方である。巷(ちまた)で
は「イブ・ノモール・サト(妻がNO.1)」という。インドネシアの離婚率がアメリカ並に高いのは女性
が忍従する文化(イスラム教)が皮相的だからである。
  女性の社会進出は日本はおろか西欧よりも西欧化されている。インドネシアで会社経営に関
わった駐在員から内緒で聞いた話であるが、インドネシア人の男性部長より女性秘書の方が
役にたつそうである。この意見に同意する人が多いことからも女性の方がしっかりしているとい
うのは公然の事実である。
 庶民の商売も男性の場合はどこかなげやりなところがあるのに対して女性の方が熱心であ
る。食料の確保も〈澱粉は女性〉〈蛋白質は男性〉と大雑把な分担になっており、日常は澱粉だ
けで事足りる。要は経済的実力において対等ということになる。
 問題は女性が働かなくても十分に生活できる上流社会の女性である。官庁、団体において
はゴトン・ロヨン(→593)に基づく互助組織があるが、そのトップはトップの夫人であり亭主の位
に応じた婦人会(ダルマ・ワニタ)組織(注)ができあがる。ちなみに公務員のダルマ・ワニタは
スハルト時代のゴルカル(→393)の選挙時の有力な集票組織であった。
 ダルマ・ワニタの会長は単なる名誉職ではなく実際に活動をする。亭主の活動が〈表〉とする
と、夫人の組織は〈裏〉である。そのうち夫人が出しゃばってくると表裏が解らなくなる。インドネ
シアについては汚職とかファミリー・ビジネスという芳しくない評判があるのは女性が強すぎるこ
とにその一因がある。
 PKK(→732)という生活改善運動がRW、RTという隣組組織(→597)と一体となった婦人会とし
て盛んに活動している。
 スカルノ大統領は複数の夫人がおり、各夫人が各各の代理業務で大統領に圧力をかけたた
め内部崩壊をおこしたともいえる。スハルト大統領の失墜の原因のファミリー・ビジネスは元を
たどるとティエン夫人(→451)に行きつく。フィリッピンのイメルダ夫人もマレー系社会の共通す
る社会現象である。

 注釈と資料-569 
 ⇒女性秘書⇒キャリアウーマン?⇒家庭パーティ風景
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570.姓のない名前

 インドネシア人の名前の特徴は家族名にあたる姓がないことである。世界で"姓"のない名前
はビルマ、マレーシア、ラオス、パキスタンにも見られる。インドネシア文学に植民地時代の学
校でオランダ人がインドネシア人に「家族の名前もない連中!!」と嘲ける場面があり、インド
ネシア人の子供はその屈辱に耐えた。インドネシアの場合、姓がなくて名前だけであることは
双系社会(前々項)であることと密接な関係にある。不特定の祖先という概念はあっても家系と
いう概念がないから姓の必要性がない。
 名前の付け方は新しく導入される要素もあるが通常は頑(かたく)なに民族の伝統を維持して
いる。従って人の出自民族は名前からもおおよその見当はつく。
  父系社会のバタック人(→607)では個人名+氏族名である。シレガル(Siregar)、シラエン
(Silaen)、シナガ(Sinaga)はトバ・バタック族であり、ルビス(Lubis)、ナスティオン(Nasution)は
マンダイリン・バタック族の代表的な氏族名である。その他にSimatupang、Silitonga、
Pangabean、Hutapea、Simanjuntak、Hutasoit、Sembiring、Tobingがある。
 キリスト教への改宗の早かったミナハサ(マナド)人(→620)の名前は従来の個人の名に新た
に苗字が付け加わっている。
  ミナンカバウ人(→609)の名前はタヒルが代表的である。その他ではHerliza、Faizal、Rizal、
Gozali,Amizalというように「z」の文字を含む。
 スンダ人に多い名前はSuhanda、Suhanya、Juandaなどである。姓に相当する名は
Nataatmaja、Tirtakusuma、Kusumaatmajaというように「a」で終わる。 
 アンディといえばブギス人である。
 バリ人の名前(→648)のつけ方には男女を問わず順番につけるのが特徴である。称号からカ
ーストが推測できる。ジャワ人の名前は別項(→639)を設けている。
  民族を問わず熱心なイスラム教徒は聖教者の名にちなむ。「フセイン(Hussein)」はイラク大
統領に限らず北アフリカからインドネシアにまで見られる名である。「アリ(Ali)」とか「アブドゥラ
(Abdulla)」いうようにイスラム教にちなむ名前になると全民族共通である。アラブ人やペルシア
人、モロッコ人との区別もできなくなる。
 華人(中国系インドネシア人)の場合、スハルト体制において同化政策(→679)の一環としてイ
ンドネシア風の改名を強制された。改名後の名前には例えば「林(lim)」がSalimになるように中
国名の痕跡をとどめているものが多い。その他には呉(go)はsudargo、王(wang)はguwanなど
である。
 日本人の名前には姓が先にある。しかし外国人に名乗る際には個人名と家族名の順序を入
れ替えていうのが習慣になっている。中国人、朝鮮人は外国でも姓と名の順に名乗る。そのう
ち日本の粗(あら)さがしに執念を燃やす隣国のさがない連中は「日本人は欧米人に擦り寄る
ために姓名をひっくり返した連中」と声高に軽蔑するようになるだろう。今更変更は効かないだ
ろうが残念な習慣である。

注釈と資料-570 
 ⇒チラチャップで⇒インドネシアの子供
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571.インドネシアの二面性

 インドネシアは多様な国である。この多様な国を一概にいうことは難しいというよりは、むしろ
不可能であろう。従ってこの多様な国については二面性があるという視点で見れば理解しやす
いと思う。
二面性があるということは実際にはどちらかの要素がより強く表われるということで歴史、民
族、状況によってその程度に差が生じる。
  インドネシアは海に囲まれた島国である。この状況においてもなお《海洋国》としての一面と
《内陸国》としての一面との両面性がある。
 例えばジャワ島は海に囲まれていてもジャワ人は海への関心は低い。沿岸漁業も熱心でな
い。一方、スラウェシ島を本拠とするブギス人(→617)は海洋民族である。その活動範囲はオー
ストラリアから東シナ海、さらには沖縄まで及んでいた。また、インドネシアにはバジャウ族(→
662)という海をねぐらにしている漂海民がいる。
 ジャワ島が稲作による《農耕社会》であるのに対してスマトラ島ではマラッカ海峡の地の利を
活かした《商業社会》が発達した。いうまでもなく前者は〈定着型〉であり、後者は〈移動型〉であ
る。
ジャワ人をはじめとするインドネシア人はおよそ商業に不向きであり、ここに華僑が進出するス
キがあった。これに対して同じインドネシア人でもミナンカバウ人(→609)は華僑に劣らない商
業民族である。
 歴史的に見てもジャワ島の歴代の王朝は《土地支配》による農民からの租税を基盤としてい
た。一方、スマトラ島のような外島の王朝は《通商支配》に基づく物品税であり自ら交易を行い
商業利益をえた。
 ジャワ内陸の王朝では王の条件として血統、世襲が重んじられ、そこでは洗練された礼儀作
法が発達した。海峡の交通の要衝の地の王朝では王の人望が重要な要素であった。そこへ
は世界各地からの商人が訪れ、冒険進取の気風が生じた。もちろん時には海賊行為もあっ
た。
 以上を要約すると《ジャワ型》と《外島型》というように類型化される。個々のケースでは、例え
ばマジャパヒト王朝(→248)のようにジャワ島王権であっても外島型があるし、その逆も当然あ
りうる。今後ともインドネシアにおいてはこの二面性の中で人口の多いジャワが一応の優位を
保ちながらジャワ型と外島型のバランスの中でどちらかが濃くなったり薄くなったりしながら社
会は発展していくであろう。

  日本では織田信長の楽市楽座政策によって商業社会が発達し、豊臣秀吉時代には海外貿
易も発達した。織豊時代には通商が重視されたが、その後、徳川政権によって鎖国政策の下
に通商は政権の玩弄物となり長崎に閉じ込められ芽を阻まれた。日本は未だ徳川による100%
農業社会の後遺症を脱しきれないのでなかろうか。

注釈と資料-571 
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F-1 民族出自(注釈と資料)
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