G−1章 食事と食物
757.手食の食事作法 758.主食としての米
759.飯はナシ
760.麺類とファーストフッド
761.香辛料の使い方 762.チャベ/唐辛子
763.アクア水 764.パダン料理
765.調味料 766.サテサテとガドガド
767.菓子はクエ
768.テンペとトーフ
769.魚はイカン 770.サゴ椰子
771.ココナツ・ミルク 772.バナナの調理
773.ドリアン/果物の王様 774.果物の女王
775.ナンカは何か 776.食後のデザート
777.ランブータンなど 778.潤沢な砂糖

G−1.食事と食物(注釈と資料
G−1 食事と食物 G−2 衣食住の衣 G−3 住居と住まい G−4 ムスリムであること
G−5 余暇と嗜好品 G−6 乗物と交通 G−7 生業様々 G−8 ジャカルタ駐在員


G−1 食事と食物

757.手食の食事作法

 インドネシア人の食事は手食である。手食といっても、それなりに礼儀作法のある優雅な食
べ方である。手食のマナーはまず食卓にあるフィンガーボールで指を洗う。指は第二関節から
先の方を使う、使用する指は少ない方がよい。中指と人差し指でご飯を集めて親指で支えてス
プーンのようにすくい口に運ぶ。手食に慣れると指自身が味覚を感じるということである。
 インドネシアの米(→758)はインディカ種でパサパサである。さらに米の炊き方(→759)で"ぬ
めり"を除くのは手食と関係があるらしい。仮にジャポニカ種の米で日本風の炊き方にすると手
食は指に飯がこびりついて行儀悪くなる。
 熱帯地域ではそもそも料理のしたての熱々ものは喜ばれない。手食の指がやけど火傷をす
るという事情もあろうが、湯気に包まれた熱い食べ物は必ずしも良いサービスにはならない。
御飯もむしろ冷ましてから客に出す。⇒手食
 手食の場合に重要な事は右手である。〈右手は清浄〉〈左手は不浄〉と定められている。右手
と左手は分担(注)が決まっており便所の中での作業(→805)は左手である。握手は右手であ
る。右手が浄は南太平洋にまで広がる熱帯アジア共通の慣習であるが、イスラム教ではコー
ランに記載されており特に厳格である。
 閑話休題。最近では手食の習慣が消えつつある。例えばジャカルタのテンダ(tenda)というテ
ント張りのレストランでインドネシア人の食事を観察するとフォークとスプーンを使っている。ヨ
ーロッパ人が殖民地時代に持ち込んだ習慣である。左手のフォークでかき集めて右手のスプ
ーンですくって食べる。大きな肉の塊は予め切ってあるのでナイフは要らない。
 日本では西洋料理はナイフとフォークが出てくる。フォークの背中にご飯を載せて食べるの
がマナーらしいが、非常に不自然な食べ方である。ご飯は箸よりもスプーンの方が食べやすい
ので日本人の子供もスプーンを愛用し、箸の使い方が下手になった。とにかくフォークとスプー
ンの東南アジア方式は合理的である。
 インドネシア人は自宅では手食であっても、外ではフォークとスプーンを使用している。日本
人にとってスパゲッティは割り箸で食べる方が食べやすいが、外では格好をつけるためフォー
クを使用しているのと同じである。
 都会と若い人から新しい風俗が始まるという万国共通の法則に従って、脱手食はインドネシ
アの都会のみならず東南アジア全般に拡がっている。
 食事の後は満足に食べた証としてゲップをはく。インドネシア人は食事と関係なくゲップが多
い。外国人はインドネシア人のゲップが耳障りである。
    注釈と資料-757 

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758.主食としての米
  
 スハルト大統領は自伝の冒頭にインドネシアにおいて米の自給が可能になったことを誇って
いる。ビマス(→504)の成功によりインドネシアは主食である米の自給を達成したことを1984年
11月に宣言し、スハルト政権は磐石の体制になった。
 インドネシアの統治で重要なことは軍隊と食糧を押さえることである。政権と米の収穫の関連
を振り返ると、スカルノ大統領は米の不作に起因する経済危機で倒された。スハルト大統領が
ピンチを迎えたマラリ事件(→390)は1972年の雨不足による飢饉(注1)が遠因であった。
 1991年より再び米の輸入国になり、1997年はエルニーニョ現象による旱魃のため米は減産
し、米価格のアップは人心の不安を引き起こした。盤石に見えたスハルト政権は1998年に崩
壊した。1998年400万トンと世界最大?の米輸入国になった。うち100万トンは日本の援助であ
る。⇒米の収穫
 インドネシア人は米食民族であり、米の生産量は3000万トン(精米ベース1999年)で世界第x位
の米の生産国である。過去インドネシアの米の生産量は増加してきたが、人口の増加で相殺
されるので国民の多くは腹一杯の米を食べることができない。政府は一人当たり年間125kgを
目標としている。
 米が恒常的に不足するようになった原因は人口の増加に加えて、東インドネシアのサゴヤシ
やイモ文化圏(→602)の人も米を食べたがるようになった事情もあろう。

 世界の水稲については〈インディカ種〉と〈ジャポニカ種〉に大別される。インディカ種は粒が長
くて米自身の味は淡泊である。日本のジャポニカ種は短くて太い米である。インドネシアの米は
インディカ種である。インディカ種とジャポニカ種は日本の学者が唱えた命名で国際的認知は
得ていない。国際的にはチェレ(cere)、ブル(bulu)が一般的である。
 マニラの南ロスバニオス町にある国際稲研究所IRRIは1995年、インディカ系の改良品種で
あるスーパー・ライスを発表した。25%の収穫増の高収量品種がであるが、欠点は病虫害に
弱く味覚に問題がある。⇒米の乾燥
 かつてインドネシア滞在の日本人には"メイド・イン・ジャパンの米"は何よりの土産になった
が、日本の米とよく似ているジャボニカ系のブル種がインドネシアで栽培されている。
 公務員の給与(→877)が低いは米が現物支給されていることを勘案せねばならない。その買
い付けを行うのがBULOG(食糧調達庁(注2))である。1966年に国家食糧指導部として発足
した。BULOGの役割は当初の公務員と軍人に支給する米の確保業務から大幅に拡大して、
1970年にはインドネシア全体の米価格と需給調整を担当するようになった。米から他の食料に
も拡大して1971年小麦・砂糖、1974年牛肉、1977年大豆、1979年トウモロコシ・緑豆・ピーナッ
ツなども管理するようになった。
 輸入を特定の業者に委託し、そこにファミリー・ビジネス(→492)やチュコン企業(→491)が利
権を求めて群がった。BULOGはプルタミナ(→531)と並ぶ汚職の巣窟の両横綱である。ハビ
ビ大統領の再選が阻止された理由の一つにBULOG汚職がある。
 注釈と資料-758 046.水田の風景

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759.飯はナシ

 インドネシアと日本は米を巡る習慣の共通性として、日本の赤飯のようにインドネシアではス
ラマタン(→705)のようなおめでたい時はウコンで染めた黄色の御飯(ツンプン=tumpeng)をテ
ーブルの中央に円錐形に高く盛り上げ、周りを卵、鶏肉、野菜で飾る。
 見た目には鮮やかな芸術品である。独立記念日には大統領が招かれた建国の功労者にツ
ンブンを分ける儀式のTV中継があった。⇒ナシチャンプール
 トラジャ人(→619)は家族に死者が出ると葬儀がすむまで米を食べない。米に特別の霊力が
あるからである。インドネシアで結婚式で花婿に米を投げるのは邪気を払う呪いである。ちな
みにイタリアでも新婚夫婦に米を投げかけるように米は多産のシンボルである。
 日本人の米離れに対して、インドネシアでは米は主食の位置を保っている。両民族にとって
米=ご飯は主食であることは宗教的意義を持つ。中ジャワでは米を蒸し赤い布で包んだクトゥ
パを家の入口の鴨居に吊るす。魔除けの呪いである。
 世界的にみると日本の米の方が品種・炊き方において特殊らしく、日本人の愛してやまない
短足の米の炊きたての御飯のにおいに外国人には吐き気を感じる人もいるらしい。
 西ジャワのバンドゥンの近くではチアンジュール(Cianjur)米といって日本種によく似た種類も
栽培されている。最近ではロンボック島産の美味しい米が出回っている。このような米が手に
入らない時代の駐在員はインドネシア米にもち米を1〜2割混ぜて日本種の代替にした。
 変った米の食べ方は竹筒飯である。竹の豊富なトラジャ地方では竹筒でご飯を炊く。ココナツ
ミルクで味付けがしてあり、竹のほのかな香りがご飯に移る。
 最近では東南アジア全般に電気釜が普及し、米の炊き方が日本式になるという革命ともいう
べき事態が若い世代を中心に生じている。しかしインドネシアでは電気釜はこれからである。
電気(→800)自体が貴重である上、たとえ面倒であっても飯を炊く人件費はまだまだ安い。
 ナシ(nasi)とは炊いたご飯のことで、ナシ・ブンクスはご飯をバナナの葉で包んだ弁当であ
る。日本にも竹の皮で包んだおにぎりがあった。
  米の食べ方でブブール(bubur)はおかゆである。おかゆは米が不足する際の引き延ばし策
である。飽食の時代のおかゆはダイェト・メニューの一種かもしれないが、戦中派にはおかゆ
にまつわる聞くも涙のエピソードの一つや二つはある。⇒ブブール
  インドネシア人もブブールよりナシの方が好きである。“Nasi telah menjadi bubur”は「ご飯は
すでにおかゆになった」という諺(注)である。「覆水盆に返らず」の意味である。確かにごはん
をおかゆにすることはできるが、一旦おかゆにになればご飯にもどすことはできない。
 “Sambil berdiang nasi masak”は「暖をとりながら飯も炊く」は「一挙両得」と同じ意味である。
日本でも竈(かまど)というのがあり、寒い夕方、飯のたける匂いのなかで手をあたためていた
光景があった。  
 注釈と資料-759  

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760.麺類とファーストフッド

 日本食のないインドネシアの田舎では中華料理レストランを見つけても中国語のメニューは
ない、これはニーズがないのではなく、漢字を禁止(→679)した政治の問題である。英語のメニ
ューはましてない。インドネシア語のメニューだけという時はナシ・ゴレン(nasi goreng)かミー・
ゴレン(mie goreng)を発注するのが無難である。⇒ナシゴレン 
 ナシ・ゴレンは焼き飯であり、ミー・ゴレンは焼き蕎麦である。時には思いがけない美味いもの
に行き当たることがある。ただし両方ともチャベ(→762)入りである。東南アジア全般に行き渡
っている麺類は中国が起源である。中でもミー・ゴレンは現地食化しており、屋台(→858)の中
で最も多いのがミー・ゴレンの店であろう。
  ミー・バソは肉団子入りの汁そばである。ミー・アヤムは鶏肉を使った汁そばである。レストラ
ンのみならず屋台の代表的メニューである。手食でなく箸またはスプーンを用いる。量が少な
いのは主食というよりはオカズのような食べ方のためである。⇒ミーバソの屋台
  日本のカップ・ラーメンが導入された。主食というよりご飯のおかずにするのが新しい生活ス
タイルらしい。インドネシア産のカップ・ラーメン『インドミー』のワルンも増えた。『インドミー』は
使用添加剤が日本の規制に触れるため輸入されていない。
  ちなみにインスタントメンの世界生産ランキングは、@中国、Aインドネシア、B日本、C韓
国、Dタイである。

 アメリカの『ケンタツキー・フライドチキン』がインドネシアに進出している。アメリカ人の食生活
は日本人以上に保守的である。ケンタツキーの赤い世界共通のKFCの看板はコカコーラと共
にアメリカ食品が世界に普及したアメリカの覇権のシンボルである。
 ジャカルタのケンタツキー・フライドチキンの客はアメリカ人だけではない。インドネシア人もお
客である。豚や牛というように宗教上の食べ物のタブーの厳しい社会での鶏は食生活改善の
最大公約数的食品として評価される。
 マクドナルドの〈ハンバーガー〉はハム入のようで名前のまぎらわしいので〈ビーフバーガー〉
を売っている。もちろん所定のお祈り済みの肉(→820)である。サンバル(→765)をつけて食べ
るところがインドネシアである。⇒スラバヤのマクドナルド
  タムリン通り(→160)のマクドナルド店は外から中の様子が見える。しかしラマダン中はカーテ
ンが引かれる。断食中のイスラム教徒に対する思いやりのようであるが、実は中でこっそり食
べているイスラム教徒を隠すためらしい。
  インドネシア料理に招かれても芋の料理はない。理由は芋は貧乏人の食べ物とされ、客に出
すのは失礼とされている。しかし最近は粉食の人気に伴い小麦の輸入増加傾向への対抗から
国産の芋も人気が出てきた。ボゴール郊外のチルンブ(Cilembu)村のさつまいもは甘くておい
しいらしい。
 注釈と資料-760  820.食物のタブー

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761.香辛料の使い方

  香料には焚いて匂いを楽しむ@焚香料と、A体の部分に匂いをつける化粧料と、B飲食物
の風味料は香辛料ともいう。中国や日本では@の文化が発達したのに対して、ヨーロッパでは
Bの文化が発達した。
  3区分が混ぜんとしてスパイスの日本語訳は香料とされている。東洋では香料として香りの
目的だけに使用していたものをヨーロッパでは香辛料として食事の薬味にしたことによるスレ
違いである。⇒胡椒の図
 丁子(→056)などの香料はもともと南海貿易の主要商品として中国へ輸出されていた。中国
ではその香りが好まれ皇帝の前で臣下は口に香料を含んで話をした。諸々の病気に効く薬で
あったが、南方の香りは“回春剤”としても重宝された。インドネシアでも丁子を香料、薬として
使用されたものの地元の料理には使わない。
 香料をスパイスとしたのはヨーロッパ人の工夫であり肉食からの必然性でもあった。かつてア
ジアのはるか彼方から来る香料はヨーロッパに着くと金の価格に等しい南国の特産品であっ
た。インドネシアが香料の国として世界史に登場した際、モルッカ諸島(→224)は強国が鎬(し
のぎ)をけずる世界の過熱地点であった。
  量にもおいて代表的なスパイス貿易の商品は胡椒である。熱帯作物で南北20度以内の降
雨の多い地域で、根腐れに弱いので傾斜した土地に限定される。ヨーロッパでは胡椒を一粒
一粒を数えて貨幣代わりになるほどの貴重品であった。バスコダ・ガマが初めてインドに着い
た時は胡椒だけを積んで喜んで帰った。インドネシアでも栽培していたが、需要の拡大に対し
てオランダは栽培地としてアチェ、南スマトラの山地にも拡大した。
 黒胡椒は成熟する前の実を乾燥する。白胡椒は成熟後で果皮がはがれる。辛さは黒胡椒
が勝るが、香りは白胡椒がよい。インドネシア土産に飛行場の売店でお守りの大きさの袋入り
の胡椒を売っている。一個の値段は職場の全員に配る時の予算に見合う価格である。一方、
観光客の行かないようなパサール(→864)で買えば丼鉢一杯で数十円である。色艶が良くない
が、土産の胡椒に艶がありすぎる。色艶の良いものだけを選び袋に小分けする手間を考えて
も価格差が大きすぎる。飛行場と村のパサールの価格差は他にもあるが胡椒は最たるもので
あろう。⇒香辛料の調合 
 マレーシアのサラワク州のレストランでサラワク・ステーキなるメニューがあったので注文した
ら肉が見えなくなるほど胡椒を満載したステーキが出てきた。サラワクが胡椒の大生産地であ
ることを後から知った。胡椒は粉にせずに粒のまま使用する。
 インドネシアの料理には香辛料をかなり使う。その代表は唐辛子である。インドネシア朝は各
家庭の台所から香辛料を刻む音で始まる。香辛料の種類は多くあり、その混ぜ具合にノウハ
ウがあり、各家庭の味が作られる。唐辛子、ニンニクやトゥラシ(→765)を材料に乳鉢と乳棒の
ようなもので道具で作る。
 注釈と資料-761  

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762.チャベ/唐辛子

 スパイスとしてインドネシア人の食事に使用されるのはチャベ(cabai or cabe)こと唐辛子であ
る。食事の際に野菜を刻んだ小皿がおいてある。これが唐辛子である。見た眼にはたいしたこ
とがなさそうなのでものは試しとばかり一切れを食べてみる。
 その感想は口の中が火事になったようである。しびれて暫くは目を白黒させてものが言えな
い。インドネシアでは赤い唐辛子もあるが、辛いのは緑色の小さいものである。年中の栽培が
可能なため生唐辛子で粉唐辛子は見かけない。
 チャベを食べると反応するのは舌だけでない。食道を通過中であることが分る。一旦、胃に
入ると分らなくなるが、排便の際に最後の刺激を出口のセンシシブな所に与えるから前日に唐
辛子を食べたことを図らずも思い出す。⇒店頭のチャベ ⇒チャベの山
  日本に滞在のインドネシア人がうどんを食べる時、真っ赤になるほど七味唐辛子をふりかけ
てもまだ物足りないような顔をしている。日本にも固有のワサビという香辛料がある。辛いのは
インドネシア人も平気だろうと思うが、そうではない。インドネシア人が日本のすしのワサビの
辛さに涙をこらえている。唐辛子と山ワサビは辛さの種類が違う。
  前川健一著「東南アジアの日常茶飯」の総括は『ワサビの辛さは鼻と目にくる。乾燥唐辛子
は舌にくる。生唐辛子は喉にくる。そしてどちらの唐辛子も肛門にくる』である。
⇒インドネシアの野菜
 唐辛子はインドネシアのみならずインド、東南アジア、朝鮮でなくてはならない香辛料である。
しかしながら唐辛子はもともと東南アジアのものではなく新大陸原産のものである。香辛料を
求める航海がアメリカ大陸を発見し、アメリカ大陸が原産地の唐辛子が香料諸島といわれたイ
ンドネシアに逆輸入されて愛用されるという皮肉な結果になっている。
  唐辛子のアジアへの普及については@新大陸からヨーロッパを経由説とAメキシコからアジ
アへの直接伝来説がある。しかしそれにしても唐辛子の普及が何故、インド、東南アジア、朝
鮮半島、四川省だけに限られているのか不思議な現象である。
  東南アジアでは暑いから食欲増進のため唐辛子が使用されるという説が有力である。それで
はアフリカで好まれないのは何故だろうか。食生活が貧しいから唐辛子で味覚を誤魔化すの
だという唐辛子についての偏見は辛さに懲りた人であろう。
  チャベを数回トライしていると次第に慣れてくる。さらに続けるとチャベのないと物足りないよう
になるとインドネシアへの馴化である。日本へ帰ると元に戻るという説もある。
  ドリアン(→049) とチャベはインドネシア・カルチャーの2大関門である。どちらも嫌いでインド
ネシアが好きな人もいる。しかしどちらも好きでインドネシアが嫌いな人は寡聞にして知らな
い。
  Kecil-kecil cabai rawit 小粒の唐辛子ほど辛い  インドネシアの諺  665
  意訳「山椒は小粒でもぴりりと辛い」
 注釈と資料-762  

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763.アクア水

 ヨーロッパ人の進出の当初、衛生状態の悪いバタビアは“白人の墓場”とまでいわれたように
病で倒れる人は数しれなかった。熱帯は瘴癘(しょうれい)の地であり、特に水を媒介とする消
化器系統の伝染病が多かった。
 都市化による人口集中により今日では飲料水の確保はインドネシアの日常生活においては
より切実な事柄であり水道事業の拡充が進められている。水道問題が解決されるとインドネシ
アの衛生は大幅に改善され、平均寿命も延びるだろう。
 熱帯では降雨量が多くても安全な飲料水の確保は意外に難しい。飲料水は貴重品である。
ジャカルタには水道があるが、植民地時代の古い水道管であり土管も使用されており老朽化
がすすんでいるから圧力がかけられない。このため壊れた孔から水道管に下水が浸水する。
盗水のために故意に壊される管もあるらしい。熱帯の恵まれた条件の下で繁茂した強力な細
菌入の水である。⇒井戸水 ⇒ナガ村の井戸
  このような水であっても水道があるだけましである。水道の普及もまだまだである。ジャカルタ
の水道水が飲めないのは無菌状態で育った日本人だけではない。インドネシア人といえど水
道の水は飲まない。
 そう思って水道水をよく見ると心なしか水は濁って色もついている。飲み水には注意するが
氷にはつい油断する。氷になっても菌は生き延びている。歯磨、うがいにも水道の水は使えな
い。仮にバクテリアを死滅させるほど煮沸しても肝炎ウイルスは300〜400℃でないと死なな
い。化学物質は煮沸では取り除けない。下水道は地下浸透方式の処理であるから井戸は汚
染されている。
  駐在員夫人がインターネット『よろずインドネシア(→902)』で風呂の湯船につかって大丈夫か
どうかの論争があった。膀胱炎の心配である。ジャカルタの水道は飲料水どころか風呂でさえ
警戒されている。皮膚病や眼病が多いのも水が原因である。
  かつて日本から要人がインドネシアを訪れる時はお供が水を日本から持参した。お供が貴重
な水を使うわけにいかないのでビールを飲料水代わりに飲んだ。一昔前まではこんな類の話
を聞き飽きた。
 都市ではミネラル・ウオーターが販売されている。輸入物(注1)もあるが、値段が高い。1974
年にプルタミナ(→531)の法務部長であったウトモ(Utomo)氏が始めた国産(注2)の「アクア
(AQUA)」が代表的ブランドである。⇒どこにでもあるアクア水
  家庭用には19L入りのポリ容器の水を使う。冷却装置につないで飲料水や煮炊き用に使う。
1gビン数十円のビン詰めもある。しかしこの値段であっても買える人は限られている。買えな
い人は少々の菌に対して免疫のついた人だけが生き延びる。
  農村では水汲み場や共同井戸からクランティンorケンディという壷に水を入れて家まで運ぶ。
雨量は多くても飲料水の確保はたいへんである。
 注釈と資料-763  745.水道水 

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764.パダン料理

 インドネシア料理の存在の有無は論議の種である。何故ならインドネシアは多くの民族が存
在する広い地域では地方によってメニューも千差万別であり味も異なるからインドネシア料理
なる普遍的なものはない。しかし日本にもインドネシア料理のレストランが存在するのも事実で
あり、これらのレストランのメニューは各地料理のオムニバスである。
 ご飯の標準的食べ方はナシ・チャンプル(nasi campur)といって皿に飯とおかづを盛り合わせ
てごた混ぜにして食べる。チャンプルは長崎名物チャンポンの語源といわれる。沖縄料理のメ
ニューにゴーヤ・チャンプルがある。ゴーヤという苦瓜をベースに肉や豆腐を混ぜた炒め物で
ある。沖縄の伝統料理が何故インドネシア語であるのか。日本語の中のインドネシア語(
966)で沖縄方言に残るオーストロネシア語群(→563)の片言と信じたいが、戦前の移民引き揚
げ者の持ちかえった言葉かもしれない。
 ところでインドネシア料理のレストランでコマーシャルで記憶あるジャワ・カレーを発注しても無
理というものである。日本でいうカレーライスは日本料理屋にしかない。本場のカレーを食べた
いということであればパダン料理に行けばよい。

 ジャワ料理は一般に甘い。これに対してスマトラ島のパダン(→097)にちなむバダン料理は唐
辛子(→762)をふんだんに使うため非常に辛い。⇒パダン料理 
 最近ではジャカルタの市民にもパダン料理は人気が高い。パダン料理レストランや屋台がイ
ンドネシア各地のちょっとした町には中華料理屋と同じくらい普及している。今やパダン料理は
国民料理になりつつある。
 パダン食堂(RUMAH MAKAN PADANG)はミナンカバウ様式(→940)の特徴ある建物のデザ
インの看板が目印である。レストランというよりは食堂が似つかわしい。24時間営業が一般的
である。
  頼みもしないのに出来合いのおかずを小皿に取ってくれ20皿ほどが目の前に並べられる
が、とても全部は食べられない。その食卓では日中から蝿よけのための蝋燭が点いている。
作りたての熱い料理は喜ばれないので冷えている。
  手をつけた皿の分だけ支払う仕組みである。せこい話になるが食べないおかずの皿は無料
である。戻された料理は次ぎの客に出される。潔癖症の日本人としては気になる。
⇒パダン料理レストラン
 メニューは鶏、海老、鯰のから揚げ、山羊、牛、魚、イカの煮物、レバーをはじめ何か分から
ない贓物もある。いうまでもなく豚を素材にした料理だけは絶対にない。煮物は香辛料がふん
だんに使用されており日本でいうカレーのようなものである。
  パダン料理の代表はルンダン(rendang)である。牛肉をココナツミルク(→771)と生姜(しょう
が)、大蒜(にんにく)、唐辛子などの香辛料で長時間煮込んだものである。ルンダンはパダン
料理からインドネシア料理になっている。
 注釈と資料-764 

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765.調味料

 インドネシア料理の決め手となる調味料はサンバル(sambal)とトゥラシ(terasi)である。サン
バルは唐辛子とトマト、紫小玉ねぎ、ニンニク、ライムの搾り汁、トゥラシに各種の香辛料をチョ
ベ(cobek)という石臼ですりつぶして混ぜ合わせる。日本の漬物と同じく各家庭の自家製の味
がある。
 最近はサンバルの既製品が出回っており、『ABC』がポピュラーな銘柄である。レストランで
食卓にビン入りのサンバルが置いてある。一見ケチャップ風に見えるが、とうがらしと主成分と
する練り物であり、当然のことながら非常に辛い。ケチャップのつもりで口にした人が飛び上が
ること請け合いである。
 日本の醤油のように食卓に常備されており、日本人にとって醤油のごとくすべての料理に好
みの量だけかける。おかずがなければサンバルをまぶすだけでご飯を食べる。インドネシア人
は日本の天麩羅にサンバルをつけて食べる。
 日本にいるインドネシアからの留学生へのインドネシア土産はサンバルがよい。値段の割に
喜ばれるからである。日本人への土産にサンバルを渡したら大変喜ばれた話がある。ただし
一部の人で、大半は迷惑がられているらしい。最近は日本のスーパーでも売られている。
⇒インドネシア土産
 トゥラシは海老の塩辛のような発酵食品である。癖のある臭いがあるので食べにくい。マレー
シアではブラチャン、タイではナン・ブラ、ベトナムではニョクマムといい、塩による貯蔵から発
達した東南アジアの調味料である。日本の味噌のような使われ方をする。
  化学調味料はインドネシアでも重宝されている。「味の素」は人気ある日本製品で一昔前は
僻地へ日本人が行くと子供が『味の素』とはやしながら付いてきたそうだ。一般には味の素はト
レードマークの“Mangkok merah=赤いおわん”として知られている。日本人の主婦がインドネ
シア語で女中に味の素のことを指図する際に少し困る。理由はインドネシア語で声を出して言
えば分かる。
  ちなみに味の素はインドネシアで現地生産している。原料はサトウキビであり原料立地であ
る。2001年に味の素の原料に豚油の使用が疑われる事件(→820)が起きた。
 イリアンやカリマンタン島の山奥を訪ねた人の話ではパック入りの味の素が紙幣代わりに使
用されている。彼らにとってルピア札は紙切れにすぎないが、味の素は実質がある。
 観光地のバリ島では海岸の塩田で製塩をやっているのを目撃できる。見かけは大規摸でも
漁民の乾季の間の副業程度である。天火で作る塩は甘い味がする。家族労働の手作りの塩
であり塩田毎に塩の味が異なるらしい。値段が安い割に評価の高い日本土産である。
  バリに限らずインドネシアのいたる所の海岸で製塩は行われている。外部からの輸入品より
値段は高いが味が好まれている。しかし瀬戸内海から塩田が消えたようにバリの塩田は何れ
エビの養殖池(→553)に切り替えられていくだろう。⇒バリ島の塩田
  Gudang Garam(グダンガラム=塩の蔵)という広告を見かけるが、塩とは関係のない煙草の
ブランド(→836)である。
 注釈と資料-765 

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766.サテサテとガドガド

  インドネシアの庶民の日常料理は決して豊かとはいえない。レバラン(→814)、犠牲祭、スラマ
タン(→705)のような特別な時以外には牛や羊を食べることはなく、通常の御馳走はニワトリと
魚の料理である。⇒インドネシア料理
  仕上がったおかずがワルン(→858)や行商で売られる。一般のインドネシア人の厨房は貧弱
というより無いに等しいのが実態である。
 こまぎれ肉を串焼きにしたサテ・サテ(sate-sate)がある。サテ・アヤムとは日本の"焼き鳥"
と同じように鶏肉の串焼きである。鳥以外にサテ・サピ(牛)、サテ・カンビン(羊)があるが、サ
テ・バビ(豚)はバリ島だけである。サテ・クリンチ(兎)はバンドゥン郊外のレンバンの名物であ
る。サテ・サテ屋のワルンは多いが、マドゥラ(→151)と名乗る店が多い。マドゥラ風のサテの味
付けがインドネシアの標準となった。⇒サテサテ
 いずれにせよサテ・サテはインドネシア料理の中では外国人に最も人気が高い。炭火、特に
椰子の殻の炭で焼けば、日本の懐かしい匂いがする。日本人にとって今一つ残念なのはタレ
がインドネシア味で日本の醤油でないことである。串は椰子の葉の茎が用いられる。
 肉食民族ではない日本とインドネシアでかくも共通の料理が発達したのは細切れの肉を最大
限に有効に味わう技術ということであろう。わらじ草鞋大のビフテキにかじりつく民族には求め
えない繊細さの表われである。
 ソト・サユール・アヤム(soto sayur ayam)は鶏肉の出汁による野菜のスープでインドネシア
料理の中では熱い食べ物である。本来、インドネシア料理は手食のためスープのような熱い食
べ物はないので、中華料理の影響をうけたものであろう。
  バクソ(bakso)は肉団子のスープである。ワルンにもバクソ屋のワルンがあるが、量が少ない
ので3−4杯食べないともの足りない。マラン(→148)風が本場である。日本語の語呂が悪いの
が欠点である。
 いろいろな野菜のインドネシア風サラダはガドガド(gado gado)という。材料はジャガイモ、キ
ャベツ、ニンジン、モヤシ、インゲン、トマト、キュウリなどである、厚揚やエビセンベイ(→767)が
のっており、ピーナッツ・ソースがかけてある。ガドガドとはゴチャマゼという意味があり、インド
ネシアの多数多様の民族からなる有様を多様性の中の統一(→367)を“ガドガド文化”と例えて
いる。アメリカはかつては人種の坩堝(るつぼ)といわれたが、最近ではサラダボールといわれ
ている。インドネシアは初めからガドガドである。⇒八百屋の店頭 ⇒八百屋
  熱帯の国での国産の西洋野菜というと冷房ビニールハウスで栽培されるかと思うが、さにあ
らずである。インドネシア、特にジャワ島は3000m級の火山が多い。高原では温帯の野菜、果
物が栽培される。オランダ人の置き土産であるが、戦前に移住した日本人に野菜作りの成功
者がかなりいた。
 さつまいもの葉に似ているカンクンは庶民が食べる最もありふれた野菜である。多く食べると
眠くなるという酵素を含有するらしい。
 注釈と資料-766  

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767.菓子はクエ

  午前中の会議はもちろんのこと、ビジネスの訪問の際にもお茶と一緒にクエ(kue)がふるま
われる。餅米で作ったチマキとそっくりなものがクエに出てくる。これも中華料理の影響であろ
うがこちらはバナナの葉で丁寧に包んである。
  インドネシア人に間食の多いのは朝昼晩という食事の習慣が定着していないからであるが、
食事を十分に取れないという事情もあるらしい。
  アイプ・ロシディ(Ajip Rosidi 1938− )の短編に都会の親類の家に寄宿していた農民が朝食
時に一人だけタペというお菓子を食べる光景が描かれている。1日1食しか食事をしていない
農民の彼は朝食の習慣に馴染むことを恐れているからである。
 クエといわれる菓子は間食のすべてをいう。子供のおやつというよりは少ない食事を補う日
常的な食べ物である。⇒町の菓子屋

 インドネシア料理にクルプック(kerupuk)という煎餅(せんべい)は欠かせない。この煎餅はお
やつばかりではなく副食として食べる。食卓にはクルプックの皿がある。ナシゴレンかミーゴレ
ン(→760)をオーダーするとクルプックが2〜3枚盛り付けてある。日本人が漬物を食べるよう
にインドネシア人はクルプックを食べる。口直しのような効果があるらしい。
  クルプックは最も愛好されているのはクルプック・ウダン(海老入の煎餅)である。タピオカの
デンプンと海老の粉を混ぜて練ったものをゆでてから乾燥させてある。日本のエビ煎餅よりも
淡泊である。市販されているのは5pくらいであるが、油で揚げると3〜4倍に大きくなる。
 インドネシア人に人気のある日本の菓子はエビセンである。日本風の味の濃厚なクルプック・
ウダンとして祖国へのお土産に買っている人がいた。ちなみにインドネシアには多種多様のク
ルプックがあるが、【FINNA】がブランドである。⇒クルプックの店
 エビのクルプックが普通であるが、魚、野菜、大蒜、とうもろこし、じゃがいも、タロイモの煎餅
もある。牛の脳味噌、内臓、皮の煎餅もある。食べると眠くなる煎餅もあるということだ。
  クリピックという各種の芋や野菜のチップスがある。ガドゥンチップスは苦みの乙な味である
が、食べ過ぎると酔うらしい。色々な味を自分の好みでブレンドして食べる。
 エス・カチャンは屋台で売っている氷菓子である。材料は小豆、寒天、果物、ミルクなどであ
る。日本の蜜豆というところである。冷たくて甘いから暑い気温では思わず食べたくなる。しか
しインドネシアの氷は元の水に問題が大有りであるから、初めて食べると下痢をする。食べた
ければ数回の下痢は覚悟の上で免疫をつけることである。⇒氷菓子の屋台
 一般にインドネシア人は甘党である。何故ならコーランでアルコール(→837)が禁じられてい
るため辛党がいないからである。糖尿病問題が出てくるのも時間の問題であろう。
 注釈と資料-767  

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768.テンペとトーフ

  ジャワのテンペ(tempe)は納豆と同じく大豆が原料の発酵食品である。煮た大豆にラギという
こうじ麹を振り掛けバナナの葉で包み静置しておくとクモノスカビが生えた塊になる。糸を引か
ないところが納豆との違いである。
 テンペは日本の納豆ほどの粘りけがない。サンバル(→765)をつけて食べるか油で揚げて食
べる。スープに調理して食べる。ジャワ固有の食品であったが外島でも普及している。日本で
もテンペの製造元があり、健康食品としてPR中である。
  スンダ独特の伝統食品にオンチョム(oncom)がある。テンペと同じく糸状菌を用いるが原料
がピーナッツの絞り粕である。胞子の色で赤か黒色になる。
 テンペもオンチョムもバナナの葉にくるんで売られている。安価な蛋白質として重宝されてい
る。両方とも零細工場か家庭で作られるため衛生管理は十分でないことが問題である。テンペ
の製造で薬品の使用を誤り大勢の人が死んだという小説があったから、製造過程で薬品を使
うらしい。⇒テンペの販売
 納豆に似たものがネパールにもあり、キネマという。日本の納豆、ジャワのテンペ、ネパール
のキネマを結ぶ大三角形になる。発酵した食べ物というのは世界でも例がないらしく大三角形
の中のみに存在する食物である。中国南部の山岳部にひろがる照葉樹林文化の産物らしい。
  この大三角形は“なれ鮨”についてもいえる。トゥラシ(→765)も発酵食品である。両地域にお
ける発酵食品の起源は古く、インドネシアと日本の太古における繋がりがあったことの物的証
拠の可能性がある。中尾佐助教授の食物文化論の一端である。
  大豆からの発酵食品にケチャプ(kecap)がある。ケチャップ・アシンとケチャップ・マニスの2種
類ある。前者は塩分が多く糖分が少なく日本の醤油の代わりになる。後者は逆で甘い。料理
によって使い分ける。製法は日本の味噌と似たタウチョを作る。タウチョからケチャップを絞る
が、そのままでも食品である。ちなみにケチャップはヨーロッパ系の言葉と思っていたが、語源
はバンブー(竹)、ラタン(籐)と同じくインドネシア語である。
  発酵による大豆食品はインドネシアに持ち込まれた中国の食文化が現地風にアレンジされ
たものである。製法の類似にもかかわらず発酵菌は中国や日本の麹菌とは別系統の菌であ
る。インドネシアのみならず東南アジア全体に見られる中国の食文化の影響である。

 発酵食品でない大豆食品に日本の豆腐そっくりなものがインドネシアにあり、名前までターフ 
(tahu) という。名前からして中国から到来した食文化である。インドネシアのターフは揚げ物
にして食べるので日本の豆腐より堅い。従って暑いからといってそのまま冷奴で食べてはいけ
ない。理由はどんな衛生状態で売っているか店屋へ行けば分る。もっとも最近のスーパーでは
一丁づつビニールでパックしてあるらしい。⇒タフの販売
 注釈と資料-768  

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769.魚はイカン

 インドネシア語の魚はイカン(ikan)である。日本語の意味と相まってインドネシアの魚の事情
を表現している。
  島国でありながらインドネシアの魚の食文化は極めて貧しい。その理由は冷凍設備の普及
が十分でなく、熱帯では魚は腐るからである。インドネシアには鮮度という尺度がなく腐りかけ
た魚が平然ち売られている。⇒東ジャワの魚店
 魚の好きな日本人駐在員がパサール・イカン(→155)に出かけても生の魚を買うのはよほど
吟味をしなければならない。仮に新鮮そうに見えても決して刺身にしようという気など起こして
はならない。魚を洗っている水に問題がある。
  生鮮マグロ(→554)がインドネシアから日本へ送られるようにインドネシアはマグロの産地で
ある。しかしジャカルタの日本料理屋のサシミは築地で他のネタとパッケイジで航空便でインド
ネシアへ逆輸入されたものである。
  海に囲まれた日本では魚のない日本料理はありえない。これに対してインドネシア料理の定
番に魚料理の出番はない。一般的にインドネシア人は海の魚はあまり食べない。たまに見か
ける魚料理も淡水魚である。⇒魚市場
  インドネシア料理のレシピで魚料理を見るに油でカリカリに炒めたものか、餡かけで煮たもの
で、魚の原型は判らなくなっている。中華料理の亜流としか見えない。香辛料をふんだんに使
っているところがインドネシアらしい。
  思うに中華料理にしろ、フランス料理にしろ世界の魚料理は揚げるか煮るかのどちらかであ
る。焼き魚でさえ珍しい調理法であろう。中でも日本の刺身は世界でも希な特殊料理と思う。つ
くりなどは材料を切って並べるだけである。何の加工もする訳でもないのにどうして料理などと
言えるのかという疑問はさておいて、刺身が世界の高級食文化として市民権を得つつある。
  しかしながら刺身もどこで反発を受けるかわからない。特に生け作りは残酷な食文化であ
る。白魚の踊り食いなど外国人が聞けば残酷さに顔をしかめる。魚愛護協会のNGOができれ
ば真っ先に槍玉にあがり日本人を野蛮と罵るだろう。 インドネシアの話に戻ると魚はそのまま
食べるよりはサンバルやトゥラシなどの調味料(→765)の原料としてインドネシア人の食卓に出
る。
  インドネシアの中でも東インドネシアは魚の食文化が比較的豊かである。ウジュンパンダン
(→200)ではイカン・バカールという焼き魚が名物である。ブギス人(→615)のいる所にはイカン・
バカールのワルン(→858)がある。
  10年以上前のことになるが、私がしょっちゅうインドネシアへ通っていた頃、駐在員へのお土
産に最も喜ばれるのは魚の干物であった。旅行かばんに干物を詰めると書類と臭いが移って
困った。現在は日本からの輸入品が自由に買える。
 注釈と資料-769  503.漁業への期待

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770.サゴ椰子

  ヤシ科のサゴ椰子はスワンプのような湿地を好みサゴ林になっている。サゴ椰子の葉は他の
ヤシのように屋根や壁の材料、燃料にもなるが、サゴ椰子の特長は木の幹からサゴという大
量の澱粉が採れることである。 
 サゴの生産は10年以上成熟したサゴヤシを切り倒し、樹皮をはがして幹の髄を粉砕すると
おがくずのようになる。それを水に晒すとでんぷん澱粉が沈殿する。水を使用することから沈
殿槽として丸木船のように丸太をくり貫いた物を使用する。
 サゴ椰子一本で乾燥サゴのでん粉が約200kg採取できる。一人の一年分の食料に見合う量
である。白い粉の生サゴ澱粉を天日で乾燥するとサゴパールになる。サゴパールは保存が可
能で商品として売買される。ウォーレス(→971)が始めてサゴヤシを見た時に食用になる木と不
思議がった。
 サゴヤシは開花直前に澱粉が最大になる。一旦、開花すると樹は枯れて髄は硬くなり食用で
きない。問題点は開花時期が不定である。また、その生態についてはよく知られていないの
で、現在のサゴヤシも栽培というよりは自然採取である。
 栄養上のサゴヤシの問題点は純粋な澱粉であり、蛋白質などの他の栄養素を含まないこと
で、要するに味がない。このため何かの味付けが必要である。サゴヤシを主食にする民は海
辺に居住して漁労を行っていることが多い。サゴヤシは漁労とセットになって成り立つ食文化で
ある。⇒澱粉採取 ⇒澱粉採取
 東インドネシアではサゴヤシは主食の位置にあり、西イリアンは最大の生産地である。《サゴ
ヤシ文化圏》なる呼び名はイモ文化圏(→602)とほぼ重なっている。インドネシアの主要部は
《稲作文化圏》に属するのに対して、サゴヤシ、イモとも稲作の普及していない東インドネシアを
象徴する作物(注)である。
  サゴヤシの食文化に慣れ親しんできた東インドネシアの住民も何かの機会に米を食べると、
それ以降は米を食べたがるようになりマルク州やイリアン州への大量の米が移出されるように
なったことがインドネシア全体の米不足(→770)の原因の一つといわれる。

 サゴ生産は自給用の食料の供給であったが、最近では濡れたまま商品として換金できるよう
になった。サゴも工業用デンプンとして輸出のため工場生産が行われるようになる。加工機械
を備えた船が乗り付けてサゴ椰子を買い付ける。終われば船は別の所へ移動する。後にはサ
ゴ椰子の残骸がうずたかく残る。
 開発の名において文明は熱帯樹林を丸裸にし、マングローブをえび養殖の廃棄物で汚し、ス
ワンプをサゴヤシの残骸の捨て場とするのだろうか。
  地球の人口増加による食料問題に対して味はとにかく炭水化物の供給という点において 赤
道近辺の熱帯にサゴヤシの栽培に適した未利用の広大な湿地があるという事実は、世界の
食料問題解決の切り札としてサゴヤシに強い期待がかかっている。
 注釈と資料-770  007.スワンプの広がり
 
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771.ココナツ・ミルク

 ココナツヤシは縮めてココヤシともいう。2500種類もあるヤシの中で最もありふれたヤシで
ある。インドネシア人の食生活に欠かせない。未熟なヤシは飲料水である。味はとにかく衛生
的である。日本の夏祭りにもヤシのジュースが売られている。⇒ヤシ・ジュース
 熟したココナツヤシから取り出した実をするおろし水に溶かしたのがココナツミルクである。イ
ンドネシア料理にココナツミルクは欠かせない。ほのかな甘い香りは料理にコクを添える。ご飯
にココナツミルクが入ったのがナシウドゥック、中華そばに入ったのがラクサである。
  煮物やスープにはココナツミルクが多用される。インドネシア料理の定番のルンダンは牛肉
をココナツミルクとスパイスでじっくり煮たものである。⇒ココナツヤシの実
 日本でもココナツミルクはデザートや焼き菓子に使われる。ココナツミルクパウダーを湯で溶
かす。ひところ大流行のナタデココはココヤシ水を酢酸発酵させたものである。フィリッピンで
はナタデコ栄華の残骸が野にさらされているらしい。

 ココナツミルクを静置しておくと表層部に浮かぶのがココナツ油である。すくってさらに分離す
る方法で家庭でココヤシ油をえることができる。しかし一般のココヤシ油はココヤシの実を乾燥
させたコプラから採油する。いろいろな形で利用されるが最も多いのは食料油であろう。
 ココヤシ油はインドネシアの庶民の食料油である。臭いが気になるが、イスラム教徒には豚
脂を使っていないという証明になる。豚肉のみならず豚の脂のラードを使用した料理も食べな
いからである。
 ココヤシ油は調理の炒め物に使う。ナシゴレン、ミーゴレン、ピサンゴレンなどインドネシアの
食生活に欠かせない。この結果、カロリーの過多摂取のため肥満体多い。健康な肥満体では
ないので心臓発作、糖尿病で死ぬ人が多い。
 ココヤシ油はインドネシアの輸出品目であるが、国民の食料油の確保のためという理由で輸
出を規制している。 インドネシアではヤシ油は庶民が安く手に入れることができる食料油であ
る。
 ジャカルタ空港に着陸した時に何かしら漂ってくるのは[匂い]ではなく[臭い]である。甘った
るい香りはクレテック(→836)であろう。南国の香りにつきまとういやな臭いは排気ガスである
が、やし油という説もある。においについては西欧が〈バタ−の香り〉であり、日本が〈沢庵の香
り〉であるがごとくインドネシアは〈ヤシ油の香り〉である。
 ヤシ油は灯油としてつかわれてきた。ワヤン(→904)の伝統的な上演はヤシ油が灯される。
一方、ココヤシ油は工業用の原料として輸出される。プランテーション(→502)作物として油やし
(→562)が取って代ったたが、油脂の性状からココヤシ油も必要である。
 注釈と資料-771  ⇒044.生命の樹・ココナツヤシ
 
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772.バナナの調理

 インドネシアはおそらく世界有数のバナナの生産国と推測されるが統計では明らかでない。
自家消費あるいはせいぜい近隣の都市に出荷されるもので商品作物の埒外であるから統計
の対象にならないようである。⇒バナナ
  バナナ農園でなくても町の中でも空き地があるとバナナが植えられる。農家の屋敷周りには
必ず自家用のバナナ畑がある。カロリー、ミネラル、ビタミンも豊富で果物というより食料代替
にもなる。1本100gのバナナを24本食べると1日の所要カロリーになる。
 花が咲いてそこから実がなるが、花も実も生殖には関係なく、根元の吸芽を移植するだけで
簡単に増やせる。人類の永い栽培の歴史において突然変異の種無しバナナ(3倍体)の品種改
良を行って現在のバナナを作り上げた。
 今のバナナの実の中にある黒い点はかってのバナナの種子の名残である。ジャングルの中
の野生バナナには種子がある。バナナの種類は多く生では食べられないで料理用のものもあ
る。世界のバナナ生産の半分は料理用である。1Mを超える巨大バナナがあるらしいが、硬くて
家畜の餌にしかならないそうだ。
  熟すと黄色であるが、ナスビ色のバナナもある。ピサン・アンボンが普通のバナナである。ピ
サン・マス(黄金)は黄色が濃いことからの命名だろう。小さくて甘いことから日本ではモンキー
バナナで知られる。“淑女の指”というさらに小さいのもあるらしい。ピサン・スス(乳)は赤ん坊の
離乳食に使う。ピサン・ラジャ(王様)は大きくて堂々としている。
 現地で食べるバナナは見てくれは良くないが味はよい。温帯の人間が食べているバナナは
輸出用に改良されたものである。さらに不自然にムロで熟成されたものであるから日本で食べ
るバナナの味が劣るのはやむをえない。輸出用バナナのプランテーション(→502)はハルマヘ
ラ島(→230)でシナール・マス社(→522)が取り組み始め検疫にも合格したが、その後もインドネ
シア産バナナの話はあまり聞こえてこない。日本の輸入先は3/4はフィリッピンでその他はエク
アドル、台湾である。
 バリ島のモンキーフォレスト(→176)の入り口で猿の餌にモンキーバナナを売っていた。猿が
手に持つに手頃な大きさである。モンキーバナナの名の由来であろう。しかし猿はバナナには
食傷気味らしく、欲しそうでもなかった。ピーナッツを持っている人がいるとそちらには群れにな
って集まった。
 バナナはカロリーも栄養も十分であり、生食のみならず料理の材料にもなる。あぶら炒めの
ピサン・ゴレン(pisang goreng)はインドネシア料理の中では日本人の口に馴染みやすい。乾燥
バナナやジュースにもなる。⇒ピサン・ゴレンのおやつ
 受験英語に没頭していた頃、次のような主旨の英国の随筆家の文章があった。バナナは熱
帯に居住する“怠け者”の果実である。何故なら温帯の果実のリンゴはナイフでむかなければ
ならないが、バナナの皮はいとも容易にむける。今日ならば差別問題にも発展しかねない論旨
である。
 注釈と資料-772  ⇒047.生活の中のバナナ

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773.ドリアン/果物の王様

 雨季になるとドリアン売りが道端に店を拡げる。日本の百貨店の一個1万円という価格は論
外としても日本円に換算すると数百円という価格はインドネシアでは高価である。さらにドリア
ンは西瓜と同じで熟し加減は外からは分りにくいので買うほうも真剣に品定めをしている。ドリ
アンにも品種がありモントンが最高級品らしい ⇒ドリアンの販売
 芳醇で口の中でとろける感じはチーズのような動物性蛋白質のような味で、栄養も豊富であ
る。ドリアンの食べかすには野犬がたかっている。虎もドリアンが好きなことで知られている。
肉食動物が果物を食べるというようにおよそ果物らしくない果物がドリアンである。
 ドリアンが有名(ノトリアスの方)であるのはその悪臭である。このため一流ホテルでは持ち込
みは禁止されている。隠して持ち込もうとしても洩れる臭いは防ぎえない。サランラップに包
む、コーヒー豆と一緒に梱包するなどの案があるが保証はしかねる。
  ドリアンの臭いを表す適切な表現にいろいろある。『腐った玉葱とニンニクの臭い』とか古くは
『ロンドンの下水の上でチーズを食べる臭い』というのが西欧人の感想である。ロンドンの下水
はよほど悪臭であったらしい。日本的にいうと『肥溜(こえだめ)』の臭いというところであろう。
 道端で数名の男がしゃがんで何かしている。真剣な顔付きはバクチでもしているようである
が、ドリアンを食べていることは臭いから分る。
 スカルノ大統領当時、米国との関係がぎくしゃくし米国は親スカルノのジョーンズ大使を更迭
しグリーン大使(注)に代えた。スカルノはグリーン米国大使に対して公衆の面前でドリアンを
無理強いさせた。大使は後に地獄の拷問であったと語っている。
  日本人と比べると肥溜めの免疫のない欧米人はドリアンが大の苦手である。東南アジアに理
解の深いラッフルズ(→338)もドリアンだけは食べなかったらしい。「東南アジアが好きでドリア
ンが嫌いな人はいる。しかしドリアンが好きで東南アジアが嫌いな人はいない」は誰かが言っ
た名言である。 ⇒ドリアンの中味
 食べ過ぎなくてもビールと一緒にドリアンを食べると胃の中で発酵し苦しくなる。吐いても吐い
ても吐き気が襲ってくる。死ぬ人もあるようであるが、同じようにしていても平然としている人も
おり、この辺は個人差があるので一概には言えない。
 ドリアンを熱愛するインドネシア人はドリアンを食べるために家を売って離婚された男の話と
か、夜中にドリアンの木の下で同様にドリアンに目がない虎とかち合ったという話が好きであ
る。
  ドリアンの諺 「ドリアンとウリ」は「月とスッポン」、「落ちたドリアン」は「棚からボタもち」の意味
である。「ドリアンが落ちるとサロン(→781)が上がる」はドリアンの強精剤効果である。
 注釈と資料-773  ⇒049.ドリアンの臭い

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774.果物の女王

 果物の王様がドリアン(→773)である。これに対してマンゴスティンは果物の女王といわれる。
インドネシア語ではマンギス(mangis)という。王様に対する女王は対照的である。インド原産で
形は小さく黒紫の1cmほどの分厚い皮の下から純白の実が現われる。味はかすかに酸味が
あって淡泊である。食べる部分は1/3程度しかない。マンゴスティンに砂糖をかけて食べるのは
よくないといわれるが、科学的根拠はない。⇒マンゴスティン
 女王という命名は種をまいてから実がなるまで15年もかかるという生育の難しさ、その結果
として値段も高いこと、あるいは大英帝国のビクトリア女王の好物であったことも関係あるかも
しれない。茶道具のなつめにも似た形がよい。
 ビクトリア女王は大英帝国の領土(植民地のこと)で採れるにもかかわらずマンゴスティンを
自由に味わえないことを嘆いたが、今日のジェツト機の時代では女王でなくて庶民でも張りこ
めば日本で食べられる。ただし鮮度は落ちる。
 皮はタンニンを含み、下痢止めの薬になる。染色剤にも使用されるように皮の汁を衣服に付
けると洗っても落ちない。ホテルのフルーツバスケットでマンゴスティンを見かけることがないの
はクリーニング部門からのクレイムだろう。⇒バリの果実販売
  
 マンゴ(mango)は果物の王女といわれる。ちなみにマンゴは英語でインドネシア語ではマン
ガ(manggaa)である。王様のドリアンと女王のマンゴスティンの子であれば王子でもよいと思う
が、マンゴの形は曲線の具合がまことに芸術的で心ときめくばかりでなるほど王女とうなずか
れる。球状や細長いものなど形は様々であるが、先がやや反って勾玉のようになっている。
 完熟すると色がつき、黄色、赤みがかったもの、黄金色などになる。マンゴハルマニスという
種は熟しても緑色であるが、中身はみかん色である。中に種部分があるので三枚おろしに切
るが汁がたれるので行儀よく食べにくい。マンゴはうるし科であるので口の周りにアレルギーを
起こす人もいる。⇒マンゴの写真HP
  匂いは濃厚であるが、豊潤な香りでドリアンのような悪臭ではない。ドリアンとは比べるべくも
ないが味も濃厚である。王女といっても子供でなく成熟した女性であろう。日本の果物店でもマ
ンゴがあるのでよく見れば肌につや艶はなくカサカサとしておりおまけに皺(しわ)まである。さ
しずめ婆さん王女というところであろう。
  マンゴの樹は大木で40m〜50mというのもあるが普通は10m-20mである。フルーツ蝙蝠(
072)にやられないように袋をかぶせる。棒の先に鋏と籠があり、鋏で切り取った実を籠にいれ
る方法で採取する。自然に落ちるのをまってもよい。
  未熟なものは刺激的なすっぱい味がする。文学で大きくなりかけのマンゴの実は少女の乳房
の比喩である。サラダに入れたり、ピクルスにして食べる。若葉も野菜になる。プリンやケーキ
の材料になる砂糖漬け、乾燥マンゴの加工品もある。紅茶の飲み方にインドネシアにはマンゴ
ティがある。日本への土産の喜ばれるそうだ。
 注釈と資料-774  

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775.ナンカは何か

 西瓜より大きな果物が木になる。ナンカ(nangka)の実の重さは10〜20kg、大きなものは50
kgにもなる。いうまでもなく世界最大の果物である。 ⇒ナンカ
初めは親指くらいの大きさで鋭い刺で覆われているが4ケ月で数十aにもなる。武装していた
刺もなくなりおいしそうな黄色に変色すると成熟である。熟するのに8ケ月かかる。虫害を防ぐ
ためスーパーの袋をかけてある。
 このような重い実であるから細い枝では支えられない。従って幹から直接にぶら下がってい
るのは珍しい光景である。専門用語で「幹生果」という。
 ちなみにナンカの木は堅くシロアリに犯されにくい、磨けばつや艶がでるので木彫りの素材や
家具に用いられる。中を刳りぬいて叩くと鋭い音がしてよく響く。アザーン(→809)を知らせるモ
スクの太鼓やバリ島のクルクル太鼓(→595) の材料である。⇒店頭のナンカ
 ナンカは大きな実であるので解体して売ってある。食べられるのは種の周りの柔らかい部分
だけである。繊維質が多いが生でも食べられ、味については柿という人もいるし、パイナップル
という人もいる。種も茹でて食べられる。臭いがやや気になる。
  未熟の果実は魚や肉と煮る料理の材料にもなる。パーティの席で果物をベースにしたと思わ
れるケーキがあるので「これは何か?」と聞くと「ナンカ」という返事である。
 「ナンカの実は主人が食べる、私は汁を飲む」という言い方が何かの本にあった。ナンカの汁
はネバネバして飲むことはできない。意味するところは主人がすべてを取り上げて何も残らな
いということらしい。
 ナンカはインドネシア語であり、原産地のインドではパラミツ、中国語で波羅密、お釈迦さんと
関係ありそうな名前である。英語ではジャック・フルーツの名で知られる。ジャック氏にかかわ
る名前の由来がありそうであるが、マレー語が語源らしい。
  ナンカが“白人のドリアン”といわれるのは本物のドリアン(→773)と比べると匂いは上品すぎ
る。図体ばかりでっかく中身が少ないという意味も含むのだろうか。

 ナンカに近い種に幹生果のパンノキがある。八手(やつで)のような葉で樹高は30mにもな
る。果実の実はパンのようであるが味はさつまいもに近いらしい。1789年、南太平洋で起きた
バウンティ号の反乱はパンノキが絡んでいる。パンノキを見たヨーロッパ人は有用な食料として
他所への普及を考えた。⇒パンの木写真HP 
 パンノキの苗の採集でタヒチ島に半年滞在した間に船員は現地女性と仲良くなった。帰国の
航海でヨーロッパに帰るのを拒否して船長以下18名を海上に小船で置き去りにしてタヒチに
戻った事件である。太平洋を小船で漂流した船長はティモール島(→221)にたどり着き、バタビ
ア経由で帰国して事件が明らかになった。
 一方、期待されたパンノキはサツマイモやタロイモ、キャサバと比べると栽培に手間がかかる
ため、その後はほって置かれている。
 注釈と資料-775  
 
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776.食後のデザート

 多くの熱帯果物にはシーズンがあるが、雨季、乾季の区別なく年中いつでもある果物はバナ
ナとパパイヤとパイナップルである。パパイヤはメキシコ原産である、インドネシア語でプパヤ
(pepaya)である。略してパヤ(paya)である。
  栽培が容易なので農家の家の周りの屋敷林(→059)にバナナと一緒に植えられている。バナ
ナと同様に4〜5bの高さになるが、組織は柔らかく植物学的には木ではなく草の方に分類さ
れる。年を経ると茎は木質化してくる。パパイヤは種を蒔いて半年もたつと結実を始める。以
降3〜4年は実をつける。果形は球形、卵形、楕円形とあり、その形は女性の乳房に例える。
  一度ジャカルタのホテル宿泊の際にフルーツ籠の差し入れがあり、30pを越え糸瓜(へち
ま)のようなでかいパパイヤがあった。芳香も十分である。しかし余りにも巨大で一口も手がつ
けられなかったのが残念である。あのパパイヤはその後どうなったであろう。
  パパイヤの幼果は野菜として食べ、成熟すると生果として消費する。砂糖漬けの加工食品も
ある。ビタミンAとCを多量に含有し優れた健康食品である。葉も茹でるか炒めるかすれば食
べられる。苦味がオツな味である。⇒ランブータン
 果物のドリアン(→773)は《パナス(熱い)》であるのに対して、パパイヤは《ディンギン(冷た
い)》の代表である。これには科学的根拠がある。パパイヤは蛋白質分解酵素のパパインを含
むので消化剤の役割を果たす。ということで食後のデザートはパパイヤである。
 インドネシアでは牛は第一に耕作用である。耕作用として役がご免になれば食肉になる。し
かし耕作用牛の肉は非常に硬いのでその肉を柔らかにするにはパパイヤの葉で一晩包むか
樹液を塗ればよい。男性のパパイヤの食べ過ぎはインポになると警戒するむきもある。単なる
連想と思うが科学的根拠があるかもしれない。⇒パパイヤ畑
 ジャカルタの日本料理の食後のデザートには年から年中スマンカ(西瓜)がでてくる。見かけ
味ともに日本と同じである。しかし西瓜のデザートは日本人だけである。一般にインドネシアで
は西瓜は貧しい人の食べ物として軽蔑されているので客人に西瓜を振舞うことは失礼になる。
アメリカでは黒人奴隷の食べ物であったという記憶から白人は西瓜を忌避する。西瓜は差別さ
れた果物というのが世界の相場らしい。
 パイナップルはアメリカ原産である。インドネシア語ではナナス(nanas)である。インドネシア
ではパイナップルのプランテーション(注)はなく、農家で栽培されている。道端で売られている
のは自家用分の余りであろうか。実は小さいがパナップルが自然に熟した時に採取されるか
ら味は抜群である。溢れるような果汁にこれが本当のパイナップルであると見直す。
 インドネシア人は完熟前の果物を切った盛り合わせにルジャックで食べることを好む。ルジャ
ックは酢、唐辛子、トゥラシ(→765)を混ぜ合わせた蜜である。聞いた限りでは美味しそうでもな
いが、その魅力に取り付かれるようになると本物のインドネシア人である。
 注釈と資料-776  047.熱帯果樹の香り

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777.ランブータンなど

 インドネシア語の『ランブット rambut』は"毛"である。『rambutan』となると"毛のはえたもの"と
いう意味でランブータンという果物のことである。ついでにドリアンの方は「duri」が'とげ刺'で
「durian」は'刺のあるもの'の意味である。ドリアンは刺で覆われた果物である。
 雲丹(うに)のような毛の生えた赤い皮に爪をたてて剥くと中にはジュースで濡れた半透明の
白い実がでてくる。わいせつ猥褻な妄想にとらわれることもなきにしもあらずであるが、中の実
はレイチと同じ淡泊な味である。
 日本では一個一個、見栄えのよい実だけが箱に詰め合わせると高級フルーツのイメージに
なるが、インドネシアでは庶民の食べる果物である。街では枝豆のように枝ごと束ねて売って
いる。よく見ると蟻がいっぱいたかっている。蟻が多いことは実が甘い証拠である。
  採取してから痛みが早い、鮮やかな赤色が変色するので生産地でしか生食はできない。温
帯には缶詰が輸出されている。
 パッション・フルーツとは“精力剤??”と連想をたくましくしドリアン(→773)のことと思うが、実
は花の印象からキリストの受難(パッション)にちなむ英国人の命名の果物である。マルキッサ
(markisa)という正規のインドネシア名がある。⇒パッション・フルーツ
 卵大の薄皮の実を割るとゼリー状の中に怪しげな黒点が散らばっている。不潔そうで、汚い
池の隅の蛙の卵である。食べるには勇気がいるが、匂いもよいのであえて食べる。美味くはな
いが不味くもない、不思議な感触だけが残る。日本の晩秋の山中にあるアケビを思い出した。
マルキッサジュースはブラスタギ産とウジュンパンダン産が知られている。
 ササックは形はいちじくに似ているが、表皮は蛇の鱗のような果皮につつまれている。皮を
剥くと白いラッキョウのような実が表れる。酸味が強く酸っぱい、ということを書いているだけで
唾が出てくる。 ⇒ササック ⇒ジャムブ
  同じくすっぱい果物のブリンビン(belimbing)は英語のスター・フルーツ(star fruit)の呼び名が
常用される。優雅な名前の所以は輪切りにすると星型である。味より形の故に好まれている。
ゴレンシは中国語の星の形の五稜"が語源である。
  ジャカルタのホテルで林檎を見かけることがある。小さくて固い、色も青い。温帯の人には
少々変な林檎であってもインドネシア人は国内産であることに誇りを持っている。その林檎の
産地がマラン(→148)である。ガルット産(→110)の蜜柑もある。林檎、蜜柑など標高の高い地
では温帯性の果物も栽培される。 
  いくら美味しくてもインドネシアのフルーツを日本へのお土産に持って帰ることはできない。輸
入が禁止されている。検疫で全部没収され、涙を飲んだ人はかなり居るらしい。悪臭に昆虫や
菌も辟易するドリアンは禁止除外品とのことであるが、残念ながらドリアン持参は飛行機への
搭乗そのものを拒否されるので結局、同じことである。
 注釈と資料-777  

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778.潤沢な砂糖

  インドネシアの砂糖には2つの源流がある。一つは砂糖椰子(→837)で椰子の樹液を煮詰め
る。もう一つは砂糖キビである。
  ヤシ酒のために採取された樹液を酒になる前に煮詰めると砂糖になる。砂糖椰子は黒くてド
ロドロしており、始めはどろどろした液状であり、家庭ではこのまま使用するが、さらに煮詰め
て餅状にしたグラ・メラ(赤砂糖)は商品になる。赤砂糖は蔗糖に押されて生産量は少なく、調理
用の自家消費が目的であり商業生産は少ない。⇒砂糖椰子の写真 ⇒砂糖やし
 乾燥のため穀物の収穫が覚束ないヌサテンガラ諸島の東のサテ島(→223)という小島では住
民は食糧の端境期は砂糖水のシロップだけで食いつなぐらしい
  砂糖キビの原産地はニューギニア島であり昔から生産されてきた。熱帯植物である砂糖キビ
はオランダ資本によってプランテーション(→502)生産されるようになった。砂糖栽培には水利
が必要なため稲作用の水田が転用され、また労働力が豊富であった。
  20世紀初めのジャワ島は世界有数の砂糖の産地であり世界最大の輸出国であった。砂糖
輸出を牛耳ることから建源財閥(→675)は砂糖王といわれ大をなした。戦前に日本の商社がジ
ャワ島に進出したのは砂糖の買付けのためである。
  独立後、米と砂糖キビは水利灌漑のある農地を競合するため米生産が優先され、ジャワ島
の砂糖生産は大幅に減産した。しかし砂糖と米を組み合わせた輪作は合理的であるため、現
在も砂糖キビの生産は行われているが、国内消費をまかなう程度の生産である。
  植民地時代に西欧資本が保有していた砂糖工場は接収されて国営化された。設備は老朽
化しており産業史博物館(→129)になっている。

 一般にインドネシア人はジュースにも砂糖を入れるように"甘党"である。コーヒーや紅茶にも
たっぷりと砂糖をいれる。コップの1/3も入れるので虫歯や糖尿病が心配である。精製技術
(注)がよくないのか、砂糖の粒子が荒いようであまり溶けないので実際の摂取量はそれほど
多くないのかもしれない。インドネシアの菓子は甘い。インドネシアの「コカコーラ」はインドネシ
ア人に合わせて砂糖が多い目の品質規格になっているという。
 マルタバ(martabak)というインドネシア風のお好み焼きはやたらと甘い。何れにせよ日本人
から見るとインドネシア人は甘さの味覚に鈍感である。これはむしろ日本人の方が敏感すぎる
ようである。何故なら温帯の日本では砂糖はこのうえない貴重品であった。砂糖をめぐる附子
(ぶす)という狂言を思い出した。
 日本ではわずかの砂糖でかすかな甘さを感じる"美学"が発達した。城下町にある伝統の和
菓子は砂糖の甘さを極小化することに精根を傾けてきた。日本で砂糖が自由に手に入るよう
になったのはついこの前の事である。
  インドネシアの諺 「Ada gula ada semut」 砂糖があれば蟻が集まる。
 注釈と資料-778  

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