スマトラ島出身の文学者でありジャーナリストであるモフタル・ルビス(→965)が講演集「インド
ネシア人の自画像」でインドネシア人の性格の欠点を述べている。インドネシア人向けの講演 であるので啓発の観点からわざと厳しい面もある。事実、発表されるや反論が相次いだ。
インドネシア人というよりも日本人のことかと思うような項目もある。多様なインドネシアの全
民族に該当するわけではない。事実ジャワ人の生活哲学(635に詳述)と重複するところが多い のはジャワ人がインドネシア人を代表しているという実態であろう。あえて同書の項目に則って 敷衍(ふえん)してみる。
【偽善】インドネシア人は敬虔なイスラム教徒のふりをしているという。
【無責任】「私に関係ない」というのはインドネシア人の常套文句である。「関係ない」とは言え
ない状況においても自分の過ちとしては認めない。何か失策をしでかした際にも 「dia sendiri (勝手にそうなった)」という言い訳をする。例えばメイドは皿を割っても勝手に皿が割れたのど あるから謝ることはない。
【封建性】クラトン(王宮)の封建的身分関係は今の官僚組織にそのまま残っている。上司と部
下の関係は全人格的である。大統領や大臣や知事や将軍がかつての国王と貴族に替っただ けである。下っ端役人のビヘイビアは「テルセラ(注1)」であり、「ABS主義(注2)」という。" asal bapak senang"は「上さえよろしければ」という意味の略語である。
上にへつらう公務員は庶民に威張る。公務員はNIPという公務員にだけ与えられる番号を持
っている。庶民に対する優越感の根源地である。NIPを記入する時のソンボン(sombong=尊 大)な態度はマンガ的である。
【迷信深い】インドネシア人は迷信深く、例えば幽霊を信じており非常に怖がる。インドネシア
の庶民は病気になってもドゥクンという祈祷師で治す。
【性格の弱さ】『NO』という言葉をはっきりと言わない。いろいろな庇理屈から『NO』であること
を察しなければならない。しかし歯に衣を着せた婉曲な言い方は京都流の洗練された文化と いう評価もあろう。
モフタル・ルビスはインドネシア人の優れた特質として芸術的才能を挙げている。この点につ
いては万人の認めるところであろう。
インドネシア人の性格を表すキーワードはバンガ(誇り)、ゲンシ(見栄)、マンジャ(甘え)の3語
という。怠ける、さぼる、むさぼる、をインドネシア人の3悪ともいう。
著者の尊敬する田口重久氏の『インドネシア不思議発見』HPには インドネシア人への鋭い観
察があり驚くばかりである。
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「バパ(bapak)」の意味は"お父さん"であり、バパという呼びかけは年長者や地位の高い人
にも用いられる。スハルト大統領は国民から親愛を込めて「バパ・ハルト」と呼ばれ、そのよう に呼ばれることに満足していた。
アジアの中でもインドネシア人は特に「クルアルガ(keluarga=家族主義)であるといわれる。
これはインドネシア人がマイホーム主義であるとか、夫婦や親子関係が親密であるとか、先祖 を大事にするとかいう意味ではなく、インドネシア人全体に見られる持たれあい、甘えの依存 性の強い人間関係を家族関係になぞったものである。
為政者は家族主義をことさらに強調してきた。為政者が唱える家族主義は為政者が父親で
国民は子供であるという前提にたっている。特にスハルト大統領の唱えた家族主義(注)とは 家父長制のことである。大統領は父親で国民は子供であるから子供は父親を批判などせずに 全てを任せてついて来いという意味である。
スハルト大統領が好きなジャワ語のよく知られた台詞(せりふ)は「トゥット・ウリ・ハンダヤニ
(Tut Wuri Handayani)」である。英語では「Father knows best」の意味である。親が子供に歩き 方を教え、転ばないように見守ることである。
初代のスカルノ大統領はゴトン・ロヨンを強調した。スハルト大統領は二番煎じを避けるため
にゴトン・ロヨンを家族主義と言い方を変えた。ゴトン・ロヨンも家族主義も同根からの発芽であ る。あえていうならば家族主義は人間関係の静態面であり、ゴトンロヨンは動態面で捉えたも のである。
欧米の書物ではインドネシア人の家族主義を事珍しく記載しているが、具体的内容は日本人
が見ればそれほど特異なものではない。個人主義の価値観の高い欧米の視点からはアジア 人全体が家族主義の傾向があるからであろう。アジアの家族主義とは自我の強い西欧の個人 主義との対立概念である。
オランダの習慣でインドネシアに定着しなかったのはダッチ・アカウントといわれる"割勘(わり
かん)"である。インドネシアでは自他ともに認める支払う人は決まっており、割勘などすればそ の人の顔をつぶすことになる。
インドネシア憲法33条は経済について「家族的友愛に基づいた国家経済の経営」と記してい
る。競争原理に基づく自由主義よりは談合に基づく協調主義の薦めである。
ジャワには『食えても食えなくても家族の団結を強めよう= Makan Tidak Makan Kumpul』という
慣習があり、家族の一員のなかで富めるものは恵まれないものを助けることになっている。汚 職の原因であることはさておいて公的社会保障がない場合、頼れるものは親戚・兄弟になって しまう。
日本人とインドネシア人の国際結婚の破綻の原因の多くは本人同士の問題でなく、相手側
の家族との問題である。家族・親族という名の有象無象の存在に日本人のか細い神経の方が 耐えられないからである。
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インドネシア人にとって「面子ムカ(muka=インドネシア語で顔の意味)」をなくすることは重大
な問題である。面子をなくすることが不愉快であることはどの民族でも同じである。しかし、それ に対する許容度には相当の幅がある。インドネシア人はその許容度が極端に少ない民族と考 えるべきであろう。
人前で面罵(めんば)されるとインドネシア人の顔が青ざめる、といっても顔の色までは分から
なくても表情が硬直するから分かる。女中などに対し人前で軽々しく面罵することは禁物であ る。叱る際は相手の面子に留意しなければならない。
面子をなくすることは「マル(malu=恥辱)」の状態に追い込まれることである。一度、失われ
た面子は何らかの形で仕返しされることを覚悟しなければならない。受けた恥辱は容易なこと では修復されず、トラウマ(心の傷)となる。マルはインドネシア人の民族性を表すキーワードで ある。ブギス/マカッサル語ではシリッ(→615)という。
スカルノ大統領の米国嫌いが顕著になったのはアイゼンハワー大統領を訪問した際に2時
間待たされたこと以来という。
第二次世界大戦の際、インドネシアを占領した日本軍は日本的習慣によって相手かまわず
にビンタをくらわした。これは"痛い"とかいう問題ではない。インドネシア人の面子を傷付け、 彼らの人間としての誇りを踏みにじったことである。ビンタの後遺症は現在にも残っており、日 本人に対する嫌悪感として潜在しており思いがけない時に出てくる。
相手に恥辱を与えるのは面罵や暴力ばかりとは限らない。いやみな皮肉も面子をなくさせる
ということでは同じである。交渉で完膚なきまでに相手の主張を論破すれば相手の反発は一 層高まるだけである。
面子を失い、恥辱を味合わされた場合は復讐せねばならない。アチェ人(→604)、ブギス人
(→615)、マドゥラ人(→614)ならば直ちに行動にうつる。ジャワ人(注)の場合は復讐であると後 日になって気がつくような陰湿な形である。
面子をなくすることの反対は"面子をたてる"ことである。他人がいる所で相手を持ち上げるこ
とは良い人間関係をもたらす。インドネシアで物事をうまく持って行くためのノウハウである。
フィールド調査で調査地に到着して最初になすべきことは村長を表敬訪問することである。イン
ドネシア人にとって「ゲンシ(gengsi=見栄)」も重要なキーワードである。
インドネシア側と利害の対立する事項の交渉をしなければならない場合、直接に対決するの
はまずいやり方である。公の場で面子をなくすることを恐れる相手側を不必要に頑なにするだ けである。こういう時は有力と思われる代表者とだけ会い、その代表者に意をつくして説得す る。それから先の相手側の説得はその代表者にまかせる。結果が必ずしも良いとは限らない が、直接の対決よりはましである。何故なら誰も"面子を失う"うきめを見ないですむからであ る。
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オランウータンやラタンと同様に国際語になっているインドネシア語に「アモック(amok/
amuk)」がある。英語では「run amok」という。アモックはインドネシア人を含むマレー系民族に 共通する凶暴になる精神錯乱の気質である。日本の新聞の社会面によくでてくる「カッとなる」 とか「きれる」という精神状態である。しかしその凶暴度合いは日本人のカッとなる程度どころ ではない。
最も危険なアモックは狂乱状態で刃物を振り回し片っ端から人を傷つけ殺す。日中に大勢の
人が見ていても周りの人も止めようがない。本人が自分に刃物を向けて自害するまでその狂 気が続くので周りの人は逃げるだけである。
東南アジアに取材したモームの短編集の中にアモックになったマレー人が登場する。ツヴァ
イクの小説『アモック』ではジャワで恋に破れた白人の医師がアモックになるというもので、こう なると民族の気質というよりは風土病である。害虫等による大脳皮質の障害から発生するとい う説もあったくらいである。
一般にインドネシア人は礼儀正しく穏やかな民族であることを自他とも認めている。しかし日
頃の忍耐が蓄積され臨界になった時、あるいは人前で侮辱を受け面子がつぶされた時、アモ ックに陥りまるで別人になる。
アモックには対人関係制御装置の破壊という要素がある。誰も見る人がいない夜などにはア
モックは起きにくいというところにアモックの特質が表われている。アモックは社会緊張の所産 である文化拘束症候群という見立てがある。
インドネシア人のアモックは個人の気質のみならず社会の気質でもある。インドネシアの社会
も時として集団でアモックになる。オランダに攻められたバリ人が行った最後の抵抗であるププ タン(→172)もある種のアモック現象である。
近年では東インドネシアのアンボン島、ロンボック島、ハルマヘラ島でのイスラム教徒はキリ
スト教徒を、キリスト教徒はイスラム教徒を殺害して放火してまわる宗教対立暴動は集団アモ ック現象でもある。
マレー系民族の神経性病気としてアモックほど顕著でないが、"ラタ(latah)"という精神病理現
象が知られている。ラタの人を驚かすと変な驚き方をするので分かる。急に卑猥な言葉を発す る、同じことを繰り返す、言われたこと全てに服従する等の言動が特徴である。本人は無意識 である。ブギス人にはコロ(注)という神経症も観察されている。
アモックは非常時であるが、トランス(次項)は恒常的である。インドネシア人、中でもバリ人
はトランスの気質が強い。トランスも症状が多様である。普通のトランスは気絶する程度である が、虎に変身するというトランスになるとアモックの一歩手前である。"人虎"は咆哮(ほうこう)し ながら徘徊する。目障りな物に虎の動作で飛び掛かる。実際に人虎に太股を噛み付かれた日 本女性の体験談もある。トランス、ラタ、アモックの相互の垣根は低く同根の現象のように思 う。
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英語のトランスとは"神つき"とか"孤つき"というような憑(つ)き物の状態である。日本語では
恍惚(こうこつ) という意味もあり、『恍惚の人』以来、恍惚にはボケるという意味が付加された ようであるので本書ではあえて英語の「トランス(trance)」を使用する。要は人々が神々や霊な どの超自然的な力に憑依(ひょうい)している状態である。
西欧人から見るとアジア人は日本人も含めてトランス傾向が強いらしい。シャーマニズムの
世界ではトランスは不可欠である。
日本最初の統治者である卑弥呼(ひみこ)はトランスになれる巫女(みこ)であった。近代では
大本教の創始者の出口なおは年取ってから神が乗り移り神の言葉を話した。そもそも宗教と はトランスの要素がある。お経を読む僧侶、祝詞を唱える神主、修験道の山伏が業務に忠実 であればその片鱗を見ることができる。自分で経験したければ神輿をかつぐか、阪神タイガー スファンに改宗して甲子園に行くことだ。
そのアジアの中でもインドネシアの各民族はトランスの傾向が強く、そのインドネシアの民族
の中でも一段とバリ人のトランスは強い。バリではトランスになることは今日でさえ日常的な光 景である。
バリ人はトランスを通して神と交流する。オダラン(→645)にはトランスの仲介者をとおして人
は神に御機嫌を伺う。「満足である」とか「不快である」との返事がある。少し難しいトランスは 専門化して職業としている人がいる。トランスになって死者の霊を呼び出して会話するバリアン (→867)である。
普段は普通の人であるバリアンがトランスになると形相(ぎょうそう)は変わる。穏やかな表情
は消えて厳しくなる。トランスの間は敬意を払われる。しかしトランスが戻れば普通の人であり 普通の人として処遇される。神がとりついても神がその人の体を借りただけである。
バリでトランスになるのは職業と関係のない普通の人にもある。行列を組んで儀礼の男性の
参加者が次第に憑依(ひょうい)状態になり、クリスを振り回す。ルジャン(→913)に参加の女性 は憑依状態の踊りから集団で重なり倒れる。
バロン・ダンス(→954)は観光客相手のショーである。このダンスもトランスが見せ場になって
いる。村の男達はランダの魔力によってトランスに陥り、クリス(→935)を自分の胸に突刺す。こ れは観光客へのショーであるから本気ではないしクリスも鈍器らしい。しかしバリ人が神の前で 演じる際には胸を突刺さしても肉体が硬直しているから怪我はない。トランスから正気になる 過程は危険であるので、正気の人が必死になって腕を捕えなければならない。それでも時に は血が流れる。
バリ人のトランスも観光芸能の名において見せ物になってきた。現にバリ人にもトランスにな
れる人が減じつつあるという。
イスラムにも呪文を唱えながら激しく体をゆすり、神と交信するジクルという技法を行う宗派が
ある。
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1983年6月11日にインドネシアで皆既日食があり、日本からも日食見学の団体旅行が押しか
けた。ところでインドネシア政府は国民に対して皆既日食はテレビで見るようにと注意を促し た。国民の目を悪くしないようにという親心である。
政府にいわれなくてもインドネシア人は日食を恐れた。日食はラーフという怪物が太陽を食べ
るから起きるので、特に妊娠している女性が日食を見ると斑模様の赤ん坊が産まれるというジ ャワ人の迷信がある。日食の際に妊娠女性はベッドの下などに隠れた。
インドネシア人は迷信深い。大人でも幽霊を信じており非常に怖がる。インドネシア人は霊の
存在を信じるアニミズム(→696)的性向が強い。2002年秋にジャカルタで幽霊屋敷が評判にな り、多くの人が恐いもの見たさに押しかけて付近の交通が麻痺した。
インドネシアに駐在する西欧人は子供の養育も女中に任せる。教育のある品の良い女性が
養育すれば親が育てるより結果的によいからである。ただしこの場合の問題点は子供が幽霊 やお化けを異常に怖がるようになることである、と英語のインドネシア生活事典に記してある。
インドネシアの庶民は病気になると医者ではなく祈祷師のドゥクンを呼ぶ。ドゥクンが呪術で
病気の霊を追い払ってくれると確信して疑わないし、不思議なことに実際に病気は直る。また、 インドネシア人はあらゆることで運命の予測を行おうとする。すべての現象は何らかの前触れ であると信じており、ここにもドゥクンは活躍する。ただし熱心なイスラム教徒は呪術は神の定 めた運命や自然の営みを変えようとする行為として忌避している。
自動車の故障もドゥクンの"念力"で直せると信じている。人の病も車の故障も悪霊の仕業で
ある。修繕設備も道具もなしに念力だけで車を直す修繕屋が立派な看板を出して営業してい る。旧来の人間の病気を治す昔からのドゥクンに対し、車の病気を治すのは近代的ドゥクンで ある。
ビルや工場を建設する際には地鎮祭を行って工事の安全を祈願する。このあたりは日本と
全く同じである。日本では神主が登場するようにインドネシアではドゥクンが登場する。日本で はお神酒(みき)を捧げるが、インドネシアでは犠牲の動物を捧げる。
何か物事をきめなければならない時、神秘的なものにすがる心情は"おみくじ"の好きな日本
人と共通であろう。日本人はお告げも精神安定剤の役目くらいには当てにしているが、インド ネシアのドゥクンのお告げは絶対不可侵である。精霊との間を取り持つ者であるドゥクンの言 葉は精霊自身が語っているからである。
ドゥクンは祈祷師であるが、反社会的な祈祷を行うと黒魔術師(→868)といわれる。恋愛事件
で振られた方は仕返しに黒魔術師に依頼して相手を病気にさせる。選挙では勝ち目がなさそう な候補者の最後の手段は黒魔術師に頼み相手候補を病気にさせる。呪いで病気になった場 合の対抗手段はより強力なドゥクンに頼んで黒魔術を追い払うしかない。
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インドネシア人が迷信深いということは"縁起をかつぐ"という日常の行動にも表われる。縁起
は多種多様で民族毎に様々である。
数字について見るとジャワ人には"5"という数値は手足の指の数のごとく基本となる良い数
値である。方角も5つあるという、東西南北の4つまではわかる、残りの1つの方角はといえば "中心"という方角である。これは迷信でなくて「モンチョパット(mancapat)」の原理というジャワ の分類体系に基づく秩序の表われでもある。
パンチャシラ(→365)は5原則であるから国民に受け入れられやすかった。イスラム教は5行
(→810)を定めている。とにかく"5"という数値はよい数値である。お祝いは1万ルピアよりも5 千ルピアの方が送る人の心がこもっている。
方角とか週に限らず色とか場所など総て"5"がセットになっており、各々対応関係にある。例
えば物が紛失した時、天上の梁の本数を数え、その数に対応する場所に紛失物があるという わけである。
数字については偶数より奇数が好まれる。日本の仏教建築でも三重塔、五重塔はあるが四
重塔、六重塔はない。バリの葬儀のパゴダも奇数である。クリス(→702)のくねり数は奇数であ る。日本とインドネシアに共通するのはインド文化である。インド哲学が奇数を尊重する根拠は 何だろうか。
ジャワ暦はもともと〈五日単位〉であったところへイスラム教とともに〈七日単位〉の週が入って
きた。そこで五日と七日の組み合わせによって日々の吉と凶が交錯する。日本の大安とか仏 滅というよりも複雑なシステムである。また、これに対するこだわり方は日本以上である。この ため偉い人の出張スケジュールはなかなか固まらないし、また、しばしば変更になる。インドネ シア要人のアポイントをとるのは難しいし、仮にとってもはぐらかされるのはアポイントより縁起 が優先するからである。
旅たちについては方角も占う。良くない方角の場合は周り道をする。まるで平安貴族の"方違
(かたたが)え"である。
家の建築は人の行う畢生(ひっせい)の大事業であるから縁起(注)には最大限の留意が払
われる。門の位置は方角によってそれぞれ意味付けがある。井戸の位置は入口との関係で3 箇所の適地がある。建築の着工時期は建物毎に定められた日がある。使用木材についてもタ ブーがある。
方角や数字に縁起を担ぐのは世界中のどの民族にも見られる現象である。しかしインドネシ
ア人においては若干その程度が上回るようである。「プリンボン(primbon)」という様々の運勢、 吉凶について書かれた本が市販されており、インドネシア人は重宝している。
プリンボンに記載されていないような難しいことはドゥクン(→866)という専門家に聞きに行く。
ドゥクンの多いこととその社会的地位の高いことにインドネシア人の縁起への依存性が高いこ とをあらわしている。
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インドネシアには「ジャム・カラット(jam karet=ゴムの時間)」がある。その意味は時間はゴム
のように延び縮みするものであるということで、要は時間にルーズである。例えば要人に予め アポイントがとってあってもその時間に会えることは稀である。エライさんは定刻を守ることは 自らの威厳を損なうと思っている。
日日についても同様である。インドネシアの知人と出会い「明日訪問する」ということで別れ
た。当日いくら待っても来なかった、という話をしばしば聞く。インドネシア語の明日(besok)は 「明日以降」という意味である。最近では来週くらいに改善されたという弁解もある。
インドネシアで時間の約束をした場合、"軍隊時間"であると念をおさねばならない。インドネ
シアでも軍隊だけは例外的に時間励行である。
もう一つ時間励行は断食である。ラマダン(→812)期間中は日没とともに断食は解禁になる。
その日没はTVやラジオで知らされる。ドリンクとお菓子を片手に日没の瞬間を待っている。合 図とともに一斉に飲食が始まる。ジャム・カラットではない。
インドネシア人が時間にルーズなことを民族性であると断言するのは早すぎる。農業社会と
工業社会の時間の観念の相違である。農業社会では時計より天候の具合を見ながら働けば よい。これに対して工業社会では定時に工場の機械が一斉に動き出す。分業の作業員の第 一の要件は時間厳守である。
農業社会では時間厳守よりは天候の方が大事である。天候にあわせて仕事の段取りがあ
る。農業社会から完全に脱しきっていないインドネシアにおいてタイムラッグが伴うのはやむを えない。日本も1〜2世代前までは農業社会の名残があった。
工業社会が未成熟であった私の故郷の幼年時の思い出である。近所の町内会の寄り集まり
があった。7時からの会合という意味は7時すぎから小者が集まり始めて次第に大者に移り、 最終的に会合の始まるのは8時頃であった。都会から疎開して間も無い父がそのタイミングを はかりかねて出かけたり戻ったりしていた。
家の中でも時計があったが、夏休みになると各々が勝手に時間を調整したので正しい時間
が分らなかった。役場の正午のサイレンが正しい時間の目安であった。
時間のうるさい学校へは近所の連中がなんとなく集まってから群になって登校した。学校が
時計代わりであった。日本人が時間に正確になったのはラジオ・テレビの普及以降である。
インドネシアの老人で自分の年齢が分からない人が多い。季節がないことから年の概念が
弱いこともあるが、暦が複雑であることも起因している。生活においてのメリハリは断食とそれ に伴うレバラン(→814)のイスラムの行事である。ただしイスラム暦はうるう年無しの陰暦である から1年は354日であり、太陽暦とは1年に11日の差があり、33年累積すると1年ズレルことにな る。
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「プーラン・プーラン(pelan pelan)」は「ゆっくり」という意味である。語感からもその意味が窺
える。サンタイ(santai)も同意語(注1)である。
ゴルフ場でもインドネシア人は右に左にゆっくりとボールの後をついていく。チョコマカと小走
りにしかゴルフにできない後の組にいる日本人はイライラしている。
インドネシア人の走る姿を目撃することはない。もし走っている人がいれば泥棒 and/or それ
を追いかける人である。インドネシアは長距離にしろ短距離にしろ陸上競技のレベルが低いの は走るという習慣のない国だからである。
彼らは雨が降りだしても走らない。急に降り出すスコールには走っても間に合わないという事
情もある。インドネシア人は雨の中を悠々(プーラン・プーラン)と歩いている。スコールにあって 急いで走っている人がおれば日本人といわれる。その有様は人の気配に驚いて壁際を走るネ ズミの姿にも似ていて格好のいいものではない。
インドネシア人と日本人に関する牧伸二風のジョークを紹介したい。「日本の部長氏が長年の
会社への功労が報われ、長期休暇を得てバリ島にやってバカンスを楽しんでいました。たまた ま仕事もせずにプーラン・プーランしているインドネシアの青年がいたので部長氏は見かねて 説教しました。
『オジサンは子供の時から真面目に勉強して良い大学に入り、一流の大会社に就職して一
生懸命に働き、そのおかげで今、バリ島にやって来てこうしてのんびりすることもできるんだ。 それに反して君たちは勉強もせず、仕事もせずに……』と言っているうちに????と気がつ いて絶句しました」
昼下がりになるとインドネシアの男達は屋台でのんびりしてコーヒーを飲みながら、とりとめの
ない雑談をして時間をすごしている。夕方になると玄関の前に立って意味もなく道行く人を眺め ている。プーラン・プーランは風土に適応するための生理的なものである。日本でも夏の暑い 午後に同じように仕事をしておればオーバーヒートする。
しかしながらインドネシア人が何時もプーラン・プーランであるとは限らない。インドネシア人の
運転する車に乗っていると「プーラン・プーラン」と呼びかけたくなる。
何かにつけせかせかした日本人と対比されるインドネシア人であるが、前方を見据えて車を
運転する時は別人である。インドネシア人の一見プーラン・プーランは猛暑への環境適応であ って、本当はかなりの"いらち"であるという説が的を射ているのかもしれない。
映画が終わりかけるとインドネシアの観客はゾロゾロと席を立ち、《THE END》の出る頃には
誰もいない(注2)。映画館もその辺は心得ていてストーリーと関係のない部分の上映は早い目 に打ち切るそうだ。
単なる"いらち"と言うよりは最後まできちんと仕上げることが苦手な民族性の表われであろう
か。
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同じ単語の繰り返しは"重畳語"といわれ、インドネシア語の特徴である。日本語の「人々」と
か「木々」と同様に普通名詞の場合は複数の意味であるようにインドネシア語の人オラン (ornng)の重畳語(orang orang)は「人々」である。重畳語は複数以外に別の意味に飛躍する ことがある。例えばマタ(mata=目)がマタマタと重畳語になると「スパイ」という意味になう。抽 象名詞の重畳語も多く用いられる。その場合はそれなりの意味の関連ある熟語になる。
インドネシア人の話でしばしば登場する「キラキラ(kira kira)」の場合、『キラ kira』一語の単独
の意味は「計算」である。キラキラと計算が二乗〔計算×計算〕されると"清算"or"精算"のよう な意味になると想像するのは日本人の感覚である。しかしインドネシアでは計算の二乗のキラ キラは"概算"とか"約"の意味になる。
大体においてインドネシア人、特にジャワ人は計算が不得手である。数字の細かい話が続く
と困った顔をして耐えている。数字をきちんと合わせるような作業は華人などその筋の専門家 がやればよいという意識であろう。表の縦横の計の右下の合計がきちんと合わないと生理的 に耐えられない日本人を怪訝(けげん)そうに眺めている。
インドネシア人は"キラキラの民族"と言われるが、必ずしも軽蔑とはならない。何故ならイン
ドネシア人にはキラキラの民族であることを自ら誇る意識もある。江戸時代の武士がけがわら しいとして銭の音をも避けたのと同じであろう。
このような民族性の結果としてインドネシアの統計数字はかなりの誤差を見込まなければな
らない。その原因は基礎データーのところでのキラキラである。斟酌された数字しか報告され ないからである。正確な数字を報告するよう中央政府が頻繁に指示することがこの辺の実態 を物語っている。
キラキラはインドネシア人の民族性であるからそう簡単には直らないだろう。このため経済に
遅れをとり、そこへ華僑が進出した。できるだけ高く売ろうとする〈インドネシア人の店〉と薄利 多売の〈華僑の店〉が競争すれば必ず後者が生き残る。
しかし、経済を重視するスハルト大統領になってから数字に対する意識も変わり始めた。ス
ハルト大統領の演説には経済成長率とか人口増加率など小数一桁まで計画と実績が明らか にされている。ちなみにスカルノ大統領の演説は政治、外交、歴史、文学から哲学にわたる名 演説である。しかし、経済についてはほとんど触れられていない。
1999年の総選挙には外国からの監視団を受け入れたため、日本からも選挙の監視に派遣
された人がいる。開票作業に立ち会った人のレポートでキラキラぶりが報告された。政党ごと の合計と投票総数が合わなくてもティダ・アパアパ(→585)である。
インドネシア人は「ラバラバ(raba raba)」といわれる。ラバは「調査」であるが、ラバ・ラバと重
畳語になると「当てずっぽう」の意味である。インドネシア人に新しい器具を修繕させるとラバラ バで壊すことが多いと嘆いていた人がいた。
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インドネシア人の民族性の問題として西欧人から指摘されているのは 《Yes》 と 《No》 のあい
まいさである。例えば、「この道は駅へ行けるか?」という質問に対して、通常は「Ya=Yes」とい う返事が帰ってくる。しかし実際に駅へ行けるかどうかはわからない。
見知らない人に「Tidak=No」という返事は礼儀に反する、このような質問は「Ya」という返事を
期待しているというのがインドネシア人の常識である。
このように Ya はかなり広範囲のニュアンスを含んでおり、外国人を困らせるのは相づちくら
いの意味あいの Ya である。この辺の指摘は日本語および日本人に対して言われていることと 全く同じである。かなりの親密な関係になると Tidak という会話ができるようになる。だから初 対面の人に Tidak という返事がありうる質問は質問の仕方が悪いのであって「駅へ行く道を教 えて下さい」といわなければならない。この場合でも言われた道が正しいとは限らない。インド ネシア人は「知らない」というよりは、間違ってもよいから何かいう方が礼儀にかなうと思ってい る。
日系企業で日本人上司とインドネシア人部下の会話で上司が何か質問をしても部下はまとも
に答えず、はぐらかした返事しかしない。上司は苛立つが、部下はまともに答えて人間関係を 悪くしてはいけない、というインドネシア文化に従っているだけである。
インドネシア人に対して Tidak という場合は配慮が必要である。暗がりから女性が現れて自
身を売り込んできた際に Tidak と答えると、多分「どケチ!」という悪罵を受ける。こういう場合 は Belum(英語の not yet の意味)というそうだ。まだ(その気分)にならない、 と応えると相手 は面子を失わない。本件は実地体験でなく伝聞情報であるので保証はしかねる。
このように Tidak であってもその言い方は最大限の婉曲(えんきょく)でもって表現される。イン
ドネシア紹介の英書(注)に英語の No に代る言い方が次の12もあると驚いているが、No に相 当する日本語の言い方はインドネシア語の12に勝るとも劣らないであろう。
belum、tidak usah、lebih baik tidak、tidak boleh、tidak senang、tidak terima、jangan、bukan、
enggak、tidak、terima kasih、ma'af tidak
「あなたは食事に行かないか?」という否定疑問文に対して、日本語の「はい」と英語の「Yes」
は全然逆の意味であることはよく知られている。インドネシア語の否定疑問文に対する返事も 日本語と同じで英語とは逆である。
インドネシア語と日本語は、@ Yes と No の使い方、A I、You、He に相当する人称代名詞
が多いこと、B文法上では疑問文の構文が明確でなく言い方で区別する、という点において共 通している。
このように見てくるとインドネシアと日本は言葉を介して気質まで共通点(→589)がありそう
だ。言葉の論理性があいまいであるから似たような気質になるのか、似たような気質だから言 葉の論理性があいまいであるのか、鶏と卵のような関係だろう。
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スマトラ島中部のプカン・バル(→091)でホテルに泊まり、早朝に街を散歩していたら通勤途中
の顎(あご)髭(ひげ)(注)の男性ににっこりとして「スラマット・パギ(Selamat pagi)」 と朝の挨拶 をされたが、一瞬とまどったので返事をし損なった。観光とは縁のない都市である。こちらが外 国人とかいうことではなく、日常の習慣のように見えた。
日本でもホテルや飛行機でにっこり挨拶は受ける。しかしこれらの"にっこり"はマニュアルに
基づき鏡を見て練習をした作り笑いである。薄気味が悪いので我が身を点検するとネクタイが 歪んでいるか、ボタンが外れているか、例の所のジッパーが上がっていない。先ほどの作り笑 いは「さては・・」と憎悪さえ感じる。
これに対してインドネシア人のにっこりは自然である。インドネシアを旅行したが二度と行きた
くないという人も彼らの微笑みだけは覚えているはずだ。インドネシア語で頬笑みは「セニュウ ム(senyum)」といい、インドネシア人をセニュウムの民族という。街を歩いていて何気なく振り 返えるとスリがまさに鞄に手を入れ仕事に取り掛からんとする直前であった。間が悪かったス リはにっこりとテレ笑いをして消えた。被害を免れた人がスリの笑顔が良かったので許す気に なったという体験を語っている。
挨拶の時のはにかむような表情はインドネシア人の人懐っこさを示している。ただし最近の
都会ではこのような表情も希薄になりつつある。
「街角でふと目が合った時、微笑みを返されることが多いインドネシア。澄んだ目、白く並び
の良い歯をちらっと見せて口元で微笑みかける。これはどこの国に行ってもなかなか味わえな いインドネシアだけの良い点です」はインドネシア通の最高権威者として著者が感服する度欲 氏こと田口重久氏のHP『インドネシア不思議発見』の冒頭の言葉である。度欲氏はインドネシ アのみならずイラン、ペルーの海外経験をふまえた上での発言である。
朝ならば「Selamat pagi」、昼ならば「Selamat siang」、夜ならば「Selamat malam」の挨拶で始
まる。selamatはアラビア語で平安を意味する。返礼は「Sama sama」である。その次の会話は 「Kemana?(どちらへ?)」はインドネシア人の慣用句である。これも挨拶の延長なのでどこへ 出かけるのか本当に知りたいわけではない。したがって返事は「ちょっとそこまで」と適当に答 えておけばよい。その辺の呼吸は日本と同じである。
その他の挨拶「アッサラーム・アライクム(Assalam Alaikum 汝に平安あれ)」は朝、昼、晩に
関係なく使われる。これに答えて「Alaikum Assalam」と言う。もっと丁寧に言う場合には「アッサ ラームアライクム、ワラモトローヒワバラカート」になる。この返事は「アライクムサラーム」で「ワ ラモトローヒワバラカ−ト」をつけるともっと丁寧になる。この辺はアラビア語であるのでイスラム 教徒に限られる。
とにかくインドネシア人は挨拶を欠かさないし、挨拶の文化が発達している。日本人と比較し
ても挨拶のスピーチがうまく、インドネシアの田舎の村長の挨拶のスピーチの方が日本の大臣 の大仰で形式的な挨拶よりできがよい。
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握手は万国共通の挨拶になっている。しかしインドネシア人の握手は軽く手に触れるだけで
ある。日本の議員先生の選挙運動の時の力のこもった握手に慣れているとインドネシア人の 握手は素っ気ない。親しくなったと思った相手からこのような握手をされると何か裏切られた気 さえする。
握手をめぐる習慣の相違は風土の所産と思う。熱帯モンスーン気候では力の入った握手を
すれば手の汗が相手に移る。マンディ(→803)を終えたばかりの清潔好きのインドネシア人が 汗の移るような接触を好むはずがない。握手などしなくても挨拶は成立しうる。仮に握手をして も軽く触れるだけが品のよいやり方である。握手した手を自分の胸に当てるのがさらに丁寧な やり方である。
外国の要人の訪問を迎える飛行場などのシーンをTVで見るが男同士が頬擦りをする濃密な
挨拶が中東やロシアでは一般的である。西欧では肩を抱き合う。インドネシア人にも日本人に もこのような挨拶は馴染めない。仮にこのような挨拶を受けた場合は相手の体臭が気になる。
インドネシアも日本も湿潤気候の所為で汗ばむ。他人の汗ばみは気持ちが悪い。握手にしろ
頬擦りにしろ体を接触する挨拶は乾燥気候のものであり、モンスーン気候には適していない。 したがってインドネシア人のみならず日本人も握手や頬擦りが下手なのは仕方がない。
国際ビジネスでインドネシア側の主催のパーティで外国人が招かれる場合、入口で夫婦が立
礼して迎えることになる。インドネシアでは原則は夫婦同伴である。外国の男性客が夫人に握 手を求めれば夫人も応じる。しかし差し出された夫人の手は蛇にでも触れたがごとくすぐに引 っ込む。イスラム教によれば女性が夫以外の異性の手に触れることは禁じられている。女性 の握手はぎこちないのは当然である。
握手のついでに手の動作も問題である。野村雅一著「身ぶりとしぐさの民族学」によれば「人
やその所有物や家畜を人さし指で指すことはタブー視されている。欧米でもアラブ社会でも中 国でもそうだが、相手を人さし指で指せばすぐに喧嘩になるほど、それが強い威嚇や呪咀の表 現であるからだ」
世界の常識は人さし指で指すことはタブーであるが、日本ではわざわざ"人差し指"の名前さ
えあるほど日常的仕草になっている。インドネシアでも人を指差すことはタブーでる。歓迎とか 友好を意味する仕草は親指を立てることである。「バグース(Bagus=素晴らしい)」という時に 指を立てる。オランダ人の習慣を採り入れたものかもしれない。
インドネシア人(ジャワ人だけかも)にとって小指同士が触れることは一体感を意味する。女
の子はいけ好かない男の子が近寄ると小指を後ろへ隠す。一旦、小指同士が触れ合うと女の 子はそこから先は抵抗しないというルールだそうだ
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タイ語の最も知られた有名な言葉は「マイペンライ」である。その意味は「仕方がない」「気に
しない」「何でもない」であり、「大丈夫」という意味になる。「マイペンライ」はタイ人の民族性を 表す言葉である。
インドネシア語の「ティダ・アパアパ(tiduk apa apa)」は「何でもない」という意味で、タイ語のマ
イペンライと同様の使われ方をする。何かミスをした人、例えば約束時間に遅れた人がお詫び を述べる際に、詫びを受けた人が応える言葉が「ティダ・アパアパ」である。相手に対する思い やりであり、人間関係を円滑にする。
「ティダ・アパアパ」はそれだけではない。交通事故にあっても「ティダ・アパアパ」、子供が病
気で死んでも「ティダ・アパアパ」、火事で丸焼けになっても「ティダ・アパアパ」である。インドネ シア人の民族性を表す深遠な言葉である。
日本人に釈然としない使い方もある。例えば女中が皿を割り、言い訳に皿は割れる運命にあ
ったから勝手に割れたのであるから『ティダ・アパアパ』と女中がいうと日本人奥様のニョニャ (→886)は腹をたてる。
英語には「ドンマイ(don't mind)」という言葉がある。中国人には「没法子(メイファーズ)仕方
ない」、朝鮮人には「ケンツァナヨ(まあいいや)」という言葉がある。日本語では「仕方がない」 である。意味は同じでも民族性と繋がりがある言葉である。
東南アジアにはベトナム人の「チョーヨーイ(なるようになれ)」、フィリッピン人の「バハラナ(ど
うにかなるさ)」にも相手への思いやりを重視する言葉である。各地のこれらの言葉の存在は 東南アジアの人間哲学を象徴している。その最たるものが冒頭の仏教国であるタイ語の「マイ ペンライ」であろう。
さてインドネシアの「ティダ・アパアパ」も東南アジア人の持つ気質の一環である。起きたこと
に寛容であり、あきらめがよく、執着しない。楽天的人生観につながる。似た言葉で「アパア パ・サジャ(apa apa saja)」は「何でもあり」の意味である。公衆道徳の悪さ、汚職への寛容さな どアパアパ・サジャである。「アパ・ボレ・ブアット(apa boleh buat)」は「何とかなるさ」である。
振り返ってみるに日本人にも東南アジア的諦観主義、楽観主義の気質があった。明治の頃
のある在日西欧人の日本人観察に「火事に焼け出された庶民が焼け跡にムシロを引いて食 事をしていた。その顔つきが明るくとても大不幸に会ったとは見えなかった」という趣旨のことを 驚きをもって記していた。
確かに昔の日本人ならばありえただろうが、最近の日本人には東南アジア型の淡白(たんぱ
く)性気質が失われつつある。怨念、恨み、つらみ、復讐、裁判など西欧型の執拗(しつよう)性 気質が顕著である。シェークスピアの見すぎであろうか。天気予報が外れたと言って気象庁に 因縁をつける。病院で肉親が死んだからといって裁判沙汰にする。大雨で住宅が浸水すれば 役所のせいにする。日本人が良くなったとは思えない。
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駐在員が家を借りて数日たてば自分の家の家族構成、主婦の性格まで近所に知られてい
ることに気がついてびっくりする。情報の発信源は女中や運転手などの家事使用人であること は明白である。
「カバール・アンジン(kabar angin=風の便り)」とは"噂"のことである。インドネシア人は噂話
が好きである。彼らの口に扉は建てられない。噂は驚くべき早さで伝わる。その手段として電 話が威力を発揮することからテレホン・カルチャーの国といわれる。書いたものより人の噂を信 じることからインドネシア人は"口承文化"の民族ともいわれる。
インドネシア人の会話の挨拶の切り出しは「apa kabar?(何か情報は?)」で始まる。ちなみ
に日本人の挨拶は天気で始まり、中国人の挨拶は食事で始まる。
彼らの噂話好きを政治的に利用することもできる。政敵とは堂上での論戦でなく噂話を広め
あうことで戦う。政敵を中傷するために、あるいは新しい考えへの反応を確かめるために作為 的な情報伝達が流される。政権の内部抗争は噂の抗争であることからインドネシアの政治は 噂の政治といわれる。
日本の独裁者・平清盛が巷(ちまた)に禿(かむろ)を放ち噂までを取り締まったが、スカルノ・
スハルトの抑圧体制の下でも噂の流布は取り締まれなかった。インドネシア語で文書になると 大騒ぎになることもジャワ語の私語である限りは言論弾圧の対象にならない。スハルト体制の 崩壊で報道規制がなくなると新聞自身が噂話の掲示板になった。
渦中の人であれば噂は尾鰭(おひれ)がつき、尾鰭が尾鰭を生む。スハルト大統領がのさば
っていた頃の一家に関する噂話はかなり悪意に満ちたものである。「下ハ以テ上ヲ風刺ス」の とおり噂話の形による独裁者家族への風刺である。
「ティエン夫人(→451)は隠れキリシタンである」
「ティエン夫人は利権をめぐる家族の争いの最中に三男の流れ弾に当たり死んだ」
「長男の博打(ばくち)のツケを国営石油会社の某が面倒をみた」
「トゥトゥット(→452)には女友達がいる」
「大統領の末娘は長女トゥトゥットが16歳の時の男遊びの結果の子供で、実は孫である」
「ハルトノ(→401)はトゥトゥットの情夫である」
「プラボウォ(→415)はゲリラ掃討戦で捕虜になり性器を切られて釈放された」
「プラボウォの妻は妹の亭主にチョッカイを出す」
「プラボウォの妻は男を買いにシンガポールに遊びに行く」
「トミー(→527)は高校の学力へもついていけない馬鹿である」etcである。
最後に大統領に関する噂話で語られるジョークを紹介する。それぞれの大統領の数値の秘
密である。スカルノ大統領は愛人の数、スハルト大統領は秘密預金の金額、ハビビ大統領は 知能指数、ワヒド大統領は視力、メガワティ大統領は体重である。さてユドヨノ新大統領の秘密 の数値は?
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インドネシア人に公衆道徳があるようには見えない。例えば切符を買うための行列(注1)が
できない。仮に行列があっても平然として割り込んでくるから行列は無意味である。割り込まれ ないようにするためには10cmの隙もないように肉体を密着させるしかない。
役所の窓口にはわれ勝ちに群がる。手が長く書類が最も先に突き出した者から受け付ける
仕組みである。
バスが到着すると入口に群がり押し合い圧し合いする。このため狭い入口に荷物がひっかか
り、乗下車の時間のロスを大きい。エレベーターは人が下りる前に乗りこんでくるから押し合い で時間(注2)がかかる。
ゴミを撒き散らす。ビニールをバナナの皮のように捨てるが、ビニールは土に同化しないから
汚さは倍増する。やたらに唾を吐き散らす。事務所でゴミが落ちていても誰も拾わない。何か のイベントがあると、会場は食べた弁当の空き箱などゴミの山となる。下水管は詰まって機能 しない。公衆便所は汚い。まだまだあるが、これらは日常のインドネシアの風景である。
特に車の運転は粗暴である。交差点に我勝ちに飛びこむ。お互いに譲らないから渋滞は
次々に拡大する。ジャカルタの交通渋滞の幾分かは運転マナーの悪さに起因する。もっとも渋 滞するからマナーが悪くなるという説もある。警笛をこれでもかとばかり鳴らし続ける。
しかしながら日本に多い路上の不法駐車はない。信号で停車中の車からでさえミラーなどが
運転手の目前で白昼堂々と取られるくらいであるから、路上に駐車すれば解体されて消えてし まうことは必至である。
公衆道徳とは見知らぬ人が共同で生活するための智恵である。急速に都会化したインドネシ
アでは都会化の訓練が行き届いていない。インドネシア人の公衆道徳の低いというのも過渡 期現象であろう。
昭和20年代日本が貧しかった時の頃ことを思い出せばインドネシアを異とすることはない。そ
の頃は列車の窓からゴミを捨てるのは当たり前であった。長距離列車はゴミに埋もれた。論語 にも「食ありて礼定まる」と述べている。
列車といえば、窓のガラスは割れているのは走っている列車に石を投げるからである。おそ
らく列車に乗ったことのない子供は石を投げられることがどれくらい危険なことか知っていな い。自分より早く走る者を牽制しようとする本能であろう。
インドネシア人から見れば日本人駐在員の公徳心にも大いに問題がある。日本人で海外勤
務になる人は平均以上の人であるはずである。その平均以上の人が酒を飲んで大騒ぎする。 立小便をする。人前で裸になる。ステテコにランニングシャツはベチャ引き(→859)にも劣る格 好である。
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「アダット(adat)」とは共同体の生活にかかわる親族集団、地縁社会を支えてきた過去の凡
例や規範である。成文でなく口承で伝えられてきたもので慣習法とも解釈されるうるものであ る。オランダが植民地に西欧法を導入しようとした時に、インドネシアには在来の法ともいうべ きアダットがあることが分かった。
オランダの法学者ファン・フォレンホーヘン(C.van vollenhoven)はインドネシア全域を19の慣
習法圏に整理した。このアダットというシステムがインドネシアでは地域毎に秩序や共同体の 調和を維持するために機能してきた。
ミナンカバウ人(→609)のアダット・ハウスは結婚前の男子が寝泊まりするところである。バタ
ック人(→607)の村ではアダット・ハウスは慣習のシンボル的な場所である。シガレガレ(→919) の伴奏が演奏される所である。
「アガマは海から、アダットは山から」といわれる。「アガマ(Agama=宗教)」であるヒンドゥー教
やイスラム教の海外からきたのに対してアダットは民族固有のものであることを意味している。
この対句は単に《海》と《山》の対比ではなく、山からのアダットが海からのアガマより優先して
いることを意味している。何となれば山岳信仰(→699)はインドネシア人の重層信仰(→695)の 根底にある。アニミズム(→696)的な価値観に起源を持つアダットは外来宗教のアガマに優先 するものである。
コーランに基づくイスラム法では盗人は手を切られる。姦淫は石で打ち殺される。中東ではこ
の通りに執行される。しかしインドネシアのアダットでは村の有力者が被害者の満足できる形 で調停する。アダットには弾力性もある。
そもそもアダットという言葉はアラビア語起源である。アラビア語の「アーダ」は慣行、慣習を
意味しイスラム法に抵触しない限り容認された。インドネシアでは最大限アダットが優先される 形でイスラム教が受け入れられた。
しかしイスラム教の全貌が明らかになるとアダットとイスラム法の間に対立が生じた。スマトラ
島ではその矛盾が先鋭化し、イスラム法を主張したのは〈改革派〉である、アダットに固執した のは保守勢力の〈アダット派〉である。パドゥリ戦争(→278)はこの両者の争いが契機であった。
アダットの問題は宗教ばかりではなく近代法との問題も顕在化してきた。インドネシアが多民
族からなる国家であるにしてもアダットの優先から国としての統一的法体系が十分に確立して いない。
インドネシアの法体系の整備の問題点は、@アダットの伝統と価値観の尊重、A圧倒的多
数の国民の宗教としてのイスラム法との整合性、B主権国家としての統一的法体系の必要 性、である。
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戦前に刊行された和辻哲郎著『風土』という名著は「風土が民族性を規制する」という内容で
あった。そもそも風土とそこに住む民族の気質の関連を世界的規模で見た場合その極端は 《東南アジアの湿潤》と《中東の乾燥》である。
東南アジア湿潤型では自然は密林であり、人の生態は定着型で農業を営む。調和的な社会
を好み、生き方も従順で宗教は精霊信仰である。一方中東乾燥型では自然は砂漠であり、人 の生態は移動型で遊牧を営む。契約社会であり、生き方も闘争的で宗教は一神教信仰であ る。
水の大地(→001)であるインドネシアは典型的な東南アジア湿潤型である。サウジアラビアな
どの中東諸国がその対極にある。インドやヨーロッパ、あるいは中国は《東南アジア型》と《中 東型》の中間というところになろう。
日本は同じ緯度帯の東アジアの中国(中国も広いので北部とする)・朝鮮と比べると自然の
みならず民族の気質においても異なる。中国、朝鮮には蒙古などの遊牧民から引き継いだ中 東的要素が見られるのに対して日本には遊牧民要素はほとんどない。日本は高緯度に位置 するが東南アジア的要素が強いことがわかる。
このように東南アジア型の日本であるから、外国人のインドネシア(ジャワ)人の民族性につ
いて記述をみると日本人のことかとしばしば思うほどである。日本には八百万(やおよろず)の 神々が存在し、山や滝や島も信仰の対象である。聖徳太子の定めた憲法の冒頭は「和をもっ て尊しとなす」である。インドネシア社会のキーワードは「和」を意味するルクン(→597)である。 建前重視の文化、とりつくろう文化などインドネシアとの共通点が多い。
その上、インドネシア(ジャワ人を代表とする)と日本の共通点は"島国"である。《大陸アジ
ア》と《島嶼アジア》の差も有意であろう。即ち東南アジアの湿潤的要素はジャワ島あるいは日 本のような島国で純粋培養されるに環境にある。特異なものが進化するガラパゴス現象の一 端かもしれない。(ジャワ人の民族性についてF-5章で詳述)
見方によれば日本人とジャワ人はどちらも大陸から弾(はじ)きだされ狭い島に込みあって住
んでいる。そこから生じる気質が両者に共通する理由は
(1)自己主張が強いとさらに弾きだされて海に落ちる、あるいは、
(2)それほど自己主張しなくても十分にわかりあえるほどの大きさである、
というところであろうか。
もちろん日本人は大きく変わった。日本人はジャワ人と同じくらい自己主張がひかえめでつ
つましやかであるといえばジャワ人の方が迷惑かもしれない。しかしそれにしても遠慮がちなジ ャワ人を見ると昔の日本人に逢ったような懐かしい気がする。
インドネシア人が意外なことに遭遇すると「えぇっ」と驚く。思わぬ結果に「イヤー」と頭をかく仕
種がある。この辺になると言語の類似性というよりは、共通の民族性の問題であろう。
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