2009年12月19日(土)午後、宝塚市南口会館にて「英語講演会 II」が開かれた。募集人員を超す34名の熱心なファンが集まった。当日の講師はデイヴィッド・ボールドウイン氏(元金蘭短期大学教授)。
演題は“Lafcadio Hearn: Lafcada, Rathmines, Cincinnati, New Orleans & Martinique” 「写真で辿るラフカディオ・ハーンの生涯」で英文の演題に現れる地名とハーンとの関係をカラーのモンタージュ写真を受講者に配り一枚一枚の写真に就いてエピソードを語った。
 日本名「小泉八雲」で知られる、ラフカディオ・ハーンは1850年、イオニア海の美しい島娘とアイルランドの陸軍軍医との間に生まれた。 彼が6歳の時に両親が離婚した為、叔母サラに育てられる。 16歳で左眼の視力を失う。 ハーンはオハイオ州シンシナッティ―に移住。そこで大学に通い、数奇な運命から優れた新聞記者として成功。
 ハーンは西洋の物質文明から東洋の精神文明にあこがれて1889年に日本にやってくる。 日本では、東京帝国大学のバシル・ホール・チェンバーレンや文部省の役人たちとも知り会う。 松江の中学校で教鞭をとる。 そこで小泉節子と結婚。 次に熊本の第五高等学校で教鞭。その後東京帝国大学で教えたが、当時英国に留学中の夏目漱石が帰任すると云うので、そこから出て早稲田大学に行く。
 ボールドウィン先生は自分のPCホームページ"Lafcadio Hearn Virtual iDiary"に長年かけて集められた情報をもとに54年のハーンの人生に就いて受講生に親しく語りかける形式で次のような場面の貴重な写真を紹介された。
 ハーンの生まれたイオニア島の生家、シンシナッティ―の大学寮、ダーハム近くのUshaw Collegeにいた13歳ころのハンサムな写真。65歳の大叔母サラと一緒に撮ったもの。西インド諸島にあるマルテイニ―島の風景。ニューヨークを日本に向けて出発するときのトランクを提げた後姿など。

 続いての交流会でも講師と熱心に話し合う様子が見られ、終了後、講師は"宝塚市にはハーンの熱心なファンの多い事に驚いた"と感想を述べておられた。

熱心に聴き入る参加者                       熱っぽく語られるボールドウイン氏

第2回英語講演会
熱心なラフカディオ・ハーンのファンが集う