(管理人からのお知らせ)このページは、「ホランイ(虎)」さんの著作をベースに、一部管理人が改変しました。
●京元線(龍山〜新炭里)
・京元線は、京釜線の龍山(ヨンサン)からソウルの南側を回りこんで、清涼里(チョンニャンニ)、議政府(ウィジョンブ)、東豆川(トンドゥチョン)を経て新炭里(シンタンリ)に至る路線です。
・本来の目的地は朝鮮半島の東海岸、北朝鮮の元山(ウォンサン)で、京義線と同様に南北分断路線です。
・運行系統は、龍山〜東豆川の広域電鉄線と東豆川〜新炭里のローカル線に分かれます。
・ローカル区間では、列車は1時間に1本、近郊型ディーゼル車が走っています。
・終端の新炭里は韓国鉄道最北端駅です。
●京元線乗車記
1998年9月に、京元線のローカル区間、議政府〜新炭里に乗車した時の記録です。
議政府を発車した5両編成の新型近郊ディーゼル車は、席が半分埋まるくらいの混み具合でした。そんなローカル列車にも車内販売のワゴンが回ってきて、しかもそこそこ商売になっているようでした。列車は低い山並みの続く田園地帯を走って行きます。この辺りはいいハイキングコースのようで、それらしい格好の人をかなり見つけました。
東豆川(トントチョン)と全谷(チョングク)の間、正確な位置は忘れましたが、進行方向左側、つまり西側に「38度線」の碑がありました。この一帯では南北境界線は38度線より北に食い込んでいるので、38度線を越えてもまだ韓国のエリアなのです。決して北朝鮮に入ったわけではないので誤解なきよう。
次第に客も減り、議政府から1時間20分経った頃、山間の小集落、新炭里に着きます。
そしてホームから200メートル程進むと車止めがあり、
「鉄道中断点『鉄馬は走りたい We want to be back on track』」
という有名な看板があり、本来の終着駅、北朝鮮の元山(ウォンサン)まで134.9キロという表示がありました。その先は鉄路のよすがを残すものはなく、小高い山が連なっているだけでした。新炭里駅は何もないところでしたが、青瓦と赤レンガの小さな駅舎、手入れの行き届いた庭、そしてホームの端に干してあった赤唐辛子が印象に残ってます。
●京元線の歴史
以下、京元線の歴史を紐解いてみます
京元線は朝鮮半島の横断線、ひいては朝鮮東北部への連絡路、「満州」最奥部、ロシア極東への「にらみ」の役割を負って、1914年に開業しました。日本でいえば上越線、羽越・奥羽線(東京〜新潟〜青森)といった所でしょうか。
解放後、朝鮮戦争がおこり、この線も京義線と同様南北で分断されました。
現在の終着駅、新炭里から軍事境界線までは20キロほどあります。ここより北では、朝鮮戦争末期に膠着状態にあった南北の間で地形が変わるほどの激戦が行われました。
新炭里から北に進むと、京元線と「金剛山鉄道」が接続していた交通の要所、鉄原(チョルウォン)という町があります。この町は朝鮮戦争の戦火で壊滅し、現在は韓国側の最前線ですが、鉄道が復活することもありませんでした。
2000年6月の南北首脳会談を契機とする和解ムードの中、この京元線も南北連結に向けた動きがあります。
参考文献
「『ビートル2世』で気軽に韓国の鉄道旅行を楽しむ」(前・後編)
(『鉄道ジャーナル』1994年6月号、7月号)
『日本植民地鉄道史論』
『38度線物語 朝鮮半島分断半世紀(5)』
(朝日新聞1999年8月28日朝刊国際面)
(管理人より)「ホランイ(虎)」さん、詳しく読みやすいレポートをありがとうございました。